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グランドールフェスト  作者: 五月雨 拳人
第二章 ドラゴンバスター
30/30

検査 ヴァリアンテの武器を調査せよ

 竜がいつ生まれたのか、それは誰も知らない。

 永遠とも言われる寿命を持つゴシクの民でさえ、それを知る者はいなかった。

 何故なら、竜は彼らよりも先に生まれたからだ。

 今この世界に生きる全てのものは、竜より後に生まれた。


 つまり、世界が一度滅びかけた後に。


     †     †



「大将? 俺が?」


 驚いて裏返りかけた巧真の声に、ピレーネは「そうだ」と至極真面目な顔で頷く。


「ここの王さんは遊撃隊って事で好きにやれって言っただろ。まあ、あたいは最初から好きにやるつもりだったが、それでも一応組織だって事には変わりはないからな」

「はあ……」

「だったら最低でも頭は決めとかなきゃいけねえ」


 そこでピレーネはにやりと笑って巧真の肩に、女性とは思えない大きくて分厚い手を置く。


「って事で坊や、あんたが大将をやるんだ」

「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ。どうして俺なんですか!?」

「どうしてもクソも、一番強い奴が大将をやるのは当たり前だろうが。

 少なくとも、あたいは自分より弱い奴の言う事なんて聞かねえぞ。他の奴らだってそうだろう」

「なるほど……」


 上下関係を築く上で、強い奴が偉いという原始的な力関係はシンプルであるが故にその効果は大きい。巧真だって、通信格闘ゲームの世界ではランキング二位という目に見える肩書があるお陰でそれなりの発言権や影響力を持っている。特に巧真のような見た目も弱そうな若輩者は、実力が上だという看板があったほうが余計なトラブルが無くて話が早いであろう。


 その点で言えば、ピレーネも同様だ。彼女は女の身でありながら、一族のおさという地位に収まっている。それは性別や年齢に関係なく、彼女が一族の中で一番強いからである。だから誰も彼女に逆らわない。力とは、人を付き従える権力の一種なのだ。


「けど、やっぱり俺には荷が重いですよ。そういうのは、やっぱり本職の――」


 そこで巧真はある人物の顔が思い浮かぶ。


「そうだ。それこそヒルダさんに頼むのがいいんじゃないかな。あの人なら現役の軍人だし、何よりグランドールフェストのチャンピオンだ」


 元だけど、とさりげなく今は自分がチャンピオンだけど、という含みを持たせる巧真。


「ヒルダは正規軍に配置されてるからダメだろ」


 だがせっかく捻り出した案はあっさりと却下された。よく考えてみれば、現役の軍人なら正規軍に入るのが当然である。

 それならば、と巧真は側でぬぼっと立つオッサンの顔をちらりと見る。


「アイザックはどう? 元軍人だから指揮とか命令するのは慣れてるだろうし、歳も俺なんかより説得力がある」

「げっ、俺かよ!?」


 いきなり巧真に推薦され、アイザックは露骨に厭そうな顔をする。


「やめてくれよ。俺はそういう柄じゃないんだ。それに……」


 急に言い難そうに口ごもるアイザック。


「……俺は今回のグランドールフェストには出られていないんだ。そんな奴の命令なんて誰が聞くかよ」

「ああ……」


 本来なら、アイザックは今回のグランドールフェストは予選免除で本戦出場確実であった。だが予選免除権を賭けた試合で巧真に敗北し、予選免除権を失った。しかもその試合で愛機スペレッサーが大破。修理が予選に間に合わず出場できなかったのだ。


 アイザックがグランドールフェストに出られなかったのは、巧真のせいでもある。アイザックには気にするなと言われたが、やはりそう簡単に割り切れるものではなかった。

 ともあれ、如何にアイザックの階級が「銀」と云えど、グランドールフェストに出場すらしていないとなると、発言権は低い。特に実力がモノを言う賭けグランドール乗りの間ではなおさらだ。彼の言う通り、大将などという立場は難しいであろう。


