30.初デート大作戦!?-02-
「何も決まらない! 何も!」
「奥様、落ち着いてください。まだ時間はありますから!」
まだ時間はある、と言っても、もう時計は11時を指している。
今朝は6時に起きたはずなのに、なんでまだデートの準備が終わっていないのか。セシリアは、自室の中心で頭を抱えていた。
「こんなことなら、可愛いワンピース、買っておくんだった……!」
服というものは不思議である。
去年の自分は嬉々としてその服を買ったはずなのに、翌年に見ると自分のセンスを疑いたくなるのだ。
モノトーンの水玉も、水色のストライプも、なんだかしっくりこない。はっきり言ってダサい。とても。
「そういえば、奥様。プレゼントボックスが奥にありますけど、あれはお洋服ではないんでしょうか……?」
「!」
マリーが指さしたのは、紺色の上品なプレゼントボックスだった。
部屋の奥に鎮座しているそれをみた瞬間、セシリアは、『困った時に開けなさいね』という母エルゼの微笑みを思い出す。
今がまさに、困った時である。
(頼むよ、お母さま……!)
そんな都合よく余所行きの服が出てくるはずもないけれど、エルゼならやりかねない。
セシリアは、化粧箱に掛かっているリボンを解き、かぱり、と蓋を開ける。
「うわぁ……可愛い!」
中から出てきたのは、紺色の大人っぽいワンピースだった。白いレースの襟は上品だが、パフスリーブの袖は、シフォン生地でうっすら透けている。
思わず、セシリアはマリーの方を見た。彼女もぱあと顔を明るくしている。
このワンピースなら、絶対に間違いないだろう。
アルフォンスの心をぐらっとさせることができるかもしれない。
「さすが……お母様には一生頭が上がらないわ……」
セシリアは、ウィンターズ領の方角に向かって、手を合わせる。ワンピースが必要になることが分かっていたのは、少し怖い気もするが。
(……お母様、実は未来視の魔法でも使えたりして)
隣国では魔法が学問として発展していると聞いたことがある。ただ、未来を見ることができる魔法なんてあるのだろうか。
(いやいや、あるわけない。ただお母さまが超人なだけだ)
セシリアは、1人で納得する。なにせ、エルゼは国王に直訴しようとする伯爵夫人なのだから。
そんなことを思いながら、セシリアはワンピースを身にまとった。背中のボタンはマリーが留めてくれる。
ワンピースのサイズは、セシリアにぴったりだった。鏡越しのマリーがにっこりと微笑む。
「奥様、髪とメイクはお任せください! 急ぎますからね!」
気が付けば、時計は、もう11時半を回っていた。
マリーは器用に髪を編み込んでいった。ハーフアップした髪を三つ編みにし、耳の上で花のように一つに纏める。残りの毛は全て巻き下ろした。
(マリー、なんだか気合入ってない……?)
突然、ふわりと、甘いバニラのような香りがセシリアを包む。
「わ、甘い匂い!」
「ふふふ……、実は、私、奥様のために買っちゃいました! メイドリーダーの特権です!」
マリーは丸っこい瓶をセシリアに見せてくる。
セシリアも知っているブランドの香水である。首元と手首に優しく付ければ、ほんのりと優しい甘さに包まれた。
「可愛い! 可愛いですよ、奥様!」
「……そ、そうかなぁ、ぶへっ」
セシリアの相槌を待つことなく、突然マリーはセシリアの顔に何か塗りたくりはじめた。
ぬるぬるしたものが塗られたかと思うと、今度は粉のようなものをパタパタと叩かれた。
確認のしようがないが、どうやらメイクをしているらしい。
完全にされるがままである。目も口も閉じ、黙ってメイクが終わるのを待った。
「はい、できました!」
その声に、セシリアがぱちりと目を開けば。
「わぁ、目もとがキラキラしてる……!」
アイシャドウのラメがきらきらと輝いた。
公爵夫人と言って差し支えない、気品ある、けれども今っぽさもある、バランスばっちりのスタイリングだった。
「ふふふ、このアイシャドウも特権です」
「アレなのね」
マリーとセシリアは鏡越しに、暗号のように視線を交わした。
◇
時を同じくして、11時。
アルフォンスは、予定通り午前中で仕事を終わらせて帰ってきた。最近は新規で救護団を立ち上げるための根拠資料の整理を行っているため、以前にも増して忙しさに拍車がかかっている。
(だが、自分から誘ったくせに、遅刻はあり得ないよな)
もう少し残れるかと思ったが、部下たちから『団長早く帰れ』コールを浴びてしまったので、仕方なく帰路についた。
扉を開くと、玄関ホールには、待ちくたびれたかのような顔をした執事服の男がいた。
「おかえりなさいませ」
「クルト、まさか玄関前で待ち構えていたのか」
「ええ」
「グレイブ家の執事って暇なのか?」
クルトを無視して、アルフォンスは、居間に向かった。
ソファに腰を下ろす。
セシリアは準備しているだろうから、少し仕事でもするかと持って帰ってきた書類を漁ろうとする。
「……えっ、旦那様。まさかとは思いますが、その恰好で向かわれるんですか」
「何か問題なのか。非番だから、騎士団の制服を着てはいけないというルールは無い」
「はぁー…………」
深い溜息をつかれた。直後、クルトの眼鏡の奥がきらりと光る。
「奥様がおしゃれしてこられるというのに、ご自身は何もしないというのは、不公平では?」
