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アイドルは異世界の女悪魔の話①

 ――ブレスベルクの首都、工廠都市サンブルク。


 十数日かけてシャルゴーニュから、ハーフドワーフの若旦那が逃げ果せてきたルートを逆にたどり、旧鉱山の地下坑道を通ってレフィリアたちはたった今、サンブルク郊外へ侵入した。


 道中、何度か野生の魔物と戦うことはあったものの魔王軍とは一度も会敵や交戦することは幸い無く、一行は今のところ気づかれることなく行軍が果たせている。


 逆にまた何かの罠なのではないかと疑ってしまうほど、現状は怖いぐらい順調に事が運んでいた。


「この先から市街に入れるぜ」


 全員がフードのついたマントを目深に被って顔を見られないようにしており、若旦那が先導してサンブルクの街中へと入っていく。


 街に着いた頃は既に日が暮れて暗くなってしまっており、五人は夜の闇に紛れて目立たないようにしながら、市街全体がある程度一望できる場所へと到着した。


「ん? 何か妙だな……?」


 若旦那は訝しみながら、街の様子をきょろきょろと見回している。


 そんな彼にレフィリアは首を傾げながら問いかけた。


「どうかしたのですか?」


「いくら日が落ちたとはいえ、この時間はまだこんな静かにはならねえ筈だ。なのに街から人気が感じられねえ。まだ日取り的にエリジェーヌのライブは先の筈だが……」


 レフィリアたちが街を見て回ると、確かに街中には人の姿が一切見受けられず、ほとんどしんと静まり返っている。


「確かに誰もいないな。これはどういうことだ?」


「ううむ、考えられるとしたら――」


「おい! そこのお前たち!」


 若旦那が髭を触りながら唸っていると、突然五人の背後から声をかけられた。


 それは二人の魔族で、悪魔の翼が生えた、鳥のような頭部をした人型の魔物であった。


 種族的にはおそらく、ガーゴイルかと思われる。


(げっ?! やばっ……!)


 二人とも帯剣しており、レフィリアたちのところへ即座に近寄って来る。


 まだ敵に気づかれるには早すぎるので、場合によっては速やかに口封じをしなければならない。


「そんなところで何をしている?!」


「もうあと少しでエリジェーヌ様のライブが始まってしまうぞ!」


 すぐ傍まで近づいてきた二体のガーゴイルはいきなり攻撃してくる訳ではなく、まるで警官か何かのようにレフィリアたちへ話しかけて来る。


 すると若旦那がさっと前へ出て彼らへと言葉を返した。


「いやあ、すんません! うちら仕事に熱中していたら闇の神殿行きの馬車に乗り遅れてしまいまして! 今から急いで向かうところなんでさぁ!」


「ふむ、そうか。仕事熱心なのは良いことだが、それでライブに遅れてしまうのは重罪だぞ」


「これだけ頑張って働いているのにライブが見れなかったとあっては、流石にこいつらでも可哀想だな。特別に馬車を出してやるから、それに乗って急いで闇の神殿へと向かえ」


「どうもありがとうございます! お心遣い本当に感謝します!」


 若旦那の咄嗟の機転でその場をやり過ごし、五人はそれ以上特に問い詰められることもなく、彼らに連れられて魔王軍の馬車へと向かう。


 レフィリアはガーゴイルたちに聞こえないよう小声でこっそり、若旦那へと問いかけた。


「あの、今日はライブない筈じゃあなかったんですか?!」


「おそらく、ゲリラライブってヤツだ。エリジェーヌは気分次第で突発的に予定外のライブをやったりすることがあるんだ」


 賢者妹は心配そうに落ち着かない表情でサフィアの方を見る。


「これ、流れで私たちついてっちゃってますけど大丈夫なんですか……?」


「今ここで下手に騒ぎを起こす訳にも行きません。こうなった以上は逆に状況を利用して、敵側の懐を探ってみましょう」


 サフィアの言葉にルヴィスも頷いてみせる。


「そうだな。もしライブとやらを聞いて俺たちも洗脳されそうになったら、“例のアイテム”を使うしかない」


 そう言ってルヴィスは何かが仕舞われた腰のポケットへと視線を落とす。


 話は数日前まで遡るが――







 ――地下坑道のある旧鉱山近辺の森林地帯。


 森の中で焚火を囲み、野宿をしていた一行に突然、賢者妹は自信に満ちた表情で“ある物”を掲げてみせた。


「じゃーん! 皆さん、私が旅の道中で作っていた対エリジェーヌ用の洗脳対策アイテムが完成しましたよー!」


 賢者妹が手に握っているのは、ガラス製の小さな小瓶のようなものであった。中には何やら黄褐色の液体が封入されている。


 若旦那は髭を触りながら、興味深げにまじまじとその小瓶を見つめた。


「ほう、なんかの薬品みてえだがどんなアイテムなんだ?」


「説明するより試しに使ってみるといいでしょう。これを開けて鼻の傍に近づけてみて下さい」


「どれどれ……」


 若旦那は瓶の蓋を開けると、疑いもせず言われた通りに鼻の下へと持ってくる。


「おおええええええ!!!!!!」


 途端、目尻から大粒の涙を流しつつ大声をあげると、もだえ苦しむように咽て咳き込みだしてしまった。


「げほごほっ……! くっさ! なんじゃあ、これはあッ……?!」


 サフィアはその様子にちょっと引いた顔をしながら、彼の手に持っている小瓶に視線を向ける。


「まさか……それ、“気付け薬”ですか?」


「その通りです! 若旦那さんの話を聞いて思いついたんですよ。転んだ痛みで正気に戻ったってヤツ。つまりスターペンダントを所持していれば、エリジェーヌに洗脳されても、外部からの強い刺激を受ければそれで覚めてしまうと」


 その説明にルヴィスは感心したように頷いてみせた。


「なるほど、洗脳を受けたと感じたら即座にそれを使うわけか。自傷行為をしなくて済むと考えれば、便利なアイテムだな」


「いや、にしてもコレ超くっせえぞ。一体、何が入ってやがる。鼻がいまだにツーンとしてすげえ痛えし、頭もガンガンして吐き気が止まらんわ」


 レフィリアが元いた世界の、つまり現実の気付け薬ならば、内容物は主に炭酸アンモニウムでアルコールや香水に混ぜるなどして使われることもあるのだとか。


 用途としてはスポーツ選手などが、倒れそうな時や気合を入れる時などに用いる一種の興奮剤とされる。


 まあ、賢者妹が調合した“それ”はまた、この世界の魔法化学や錬金術などを使い作られた、全くの別物なのだろうが――。


 そんな話はさておき、若旦那はいまだに気分のすぐれない表情で忌々し気に、手に取っている小瓶を眺める。


「おい、テメエもちょっとこれ嗅いでみろ」


 そう言いながら若旦那は咄嗟に、ルヴィスの鼻先へ蓋の空いた小瓶をつき出して見せる。


「うおええッ!!!!」


 不意に思いっきり匂いを嗅いでしまったルヴィスは、戻しそうになるのを口にすぐ手を当てて何とか堪えた。


「……飯前にそんなえげつないもの嗅がせないでくださいよ」


「うるせえ、お前も道連れだ。俺の苦しみを味わえ」


 その様子にサフィアがくつくつと笑いをこらえ、レフィリアもまた苦笑いを浮かべた。


「こ、これならもしもの時も役立ってくれそうですね……あははは」


(あー、私は洗脳効かなくって良かったぁ……)


「おいサフィア、お前も少しは嗅いでみたらどうだ?」


「わ、私は遠慮しときますよ兄さん!」

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