28.ミネストローネと嫉妬心
「結婚指輪……ですか」
トマトの香りが居間に広がる深夜2時。
ミネストローネを口に入れながら、セシリアはまるで他人事のように呟いた。
「そうです。王都で1番の職人に作らせましょう! ぜひ!」
「なんで、お前の方がそんなに気合が入っているんだ」
本日の夜食会には、ゲストがいた。執事のクルトである。
『旦那様と奥様と食事を摂るなんて言語道断です!』と言っていた彼だが、セシリアの一押しにより、一緒に食卓を囲うことになった。
いつもは落ち着いているクルトだが、セシリアが帰ってきてからというもの様子がおかしい。特に、結婚式をすると決めてからというもの妙に張り切っていた。その熱量は、当事者であるセシリアとアルフォンスを大幅に上回っている。
「大好きな旦那様と奥様の結婚式ですよ!? 張り切るに決まっているでしょう!」
「おい、夜中だぞ。声量を落とせ」
「……うぅ、すみません。あっ、また涙が」
アルフォンスをは、呆れ顔でクルトを見やる。
今回はどこに感極まったのか、ずびずびと鼻をすすりながら、クルトは眼鏡を外して、目頭を押さえた。
「旦那様は結婚式など挙げることがないだろうと思っておりましたので、本当に……嬉しくて……」
「おい、大丈夫か」
「大丈夫です……ちょっと情緒がおかしいだけです……ああ、ミネストローネが美味しい……」
「…………本当に大丈夫か」
最近分かったことであるが、クルトはずいぶんと涙もろい。特に、セシリアとアルフォンスのことになると。
彼は、眼鏡をかけ直すと、結婚指輪についての話を再開する。
「先代の結婚式の際にお願いした職人の記録を見つけましたので、すでに連絡をとっております。ご都合の良い日に来ていただきましょう」
さすがクルトである。仕事がはやい、と感心するけれども、ふとセシリアは思う。
「……直接、お店に出向くのは駄目なのでしょうか」
「良いと思いますが、大変なのでは? 確か店は馬車が入れないほど奥まった場所にありましたので……」
「いいえ、全く」
歩くことなんて、セシリアにとって全く問題ではない。先日も、グレイブ家の墓まで歩いたばかりなのだ。
それに。
「私、アルフォンス様とデートがしてみたくって!」
手を叩きながら、セシリアがそう言うと、アルフォンスは眉をひそめた。
「……ウィンターズ領からの帰り、街を巡ったことはあるだろ。あれはデートじゃないのか?」
彼が言うように、確かに、ウィンターズ領からの帰り道で、街を散策したり、バルに出向いたりした。アルフォンスにとっては、それがデートだと思っているらしい。だが、しかし。
「あれはデートではありません! デートというのは、前日から着る服を考えて、何の香水を付けようかとか、髪型はどうしようかとか、そういうことを考える時間も含めてデートなんですよ!」
そう。デートとは、そういうものだ。
ただ単に、お出かけをするのはデートではない。デートと言うのは、約束した時から始まっているのである。
セシリアの言葉に、なぜかクルトも全力で頷いていた。
「……詳しいな。お前はデートしたことがあるのか?」
「…………えっ」
アルフォンスの問いに、セシリアは言葉に詰まった。
無い、と言えば嘘になるからである。
元婚約者と親睦を深めるため、王都の町を散策したことは数回あった。当然、形式的なものではあったけれども、流行のカフェに行ったり、舞台を見たり、誰がどう見ても、あれはデートだった。
(ただ、それをアルフォンス様に話すのはちょっと……)
セシリアが黙り込んでいると、アルフォンスの顔がだんだんと強張っていく。その顔は、最終的には悪魔か、というくらい恐ろしいものに変わった。
「元婚約者か」
アルフォンスは、ちっ、と舌打ちをした。彼の周りには、殺気に近いオーラが纏われている。
そのまま人を殺しそうな目で窓の外を眺めた。
(ど、どうしよう。怒っちゃったかな……)
しばらく沈黙が落ちた後、彼はセシリアの方を向いた。
「……明日!」
唐突にアルフォンスが声を上げた。
「え?」
「明日の午後、空けておくように」
「……お、お仕事は?」
「午前中で片づける。なんなら、今からやる」
さすがにそれは無理があるんじゃないか、とセシリアは眉根を寄せた。だが、アルフォンスは本気らしかった。
残りのミネストローネを一気に口に入れると、彼は立ち上がった。
「アイツとデートできて、俺とできない理由があるのか!?」
「…………」
「とにかく、これは、決定事項だからな」
アルフォンスは、吐き捨てるようにそう言うと、どすどす、とわざと音を立てるようにして、居間を出ていった。
バタン、と激しく扉が閉まる音がした。
が、その直後、ひっそりとした足音とともに、ぎい、と遠慮がちに再び扉が開いた。
「ミネストローネ、美味かった。おやすみ」
パタン。
今度こそ本当に扉が閉まった。
(……え、えぇ、これって。これって、もしかして)
さすがに、そこまで鈍感なセシリアではない。
きっと、自分は嫉妬をされているのだと、嫌でも気が付いた。段々と熱くなっていく頬を抑えて下を向く。
アルフォンスにとっては、嫉妬は負の感情であることは承知している。だから、申し訳ない気持ちはあった。それでも、セシリアの中に湧き上がってくる高揚感を抑えることはできなかった。
(どうしよう、凄く、嬉しい……!)
そんなセシリアの隣で、クルトは「尊い……」と言って、両手を合わせて机に伏せていた。




