勇者一行と異世界道中紀行の話④
ひとまずレフィリアたちは近場の安全そうな岩陰まで馬車を移動させてから、そこで手に入れた書物を読み進めることにした。
サフィアが書かれている内容を声に出して読み、他の三人も覗き込むようにして書物の中身を確認する。
一見、どこにでもあるような革製の手記には、このような事が書き込まれていた――。
――私の名はロンメル。エルフの男で職業は料理人だ。
私は不幸にも、今いる場所から動けなくなるほどの致命傷を負ってしまったため、息絶える前に急いで私の持つ情報を記すことにする。
私は《ウッドガルド》のエルヘイム村出身だが、ある日突然攻めてきた魔王軍によって故郷を奪われた挙句、街の住民全員とともに捕らえられてしまった。
捕虜となった住民は男女別に分けられ、女性はウッドガルドに残り、私を含めた男性は全て隣国のナーロ帝国まで連れていかれることとなった。
「――サフィアさん、この“ウッドガルド”というのも国名ですか?」
「はい、《ウッドガルド》はナーロ帝国の隣に位置する国で、世界樹と呼ばれる巨大な一本の木を中心に発展した、世界で最もエルフ族の人口が多い国家です」
「確かそのウッドガルドも今は魔王軍の占領地になってるよね。この国って魔法先進国家な上に、この土地でしか手に入らない魔法的資源も多いから、魔王軍も絶対に押さえておきたかったんじゃないかな」
「つーか、その手記の情報通りなら今ウッドガルドには女しかいないって訳か! くっ、ナーロ帝国を救ったら今度はすぐにウッドガルドへ向かわねえとな!」
わざとらしい神妙な顔つきでグッと拳を握るアンバムに、ジェドがしらけた視線を向ける。
「下心見え見えー。そういやアンバムって、昔からハーフエルフの女の子大好きだよねぇー。パーティにもよく加えてたしさぁー」
「うるせえ。俺様は勇者だからその責務として、魔王軍に支配された国を救いに行くだけだ。そこにやましい気持ちなんか微塵も有りはしねえよ」
「むしろやましい気持ちしかないでしょ。エルフやハーフエルフの女の子たちに、キャー勇者様ーってチヤホヤされたいだけじゃん」
「んだとコラ。それはあくまで結果であって目的じゃねえ」
いつもの言い合いを始める二人をスルーして、サフィアは再び手記に内容を読み始める。
――ナーロ帝国へ連行された我々は収容所に入れられた後、しばらくして全員が“魔物の因子”と呼ばれるものを身体に注入された。
この“魔物の因子”とは体内に投与した者を、人間だけでなくエルフやドワーフなどの亜人種も含め、全ての人類を魔物として変質させるための代物であった。
しかし全員が適合できる訳ではない。
子供や老人、身体の弱い者や体質が合わなかった者たちは早い段階で拒絶反応を起こして、苦しみながら死んでいった。
また、肉体が魔物化できたとしても自我や理性を失い、ただ人の形をしているだけの怪物となって暴走する者たちも少なくなかった。
そうなった者たちは狂わされた精神に肉体が引っ張られるかの如く、次第に醜く見るに堪えない姿に変貌していき、まさしく化け物と呼ぶ以外にない存在へ成り果てるのである。
そこまで行くと魔王軍としては使い道がないらしく、落第品ということで彼らは街の外へと廃棄処分される。
私も街の外へ出て改めて分かったことだが、彼らは街の外へ放り出されても死ぬことなどなく、もはや野生の魔物と同じように帝国の領土内を闊歩しているのだ。
「――ま、まさかさっき襲ってきた魔物の群れって……」
レフィリアたちは手記の内容から想像して、全員が非常に嫌な推論に思い至り、冷や汗を浮かべる。
「ど、どうしよう。僕たち、あの魔物の集団を考えなしにドカドカ吹っ飛ばしちゃったよ……」
「いや、あれは仕方ねえだろ……仮にあれが元人間だったとしても、話の通じない魔物になっちまってんのは変わんねえんだしよ……」