「…………まあ、確かに」
セシリアのことだ。きっと可愛らしく着飾ってくるだろう。アルフォンスは、少し頭を悩ませる。
一応、余所行きの服はあったはずだが、自分に服を選ぶセンスは無いと、アルフォンスは自覚があった。
「大丈夫です、旦那様。服はもう選んでおります」
「なんでだ」
クルトの顔は得意げに笑っており、アルフォンスが見てきた彼の顔の中で一番楽しそうな表情をしていた。
「はいはい、1名様ご案内~」
「だからなんで、そんなに楽しそうなんだ、お前は」
クルトに引っ張られたかと思うと、自室に押し込まれ、服を着替えされられた。緑のベストに、ボウタイのブラウス、すらりとしたシンプルなシルエットだが、装飾のついたズボン。
全て普段着ないものばかりだけれども、クルトが選んだだけあって、大人っぽくまとまっていた。
「はい、それでは次は髪ですからね」
「髪なんてこのままでいいだろう」
半ば強制的に、ほとんど使っていない鏡の前に座らされる。
確かに鏡に映る自分の髪を見れば、朝に多少は整えたはずなのにすっかり乱れていた。
クルトは、「失礼します」と言って、アルフォンスの金色の髪を触り始める。
「やめろ、髪くらい自分でやる!」
「はいはい、坊ちゃま大人しくしてくださいね」
「おい、誰が坊ちゃまだ!」
ぎゃあぎゃあと抗議の声を上げるアルフォンスだったが、クルトは冷静にこう言った。
「……奥様のこと、意識させたくないですか」
ぴたり、とアルフォンスの動きが止まる。そして、手を膝の上に置き直した。髪型は執事に任せた方がいいだろう。
(こんな言葉ひとつに踊らされる己が、情けない……!)
そう思いながらも、アルフォンスは黙ってクルトに任せることにした。右側の髪だけ編み込まれ、耳の後ろで留められた。夜会に行くときも、こんなにめかし込んだことはないというのに。
「では、仕上げです」
ふわりと甘い香りがアルフォンスの鼻をくすぐった。ベリーのような、花のような、だがどこか落ち着いた香りである。
「なんだ、この甘い香りは」
「執事の特権で買ったんですよ」
クルトが見せてきたのは、丸っこい瓶の香水だった。リボンがついているそれは、あまりに自分に似合わないだろうと、アルフォンスは顔をしかめた。
「香水なんて、付けたら変に思われないか」
アルフォンスは生まれてこの方、香水なんてものを付けたことは無い。しっし、と香りを追い払うように、クルトに向かって手をひらひらさせれば、彼は、目を細めて笑った。
「まあ、ユリウス卿なんかは付けてたんじゃないですかね」
ぴしり、と顔が固まった直後。
「…………」
かちん、ときた。
アルフォンスは、クルトの手から香水瓶を奪い取ろうとする。
「貸せ、もっと付ける」
「振りまくればいいってもんじゃないんですよ、これは!」
立ち上がって、取っ組み合うような形で瓶を奪い合う。いい大人がドタバタと部屋で攻防している姿は、傍から見れば滑稽だろう。
だが、アルフォンスだって負けるわけにはいかないのだ。
(くそっ、なんでクルトはこんなに力が強いんだよ……!)
騎士団長の力を以ってしても、必死になったクルトには敵わない。アルフォンスは、一度執事服を掴んだ手を離して、クルトを見た。
「……お願いだから貸してくれ。アイツに負けると思うと腹が立って仕方がないんだ」
「可愛らしい嫉妬ですね。でも駄目です! つけすぎは嫌われますよ!」
その言葉に、アルフォンスは疑問符を浮かべた。なんだか、クルトと戦う気がなくなってしまい、大人しく、元の鏡の前の椅子に座る。
アルフォンスは、怪訝な顔をして鏡越しのクルトに問うた。
「嫉妬……? 俺が?」
アルフォンスは、自分の感情が嫉妬だなんて、思いもしなかった。
ただ、元婚約者に負けた気分になって悔しかっただけだ。
(いや、負ける? ……そんなはずはない。だって、俺とセシリアは結婚しているんだぞ)
息を整える。そうして、己の感情に向き合った。
自分が元婚約者に負けるなんてことは、さらさら思わない。彼女の気持ちは全て自分に向けてくれているという安心感もあるし、自分の方が絶対にセシリアを幸せにする自信もある。
(でも、セシリアのデートの記憶は、アイツの方が早い)
元婚約者とどんな顔をして、どんなことを話して、どんなデートをしたのか。
想像するだけで、胸が焼けてしまいそうなほど苦しく、重い感情がふつふつと湧き上がってくる。
「俺は、どうすればいい……?」
掠れた声で、クルトを見上げれば、彼は得意げな顔で言った。
「そんなの腕を組んで、優しくエスコートするしかないでしょう。あ、女性の好きそうなカフェなんかに行くのもいいかもしれないですね」
クルトは、先ほどの乱闘で乱れたアルフォンスの金色の髪を整えながら続ける。
「──記憶を消すことはできなくても、思い出を塗り替えることはできますから」
鏡越しのクルトは、余裕のある大人の男である。アルフォンスは、自分が段々と恥ずかしくなってきた。
「お前もデートしたことはあるのか」
「そりゃあ、ありますよ」
「……じゃあ、また、時間があるときに教えてくれ」
鏡越しの大人の男はにっこりと笑った。
「いいですよ、その代わり」
口元がにっこり、というより、にやりという形に吊り上がった。
「報告待ってますからね」




