アイドルは異世界の女悪魔の話⑨
「――ッ?!」
それは白く輝く光の鎖、ホーリーバインドの魔法による拘束であった。
そしてエリジェーヌの背後から、賢者妹が杖を構えて光の縛鎖を放っていた。
(今だッ――!)
エリジェーヌが動きを止めたほんの一秒ほどの隙を見逃さず、レフィリアは咄嗟に駆け出してエリジェーヌへ斬りかかる。
「ちょっ――」
しかしエリジェーヌも腕に力を込めて光の鎖をブチンと無理やり引き千切ると、すかさずハルバードでレフィリアからの攻撃を弾き返した。
それでも完全には防ぎきれず、手首から肘の部分にかけてざっくりと切創を負って、赤い鮮血を滴らせる。
「あい゛っ……たぁ……ッ!」
エリジェーヌは自身の油断から生じたまさかの負傷に動揺を抑えきれなかった。
普段の彼女ならば、たとえ眠っていようとたかが人間からの奇襲など余裕で気づいて対処できる。
だが、レフィリアを翻弄してトドメをさすことへの興奮からかなり舞い上がっていたこと、そもそも人間など自分の障害にはなり得ないと高を括っていたことから、結果として先ほどのような無様を晒してしまった。
「レフィリアさん!」
エリジェーヌへ続けて追撃することも出来なくはなかったが、賢者妹への報復を警戒して、レフィリアは彼女を護るように賢者妹の傍へと走り寄る。
「助かりました! ――もしかして、初めから正気だったんですか?」
「はい、騙して攻撃したりしちゃってごめんなさい! 私、これがあったもので……」
そう言いながら、賢者妹は袖を捲って手首の腕輪を見せる。
それは前回のライブの時に彼女が使っていた、魔力を電流に変換して自身に流すブレスレットであった。
ずっと電流で自身に痛みを与えていた彼女の手首は、また肌が真っ赤になってしまっている。
「もう、また無茶をして……もしバレたら殺されていましたよ」
「私、我慢強いのが自慢ですから。でも鎌向けられた時は流石にヒヤッとしました」
「……でも、貴方のお陰で勇気が湧きました。ありがとう」
まさか自分だけでなくエリジェーヌまで出し抜いてみせるとは、大した少女である。
レフィリアは心の底から尊敬する彼女へ微笑んでみせると、またエリジェーヌへと剣を構えて向き直った。
「――何でその娘、正気に戻っているのかな。異世界転移者ならともかく、この世界の住人で私の魅了がすぐに解けたことはないんだけど」
どうやらエリジェーヌは賢者妹が初めから洗脳にかかっていた訳ではない、ということには気づいていないようだ。
「何か特殊な能力でも持っているのかな? 確かにこの世界にも変わった才能を生まれ持っている連中がいたりするってゲド君が言ってはいたけど――」
エリジェーヌは既にレフィリアだけでなく、隣の賢者妹も敵の一人と認識して殺意を向けている。
レフィリアは、彼女だけはやらせないと最大限に神経を尖らせて身構える。
「――とりあえず、不安の芽は早いうちに摘み取っておかないとね」
そう言うと、エリジェーヌは両目をギラリと輝かて賢者妹を凝視した。
「えっ――ぐっ……?!」
途端、賢者妹は苦しそうに胸を抑えてよろめき出す。
「ちょっ、どうかしましたか?!」
「うっ……苦し……胸、痛……いっ――」
そしてドサッと床に倒れて意識を失い、動かなくなってしまった。
「大丈夫ですか?! ねえ!」
レフィリアは慌てて彼女を揺さぶってみるが、糸の切れた人形のようにダラリと身体から力が抜けてしまっている。
「――彼女に何をしたんですか!?」
キッと向き直ってレフィリアが睨みつけると、エリジェーヌは双眸の光を一旦消してレフィリアを見つめながら説明を始めた。。
「レフィリアちゃん、私の能力は“精神に干渉すること”であって、ただ魅了をかけるだけではないんだよ。こうやって瞬間的に精神を極度の緊張状態にすることで、意識を失わせたり心停止させることだって出来るの」
心停止――?!
レフィリアは賢者妹の胸に手をあてる。
確かに彼女からは心臓の鼓動が伝わってこない。
今の彼女は、迷走神経反射によってまぎれもなく心臓が止まってしまっている。
「その様子だとその娘、心停止しちゃったみたいだね。ご愁傷様、余計な事しなかったら死ななかったかもしれないのにね」
やり返せて少しスッとしたのか、エリジェーヌは煽るように微笑んで見せる。
「そんな……」
突然の事態にレフィリアはここにきて愕然としてしまった。
前回の戦いで散った兄の男賢者のためにも、彼女は殺させないと思っていたのに、こんなに呆気なく――
異世界に来て明らかに強い力を手に入れた筈なのに、ここぞという時に何で自分はいつも無力なのだろうか。
「可哀想だと思うなら、レフィリアちゃんも一緒に逝ってあげたら? 今すぐなら一緒に三途の川を渡れるかもしれないよ? ――いや、異世界にそんなのあるかなんて知らないけどさ」
青ざめているレフィリアの表情を見て、もう勝ったとばかりに余裕そうな仕草でエリジェーヌは言葉の追い打ちをかけてくる。
だが、ここに来てレフィリアはハッと目を見開くと、静かに顔を上げてエリジェーヌを見返した。
「……ありがとうございます、エリジェーヌ」
「はい?」
ちょっとこの人、何言ってるのかよく解んないなー、といったようにエリジェーヌは首を傾げる。
「どういたしまして――って私、何か感謝されるようなこと言ったかな?」
「ええ、貴方が散々追い詰めてくれたお陰で、今更になって貴方への対抗策が閃きましたよ」
「――へえ」
レフィリアの言っていることが皮肉だと理解して、エリジェーヌの笑みが酷薄なものへと変わっていく。
「何かまた、新技でも思いついた? でもね、レフィリアちゃん。私はその気になれば、そこの可愛い魔導士ちゃんだけじゃくて、ここにいる全員を同じように心停止させることも出来るんだよ?」
エリジェーヌの能力は彼女が視界に収めただけで、もしくは彼女を認識しただけで効果を及ぼす。
言うなれば、この会場にいる者全員を人質に取られていることと何ら変わらない。
「貴方の仲間も、ここに集まっているサンブルクの住民たちもみんなみんな」
「やってみたらどうですか? 貴方の自慢の“瞳”で殺してみてくださいよ」
落ち着いて気丈な声色で答えるレフィリアに、エリジェーヌはパチンと指を鳴らす。
するとルヴィスとサフィア、そして若旦那がレフィリアを逃がさんとばかりに包囲して退路を断った。
「ならお望みどおりに。ここの住民たちは大切な労働力だから殺さないけど、レフィリアちゃんの仲間たちは、貴方のすぐ近くで死なせてあげる」
そう言い放つと、エリジェーヌは先ほど賢者妹に行ったように、双眸をギラリと妖しく輝かせる。
しかし、それより一瞬早く――
レフィリアは手に握った光剣の刀身を激しく発光させた。
「ディスペルライト――ッ!!!」
たった二、三秒ほどであったが、会場全体が真っ白な閃光で全て塗り潰される。
そして光が収まった後、会場内に明らかな変化が発生した――