「そうですね。あそこまで完全に魔物化してしまっている以上、何をどうやっても元に戻すことも出来ないでしょう」
「ああ、きっとサフィアちゃんの言う通りだ。あれはむしろ一撃で仕留めてやるのが慈悲ってもんだぜ」
「……なんて惨い」
無理やり故郷から連れ出された挙句、化け物にされた上で野に放されるなんて、あまりに酷い話だ――と、レフィリアは唇を噛む。
「――続きを読みますよ」
――そして最後に、私も含めて肉体だけでなく精神にも異常をきたさなかった者たちだ。
魔物の因子に上手く適合できた者たちは、人類であった頃よりもずっと飛躍的に身体能力が向上したり、膨大な魔力を手に入れたりすることが出来た。
また更に結びつきが強かった者は、空を飛べるようになったり炎や雷を放つ、皮膚を鎧のように固くしたり四足形態になって早く走るなど、多種多様な固有の特殊能力を発現していった。
あいにく私はそこまで至ることは出来なかったが、ただのエルフであった時の倍以上の魔力を振るうことが出来るようになった。
この最後まで人としての意識を保ったまま、魔物化できた者達を魔族達の専門用語では“造魔人”と呼ぶ。
……ここまで読んで不思議に思ったことだろう。
魔物の因子が身体に合わず死んでいった者たちには悪いが、生き残れた者達はむしろ強力な力を得ることが出来て良かったのではないかと。
だが、そうではないのだ。
むしろ先に死んだり狂えたり出来た方がどれだけ幸せだったことか。この先には更なる地獄が待っていたのだ。
真っ当に考えるならば、それだけの力を手に入れた時点で、魔王軍に対して反乱を起こすなり、敵地から何としてでも脱出するなり思案するのが普通であろう。
しかし、誰もそれは出来なかった。思っていたとしても、実行出来なかった。
なんと魔物の因子でデーモンとなった者は、魔族に抵抗したり、契約した魔族の不利益になると解っている行動をとることが出来なくなってしまうのだ。
つまりは絶対服従。牙を剝くことも逃げ出すことも叶わない。
また、魔王軍が我々人類を各地から捕らえてきては魔物の因子を打ち込んでいく目的についてだが、それは主に三つある。
一つは人体実験、一つは奴隷化、そして最後の一つは娯楽の為であった。
ナーロ帝国を占領している魔族たちの間では、デーモン同士を戦わせて競う文化が定着している。
デーモンと契約して使役する魔族を《造魔人調教師》といい、彼らは専門の施設や競技場でデーモンを日夜、育てたり戦わせて生活している。
そもそも今のナーロ帝国では、その戦績が魔族の社会的な地位に直結するのだ。
なので帝国内の魔族たちは自分がより良い暮らしをするため、己が育てているデーモンを勝たせることに躍起になる。
私も例外ではなく、一人の魔族と契約させられ、普段は奴隷として働きながらも他の誰かと戦うという日々を送っていた。
魔法は平均的なエルフ以上に使えたが、特殊能力を発現させた訳ではなかったので、戦績は良くも悪くもなかったが。
そんなある日、偶然にも不慮の事故から仕えていた主人の魔族が死亡してしまった。
これはまたとない幸運だった。魔族に抵抗こそ出来ないものの、見つかって契約さえされなければ逃げ果せることだけは出来る。
私は死んだ主人の荷物を奪い、これまた運良く街の水路から命からがら近くの森へと逃げ延びることができた。
これはきっと神から私に課せられた使命だ。私はナーロ帝国での出来事をどこの国の人間でもいい、誰かに伝えなければならない。
そう決意して数日ほどナーロの大地を彷徨った矢先、私は狂暴な魔物の群れに襲われてしまい不覚にも大怪我を負ってしまった。
魔物の群れこそ撃退したものの、片足を食いちぎられてしまい、加えて噛まれた傷口から毒も受けてしまった。