「だったら――」


 他に誰か適任者はいないだろうか。巧真が慌てて考えていると、聞き覚えのある声がした。


「おや、タクマ殿ではないか」

「ほんとだ、タクマだー」


 見れば、またぞろガンロックとプエル・プエラ兄妹が一緒に歩いていた。グランドールフェスト決勝戦の時といいこの三人、実は仲良しなんじゃないかという気がしてきた。

 それはさておき、良い所にやって来た。巧真はこれ幸いとばかりにガンロックたちを話の輪に呼び込む。ピレーネもガンロックたちの事は既知のようで、彼らが話に加わる事には何も言わなかった。


「そうだ、ガンロックさんならどうだろう!?」

「やや? 何の話であるか?」


 そこで巧真がこれまでの敬意を軽く説明すると、ガンロックは困ったようにぴしゃりと額を手の平で叩き、腕を組んで唸る。


それがしが遊撃隊の大将? それはちょっと冗談がきついな」

「けど――」

「グランドールフェスト王者が目の前にいるのに、三位の某がどうして大将の座に就けよう」

「う……」


 ガンロックほどの実力者でも、大将の座は荷が重いと言う。だったら自分など到底その地位に相応しいとは思えないと巧真は思うのだが、どうやら彼が思う以上にグランドールフェスト王者という肩書はこの世界では強いらしい。


「じゃあプエルラは――」

「ボクと妹を一緒にまとめるなよ」


 ついでといった感じの巧真の言葉に、プエルは一応ツッコミを入れる。だがすぐにその顔は真顔になる。


「言っとくが、ボクたちだって御免こうむるね、そんな大役」

「え~……」


 プエルたちなら大将という響きや役どころが好きそうなので、快く承諾してくれると思ったのだが。


「出自とか賄賂とか色んな要素が絡んでる軍隊の階級と違って、ボクたち賭けグランドール乗りたちが重視するのは純粋に強さだ。自分が相手より強いからこそ、命令や言葉に説得力や強制力が発生するんだよ」


 プエルにまでピレーネと同じ事を言われ、巧真は驚くと同時に感心する。子供に見えるだけで、やはり彼もまたグランドールの操縦士という事か。


「これでわかったろ? 一番強い奴が一番偉い。俺たちの世界はシンプルにこのルールで動いてるんだ。諦めて大将の座に就け」


 巧真の肩を叩くアイザックであったが、彼の言葉には諭すというよりは慰めの感情が多く含まれていた。

 だが、それでも巧真は首を縦には振らなかった。当然であろう。大将と言えば軍隊――つまりは組織のトップである。命令一つで下を生かすも殺すもできる責任重大な地位だ。それがどれだけ重圧なのか、学級委員もやった事のない巧真には想像もつかない。


 おまけに事は戦争である。いくら巧真がグランドールフェスト王者とはいえ、それとこれとは勝手が違いすぎる。FPSが上手いからといって、実際に戦争で通用するとは限らないのだ。そんな彼が尻込みしたとして、誰が責められるというのだろう。アイザックたちもそれがわかっているから、強制や強要せずにこうしてやんわり頼んでいるのだ。


 が、それにも限度があった。

 いつまでも煮え切らない巧真の態度に、ピレーネが我慢の限界を迎えた。


「けど……」


 まだ何か言いたそうな巧真の言葉を、ピレーネの「ああー、もう!」という叫びがかき消した。


「いつまでもウジウジ悩んでんじゃねえ! てめえそれでも金玉ついてんのか!?」


 彼女は元から気が短いが、これでもよく我慢したほうである。何しろエッゾの過酷な環境で生きるには即断即決しないと命に関わるために、悩むのは愚かでしかないという文化がある。そんな環境で育った彼女から見たら、今の巧真の姿は何とまあ腹の立つことか。今すぐ殴らないのは、彼が曲がりなりにもグランドールフェスト王者だからである。

 毛を逆立て、今にも掴みかかりそうな勢いのピレーネに、巧真のみならずアイザックたちもたじろぐ。


「おいおい、過激な姐ちゃんだな」


 苦笑するアイザックの隣では、ツボに入ったのかプエラが楽しそうに笑いながら「きんたまー」を連呼する。


「あ…………」


 自分を見る視線や場の空気が一変した事でやや冷静さを取り戻したピレーネは、こほん、と咳払いを一つする。


「も、もちろん、全ての責任をあんたに押し付けようってわけじゃないさ。あたいらができる限りサポートしてやるから、とにかく今は黙って頷いてくれよ。最悪ただの旗印になるだけでいいからさ」


