招集 王城に集結せよ
カント王国は王政である。
国の頂点は国王で、政治経済軍事全ての最終決定権を有する。
しかし絶対王政ではないので、司法を含む政治経済軍事にはそれぞれ副官的な地位の者が置かれている。彼らは国王が正しい判断を下していないと判断すれば諌める事ができるし、国王も納得すればそれに従う。そして普段は彼らが最終決定を行い、よほどの事態でもない限り国王は事後報告を受けるだけである。
だがよほどの事が起これば、何をさて置いても国王に判断を仰がねばならない。
例えば、どこかの国が攻めて来たとか。
例えば、市場の相場が極端に上下したとか。
例えば、絶滅したはずの竜が再び現れたとか。
† †
その日、軍司令部に緊急の報せが届いた。
司令官は報告を受けると、部下をすぐさま国王の許に向かわせるべく命令を出そうとしたが、すぐに思い直して自らの足で王城へと急いだ。
息を切らせ汗にまみれた司令官が謁見の間に飛び込んだ時、室内では他国の使者が王に謁見していた。
だが王は司令官の様子を見るとこれはただ事ではないと察し、この日の謁見はそこまでとなった。
それからすぐに王を交えた緊急会議が開かれた。
城の会議室は広い。そして室内には、もしもの時に全ての副官や臣下を集められるように巨大なテーブルが据えられている。だが幸いな事か、長い間城の会議室にが人で埋まる事はなかった。
しかしこの日は、長大なテーブルの全ての席が埋まり、それどころか席につけなかった人間が壁に沿ってずらりと立っていた。
司令官が集まった副官や臣下たちに向けて再び報告をすると、会議室内に大きなどよめきが起こった。
「まさか、そんな……」
「その報告は本当なのか?」
「本当だとしても、まだ慌てる必要などないのでは?」
「そうだ。まずはもう一度確認を」
「対策はそれからでも」
次々と上がる日和見的な声を、司令官は咳払い一つで収めた。彼らの気持ちはわかる。本音を言えば、自分だってそうだ。けれどこればかりは楽観的に捉えてなあなあで済まして良い問題ではない。事はカント王国――いや、世界の命運に関わる事なのだ。
「国王、いかが致しましょう?」
司令官の問いに、王は「うむ」と唸って僅かに黙考する。
王の悩みは短かった。
「彼らを呼べ」
王の命令に、司令官はすぐさま「はっ!」と答えた。
そして王は立ち上がり、広大な室内の隅々に届くほどの声で朗々と告げる。
「今日、およそ百年ぶりに竜が姿を現した。かつて幾度となくこの世界を滅ぼしかけた忌まわしきトカゲの親玉だ。今こそ、我々は古より続く彼奴の脅威から解き放たれるべく、今度こそ彼奴の息の根を止めてこの世から鱗の一枚たりとも残さず完全に消し去ってくれよう!
皆の者、竜狩りの準備だ!」
王の叫びにも似た号令の直後、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! と城が震えた。
† †
グランドールフェストからひと月も経つと、王都はすっかり日常を取り戻していた。
どんなに盛大なお祭りでも、終わってしまえば後の祭り。余韻の大小はあれど、さすがに一ヶ月も過ぎてしまえば人々のお祭り気分も薄れるというものである。
そしてそれは、工房『銀の星』も同じだった。
ご近所や通行人を巻き込んだ優勝祝賀会とて、そう何日も続くものではない。三日もすれば酒も料理も底をつき、全員家や仕事に戻っていった。
しかしながら、お祭り騒ぎは終わったものの、工房『銀の星』は別の意味で大騒ぎだった。
「おいタクマ! 充填用のクズ魔導石、早く持って来い!」
ギリガンに大声で怒鳴られ、ツナギ姿の巧真は慌ててクズ魔導石の詰まったドラム缶に飛びつく。しかしいくら力を込めても、中身がぎっしり詰まったドラム缶は重すぎて少しも持ち上がらない。巧真よりも重いのだから当たり前だ。
巧真が悪戦苦闘していると、しびれを切らしたギリガンが再び怒鳴る。
「馬鹿野郎! お前なんかが逆立ちしたって持ち上がるかそんなもん! ちょっと斜めにして転がして運ぶんだよ!」
