26.ただいま帰りました!
王都に戻ってきたセシリアとアルフォンスは、少しくたびれていた。3日間という行程は、ある程度ゆとりのあるものである。しかしながら、毎日移動となると、やはり疲労がぐっと溜まる。
セシリアは「いってて……」と、痛む背中を伸ばしながら、馬車から降りた。
座っていると体が凝り固まって仕方がない。
「セシリア、大丈夫か」
「……もう、私も歳なんでしょうか」
「おい、20歳が何を言ってる」
「18歳に言われたくありません!」
アルフォンスとセシリアは、そんな軽口を叩きあいながら、玄関の扉を開いた。
瞬間、セシリアの目に入ってきたのは、ずらりと並んだ使用人たちである。あまりの圧に、セシリアは扉を閉めたくなった。
「あ、奥様ぁ! なんで閉めようとするんですかぁ!」
「マリー。お迎えは嬉しいんだけどね。使用人の皆さん総出でお迎えですか……?」
小説でしか見たことが無い、全使用人による『お帰りなさいませ、旦那様、奥様』をやられてしまっているらしい。セシリアは少しだけ背筋を伸ばした。
今日から、彼女は真の公爵夫人なのである。扇子が無いため、口元を手の平で覆い、笑いながら帰還の挨拶をしてみる。
「……た、ただいま帰りましてよ」
「似合わないからやめとけ」
アルフォンスは、呆れたような顔でセシリアを見つめた。
「だって、皆さん、私が公爵夫人に相応しいか見定めていらっしゃるんでしょう……?」
使用人たち全員が一斉に首を振った。どうやら、ハズレらしかった。
では、使用人全員総出でお迎えなんてどういった風の吹き回しなのかとセシリアは目をぱちぱちとさせた。
「奥様、違いますよ。使用人一同、奥様のお帰りを待っていたのです」
執事クルトの言葉に、使用人全員が深く頷く。それは事前に打ち合わせでもしたのか、というくらい統率された動きだった。
「奥様が居なくなっていた間に、我がレストランは3店舗に増えましたよ」
料理長のシュミットが言った。
「奥様がいない間に、私はメイドのリーダーに昇格しました!」
メイドのマリーが言った。
「私も、奥様が戻って来られたときのために、帳簿のテキストを準備しておりました」
執事のクルトが言った。
「奥様、使用人の名前を覚えてらっしゃるでしょう?」
「ええ、そりゃあ、まあ……」
これでも1年間一緒の屋敷で過ごしてきたのだ。名前くらい覚えるだろう。
「それだけで十分なのですよ。我々は。尽くすことが当たり前の人間以下。そんな考えの主人を持つ使用人も数多くおります。でも、奥様は対等に接してくださる。話しかけてくださる。気を遣ってくださる。それが、我々は嬉しいのですよ」
「……それは、当たり前のことではないですか。だって、皆さん良い人ですし」
「お、奥様ぁ……っ!」
セシリアがそう言うと、クルトは何かが決壊したのか、唐突においおいと泣きだした。
鼻水がずるずると垂れてきたため、メイドのマリーが彼にハンカチを差し出す。だが、それもすぐにびしゃびしゃになってしまったため、セシリアはハンカチを渡しながら言った。
「あの、私……何か変なこと言いましたか?」
「全く!うう、あっ、貴重なハンカチいただきます……」
クルトはハンカチを受け取ると、ぶしゅう、と鼻をかんだ。
「使用人一同、奥様のことが大好きなんですぅ……! 本当に良かった、帰ってきて……!」
どばあと涙を流しながら、クルトはそう言った。使用人たちは、首がもげそうなくらいぶんぶんと頷く。
涙と鼻水でぐしょぐしょになったハンカチで、再び涙を拭ったクルトは、眼鏡をかけ直し、一歩前に出る。
「本当に、私ども一同、奥様に戻ってきていただきたいと思っておりました。なにせ、旦那様が……あっ」
「ん? ……旦那様が?」
目線を逸らしたクルトに続きを促そうとするが、セシリアの後方からどす黒いオーラを感じた。アルフォンスである。
「……おい、クルト。いいだろう、その話は」
「はい。旦那様の名誉のために申し上げません」
「おい、クルト!」
「おや、私としたことが」
わざとらしくクルトが驚いた顔をしたため、アルフォンスは苦い顔をしながらコートを脱いで、クルトに押し付けた。
「えっ、なんですか。アルフォンス様がどうしたんですか!」
「お前は絶対に知らなくていいことだ!」
セシリアは首を傾げながら、まあいいかと笑う。
色々あったけれども、またこの屋敷に帰ってくることができたのだ。
一足先に、屋敷の中に入ったアルフォンスは、くるりとセシリアの方を振り返る。
「おかえり、セシリア」
「はい、ただいま戻りました!」
たんっ、と足音を鳴らして屋敷に足を踏み入れる。久々に踏んだ公爵家の絨毯は、ウィンターズ伯爵家のものよりもずっと柔らかくて。
(……ああ、戻ってきたんだな、私)
もう、期限付きではない。お飾りでもない。正真正銘、セシリアは、グレイブ公爵夫人となるのだ。
セシリアは、それが嬉しくてたまらなかった。顔が綻んだ。
「奥様がいたら、屋敷にぱっと光が灯ったように明るくなりますね。さあ、推し夫婦のお迎えの準備をしなければ!」
クルトがパンパンと手を叩いた。それに合わせて、一斉に使用人たちが動き出す。
セシリアも自身の荷物を部屋に運び込むため、使用人を連れて一度馬車に戻った。
荷馬車には、大量の荷物が積んであるのだ。
「……お母さま、荷物持たせ過ぎだって」
アレもいるやら、コレもいるやら。絶対に不要なものまで、とりあえず持って行け精神で色々と押し付けられたのである。
「そういえば、これの中身なんなんだろ」
セシリアは母エルゼから貰った、可愛らしい箱をじっと見つめた。出発前に彼女が押し付けるようにして持たせたものである。
『セシリアちゃん、これは困った時に開けるのよぉ』
紺色にラッピングされた箱を差し出したエルゼは意味深に笑みを浮かべるだけだった。
「ま、少なくとも開けるのは今じゃないか」
ちまちまと、馬車の中から荷物を運び出していると、後ろから声をかけられた。アルフォンスである。
「セシリア、今日は午後から出かけたい。いいか?」
「……もちろんです。馬車を出しますか?」
「……いいや、歩いていこう。セシリアが良ければ」
アルフォンスは、そう言って笑った。
歩くことの良さにハマってくれたのなら、何よりである。




