20.キャロットスープで仲直り-01-
セシリアとアルフォンスは、台所にいた。先ほどのニンジンを黙々と皮むきするアルフォンスは、王都の人間が見たらきっとひっくり返るだろう。
圧倒的に似合っていない。けれど、やっぱり格好いい。
「できた。鍋に入れるぞ」
「お願いします」
2人は、先ほど貰ってきたばかりのニンジンを使って、キャロットスープを作っていた。意外なことに、その提案はアルフォンスから出たものだった。
『セシリア、ヴィルヘルムとは仲直りしておいた方がいい』
圧力をかけるようにそう言われれば、セシリアは首を縦に振るしかない。騎士団長、アルフォンス・グレイブの顔は怖いのだ。
「本当に、これで仲直りできるんですかね……」
キャロットスープごときで、ヴィルヘルムの機嫌が直るとも思えなかった。と、いうよりも。
「というか、私は悪くないですから!」
「はいはい、セシリアは悪くないな」
「子ども扱いですか!」
「奥様扱いです、と言ったら?」
いつの日かの仕返しをされたみたいで、セシリアは少しだけ悔しくなった。完全にアルフォンスにペースを握られている。
セシリアが顔を膨らませれば、アルフォンスは呆れ顔でふ、と笑った。
(私の方が年上なのに……!)
ちょうどそのタイミングでニンジンがゆで上がった。
底の深いボウルに移すと、フォークでゴリゴリと押しつぶしていく。ニンジンの甘い香りがふわり、と台所に広がっていく。
「私、ずっとヴィルとは喧嘩ばかりなんです。……1歳差だからでしょうか。素直になることができなくて」
ニンジンを潰す。そしてまた、潰す。
独り言のように、セシリアは言葉を零していく。
「本当は、喧嘩なんてしたくない。大切な弟なのに」
口を開けば、思っていることと真逆のことを言ってしまう。大切であるはずなのに、憎たらしくて仕方がない。
「言いたいことは、すぐに伝えた方がいい。……それは、いつか、伝えられなくなるかもしれないから」
その言葉に、セシリアは、はっとした。アルフォンスは、その言葉の意味を、身をもって知っているのだ。
◇
ウィンターズ家の食堂は、昼下がりのこの時間はがらんとしている。長いテーブルに、腰掛けているのは、不思議な取り合わせだった。
「んで、馬鹿姉貴と……ソイツと! 一緒にスープ飲まなくちゃなんねぇんだよ」
「言葉遣い!」
「うるせ」
そう言いながらも、ヴィルヘルムは座ったままだ。食事を粗末にしないという言いつけは、守ってくれているらしい。大人しく、キャロットスープを啜っていく。
「……おい、そっちの」
ヴィルヘルムは、アルフォンスの方を見る。公爵を『そっち』呼ばわりする、あまりに不遜な物言いにセシリアも背筋が凍りそうになった。
「さっきから、なんで怒らないんだ。さっさと離婚しろよな。不敬な義弟がいて腹が立ったって言って」
「ヴィル!」と声を荒らげようとしたセシリアの肩をアルフォンスは軽く叩いた。
そうして、セシリアの代わりにヴィルヘルムに告げる。
「いいや、いくら頼まれても絶対に怒らないし、セシリアとは別れてやらない」
「なんでだよ!」
イライラしたようにヴィルヘルムがアルフォンスを睨むが、アルフォンスは一切動じずにこう告げた。
「わざとなんだろう。お前が俺を怒らせるような言葉使いをしているのは」
セシリアは、思わずヴィルヘルムの方を見た。彼は、苦い顔をしてアルフォンスから目を逸らした。
「なんでそう思ったんだよ……」
「俺がセシリアの弟だったら、同じことをすると思ったからだ。怪しいだろ、『白い結婚』を結んだ相手が、本人に無断で離婚届を出していなかった上、結婚を継続します、なんて」
「…………」
「契約不履行もいいところだ。俺だったら、相手が王族だろうが殴るかもしれないな。さっさと破談にするために」
アルフォンスは、じっとヴィルヘルムを見つめた。
「どうか、結婚を許してほしい」
「な、なんで、そこまでしてコイツに執着するんだよ……」
