〈46〉お兄様は優しい策士なのです 後
ルスラーンのエスコートはとても慎重で、壊れ物を扱うかのようだった。
言葉遣いと裏腹で丁寧で。
的確なステップ、速さを感じさせない安定感。
先程の皇帝とはまた違う、武人の佇まい。
だが、畏怖を与えないよう、常にこちらの動きを読んでくれている。――優しい人だ、とレオナは再び感じた。
「……令嬢も、ああやって口開けて笑うんだな」
ダンスしながら、彼がにかり、と笑う。
「本当はダメなんです。忘れて下さいませ!」
「はは! 良いじゃねーか!」
「ふふ! 私もそう思いますけど!」
ステップと一緒に心も跳ねる。
この人は、きっと少し臆病で、照れ屋で、そして優しい。
手が、温かい。――なぜか離したくない。
「あのさ、その……目さ」
じっと見られる。
――紫が、見ている。
「私の?」
「その胸のやつより、宝石みたいだな」
どっきん!
ゼルに似たようなことを言われた時は、こんなにドキドキしなかったのに!
「さ、左様ですか……」
皇帝の赤より、て褒め文句なのかしら? とレオナは思わず遠目になる。
「あーわりい! 遠慮がないってよく言われる」
それを悟って、すかさずフォローが。
「すげー綺麗だって……いや、忘れてくれ!」
顔が熱い。なんだろこれ。
「ルスラーン様の目も」
「ん?」
「アメジストみたいで綺麗ですわ」
「! お、おう……ありがとう。ま、まあなんだ、親父のことは、その」
「ふふ、私、ヴァジーム様とのお喋り、とっても楽しかったんです。またお話したいですわ」
「そうか? 良かった、お世辞でも喜ぶと思う」
「お世辞ではありませんわ!」
ああ、もう終わってしまう。
――終わりたくない。もっと話したいのに。
「ありがとう。親父にも言っとく」
「こちらこそですわ! とっても楽しかったです!」
ダンスの終わりのポーズ、そしてお辞儀。
ああ、もう終わってしまった……
エスコートされて、元の場所へ戻る。
「様になっていたじゃないか」
開口一番、フィリベルトの軽口。
「うるせー」
「楽しかったですわ!」
フィリベルトが、ルスラーンにシャンパンのグラスを手渡す。レオナは果実水。三人で乾杯を交わす。
「あっ、もしかして積もるお話があるのでは? 私、外しますわよ?」
メンズトークの邪魔はしたくないレオナである。
二人が口を開く前に、
「ルスはっけーん!」
新たな軽やかな声が。
「げ」
「ジョエル兄様!」
「レオナー! めっちゃくちゃ綺麗! 想像以上だよ!」
手を広げながらジョエルが近づいてくるので、レオナは思わずハグに行きそうになった。
マナー的にはカーテシーだ、と慌てて思い直して、グラスを近くのテーブルに預け、丁寧に礼をする。
「ありがたく存じますわ」
「ラザールから隠しとこー」
ジョエルは手を広げたまま、後ろから来ているであろう副師団長を遮る。
「おい、どういう意味だ」
「うふふ、ラザール様、ごきげんよう」
「ああ、久しぶりだなレオナ嬢」
「ルスもー! 久しぶりー」
「……お久しぶりです。任務中では? 副団長」
ルスラーンが冷たく答える。
「そーなんだけどさー、ラジがレオナのドレス近くで見たいってうるさくてさあ」
「な! 言っとらん! お前だろ!」
「えー」
式典用の騎士礼装の二人は、それはそれは美麗な佇まいで、ここにジャンルーカが加わったら大変なことになりそうだとレオナは思った。
案の定、周囲のご令嬢達が尋常でなくザワついている。
わかる! 蛍光ライト持ってキャーキャー言いたい。絶対うちわ振ってしまう、とレオナはまたも妄想する。
――センターはやっぱりジョエルかな……
キラキラなジェントル、ジャンルーカと、クールな皮肉屋ラザールと……知的イケメン、フィリベルト。
ここに末っ子テオを加えたい!
は、いかんいかん。
脳内アイドルユニットを結成している場合じゃない。
「――ジョエル兄様やラザール様にもデビューのドレスを見て頂けて、大変光栄ですわ」
「とてもよく似合っている」
皮肉屋ラザールが褒めるなど、明日は雨が降るかもしれない。
「レオナさあ、さっきルスと踊ってたでしょー? ルスのダンス初めて見たから、からかってやろーと思ってー」
「やっぱり俺かよ……」
「コラーッ、僕上司ー」
「俺のことですかでございますよ」
ちょ!
いちいち私のツボつくのやめて欲しい!
