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敵地だけど異世界で宿を取る話②

 宿に着いたレフィリアたちは、清潔感のある上品な格好をした魔族の従業員から、いかにも高級そうな内装の部屋へと案内されていた。


 他に宿泊客の姿は見当たらないが、彼の話によると上からの指示で大会当日までは完全にレフィリアたちの貸し切り状態ということらしい。


「ご夕食はいつ頃、ご用意致しましょうか?」


 魔族とは思えない程、礼儀正しい口調と所作の従業員に、レフィリアたちは食事の用意の必要はないと断りを入れる。


「左様でございますか? 我々としましても、特別な料理人シェフを手配しまして、人間の方々向けのお料理をご提供できるよう準備しているのですが――」


「いいえ、せっかくですが結構です。私たちは素泊まりという形で構いませんので」


 きっぱりノーというサフィアに、魔族の従業員は少し困った顔をしながらも頭を下げて了承する。


「承知いたしました。でしたらせめて、ご入浴は如何でしょう? この宿には源泉かけ流しの温泉が自慢の大浴場がございます。大会まで他のお客様はいらっしゃらないので、お好きな時間に好きなだけ入っていただいてよろしいのですが」


(温泉かぁ……)


 温泉、という響きにレフィリアはつい心を惹かれてしまう。


 しかし魔族の運営する温泉なんて入っても大丈夫なのだろうか?


 いや、レフィリアに関しては平気なのかもしれないけれど――。


「あー、温泉かあ。いいなぁ、入りたいなぁ」


「だけど大丈夫かよ。湯に変なもん流されて、知らないうちに魔物になっちまったりしねえか?」


 アンバムの最もな指摘に、魔族の従業員は頭を横に振る。


「皆様が心配されていらっしゃることは解りますが、その点に関しましては我々宿の従業員の威信をかけて安全を保障いたします。温泉の湯に異物を混ぜるような真似は絶対にいたしません」


「ええー、本当かよ。口では何とでも言えるじゃねえか」


「そもそも皆様が警戒していらっしゃる“魔物の因子”は高温状態だと使い物になりません。それに魔族からしても完全に健康に関して無害ではないものを流せば、我々にも風評面などで施設経営に被害が及びます」


「一介の宿の従業員にしては、随分と詳しいじゃないですか」


 サフィアの指摘に、魔族の従業員は慌てる様子もなく冷静に対応する。


「この国に住む大抵の魔族は基礎知識として、魔物の因子の取り扱い方を心得ておりますので。――まあ、魔物の因子自体は一般の魔族に出回っている代物でもないのですが」


「まあ、わざわざ人質とってまで敵地に招待してやることが、風呂に毒撒いたり奇襲かける回りくどい手口ってことは考えにくいだろうけどよ」


「身内の暗殺ならともかく、もともと初めから敵対してる相手にそれするぐらいなら、直接襲った方が手っ取り早いもんねえ」


「ご入浴されるかの判断は皆様にお任せしますが、我々としましては是非、大会前に旅の疲れをとっていただきたいと思います。お食事の方も気が変わりましたら、いつでもお申し付けください」


(うーん、どうしようかなぁ……温泉……)







 しばらくして色々考えた結果、結局レフィリアたちは温泉にだけは入ることにした。


 それだけ心身ともに旅の疲れが溜まっていたのか、温泉という響きはあまりに魅力的だったのだ。


 その誘惑が敵側の狙いだったのだとすれば、彼女らの判断はあまりに甘すぎるのであるが。


(わあー、思ってた以上に広くてきれい……それに造りがオシャレだなあ……)


 夜になって入浴に来たレフィリアは、丸くて太い石柱が何本も立ち並ぶ大浴場の造形に暫し見入ってしまっていた。


 柱に備え付けられた照明の台座に灯る炎が夜闇をオレンジ色に照らし、何とも幻想的な光景を演出している。


(なんかこれに似たのを前に何かで見たことある気がするなあ……えーっと、古代ローマのテルマエだっけ……?)