 今さら猫なで声を出すピレーネに、ガンロックたちも苦笑する。

 とはいえ、要は遊撃隊という名前だけの組織に、形式上のトップがいれば良いだけなのだ。そしてそこに据えるのに巧真が丁度いいというか、この場合巧真しか適任者がいないのだから、問答するだけ時間の無駄だというのはこの場の巧真以外の全員が理解していた。

 なのでそろそろカタをつけて帰ってメシでも食いたいと思っていた面々は、ピレーネの援護にまわった。


「それなら某も及ばずながら力になろう。大将にはなれぬが、小隊の隊長ぐらいなら某にも経験があるし、身の丈に丁度いい。それにここにいる面子でいくつかの小隊を率いれば、大将の負担も軽減されよう」

「そういう事だったら、あたいも賛成だよ」


 そう言ってピレーネは周囲を見まわす。彼女と目が合った瞬間、アイザックとプエルは面倒な事から逃げ出そうと顔を背けたが、ピレーネが太い牙を剥きだして威嚇すると引きつった笑顔で応じた。


「な? みんなで助けてやるから、引き受けるって言ってくれよ。でないと他の奴らの士気が上がらないし、組織としてまとまらないんだ。烏合の衆のまま竜なんかと戦ってみろ。呆気なく全滅しちまうぞ」


 アイザックのみならず、ガンロックやプエルたちまで巻き込んでしまったとあれば、いつまでも駄々をこねてはいられなくなった。仕方なく「形式上だけですよ……」と力なく念を押しながら、巧真は大将を引き受けた。


「そうこなくっちゃ。いやー、良かった良かった」


 ピレーネは満面の笑みで巧真の肩をばしばし叩くと、


「んじゃ、詳しい話はまた後日って事で。あたいら国外からの遠征組は城内に宿泊してっから、何かあったらいつでも来てくれや」


 大将を決めただけで満足して引き上げていった。

 悠然と立ち去る大きな背中を見送りながら、アイザックが呟く。


「台風みたいな姐ちゃんだったな」

「キュウシュの女も気は強いが、あれはまた別と言うか、野趣あふれるといった感じであるな」


 さすがエッゾ、とガンロックは自分で言った言葉に何度も頷く。

 二人の会話にプエルとプエラが混じり、やいのやいのと談笑している陰で、巧真は小さく溜め息をついた。


     †     †


 気を取り直し、巧真はヴァリアンテに適合する武器を調べるための受付に並んだ。いきなり遊撃隊の大将にされたせいで気が滅入り、早く帰りたくて仕方がないが、今日の目的はこのためなのだ。

 多くの操縦士たちが待ち切れずに早朝から並んだせいか、思ったよりも列は短かったのはせめてもの救いか。ほどなくして巧真の順番が来て、担当の技術士が魔導石版を持って現れた。

 ようやくか。巧真は気を取り直し、ヴァリアンテにどんな武器が適合するのか思いを馳せた。


     †     †


「ええ!? 今度は遊撃隊の大将になったの!?」


 リサが驚いて声を上げると、スープを注いでいた皿が揺れて中身がこぼれそうになる。慌ててバランスを取り、貴重な栄養源が床に落ちるのを防いだ。

 夕方。工房「銀の星」の食堂は夕食の時間だった。メニューはすっかりお馴染みになった、具のささやかなスープである。

 グランドールフェストの賞金で借金が完済でき、最近はお客が増えたとはいえ油断はできない。工房の家計を預かるリサとしては、まだまだ財布の紐はきっちり締めておかなければならない。


「そうなんだよ。けど、他に誰もいないって言われちゃあしょうがないし……」


 スープの入った皿を受け取る巧真の表情は、王城から帰って来てからずっと晴れない。


「しょうがないって、そもそもタクマくんは竜退治に参加する義務はないんだからね。それなのに今度は遊撃隊の大将とか責任重大そうな役目を任されちゃって。お人好しもほどほどにしとかないと、いつか痛い目に遭うわよ」


