乙女の花園-1
「私一人で大丈夫ですから、絶対についてこないでくださいね」
穂積はいつになく真剣な表情で言ってきた。
当然だ。そんな顔でそれに答える。
穂積が鏡の前で身支度を整えるその横で、俺も同じ制服を着たのを確認すると、さらに口を尖らせ「リュウトさん」と凄んだ。
「お前の持つ服の中でこれが一番良い。気にするな」
穂積はわざとらしくため息をついてみせた。起きた時からずっと、イラついているのだ。
昨晩から穂積の様子はおかしかった。
夜が深まるにつれて落ち付が無くなり、寝転ぶ俺に珍しく自分から、ぴったりと寄り添ってきたかと思えば、おもむろに起きて本を読み始め、そうかと思えば「今日の遊園地で乗った乗り物は……」と、興奮した様子で寝る寸前だった俺に話しかけ、仕舞いには「明日、台風が来て学校お休みにならないかな」と、ぼやいた。
俺が「今から学校に火をつけて来てやろうか?」と、親切心から進言すると、諦めたように眠ったのだ。
「お前は学校に行く。俺は魔界へ戻る手立てを探しに行く。ただ、それだけだ」
鏡に映る穂積は歯を磨いているが、顔は見るからに不機嫌。
「お前、やっぱり前髪も切った方がいいぞ」
「この方が落ち着くんです」
「じゃあ、せめてもう少し櫛を入れろ。ボサボサじゃないか」
穂積の長い黒髪を櫛でとかす。猫の毛並みでも整えている気分だ。ふと、鏡越しに穂積と目が合う。
「なんだ?怪訝な顔して。ふふん、俺の横で同じ鏡に映されるのは気が引けるか?いいぞ、嫉妬しろ」
「……リュウトさん位の美人になると、次元が違いすぎて嫉妬する気にもならないです」
「なるほど、格が違いすぎるか……あ!おい、せっかく綺麗にしてやったのに」
穂積は無造作に髪を掴むと、雑に一本に束ねたのだ。ただ長いだけの黒髪。実に勿体無い。女というのは着飾り、それを楽しむものでないのか?男から女になった俺の方が随分と手入れをしている。
見ろ、この俺の清楚な手足。湯上りにオイルを擦り込んだこの肌は、雪原に落とした花びらのように、ほんのりと桃色だ。
「そうだ。穂積、俺の襟にリボンを結んでくれ」
「リボンは、嫌って言っていませんでした……?」
「気が変わると言う事もあるだろう。お前と言う女は、リボンを付けないと決めたら、生涯それで通すのか?嫌いだった物にもいつの間にか抵抗がなくなったりするだろう?」
穂積は渋々俺の襟に赤いリボンを結んだ。リボン一つで俺の可憐さが増して見えるから不思議だ。
そんな俺に穂積はジトリとした視線を寄せる。口など開かなくても分かる「学校へは来るな」と言っている。
「くどいぞ、穂積。お前は書いた眉が消えないかどうか、その心配だけしているが良い。」
「もう!……分かってます!」
口ごもりながらボソボソと喋る事の多い穂積にしては、かなり感情的な声だった。
戦場へ向かう兵士が士気を高めているかのような、ピリピリとした緊張感を持っている。何が逆鱗に触れるか分からない。
今朝の食事の感想を気軽に言っただけで噛み付かれそうだ。
「リュウトさん、その腰の剣は置いていって下さい。剣をぶら下げた女子高生は居ないですから」
「じゃあ女子高生はどうやって戦うんだよ。こんな足を出して丸腰で歩いているんだぞ?危ないだろう」
「……走って逃げてください」
渋々、帯剣用のベルトを外すと途端に身軽になった。しかし、武器が何も無いのは落ち着かない。せめて短刀くらい持って居たい。
「短刀を太腿に括り付ける装備とか無いの?」
「無いですよ、そんなの!」
今朝の穂積は切れている。
「そうだ。リュウトさん、外では車に気をつけてくださいね、すぐに飛び出すんだから」
「お、おう」
「あと、これ鍵と、お金です
「すまん。助かる」
これではまるで、情婦を色で縛るヒモのようで居心地が悪い。
「そうだ」
小袋から小石を取り出す。
爪の先ほどの小石だが重量があり、見る角度によっては藍色にも真紅にも見える。
「不思議な色だろ。焔の犬が腹に溜め込んでいた珍品だ」
「……綺麗、これ何ですか?」
「息を吹きかければ、まぁハッタリだが、助けになってくれるだろう。持っていけ」
「息を?」
「おい!今、吹くなよ!危ないから」
穂積は真剣な面持ちで、石を眺めると胸のポケットに仕舞い「お守りにします」と服の上から抑えて見せた。
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背で抑えていた扉が、ふと軽くなり顔を上げると見知った顔があった。誠司だ。
「おはよう、リュウト」
「お、誠司。お前も学校か?」
「いや、僕は今帰ってきて、これから寝るとこ。リュウトは?」
「見て分かるだろう、学校だよ」
襟のリボンの端を持ち「どうだ」と、見せ付けると誠司は怪訝そうな顔をした。
「あ……っ中森君、おはようございます」
遅れて部屋から出てきた穂積が、誠司を見つけ、深々と頭を下げた。
「あれ?七瀬さん、なんか可愛くなったね」
誠司に言われ、穂積は、ぱっと顔を隠す。
丸めた背と陰気な雰囲気は相変わらずだが、眉を綺麗に書いただけで穂積は少し垢抜けたのだ。
「どうせ平凡な顔なんだ。隠さず見せてやれよ」
せっせと長い前髪で顔を隠し、誠司に背を向けた。
「あはは、二人して制服だと華やかで良いね。って言うか、リュウト学校行くの?」
「まさか、行かないよ」
穂積が背を向けているのを確認しながら、人差し指を唇に押しつけて見せると、誠司は「ああ、行くわけが無いか。コスプレだもんね」と、ゆっくり頷きながら笑顔で答えた。
「リュウトさん、私、先に行くね、遅刻しちゃう」
「そうだな、急がないと。俺も走りたい気分だ。一緒に走るか」
穂積は眉を寄せ、抗議してくるが、見ない。
「穂積、遅刻するぞ。早く行こうぜ」
「いってらっしゃい。あっ、リュウト!車に気をつけてね。急に飛び出したら危ないよ」
誠司のその言葉に穂積は小さく噴出した。
「なんだよ、二人して!子供じゃねぇんだぞ、俺は」