「なるほど……」
そういえば、テレビでそんな風景を見た事があるような気がする。熟練者になると、ドラム缶をボールのように転がして好きな場所に止められるそうだが、巧真は当然そんな技術も経験も無い。なので慎重にドラム缶を傾けると、倒しすぎないように抱きついて静かに転がし始めた。
するとドラム缶は思ったよりも簡単に転がったが、今度は転がりすぎて自分が置いていかれないようにしなければならなかった。
「思ったより難しいな」
「それ一本だけじゃ足りねえぞ。他にも魔力充填しなきゃならないグランドールが控えてんだ。焦らず急いできりきり運べ!」
「相変わらず無茶を仰る……」
言いながらも巧真は不格好ながに股でどうにかドラム缶を転がしてギリガンの所に持っていく。そしてドラム缶を魔力充填用のホースに繋ぐと、すぐにまた新しいドラム缶を運びに走る。
巧真が走る工房内には、壁に沿って四機のグランドールがギリガンの整備を待って立っていた。ヴァリアンテが四機に分裂したわけではない。今ギリガンが整備しているのを含めて五機。これらは全て、新たに整備や修理を依頼された新規の顧客のものである。
これは、巧真がグランドールフェストで優勝したおかげで工房『銀の星』が有名になったから客が増えたのだ。
しかもありがたい事に、新規顧客のグランドールはこれが全てではない。工房に入り切らないので受け入れ待ちをしているグランドールがまだあと三機もあるのだ。
特に多いのが、『グランドールフェストチャンピオンが整備してくれるから』というミーハーな客だ。これは今も口コミで広がり続けているので、新規顧客の口はまだまだ増えそうだった。
なので祝賀会が開けてからこっち、工房『銀の星』はかつてない忙しさであった。新入りの巧真を含め、従業員四人フル回転で働き詰めだ。
「おいタクマ、ちょっと来い!」
「はいっ!」
ギリガンに呼ばれて巧真が駆けつける。足を投げ出してL字型に座り込んだグランドールの前に立っていたギリガンに、スパナを手渡された。
「ここのボルトを締めてくれ。ここならお前が触っても問題ない」
見れば、地面に投げ出しグランドールの脚の装甲の一部が開けられていた。内部の整備は終わったようで、後は装甲を閉じるだけである。そのボルトを巧真に締めさせようというわけか。
「で、また写真を撮るんだろ……」
「当然だ。お前が整備したり触る事に意味があるんだ。客もお前が触るとご利益があるって大喜びだぞ」
ギリガンは数歩離れると、ボルトを閉めている巧真の姿を魔導石板で画像に収める。
これは、巧真目当てで依頼する客のために、ギリガンが考案したサービスだ。こうして巧真が整備した証拠写真のようなものを撮り、引き渡しの時に画像を客に渡す。すると客もグランドールフェストチャンピオンが自分のグランドールに触ってくれたと満足するので、結果的に誰も損していない。いや、むしろ客は増えるし売上は上がるし双方得しかない。
「いいのかなあ……」
まるでアイドルか時の人のような扱いに、巧真は少しばかりの照れと少しではない罪悪感を感じる。だが何よりも心配なのは、そのうちもっとこの手の商売の幅を広げるんじゃないかという事だ。
「ゴメンね~、タクマくん」
巧真がカメラ目線でわざとらしくボルトを閉めている姿を撮影されていると、脚の反対側から作業着姿のリサが出てきた。オイルに汚れた顔の前で済まなさそうに軍手を嵌めた両手を合わせる。
さすがグランドール工房の娘というべきか、リサは魔導石の適正こそ無いもののグランドール整備の知識と技術は一通り持ち合わせている。今もギリガンの太短い腕では届かない箇所の整備を彼女がこなしていた。
「見せ物みたいな事させちゃって悪いわね。けど、これって結構馬鹿にならないくらい工房の利益になってるのよ」
「マジか」
リサも最初は巧真を客寄せパンダに使うギリガンの案に反対していた。だがギリガンの説得に折れて試しにやってみると、これがまた思った以上に集客効果があった。さすがに金になるとわかると、経営者としてリサも強く反対できなくなってしまったのだ。