 さすが借金のカタに工房を取られそうになった娘の言う言葉は重みが違う。だがリサに言われるまでもなく、巧真は強く断れなかった事を悔やんでいる。

 そもそも、竜だか何だか知らないが、巧真に竜と戦う理由は無いのだ。巧真には、別にこの世界そのものに義理や責任は無い。そりゃあ竜に世界が滅ぼされたら困るけど、だからといって自分がドラゴンバスターになりたいとは思わない。だいたい、世界なんて自分が守るにしては大きすぎてピンと来ないにも程がある。


 それでもあの時断れなかったのは、単に巧真の気が弱かっただけではなく、誰かに必要とされるのが嬉しかったというのが僅かにあった。

 グランドールフェストに出たのだってそうだ。工房「銀の星」が潰れたら自分も困るという打算的な理由もあったが、何より巧真の心を動かしたのは、自分だけがヴァリアンテを動かせる、即ちグランドールフェストに出てリサたちを救えるのは自分だけだという特別感。そして自分にしかできない事があるという事実が、自分の存在を誰かに認められたみたいで嬉しかったからだ。


 ちょろい奴だと自分でも思う。

 お前にしかできない。

 お前だけが頼りだ。

 そんな安い言葉でその気になって、死ぬかもしれない仕事を引き受ける。しかも大将なんて重荷を背負わされて。


 などと陰鬱とした表情でそんな事を考えながらスープをすすっている巧真の思考を、リサの声が現実に戻した。


「それで、ヴァリアンテの武器ってどんなの?」

「え?」

「だから、今日は朝早くからヴァリアンテの武器を借りに王城に行ってたんでしょ? で、どうだった? 剣みたいなの? それとももっとカッコいいの?」


 期待に目を輝かせて問うリサとは対称的に、巧真の表情はさらに暗く落ち込んだ。


「ああ、それがね……」


 巧真は盛大な溜め息をつく。


「え? なになに、どーしたの?」


 確かに今日、巧真たちは朝から王城に行った。目的はもちろん、ヴァリアンテにどんな武器が適合するか検査を受け、貸与されるためにだ。そうして受付をし、検査を受け、長い時間待たされた挙句に、


「無かったんだよ」

「ええっ!?」


 正確には、ヴァリアンテに適合した武器はあった。検査をして判明しているし、ちゃんと記録にも残っていた。

 だが、いくら武器庫を探しても見当たらなかったのである。そして夕方近くまで待たされた挙句、係員に「もしかすると武器庫じゃなく他の倉庫に保管されているのかもしれない」と言われ、仕方なく後日連絡待ちとなったのだ。