「ふふっ、ルスラーン様、とってもお優しかったですわ!」
「レオナが楽しそうで良かったよー。ブルザーク皇帝陛下とファーストダンスとか大変だったねえ」
「え! マジか!」
ジョエルの発言に、ルスラーンが目を丸くして驚いている。席を外しているとヴァジームが言っていたなそういえば、とレオナは思い。
「マジですわ」
「そりゃー大変だったな」
「ほんとーに大変でしたわ」
「「「…………」」」
ちょっと? 他の三人黙るのなんで?
「あーなんていうかー」
ジョエル兄様?
「任務に戻るかあ、ラザール。終わったら自棄酒には付き合ってやるぞー」
「??」
ふふ、とフィリベルトが微笑む。なんで自棄酒なのか、レオナにはさっぱり分からない。
「自棄ではないが、酒には付き合え」
副師団長、お疲れ様です?
「あ、ルスー」
「なんすか」
ジョエルが少し離れた場所からちょいちょい、とルスラーンを呼んで、なにごとか耳打ちした。は!? と動揺しているのはなぜだろう。
気になって見ていると、フィリベルトが
「ようやくレオナに紹介できてよかった。ルスラーンはね、学院のクラスメイトで親しくなったんだが、当時ルスも私も『偉大な父親の存在』を押し付けられることに苦労していてね」
と教えてくれる。
かたや雷槍の悪魔で救国の英雄、かたや公爵家当主で王国宰相。その息子とあれば期待とプレッシャーは如何程のものか。
「普通科卒業後、ルスは結局騎士団入団を決めた。第二に配属になったから魔獣討伐のために国中を巡っていて、王都に寄り付かなくてね。あの通り裏表のない真っ直ぐな男で、尊敬しているんだよ」
そして、ニコリと笑う。
「きっとレオナと仲良くなれると思ってね。そうだろう?」
お兄様?
「私は二人を応援しているよ」
「あ、ありがたく存じますわ?」
優しく微笑むフィリベルトは、いつも通りのようでいて、なんだか少し寂しげだった。
※ ※ ※
「あ、ルスー」
副団長に呼ばれ、すぐに近寄ると、目が全く笑っていないが口角だけ上げた顔で
「あのねーレオナはねー、僕の妹でもあるからねー、泣かしたら速攻殺すよー」
とのたまった。
「は!?」
「頼んだよー、じゃーまた明日ー」
ひらひら手を振り、言い捨てて去って行く。
その横の魔術師団副師団長に、去り際睨まれたのは気のせいか?
副団長の妹? てか殺す? なぜ睨まれた?
おいおい……いったいなんなんだよ……
※ ※ ※
「若い二人が仲睦まじいのを見ると、歳を感じるな、ベルナルド」
ヴァジームの息子とのダンスを楽しむレオナは、見たことがないくらい眩く輝いていた。フィリベルトの予想通りということか、と嬉しくも寂しい親心である。
「皇帝陛下は、それほどのお歳ではないでしょう」
確か三十代前半のはずだ。心に血を流しながら覇道を突き進む、血塗られた皇帝。その両手は数多の命を吸ってきたが、救ってもきたことを知っている。国とは綺麗事では立ち行かないのだ。
「でも手紙は書くぞ? 難攻不落を攻略するのは得意だからな」
「私は、レオナの思うがままに生きることを応援する所存です」
産まれたばかりのレオナの目が開いた時、その深紅を見てアデリナは気を失った。
目が覚めるなり、彼女は言った。
『夢に見ました。イゾラ神が仰るのです。この子を私の元に遣わした。この子を愛せよ、さすれば世界は救われる、と』
ベルナルドはその時、妻が呪われた瞳を持つ我が子を受け入れるために、そのように思い込むのだと思った。否定してはなるまいと。だが違った。
『私は答えました。イゾラ神よ、あなたの子でなくとも私は愛します。我が子ですから、と』
ね、あなた、そうでしょう? と微笑んだアデリナは、誰よりも美しかった。
『ああ、もちろんだとも。どうあろうとも、変わらず私達の愛する我が子だ』
その時からもう、フィリベルトはレオナから離れようとしなかった。
それが今や……我が息子とはいえ彼もまた修羅の道を歩み始めている、ベルナルドは苦々しい思いで見やる。
レオナを託せそうな友がいることが、まだ幸いか。
「歳は確かに感じたよ。ラディ」
久しぶりに昔のように呼ぶと、ラドスラフは珍しく驚いていた。
「だが娘はやらん!」
それは、譲れん。たとえ大帝国の皇帝だとしても、だ。
「ふははは! さすがベルナルド、なかなかに厳しいな!」
いつでも帝国に来い、歓迎する、と言い残し、大国の皇帝は会場を後にした。彼は忙しい。いくつか外交上必要な書類に目を通し、署名をし、明日の早朝には発たねばならない。
――さあて、そろそろ私が指図しないと何も動かない、我が国ののんびり屋に声をかけようか。
「陛下、そろそろお開きです」
「ん? お、おお、わかった――」