「いいよ。知識も技術も無い俺がここで役に立てるのって、これくらいしかないから」
巧真が自嘲気味に言うと、リサはずいっと前に乗り出す。
「そんな事ないわよ! だって、タクマくんがグランドールフェストに出てくれなかったら、うちなんて今頃借金のカタに取り上げられてたんだから!」
それに、とリサは右手の人差指で巧真を指す。そこにはこれまでの学生服はなく、ギリガンやリサたちと同じ工房『銀の星』従業員が着るツナギを着た巧真の姿があった。
「結構似合ってると思うよ、それ」
そう言うとリサは、つん、と指で巧真の胸を突く。
「う、」
リサに可愛らしく胸をつつかれ、巧真は思わず一歩下がる。
巧真が慌てて後退ったのを見て、リサは自分が恥ずかしい事をしでかした事に気づくと、彼女も顔を真赤にして半歩下がる。
「あ……」
「うん……」
巧真とリサが微妙な間合いで顔を赤くしながら黙って向かい合っていると、ギリガンがこれ見よがしに大きか咳払いをした。
「この忙しいのにいつまでお見合いやってんだ。できればそういうのは仕事の後にしてもらえると助かるんだがね」
「は、はい!」
「そ、そうだね。仕事しごと……」
若干本気の苦情が混じった茶化しに、二人は慌てて仕事に戻る。リサは再び脚の反対側に。巧真は次の仕事の指示をもらいにギリガンの所に駆け足する。
「ったく、色気づくなとは言わんが、時と場所をわきまえてくれ」
「いや、そういうわけじゃ……」
「いいから次の作業にかかるぞ。おいお嬢、そっちはもういいか?」
ギリガンが声をかけると、反対側からリサの悪戦苦闘するような声がする。
「ちょっと待って、もうちょっと……っと、終わった。いいよ、脚上げて」
ばたん、と装甲を閉じる音がしてリサが脚から離れると、今度はギリガンが別の場所の装甲を開く。
蓋のような装甲を開くと、中には魔導石板が設置されており、ギリガンは右手の軍手を外すとその画面に自分の親指を押し当てた。
「タクマ、ちょっと離れてろ」
「うぃっす」
巧真が数歩下がるのを確認すると、ギリガンは魔導石板を操作する。するとグランドールが脚を曲げ、体育座りの体勢になった。
「よし、それじゃあ膝裏の作業に入るぞ。まずは緩衝材と熱交換フィルターの点検だ」
「了解」
とは言うものの、巧真にできる事はほとんどない。せいぜいギリガンの指示通り倉庫から資材を持って来るか、先のようにどうでもいい場所のボルトを締めて写真を撮られるかぐらいだ。
それでも猫の手よりはマシだと割り切って手伝っている巧真であったが、ふと今さらながらある事に気がついた。
「そう言えば、グランドールの操縦士って一機につき一人だよね」
「何を今さら。当たり前だろうが」
「けど、今ギリガンが操作したらグランドールが動いたのはどうして?」
グランドールの主が一人なら、他の者が操作したところで動くはずがない。となると、今動かしたのはどういう仕組なのか。
その問いに、リサがひょっこりと顔だけ出して答える。
「それはね、工房がお客さんからグランドールを預かる時、一時的に権限を借りているからよ」
「権限を借りる?」
「そう。グランドールは大きいから、どうしても動かさないと手が入らない箇所が出てくるけど、作業が終わるまで操縦士につきっきりでいてもらうわけにもいかないでしょ。
だから預かる時、操縦士からグランドールの権限を一時的に貸してもらうの。この場合、権限を借りるは整備の責任者であるギリガンね」
巧真はギリガンが魔導石板に親指を押し当てていたのを思い出しながら、車検の時に鍵を預けるようなものか、と納得する。
「けど、それだともし預けた人がグランドールを勝手に動かしたり悪い事に使ったりする可能性もあるんじゃないの?」
「大丈夫よ。そうならないために、一時権限だと動かせる動作や時間に制限があるの。例えば、歩かせたとしてもこの工房を出たところですぐ動けなくなるわ」