 せめて剣とかカッコイイ武器が貸与されていれば、この陰鬱とした気分も少しは晴れていたのだが、予期せぬおあずけを喰らわされて巧真の気分はさらに滅入っていた。


「そっかー。でもまあ、あるのは間違いないんだから、気長に待ってればいいんじゃない」

「それはまあ、そうなんだけど……」

「けど間違って別の倉庫に保管されるなんて、どんな武器なんだろうね。武器に見えない武器って事なのかな」


 そこは巧真も引っかかっていた。一見して武器に見えない武器とは、いったいどういう物なのだろう。

 だが考えたところで、どんよりとした巧真の頭には何も浮かばなかった。おまけにスープの味も何だかはっきりしなかった。


     †     †


 翌日。

 もうじき昼飯時になろうという頃、巧真の心中を映したような曇天の中、王城からの遣いがやって来た。

 ヴァリアンテの武器が見つかったので、王城まで取りに来るように、との事。

 巧真はその報せを、お客のグランドールのボルトを締めるシーンの撮影をしながら聞いた。


「マジで!?」

「おー、ようやく見つかったか」

「ギリガン!」


 魔導石版で撮影していたギリガンに向けて、巧真は勢い良く顔を向ける。その表情を察し、ギリガンは仕方ねえなあといった感じに真っ白い頭を何度か掻く。


「わぁったよ。今日の仕事はここまでだ」

「やったあ!」


 巧真が飛び上がって喜ぶと、グランドールを挟んで反対側で作業をしていたヴィルヘルミナがひょっこりと顔を出す。


「ねえ、急ぐ気持ちはわかるけど、お昼ご飯食べてからでいいんじゃない?」

「あ、そうか。そうだね。じゃあ早く食べよう。すぐ食べよう」


 そう言ってまだリサが竈に火も入れていないであろうに、巧真はダッシュで工房を出て食堂へと向かった。

 遊びに行くのが待ち切れぬ子供のように浮ついた巧真の背中を見送り、ギリガンとヴィルヘルミナが呟く。


「……危なかったな」

「そうね。あと少し言うのが遅かったら、私たちお昼抜きになるところだったわね」


 ギリガンがヴィルヘルミナに向けて親指を立てて見せると、彼女もにやりと笑って親指を立てて見せた。誰だってメシ抜きで仕事をするのは厭なのである。


     †     †


 立ち食いソバなみの速さで昼飯を済ませて王城までやって来た巧真を出迎えたのは、王城の雑品倉庫の担当者と、巨大な銀色の箱だった。

 縦三メートル横二メートル、厚さ一メートルほどの銀色の直方体をちらりと見てから担当者に視線を戻し、巧真が問う。


「……なんすかこれ?」

「いや、こっちに訊かれても困るんだけど」


 苦笑いする若い担当者の目元には、濃い疲労の陰があった。もしかしたら、この珍妙な物体のせいで余計な仕事が増え、普段の仕事が滞っているのかもしれない。

 二人同時に視線を動かし、地面に転がっている銀色の塊を見る。金属のようだが表面は滑らかで、継ぎ目はおろかボルトやリベットなどの留め具もない。まるで銀色の巨大な豆腐だ。


「わからないのに保管してたんですか」


 担当者は手に持った魔導石と眼前の銀豆腐を照らし合わせ、記録に間違いない事を確かめる。


「何しろ記録が古い上に、番号だけで外観とか何に使うかとかの情報がなかったからね。おまけにホラ、この見た目だろ。誰も武器だなんて思わないから、武器庫じゃなくうちの雑品倉庫に保管されてたみたいで」


 だから武器庫をいくら探しても見つからなかったのか。確かにこの見た目ではグランドールの武器だとは誰も思うまい。というか、何のための物なのかすらわからない。


「とにかく、引き渡しは確かにしたから。あとはそっちで何とかして」


 担当者はそう言うと、これ以上質問されては困るとばかりに足早に去って行った。

 後に残った巨大な銀豆腐を見て、巧真がギリガンに問う。


「どうしよう、これ……?」

「とりあえず持って帰るか」

「そう……だね」


 いつまでもこうしていても仕方がないので、巧真は銀豆腐をトラックに載せるためにヴァリアンテを動かした。


『いいか、そっとやれよ。そっとだぞ』


 ギリガンが外から通信用の魔導石を通じて指示を出してくる。


「うぃ」


 さっき手で触ったり足で軽く蹴ってみたところ、銀豆腐は金属のような硬質な感触がした。人力程度なら何をしようと傷がつきそうになかったが、さすがにヴァリアンテの力となると保証はできない。巧真は出来る限り慎重に銀豆腐を地面から持ち上げようと手を伸ばす。

 ヴァリアンテの手が銀豆腐に触れた瞬間、巧真の後頭部を小さな痺れが走った。


「あてっ」


 その電気信号にも似た痺れは、巧真に奇妙な映像を見せた。

 それは、以前巧真が魔導石を通じてヴァリアンテの中に潜った時の映像だった。

 巧真は自分の周囲に漂う膨大な情報を見て、これはあの時の記憶なのかと思った。だがあの時は潜れなかったさらに奥底、コンピューターで言うところのブラックボックスのような深淵への道が開かれているのを感じ、これは過去の記憶などではなく、今現在進行形のものだと直感する。


