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心ある場所-7

「貴女がカリガネですって!?」


 女は確かにカリガネに似ている。それも顔立ちだけじゃない。仕草や話し方、身に(まと)う高貴な雰囲気はカリガネを連想するし、親しみすら感じる。

 ……でも。


「悪い冗談はやめなさい!」


 カリガネは私と同じ歳の男の子なんだから! 目の前に居るのは、どこからどう見ても大人の女性。

 遠い血縁者だと名乗るならまだしも、カリガネ本人だと言われて素直に受け入れられるはずが無いわ。


「よくもそう見え透いた嘘を平然とつけるわね! どうせつくなら、もっとマシな嘘をつきなさい」


 きつく睨む。女も自分の言葉に説得力がない事は分かっているのか、私がその事を指摘する前に言い訳めいた事を口にした。


「君を迎に行くには姿を変えた方が早くてね。不本意だが仕方が無かったのさ。そう怖い顔をしないで。可愛らしい顔が台無しじゃないか」


 女の手が影のように髪へと伸びたが、着地の前に払い除けた。ぺチンと乾いた音が鳴る。


「気安く触れないでよ!」

「困ったな。姫は機嫌が斜めのようだ。どうしたら信じて貰えるだろう?」

「その自信、どこから来るの? カリガネに似ているのは認めてあげる。でもそれだけよ。与太話に付き合ってあげるほど、私お人好しじゃないわ」

「そうかな?」


 女はカリガネと同じ銀色の髪を触りながら、余裕のある喋り方をする。


「君は付き合いの良い方かと思っていたよ」

「知ったように言わないで!」


 向かい合って気が付いた。女はなかなかの長身だ。見上げた首が痛くなる。仰け反った姿勢が辛い。でも苦しい顔は見せられない!

 ずいと胸を張り、かかとを上げて少し背伸びをする。


「子供だからって私を甘く見ない事ね! 私を怒らせると怖いんだから」


 見下ろす女の目尻が見る間に下がる。緊張を忘れたのか頬はだらしなく緩み、上がった口角から白い前歯がこぼれた。

 笑われた。

 そう思った瞬間、羞恥に顔が熱くなる。


「人の顔を見て笑うなんて失礼ね! 私は警告しているのよ!」

「……ごめんね……懐かしくてつい……ふふふっ。いや、笑うつもりは無いんだ。すまない。あまりに愛らしくて……抱きしめてしまいたいよ」


 言いながら女は肩を震わせている。


「からかわないで! 気分が悪いわ」

「そんなつもりは無いんだ」


 なおもニコニコ微笑む女に、人差し指を突きつけた。


「命が惜しくないようね」


 女は丸腰で魔力が強いようにも見えない。従えたドラゴンだって私の敵じゃないわ!


「まさか」女は笑みを浮かべたまま両手を胸の高さまで上げる。「命は大切だ」言って、手をひらひらと振って見せた。

 そして「降参だ」と口には出したが、瞳は抜け目の無い軍師のように光を失わない。


「その目、カリガネに良く似てるわ。まるで本物みたい」

「リンネ、僕は――」

「だからと言って、カリガネの名前を(かた)って私を(だま)そうとするなんて、まったく良い度胸をしてるわね! 一体何が目的なの?」

「だから、君を迎えに……」

「ああ! そういう事ね 分かったわ」


 大帝国の王位継承者。友人の持つ肩書きは重い。

 私に取り入ろうとする者もあれば、存在自体が邪魔だと消されかけた事も一度や二度じゃない。私には理不尽で愉快な敵が多く居る。

 きっと、この女も悪い企みを持つ誰かの差し金に違いない。

 カリガネに似てる女なんて、凄く面白いもの。


「ねぇ! イイ事を思いついたわ! 貴女をカリガネのところまで連れて行くの!」

「僕を? どうして?」

「生き別れの姉上だと紹介するのよ! ふふ! きっとカリガネの驚いた顔が見られるわ! ねぇ! 面白そうだと思わない?」

「……驚くかな?」

「絶対に驚くわ!」


 女のすぐ後ろ、巨像のように鎮座するドラゴンへと視線を移す。

 暴れていたのが嘘のように大人しい。


「それに私、今とっても困ってるの。そのドラゴンで王都まで送ってくれると言うのなら、私を騙そうとした事も許してあげる!」


 鼻息荒く言い切った。


「私に従いなさい!」


 女はあっけに取られたように黙っていたが、状況を飲み込んだのか「分かった」と目を細めた。


「君の望みに従うよ。元よりそのつもりだったが、話が早くて良かった。君に手荒な真似はしたくなかったんだ」


 女の合図でドラゴンがゆったりと立ち上がる。太い足が大地を揺らし、巨大な黒い影が頭上を覆った。


「さぁ、帰ろう」


 ドラゴンが首を倒して斜路を作る。女はその頭上へ登り、右手で大角を握ると、左手を私へ差し伸べた。

 飾り気の無い白い指は、真っ直ぐに私へ向けられている。


 あれ……?