魔法によって止血こそしたものの、完全には解毒できず、体内を蝕む毒素によってその身を冒されているのが現状である。
数日食べていないこともあって魔力も底をついてしまっている。残念だが、私がここで息絶えるのは避けられないだろう。
なので、最後の力を使って私が伝えたいナーロの事実をこの書に記す。
この書を手に取ってくれた者がいたとしたらどうか、書の内容をどこかの王国でも何でもいい、大きな力を持っている者たちに伝えてほしい。
少しでもこの書が誰かの助けになってくれたのなら。これこそが私の最期の望みだ。
そして我が妻ゲルダ、我が娘リーゼ、父さんはずっと愛しているよ。
「――手記の内容はここで終わっています」
辛そうな面持ちで静かに文章を読み終えたサフィアは、まるで黙祷するかのように目を閉じる。
書の内容を聞き終えたレフィリアもしばらく声を出すことが出来なかった。
魔物に変えられた上で辛い生活を強いられ、何とか逃げ出せたというのに故郷へ帰ることも家族に再開することも出来なかった、この書物の記入者の無念を想像すると、あまりにやり切れない。
一行が黙りこくっていると、アンバムが空気を読まないような口調で言葉を発する。
「しっかしこれ書いたエルフ、死にかけの割には結構沢山文章書いたな」
「いや、そこじゃないでしょ。流石にこれ読んで最初の感想がそれとかフォローできないくらい顰蹙ものだよ」
ジェドは小声で窘めるが、レフィリアとサフィアに至ってはもはやアンバムをいないものとして扱っている。
「この手記の内容によれば、ナーロ帝国では他国から集めた人間や亜人の男性を用いて、大規模な生体実験を行っているようですね」
サフィアは持っている書物を閉じると、得られた情報から推測、分析した所感を口にする。
「魔王軍は前大戦の侵攻で大勢の人員を失っていますので、おそらくは現地での戦力と労働力を増強する企みがあるのでしょう。それにしても、あまりに酷いやり方ですが」
「確かナーロ帝国は自分の支配地だとオデュロは言っていました。この非道な実験も彼が考案したのですかね……」
「さあ……でも無関係ではないでしょう。おそらくですが帝国の武闘大会というのも、魔族が直接戦うのではなくこの魔物化した人間同士を戦わせる催しなのではないですか?」
「……ッ!」
サフィアに言われて、確かにそのような気がしてきた。
となれば、レフィリアたちは直接魔王軍と戦うわけではなく、他所から連れてこられて無理やり改造された人間たちと戦わねばならないのだろうか。
「レフィリアちゃん、気に病むことはないぜ」
すると、珍しくアンバムがレフィリアの考えることを読んで気遣うようなことを言ってきた。
「これはおそらく勘だが、武闘大会に勝ち進んでくるような連中はもうとっくに戦う自分を肯定した戦闘狂になっちまってる。何てったって、勝てさえすればその国では地位と生活が保障されるんだからな。おそらく元人間だったとしても、嫌々戦ってるヤツなんて出場しちゃあいない」
「ですが……」
「何にしろ、アンタには人質がいるんだろ。いなけりゃ律儀に大会へ参加する必要もないがそうもいかない。辛いかもしれないが、余計なことは考えない方がいいぜ」
「…………」
確かに彼の言うことも間違っていないように思える。
レフィリアは一度深呼吸して気持ちを何とか落ち着けるように努めると、彼の方へ向き直る。
「アンバムさんもたまには人を気遣えるんですね」
「おうよ、惚れたならいつでも言ってくれ」
「それはないですけど」
まだ目的地に辿り着いた訳ではないが、ここから先は更に心苦しくなるような戦いが待っているかもしれない。
それでもけして歩みを止めることはできないのだと、まだ見えぬ帝都の方角をレフィリアは遠く見つめるのであった。