 もしかしたら、今なら行けるのではないか。

 巧真がそう思い、あの時は行けなかったヴァリアンテの最深部まで潜ろうと大勢を変えたその時、


『タクマ』


 魔導石から発せられたギリガンの声に、巧真の意識が引き戻された。


「あれ?」

『おい、いつまでそうやってにらめっこしてんだ。そっとやれとは言ったが、加減ってものがあるだろ』


 巧真は自分が現実に戻った事を即座に理解した。そしてあと少し時間があればヴァリアンテの深層部に接触できたのにと残念がるが、すぐに別の問題に気づいてギリガンに尋ねる。


「俺、どれくらい止まってた?」

『ああ? ほんの十秒くらいだが。どうした?』

「いや、なんか変な感触が――」


 言いかけた巧真が言葉を止める。次に言おうとしていた言葉が思い出せない。何か大切な事があったような気がしたのだが、詳細が思い出せない。まるで朝起きたら見ていた夢の内容が思い出せないように、何かがあったような気がするのだけは憶えているのだが、肝心な部分がぼやけていて思い出せない。


「……あれ? 俺いま何言おうとしてたんだっけ?」

『知るか! いいからさっさとこいつを積み込め!』

「あ、そうか。そうだった」

『ったくしっかりしろよ。もたもたしてると竜がやって来ちまうぞ』


 それは困る。進んで戦いたくはないが、どうせ避けられないのならせめて準備万端で戦いに臨みたいものである。それにはまず、こののっぺりした銀色の何かがどういう武器なのか調べなくてはならない。というか、本当に武器なんだろうかコイツ。


「とりあえずこのまま積むか」


 見た目のわりに銀豆腐の重量は軽かった。ヴァリアンテが銀豆腐を抱えた状態でトラックの荷台に積み込み、ロープで固定する。ヴァリアンテをトラックに積むたびにしてきた作業なので、トラッカーズヒッチでロープにこぶを作る巧真の手つきも慣れたものだった。

 荷台のフックにロープをかけ、しっかりとテンションがかかっている事を確認すると、運転席のギリガンに声をかけた。


「積み込み終わったよ」

「よし、それじゃあ帰るか」

「私なにしに来たんだろう……」


 ヴィルヘルミナのぼやきをよそに、トラックはゆっくりと走り出す。巧真もギリガンもそういえばそうだなと思ったが、口には出さなかった。


     †     †


 工房「銀の星」に戻ると、ようやくヴィルヘルミナの出番がやって来た。


「それじゃ、とりあえず調べてみるわね」


 そう言うとヴィルヘルミナは、いつも持っている魔導石板からコードを伸ばして銀豆腐にぺたりと貼った。

 見た目で何かわからなければ、中の術式を見れば良いのだ。グランドールの武器だという事はわかっているのだから、装備する際に接触する事で発動する術式が刻印プログラムされているはずである。それを見れば話は早い、


 はずだった。


「あら?」


 分厚いレンズの眼鏡越しに魔導石板を見つめていたヴィルヘルミナが、突然間の抜けた声を上げる。


「おかしいわね……」

「どうしたんですか?」


 巧真の問いに、ヴィルヘルミナは魔導石板から視線を外さずに答える。


「見た事もない数式の羅列が表示されてるの。こんなの初めてだわ」

「はあ? なんだそりゃ? ちゃんと接続したのか」


 巧真の代わりに食いついたギリガンであったが、ヴィルヘルミナが「ちゃんとしたわよ。けど何をやっても反応しないの」と口を尖らせて言うと、「マジかよ……」と愕然とする。


「材質はヴァリアンテと同じミスリルみたいだから、ヴァリアンテの武器である事は間違いないわね。それ以外の情報は……やっぱり駄目ね。保護プロテクトがかかっているか、それともこの魔導石板じゃ駄目なのか」


 ヴィルヘルミナがぶつぶつと唸っていると、ギリガンが唐突に「そうだ」と何かを思い出したように手をぽんと叩いた。


「おいタクマ」

「はい?」

「ちょっとこれに触ってみろ」

「へ?」


 唐突に指示され、きょとんとする巧真。


「ヴァリアンテの行動術式を自分で操作できる上に、複数の魔導石に適正を持ってるお前なら何かわかるんじゃねえのか」

「あ~、あったなあ、そんな話も」


 すっかり忘れられているが、巧真はこの世界では唯一と言っても過言ではない複数の魔導石の適正持ちである。しかもグランドールにも乗れる上に、ヴァリアンテの魔導石内の行動術式を技師に頼らず自分でいじくれるというデタラメっぷりだ。ギリガンはそんな彼の特殊な能力を当てにしたのだろう。