「そういう安全措置がされてるのか」
「じゃないとお客さんも安心してあたしたちに大事なグランドールを預けてくれないだろうしね」
「なるほど」
「わかったらさっさと作業に戻れ。お嬢もこいつの馬鹿な質問にいちいち手を止めて答えてやらなくてもいいからな」
「は~い」
ギリガンに釘を刺されると、リサは亀のように首を引っ込めた。リサが作業に戻るのを見届けると、ギリガンも自分の作業に戻る。
そうしてグランドールの整備をしていると、広く開け放たれたシャッターの前に数人の男たちが現れた。
男たちはグランドール乗りには見えなかった。逆光なので影になってよく見えないが、ゆったりとした柔らかい生地を使った服を着ているようだ。グランドール乗りはプロテクターのような固く身体にぴったりとした革鎧を着ているのですぐわかる。こういったいかにも裕福そうな服は着ない。となるとグランドールの依頼以外の客であろうか。
「御免、グランドールフェスト王者、シンドゥー・タクマ殿は居られるか」
この一言でギリガンたちは、また巧真目当ての客が現れたと思った。なのでギリガンは何の気なしにタクマに向けて「おい、ご指名だ。行ってやれ」と彼を来客の対応に向かわせた。
巧真自身も同じ事が何度もあったので、何の疑問も持たなかった。
巧真たちの予想は当たらずとも遠からずではあるが、男たちの用件は実質全く違うものであった。
「はい、進道巧真は自分ですが」
巧真がシャッターへと小走りに駆け寄ると、男たちは突然踵を鳴らすほど勢いよく打ちつけ、気をつけをした。
「なんだあ?」
思わずギリガンが間の抜けた声を上げる。
男たちは構わず直立不動の姿勢のまま横一列に並ぶと、一番巧真に近い男がさらに姿勢を正してかしこまる。
「グランドールフェスト王者シンドゥー・タクマ殿、王命により直ちに王城へと来られたし」
以上、と男が休めの体勢になると、他の全員も一斉に同じ体勢になる。
改めて見れば、男たちは皆同じ服装をしていた。見る者が見れば、彼らの着ているものが王宮に務める近衛兵の礼装であるとわかったのだが、生憎工房『銀の星』は王城とは無縁だったので、誰も知らなかった。
「王命だって!?」
男の言葉に、ギリガンが作業の手を止めて慌てて駆け寄って来た。
「タクマ、お前一体なにやらかしたんだ!?」
「知らないよ……」
「タクマくん、どうしたの? 捕まっちゃうの?」
リサまで加わって、状況はさらに混乱を極めた。
巧真は助けを求めるように男を見たが、男は「用件は王城にて。まずは何より登城して頂きたい」の一点張りだ。
「王城……ですか」
「左様。我らはシンドゥー・タクマ殿を王城へと案内するために参じた次第。然るに可及的速やかに支度を整えて頂きたい」
「支度って」
そこで巧真は、男たちの視線が自分のツナギ姿に注がれている事に気がつく。
「正装しろって事ですか?」
「王は気さくなお人ゆえ、作法や服装にはこだわりません。ですがモノには限度というものがございます。我らや貴族と同じにせよとは申しませぬが、せめてもう少し身なりを整えて頂けると助かります」
「はあ……」
とは言うものの、巧真の服はこのツナギを除いたら、後はもう最近までずっと着ていたあの一着しかない。
「いや、待てよ」
あるではないか。巧真の持ってる服の中で、冠婚葬祭どれにでも対応している万能な正装が。
「わかりました。支度をしてきますので少し待っていて下さい」
そう言うと巧真は、今や自分の部屋となった応接室に着替えに走った。
† †
巧真が支度を済ませて工房の外に出ると、道には高級車と形容するしかないような黒塗りの車が停まっていた。
「うわあ……」
思わず声が出る。
男たちに促され、巧真は後部座席に座る。座った途端尻が未知の感触に包まれ、変な声が出そうになった。さすが高級車であるが、雲に座るような夢心地は、尻が三つに割れそうなほど硬いヴァリアンテの操縦席に慣れた身には却って落ち着かない。