 そんなことを考えていると、レフィリアの後ろから入浴の準備を済ませたサフィアが近づいてきた。


「なかなかのものですね。流石は黄金帝都と名高いドムサレア一の客亭の大浴場……ただ広くて豪華なだけでなく、雰囲気も素晴らしいです」


「エーデルランドの王城のお風呂も広くて気持ち良かったですけど、ここはまた全然違った趣がありますよね」


「まあ、元は帝国の人間の持ち物であった接収品を魔族が自分たちのもののように扱っているのは癪ですが……」


「と……とりあえず今は余計なこととか難しいこと考えないで、温泉を堪能しましょうよ」


「そうですね……あ、レフィリアさん。背中、流してあげますね」


 サフィアはにこにこしながらそう言い、丁寧過ぎるくらいレフィリアの背中をきれいに洗ってくれた。


 当然、レフィリアもお返しに彼女の背中を流してあげる、つまり互いに洗いっこするような形になったのだが。


「サフィアさんって身体引き締まってて、きれいでかっこいいですよね……すごく鍛えられてるというか、見てて惚れ惚れします」


「そんな……私なんて変に筋肉がついて女性らしくないですから。私からすれば、レフィリアさんの方が素敵な体つきだと思いますよ。女の私から見ても見惚れるくらいです」


(でも私のはあくまで“与えられた身体”だからなぁ……)


 レフィリアの容姿や肉体は、当の本人が鏡でしばらく眺めていても飽きないくらいには美麗なものだと、彼女も客観的に認識している。


 しかしそれは彼女が完璧に思う造形を異世界で活動するためのアバターとして与えられているのだから、当然といえば当然なのだ。


 トレーニングやダイエットなどの自分の努力で手に入れた体型でもなければ、あくまで借りているに過ぎない身体を褒められても素直に喜ぶことができない複雑な心情に、レフィリアは内心困ってしまう。


「それじゃ浴槽の方に行きましょうか」


「そ、そうですね」


 身体を洗ったサフィアとレフィリアは、白い大理石製のだだっ広い浴槽へ移動して、ゆっくりとお湯に浸かる。


「はあ……」


 その気持ちよさからつい、ため息が漏れてしまう。


 本来ならば他の宿泊客も利用するであろう、豪華で広い浴場を自分たちだけで使うという何とも贅沢な気分。


 しかし、そんな気持ちになればなるほど、今頃敵に捕まっている賢者妹への後ろめたい気持ちも湧き出てきてしまう。


(ゴメンね……絶対に助け出してあげるから……)


 そんなことを考えているのを察したのか、サフィアはレフィリアに微笑みながら話しかける。


「気持ちいいお湯ですね。彼女を救出してこの国を救ったら、また皆で入りに来ましょうよ。きっと喜んでくれますよ」


 サフィアからの言葉を受けてレフィリアは少しだけ心が楽になったというか、勇気が湧いてくるような気持になった。


「――はい。そのためにはまず、武闘大会とやらを勝ち抜いて、オデュロのヤツもぶっ飛ばさないといけませんね!」







 レフィリアとサフィアが大浴場で入浴している間、脱衣所の前の入り口でアンバムとジェドは見張りに立っていた。


 魔族の従業員は安全を保障すると言っていたが、入浴中の二人は当然武器を携帯していないため、何かあった時のために交代で警戒をするようにしているのである。


 まあ、レフィリアは変身ヒーローのように早着替えで武装できるので、万が一浴場に奇襲されても対応できるのであるが。


「はあぁー……何でこの温泉せっかく混浴なのに、俺様はレフィリアちゃんやサフィアちゃんと一緒に入れないんだ……」


 アンバムはものすごく残念でげんなりとした表情で肩を落としながら、大きくため息をつく。


「仕方ないでしょー。特にアンバムは日ごろの行いが悪いんだからさー」


「よし、覗きに行こう。ジェドはここで見張ってろ」


「バッ、止めてよね! 君が殺されるのは構わないけど、そんなの許したら僕の評価までガタ落ちなんだから!」


「昔からの仲だろ! ここは何とか見逃してくれよ!」


「昔からの仲なら尚更でしょ! ていうかアンバム、女の裸なんて見慣れてんじゃん」


「あの二人をその辺の有象無象と一緒にするな。あれほどの一生に一度出会えるかどうか判らんくらいの逸材の眼福、この眼に焼きつけねば男が廃るというもんだぜ」


「あーもう、絶対ダメ! もし行こうって言うんなら僕は命をかけてここから君を通さないよ!」


「チッ、お前を倒すのは別に構わねえが、騒がれた時点で二人に気づかれるだろ……ああ、見に行きてえなあー」


「諦めてよねー」


 数秒ほど沈黙した後、アンバムはボリボリと髪を掻くとまたもや飽きずに深い溜息をついた。


「なーんでよりによってお前と一緒に入らなきゃならねえのか。お前の裸なんか見たって全然欲情なんかしねえよ」


「こっちもされたって困るっつーの。だいたい僕だってホントはあの二人と一緒にお風呂入って色々お話したいのをこうして我慢してるんだよ」


「……でもお前、それやっちまうと流石にバレちまうぞ?」


「だよねぇー。せっかく二人からは僕、“男”だって思ってもらってるんだからさぁー」


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