「いや、でも、グランドールならまだしも、武器なんて専門外だよ俺」

「魔力の補給と外装のボルトしか締めた事がないくせに、いつ専門家になったんだ馬鹿野郎。いいからとりあえず触ってみろ」


 ギリガンとしては、魔導石の専門家であるヴィルヘルミナがお手上げなのだから、駄目で元々、何かわかったら儲けものみたいな気楽さで巧真にやらせてみたのだろう。

 だが軽い気持ちで言ったその言葉が、ヴィルヘルミナの逆鱗に触れた。


「ちょっと待って!」

「あん?」

「まだ私の調査が終わってないから! 勝手な事しないで!」

「いや、でもお前さっき――」

「いいから! 一晩時間をちょうだい。絶対何とかするから!」


 ヴィルヘルミナの迫力に押され、珍しくギリガンがたじろぐ。

 彼女の鬼気迫る表情に、同じ技術者として何か感じるところがあったのかもしれない。ギリガンは小さく息を漏らすと、表情を引き締めて言った。


「わかった。ただし一晩だけだぞ。いつ竜退治にお呼びがかかるかわからねえんだ。時間は無駄にできねえからな」

「わかってる。私も技術者の端くれよ。与えられた時間で確実に成果を出して見せるわ」


 睨むようにヴィルヘルミナの顔を見た後、ギリガンは振り返って巧真に問う。


「タクマもそれでいいか?」

「え? あ、ああ、俺は別にいいですよ」

「よし。それじゃあ期限は明日の朝までだ。それ以上は待たねえからな」

「充分よ」


 そう言うが早いかヴィルヘルミナは、魔導石内の術式を解析するための器具を取りに倉庫へ走った。


     †     †


 翌朝。


「どう? どんな感じ?」

「ひんやり冷たくて気持ちいい」

「感触を訊いたんじゃないわよ」

左様さいで」


 ヴィルヘルミナは一晩かけて調べた結論を語る前に、巧真に銀豆腐に触れさせた。

 それに対してギリガンは何も言わず、ただ見守った。

 その結果、


「それで、何かわかった?」

「……わからない。文字や数字がでたらめに並んでるのが見えるだけで、それ以外はさっぱり」

「でしょ?」

「おい、それで結局何がわかったんだ?」


 そこでようやくギリガンが質問したが、ヴィルヘルミナは取り合わない。


「タクマくん、今度はヴァリアンテに乗って。それからこれに触れてみて」

「おい」

「待って。まだ確実な事は言えないの。これが済んだら全部説明するわ」


 そう言われてしまうと、ギリガンは何も言えなくなる。とにかく話は後だ、という事で巧真は言われた通りヴァリアンテに搭乗する。


「ヴァリアンテをあれに触れさせればいいの?」

『そう。それでヴァリアンテを経由して、あれの中に干渉してみて』

「了解」


 ヴァリアンテを操作し、指示通り銀豆腐に触れる。それから意識を魔導石に集中し、そこからさらにヴァリアンテの手を経由して銀豆腐の中に入り込むイメージ。

 そうして巧真の意識がヴァリアンテを通って銀豆腐の中に入ってみると、


「うわあ……」


 それまで全くでたらめに見えていた数字や文字の羅列が、意味のある情報に姿を変えていた。


『どう? 何か見えた?』

「凄い。見える。全部見える」


 相変わらずこちらの文字はよくわからないが、魔導石を経由しているせいか何が記されているかは感覚でわかる。

 これは、間違いなくヴァリアンテの武器だ。

 しかも相当凄い。


『おいタクマ、それでこいつはいったい何なんだ?』


 ギリガンの問いに、巧真は興奮を抑え切れない声で答える。


「こいつはただの武器じゃない。マルチウェポンだ」

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