 なぜか、手を取る事が躊躇(ためら)われた。

 言いようの無い不安が、足元からゾクゾクとせり上がって来る。


「僕の手に掴まって」


 この女とドラゴンに乗っても良いのかしら……。


「リンネ」


 名前を呼ぶタイミングの良さは不安を見透かされたようで、体がビクッと跳ねた。

 それを気取られないように「一人で乗れるわ!」と強い語調で答えたが、女が私を呼んだのは別の理由からだった。


「ホズミの事は心配しなくても良い。後で人をやって探させよう。絶対に連れて帰るよ」

「ホズミ?」


 ひっかかりを覚える。耳馴染みも良い。でもそれが何を指すのか分からない。まるで記憶にモヤがかかっているみたいで気分が悪くなってきた。

 思い出せそうで思い出せない。

 思い出すきっかけも無い。


「君の拾った小鬼の名前じゃないか。ずいぶんと可愛がって従者にまでしたのに、忘れてしまったのかい?」

「……私に従者なんていないわ!」


 女は「なるほど」と頷きながら「それじゃあ」と探りを入れるような口調で言った。


「宵闇の悪魔に殺された事は覚えてる?」

「……え?」


 言葉の意味を推し量る事が出来ない。


「……誰が? 誰が誰に殺されたって……?」

「――」


 女が何かを言いかけたのと同時に、背後からけたたましい音の波が迫って来た。驚いて振り返る。鉄の機械だ。モクモクと砂埃を上げ、門をくぐり何台もの機械が走り込んでくるのが見える。


「何?」


 機械には四つの車輪。正面の窓に顔を見つけ、これが乗り物なのだと理解できた。

 人を乗せた機械は私たちを遠巻きに囲み、光る目で睨む。

 乱暴に点滅する赤い光に刺激されたのかドラゴンが小さく唸り、その頭上に乗った女は不機嫌に柳眉を歪めた。


「これもあなたの仲間なの?」

「行こう、リンネ。人間共が集まって来た」

「人間……? どうして人間が?」


 乗り物から降りて来た人々は、こちらを警戒するよう腰を落としながら、鉄の盾を正面に付きジリジリと近寄ってくる。

 強固な武装をしているようには見えないが、揃いの服を見るに兵隊なのだろう。

 一同を見渡し、女が懐かしむような口調で言った。


「地底で蜘蛛女(アラクネ)に囲まれた時の事は覚えているかい? あの時に似ている」

「え?」

粘糸(ねんし)を踏む靴底のベタベタとした感触。今も覚えているよ」


 記憶に蘇ってきたのは、瘴気のように湿った臭いと、毛足の長い八本足が立てるカサカサとした不快な音。

 無意識に両腕を摩っていたのは、粘度の高い糸が手足に絡みつく嫌な感覚を思い出したせいだ。

 それは昨日の事のようにも感じるし、はるか昔の事のようにも思える。


「嫌な事ばかり思い出す。僕は()巻きにされて、天と地が逆さまになったんだ」


 温かい目が「今日は捕まりたくは無い」と笑った。


「それ……カリガネに聞いたの?」

「誰にも話してはいないさ。君のせいで皇子が死にかけたと知られては、困るだろう?」

「そうかしら。私のせいでカリガネが死にかけたのは、一度や二度じゃないもの……」


 女は「確かにそうだ」と柔らかく笑い「いくつかは隠し切れなかった」と頬を緩めた。


「だが、千切れかけの腕を隠そうとした事は褒めてほしい」


 息を吸って、尖らせた唇から息を吐き出す。そんなまさか。深呼吸を二度、三度と繰り返すうち口の中が乾いていく。


「そうだ、西の跳ね橋が焼けた真相を話そうか? 僕の火炎竜(フレア)(そそのか)した悪い子の話だよ」

「……あれは火炎竜(フレア)が、威光を示したいと私に言ったのよ!」

「おかげで僕は一ヶ月も軟禁生活だ」

「遊びに行ってあげたわ!」

「窓を半分壊してね」

「外の空気を吸えるって喜んでいたじゃない……!」


 悪態を付ながらも動揺が隠せない。言葉は早口で尻すぼみになる。

 この女がカリガネ……?


「本当に?」

「最初からそう言っているじゃないか。そうだ、監獄の鍵の隠し場所も聞きたい?