巧真を窓際に追い込むように男たちも乗り込むと、車は音もなく走り出した。
車窓から外を見ながら、そう言えば王城ってどんなのだろう、と巧真は思う。グランドールフェストで王城の中にある闘技場に行った事はあるが、あの時は試合の事で頭がいっぱいだったし、何より極度に緊張していたので何も憶えていない。
それでも王城へと続く大通りを進んでいると、何となく憶えがあるような景色が現れた。
王城は、改めてよく見ると記憶とだいぶ違っていた。
王城というイメージにある中世西洋の建築様式とは少し違うが、言われてみればそれっぽい建物に見えなくもない。特に正面にそびえ立つ古代ローマを思わせる四本の円柱や、石段のようなデザインの外観はファンタジーな世界にあっても違和感が無い。
ただ何だろう、この感じ。エルトロンと戦った遺跡ステージでも感じた釈然としない気持ち。例えるなら、砂漠に来たと思ったら実は鳥取砂丘だったようながっかり感。物凄く遠くに来たはずなのに、意外と近所にいるような錯覚に巧真はもやもやする。
さらに近づいてよく見えるようになると、巧真の中にうごめくもやもやはさらにはっきりした手触りを示すようになった。むしろはっきりし過ぎてもやが晴れてしまったくらいだ。
ああ、もうこれ間違いない。
いくら巧真が馬鹿で常識に欠ける今時の高校生だとしても、さすがに見間違えるわけがない。
これ王城でも何でもない。
旧名称を帝国議会議事堂。
巧真の住む現代では国会議事堂と呼ばれる建物だ。
遺跡ステージが夢の国の遊園地に似ていた事から薄々そうではないかと思っていたが、それでもまだここは別の世界だと思いたい気持ちがあったせいで認める事はできなかった。
しかしこれを見てしまっては、もう自分を騙し続ける事はできそうにない。
認めるしかない。
ここは異世界じゃないかもしれない。
少なくとも、巧真の元居た世界と大きくかけ離れた、ファンタジーな世界ではない可能性が非常に高い。
では本当はどんな世界なんだと問われたら、巧真は答えに詰まる。はっきりと答えるには、まだまだ情報が足りない。あくまで可能性が高いだけで、実はそうじゃない可能性もまだ僅かに残っている。
いや、残っていると信じたいだけかもしれないが、とにかく闇雲にこの世界はこうだと思い込む事は危険だと判断した。
ともあれ、今は目の前の現実を受け止めよう。あれは王城。たとえどんな形をしていても。
巧真を乗せた車は、静かに正面の門へと向かう。
門には衛兵と思しき槍と鎧で武装した男が二人立っているが、車を一瞥しただけでおもむろに道を開けた。顔パスならぬ車パスだ。
車は速度を緩めることなくそのまま進むと、地下へと続く坂に差し掛かった。オレンジ色の照明がいくつも並んだトンネルを下る。
下りながら、人が階段の踊り場で向きを変えるように途中何度か車が方向を転換する。体感だけではよくわからないが、それでも走っている時間を考えれば結構な深さに潜っているような気がする。
いったい地下何階分まで潜るのだろう。そう考えていると、車はようやく平地を走り始めた。
やっと着いたか。いい加減車に乗り飽きた巧真であったが、驚くのはまだ早かった。
車は広大な地下駐車場を迷いなく進むと、今度は壁を前にして停まった。ここで降りるのか、と巧真が尻を浮かせかけた時、壁だと思っていたものが真ん中からぱっくり開いた。
「え?」
何とそこは壁ではなく、壁に偽装された門であった。観音開きになった壁の向こうには、車一台分の通路が薄明かりに照らされていた。まさかまだ先があるというのか。
巧真が唖然としている間に、車はさらに進む。スパイ映画などで見る秘密基地への入り口のような通路を音もなく進むと、ようやく終着点が見えた。
さすがにこれ以上仕掛けはないようで、車が停まると男たちが降りだした。巧真も続いて降りる。
「どうぞこちらに」
男たちに先導され、巧真が歩いて向かった先は分厚い木製のドアの前だった。ドアに前にはやはり武装した衛兵が二人立っており、巧真を見るや機械仕掛けじみた動きでドアを開いた。