ヴィルヘルムは、動揺しながらも、眉をひそめてアルフォンスを睨むように見た。
しかし、アルフォンスから返ってきたのは、意外な言葉だった。
「……お前の姉のことが好きだからだ。お前と同じで」
「……は」
真っ直ぐなその言葉に、ヴィルヘルムは毒気を抜かれたような顔をした。その顔を見たアルフォンスは、優雅にスープを啜った。
「……わかったら、お前らさっさと仲直りしろ」
とん、とアルフォンスはセシリアの背中を優しく叩いた。
セシリアはヴィルヘルムに何を言ったらいいか迷って、言葉を探した。けれど、何を言えばいいのか全く分からない。
何とか絞り出したのは、懐かしい記憶だった。
「……メアリおばさんの家でさ、昔、一緒に食べたよね。キャロットスープ。あの頃から、ずっと喧嘩ばっかりだね、私たち」
「そうだな」
ヴィルヘルムは、セシリアの方を見ずに、キャロットスープを飲み続けていた。少しの間、沈黙が落ちる。
「……ごめんね」
「なんで謝ってんだよ」
「今朝、ヴィルを怒らせたのは、私だから」
「だからっ、姉貴のそういうところが嫌いなんだ!」
セシリアが謝ったのにも関わらず、ヴィルヘルムは目を吊り上げた。セシリアの言葉が気に障ってしまったらしい。
「姉貴はいっつもそうだ。自分が悪い、自分が悪いって……いっつも、自分が犠牲になって……」
ヴィルヘルムの声はだんだんと小さくなっていく。キャロットスープは、もう皿の中にはないのに、スプーンだけが迷子になったように宙を彷徨っていた。
「見てると腹立つんだよ! 別に俺ら家族は、姉貴に全部背負わせようなんて思ってないのに。姉貴がずっと俺らのために、色々走り回ってたって……知ってる。だから……」
ヴィルヘルムは言葉に詰まる。少しだけ上擦った声で、話を続けた。
「もともと婚約してたユリウスって男も気に食わなかった。別に、持参金なんてどうでもいいよ。姉貴は、ずっと無理してたし、婚約破棄されたって聞いて、俺は清々したし」
ヴィルヘルムは、やっと、スプーンを皿に置いた。
「だから、俺は……『白い結婚』を結ぶって聞いて、ずっと反対してた。父さんも母さんも無理するなって言ってただろ。別に金なんていらないから、姉貴は早く自由になるべきだって! それなのに……」
「それなのに……」と呟いた声は、ずいぶんと震えていて。セシリアは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「公爵夫人って大変だろ。俺だって勉強して、伯爵家を絶対に建て直す。約束する。だから……無理してるなら、もう……」
「……もしかして、ヴィルは、ずっと私が我慢してると思っていたの?」
セシリアは、やっとその言葉を紡ぎ出した。泣かないようにするのが、精いっぱいだった。ぐっと涙を呑んで、セシリアは続ける。
「あのね、ヴィル。大学に通うことにしたの、私」
「……大学? 公爵夫人が?」
「そう。私、ずっと学校で勉強してみたかったの。公爵夫人が大学に通うなんて、本当はあり得ないのかもしれないけれど……アルフォンス様がね、応援してくれてるの」
ヴィルヘルムは、不思議そうな顔でアルフォンスを見つめる。
ビーフシチューを二人で作った後、セシリアが『大学に通いたい』と言うと、アルフォンスは、応援すると言ってくれたのだ。
アルフォンスの隣ならば、セシリアが今まで言えなかった、わがままを言うのも怖くなかった。
「大学に通って、勉強して、領民の皆とグレイブ公爵家とウィンターズ伯爵家のために沢山働きたいの」
「だから、それも他人のためっていうのが……!」
「それが、私の幸せなのよ、ヴィルヘルム。皆が笑っていると、私も嬉しいの」
本当のことだった。
長女であることを恨んだこともあるし、損な性格だと自己嫌悪に陥ったこともある。他人を羨んだことだって数えきれない。
それでも、セシリアは、自分の選択が間違いだったと思ったことなんて、一度も無いと言い切れる。