「……囚人が逃げたのは私のせいじゃないわ!」

「ああ、それは僕だ」


『危険生物から速やかに離れるように』


 鉄の盾から頭だけを出した中年の男が、拡声器を手に語りかけてくる。

 遠く木の陰には銃器を片手に地面を這いつくばり、にじり進む歩兵の姿も見えた。


「うるさいわね! 今、大切な話をしてるんだから! 黙ってなさいよ!」

「リンネ、とにかく場所をかえよう」


 女の言葉にドラゴンが首を上げ、翼を広げる。

 その気迫に、人々はザッと砂を踏んで後退し、盾で身を隠した。


「おいでリンネ」


 頭上から声をかけられ、後を追うように空を飛び、ドラゴンの頭上に降りた。

 囲む兵や機械が見下ろせる。兵の数は想像よりずっと多かった。盾の間から驚いたような目で私たちを見ている。


「悪魔がよほど珍しいのかしら」

「彼らにとっては何もかもね」


 舵のように大角を握る女が、私の腰に手を回しニコリと微笑みかけてくる。

 ……この女はカリガネなのかもしれない。

 なのに、どうして? 直感的な不安や嫌悪感がどうしても拭えない。

 私を見据えた女の瞳が、その眼鏡の奥で揺れている。


「眼鏡……!」

「え?」

「カリガネは眼鏡なんてかけてないわ」


 屁理屈のような私の言葉に女は「ああ」と真面目な顔を作った。


「第一印象で本質を知られたくはないからね。印象を操作しているのさ。眼鏡をかけていた方が、従順で物静かな女に見えるだろう?」


 女はニコリと微笑むが、とてもそうは見えない。


「どちらかと言えば、知的で計算高そうよ」


 それも女の言う印象で本質を知られたくないという事なら、変装としては成功なのかもしれない。


「やましい事があるから偽る必要があるんじゃ――」

「あぁ、そうか」


 女は何かを思い出し懐かしむように、ゆったりと私の言葉を遮った。


「狡猾で腹黒く見える?」

「……そこまで言ってないじゃない!」


 眼鏡の縁に触れた女は、やけに色っぽく微笑むと、声の調子を少し落とした。


「お前は眼鏡をかけない方が良い。狡猾さが浮き彫りになるからな」


 誰かの口調を真似ているような、不自然で生意気な話し方だ。


「失礼だわ!」

「君が僕に言った言葉じゃないか。忘れたかい? それから眼鏡はかけないようにしていたが、どうだろう?

 君の言った通りかな?」

「私が言うはず無いわ!」


 女は値踏みをするように「そうだね」と呟いた。


『危険生物から直ちに――』


 呼びかける中年男の語調は強い。まるで自らを奮い立たせているかのようだ。

 ドラゴンは準備運動をするように、翼で大気を揺すり、太い尻尾を大地に叩きつけた。大地は抉れ、人々は悲鳴も出せず、息を飲む。


「このドラゴンを奪うつもりなのかしら」


 それにしては武器が少ない。魔法を使うようにも見えない。あれが人間だと言っていたのを思い出す。


「ねぇ、ここは何処なの? どうして魔界に人間が居るの……」


 不安を思い起こし、ギュッと握ったスカートに汗が滲んだ。

 見覚えの無い服。その事に気が付いて怖くなる。慌ててスカートから手を離した。

 次に目に付いたのは、私が履いている先の丸い靴。知らない靴。趣味じゃない。


「ねぇ……! 私、知りたい事が山ほどあるの、ずっと眠って居たみたいで……あなたが本当にカリガネなら――」

「あれに捕まりたくは無いね」


 私の言葉を遮り、女が指差したのは兵が手繰(たぐ)り寄せている網の束だ。どうやらあの網を広げてドラゴンを捕まえるつもりらしい。


「あんな網でドラゴンが捕まるわけが無いわ!」

「このドラゴンは特別でね。何があるかわからない」

「特別?」

「知りたい事は多いだろう? 分かってる。説明は後でゆっくりしてあげるから。今は僕にしっかり掴まって」


 女が微笑むと、足元が大きく揺らいだ。


「グォォォォォォ!!」


 檻から放たれた猛獣のように、ドラゴンは咆哮を轟かせ、氷息を吐き出した。

 猛烈な氷の嵐は、兵や機械を一瞬にして薙ぎ倒す。

 貧弱な兵だとは感じていたけど、こうも脆いなんて!

 ある兵は絶望の表情(かお)でドラゴンを見上げ、ある兵は倒れたまま動かない仲間の元へと駆けていく。


 後方から銃器を構えた兵が数人前へと躍り出る。腰を落としドラゴンに照準を構えた。

 攻撃を受け、ようやく反撃に出るつもりになったのか。

 拡声器を持つ男は、相変わらず私たちに向けて何か言っているか、喧騒に聞き取れない。


「行こう。リンネ」


 グラリと体が傾いた。

 ドラゴンが飛び上がったのだ。

 羽ばたきで起こる強大な風は人間に追い討ちをかけた。機械や兵、地上の全てを巻き上げ、建物を打ち砕く。


「リュウト、人間界は楽しかったかい?」

「なに? 風の音で良く聞こえなかったわ」

「いや、なんでもないよ」


 夕闇の下、地上の悲鳴が遠ざかっていく。

 陽を受けて輝く鋼の体は、やがて闇に溶けて人の目から消えるだろう。



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