ドアの向こうは、大きなホールだった。薄暗くてよくわからないが、何十人という人影が見える。
気がつくと先導していた男たちの姿はなかった。ここから先は一人で行けという事だろうか。恐る恐る巧真がホールの中に入ると、ドアの近くにいた数人がこちらに視線を向ける。
そのうち何人かが「おお」とか「やはり」とか呟くのが聞こえた。何がおお、でやはりなのだろう。さっぱりわからない。
ただ気になったのは、暗くてよく見えなかったが、そいつらの恰好がグランドール乗りのようだった事だ。
王城の、しかも超VIPが招かれそうな過剰な警備体制を敷いた室内に、彼らのような人種は場違いこの上ない。まあ自分も他人の事は言えないのだが。
それにしても、自分を含めこの場にいる連中はどういう理由で王城なんかに呼ばれたのだろう。まったく心当たりが無い。
まさかリサの言った通り、本当に逮捕されてしまったのだろうか。などと巧真が思っていると、
「よう。お前も連れて来られたのか」
暗がりの中から聞き慣れた声がした。
もしやと思って目を向けると、人混みの中からアイザックがこちらに向かって歩いて来ていた。知り合いの姿を見て、巧真の身体から力が抜ける。
「アイザックも捕まったのか……」
さもありなんである。見た目が犯罪者っぽいと思っていただけに、厭になるくらい説得力がある。
「は? お前なに言ってんだ」
「じゃあどうしてこんな所に?」
「それは俺だって聞きてえや。いきなりご大層な恰好をした奴が現れて、とにかく来いって連れて来られたんだ」
それで素直に連れて行かれるタマでもないだろうに。と巧真が思っていると、
「仕方ねえだろ。相手は王宮の近衛兵だ。しかも礼装してるって事は、何やら一大事なんだろう」
心を読んだようにアイザックが厭そうな顔で言った。
「あ、そうなんだ」
意外にもアイザックは王宮関係に詳しかった。そう言えば彼も昔は軍属だったのだ。何かの拍子で王宮と接点があって、一般人より知識があってもおかしくはない。
しかしそうなると、王宮の近衛兵がわざわざグランドール乗りみたいな荒くれ者たちを一堂に集めたという訳か。全くもって意味がわからない。
仮に試合をさせるためだとしても、グランドールフェストという一番大きな試合がついこの間終わったばかりだ。まさか王様の思いつきやわがままでまた戦えとか言わないだろうな。
巧真があれこれ考えていると、アイザックが神妙な顔で周囲に視線を走らせる。そして他の者には聞こえないように声を潜めて言う。
「それより見てみろ」
「え?」
アイザックが顎で示すほうに視線を向けると、暗がりでありながらはっきりとそれとわかるシルエットが見えた。
「あの樽っぽい体型……」
どうにも見覚えがある。特に身近に似たような体型の人物が。
その人物は子供のような身長でありながら、全身の筋肉量と纏っている雰囲気が尋常ではない。周りの連中も醸しだされる異様な気配に気づいているのか、微妙に距離を開けているため彼の周囲だけ僅かに空間がある。
「ありゃガンロックだな」
「マジで? けどガンロックさんってキュウシュの人でしょ。どうして今ここに?」
「キュウシュだけじゃねえぞ」
言いながらアイザックは別の方向を示す。
その先には、頭から犬っぽい耳を生やした逞しい女性の影があった。
「あれは?」
「あいつはエッゾ帝国代表のピレーネ。オステオンの操縦士だ」
「あれが……」
オステオン。巧真は骸骨魔獣の操縦士の姿は初めて見る。女性だと聞いてはいたが、まさかケモミミだとは思わなかった。
ピレーネは周囲に立つ男のグランドール乗りよりも頭半分ほど背が高い。おまけにそこらの連中よりも逞しいので、ただ腕を組んで立っているだけなのに妙に目を惹く存在であった。
「あっちにゃプエル・プエラ兄妹がいたぞ」
「よく見えるね」
隻眼なのに夜目が利くようで、アイザックは人混みの中から次々と名のあるグランドール乗りを見つけていく。その中にはグランドールフェストで巧真が戦った者もいれば、聞いた事もない名前があった。しかしアイザックが言うには、この室内にランク『銀』以下のグランドール乗りはいないらしい。
「お前以外はな」
「ですよねえ」
グランドールのランクは公式試合で勝利した回数で上下するので、グランドールフェストで優勝したとはいえ巧真のランクはまだ『鉄』のままであった。
「しかしキュウシュにエッゾにゴシクか。随分人が多いと思っていたが、どうやらカントだけじゃなく世界中の目ぼしいグランドール乗りを集めたようだな」
こりゃきっと何かあるぜ、とアイザックは嬉しそうににやりと笑う。
そう言われて気をつけて見れば、人混みのそこかしこに人が避けてできた奇妙な空間がある。そのどれもがグランドールフェストに出たグランドール乗りが立っている場所だった。これだけの数を集めるのもさる事ながら、数だけでなく質の高い人員を集めるという事は、やはり何か特別な意味があるのだろう。
「まるでグランドールフェストの再来だね」
「俺は出てないけどな……」
「あ、ゴメン……」
二人の間に気まずい空気が流れかけたその時、突然室内に灯りが点された。
「うおまぶし!」
暗がりに慣れた目にいきなり強い光をぶつけられ、巧真は手を額にかざす。周囲でも眩しさを訴える声が上がり、室内はどよめきに包まれた。
薄暗い室内に灯りが点いた事で、何かが始まる予感がどよめきがさらに大きくなる。巧真もこれから何が始まるのかと周囲を見回した。
すると部屋の一番奥から、
「静まれ!」
室内に響き渡るほどの大声がして、それまでのどよめきが嘘ように静まった。
部屋にいる全員が声のしたほうに注目する。
そこには、巧真を連れて来た近衛兵よりもさらに豪奢な恰好をした中年の男が立っていた。
「これより、国王様が御成になる。一堂、傾注するように!」
国王と聞いて、室内が再び騒然となる。アイザックを見ると、彼も驚いた顔をしていた。よくよく見てみると、周囲の連中も似たような顔だ。
国王と言えば、その国で一番地位の高い者である。そんな雲上人と直接会えるとなると彼らのような態度になるのがこの世界では普通なのだが、如何せん巧真はそうではないし、何より為政者や政治に興味のない今どきの若者である。
巧真が一人だけぽかんとアホ面を下げていると、
「国王様の御成~!」
先の中年男性がよく響く声で言った。
次の瞬間、室内の人間が一斉にその場で片膝をついた。ざっと大きな音がする中、やはり巧真だけがぼんやりと立っていた。
膝の裏をアイザックに殴られる。
「あいてっ」
「馬鹿野郎、ぼさっと突っ立ってんじゃねえ」
「え? あ、ああ、なるほど」
ようやく事態を理解し、巧真は慌ててその場で片膝をつく。するとアイザックに頭を上から押さえつけられた。
「痛いよ……」
「黙ってろ。頭が高い」
力づくで押さえつけられている首をどうにか曲げて周囲を見れば、室内の全員が国王に向けて厳粛にかしずいている。普段は権威なんかクソ喰らえというアウトローなイメージがあるグランドール乗りだが、意外とTPOを弁えた人たちのようだ。さすがほとんどの者が一度兵役しているだけはあって大人である。どうやらこの中で最も常識知らずは巧真のようだ。
国王はしんと静まり返った室内を一望すると、よく響く声で言った。
「一堂、面を上げい」
その一言で、今度は跪いていた一堂が一斉に起立する。巧真も僅かに遅れて立ち上がる。
「まずは我が呼びかけに応え、遥か遠方より馳せ参じてくれた者たちに礼を言おう。みなよく来てくれた」
王が目礼すると、カント王国の者ではないと思われるグランドール乗りたちもそれに返礼するように小さく頷いた。
「この時点で察している者もいるかと思うが、こうして我がカント以外の世界中のグランドール乗りたちを招集したのは、事態がそれ相応のものであるからだ」
巧真の隣に立つアイザックが、小さく「やはりな」と呟いた。
「余計な前置きは省いて結論を先に言おう」
そして王は言った。
竜が現れた、と。




