春待ちの日 1
お読みいただいてありがとうございます。
おかげさまで、書籍化が決定しました。
ここからは、「番外編」です。
「今、なんとおっしゃいましたか?」
王宮の中、王の執務室で謁見していたフィオンは、今耳にしたことが信じられないとばかりに聞き返した。
椅子に座ったまま、この国の王でもありフィオンの兄でもあるパトリックは、驚いているフィオンを後目に何食わぬ顔で先ほど言った言葉を繰り返す。
「マカリスター男爵が、家族とともに領地へと戻ることを願い出たので許可した」
それはマカリスター男爵の娘であるコレットも伴って、ということである。
「男爵は普段なら既に領地に戻っている時期なのだから、退出の許可を言い出すのはもっともだ。むしろ遅すぎたくらいだな」
王都での仕事が多いものや、国の役職につき出仕しているものたちなど、王都を中心に生活している貴族とは基本的に異なり、マカリスター男爵は一年のそのほとんどを領地で過ごしているような地方貴族である。王への謁見と他の地域との交易を目的として年に数ヶ月間王都に滞在しているものの、普段なら夏至祭の頃にはすでに領地にもどり、秋の収穫の準備を始めている頃だ。
秋風がふきはじめるこの時期まで王都に留まっていることなどほとんどない。
フィオンは慌てたように声を上げた。
「兄上、それはっ」
「王都に戻ってくるのは春になってからと言うから、ちょうどいい期間だしな」
「ですからその間、コレットのことは僕が責任を持ちますと申し上げたはずです」
「婚約を認めるのは半年後、と言っただろう。婚約者でもなんでもない男のもとに、未婚の令嬢を預けておくわけにはいかないな。ああ、王妃に相談しても今回はだめだ。王妃にもしっかりと言い含めておいたからな」
フィオンの義姉にあたる王妃は、フィオンとコレットの協力的なので、今回王は先手を打ってそれを封じている。いつも妻と弟の思うようにばかりことを進めるわけにはいかない。
「ですがその間、コレットに会いに行くのも、手紙を出すことも禁止だなんて、そんなのは厳しすぎます」
先ほど言われた命令に、フィオンは不満気に抗議する。
「フィオン。私がなぜ、婚約を認めるのを半年後にすると言ったのかわかるか?」
「それは『惚れ薬』の騒ぎが落ち着くのを待つためでしょう」
「そうだ。薬を盛った犯人が捕まったとはいえ、まだ王都の中はその騒ぎが収まったわけではない」
とあるパーティーで惚れ薬を盛られた王弟フィオン・アルファードが、マカリスター男爵令嬢を見染めたというのは、ここ数ヶ月王都を騒がせた大事件である。
惚れ薬の主犯であるジェシカ・ランデルと実行犯であるその侍女が捕まり、その犯行を助けコレットの命を狙ったジェシカの叔父ギルダスは捕獲の際に命を落としていた。
フィオンが惚れ薬の解毒薬を服用し、事件の犯人も捕まったことで、徐々に王都にも落ち着きが戻りつつあるが、まだ事件の記憶は人々の中で新しい。
「だが、王都の中が落ち着くのを待つというだけではない。お前とコレット嬢も少し落ち着いて考えるだけの時間が必要だからだ」
「どういうことですか?」
「フィオンの求婚を彼女が受けた、それは信じるとしてだ。ここしばらく王都ではいろいろありすぎた。少し落ち着いてこれからのことを考える時間が必要だろう」
「ですが、今後のことは二人で考えていきたいとお話ししたはずです」
「半年後に彼女が王都に戻ってきてから考えればいい。それに今後、婚約して結婚となれば彼女はほとんどを王都で生活することになる。頻繁に帰ることなどできなくなるのだから、今回が親子水入らずの最後の帰郷となるだろう。許してやれ」
そう言われれば、自分の気持ちを押し通し王都にとめ置くことなどできない。
反論を封じられながらも、まだ納得がいかないといった様子のフィオンに、王は言葉を続けた。
「とにかく、何度も言うが、マカリスター男爵が領地に帰ってから王都に戻ってくるまでの間、コレット嬢と会うことも連絡を取ることも禁止だ。もしそれを破った時は、婚約もその後の結婚を許可する話もなしだからな」
「兄上っ!」
「連絡を取っていたら、ここにいるときと変わらないだろう。それでは意味がない。お互い冷静に考える時間が必要だということだ。お前たちも、王都にいる他の者たちにも」
いくら解毒薬を飲んだとはいえ、薬の影響をいぶかしんでいるものは完全には消えてはいない。
王として婚約の許可を与えるとしても、時期を置き、冷静になって考えた上での判断だということを示す必要がある。
「ああ、それと半年よく考えて、コレット嬢の気持ちが変わったら正直に申し出るようにとマカリスター男爵には伝えておいたぞ」
にやりといたずらっぽく王であるパトリックが笑った。
ぎょっとしてフィオンは顔を上げ、がくりと肩を落とす。
「横暴です」
「フィオン。お前も少し休息が必要なんだ。しばらく休めるよう手配するから、バード公爵領の方に一度戻れ。報告することもあるだろう」
椅子から立ち上がると、パトリックは優しくフィオンの肩に手を置いた。
バード公爵領の荘園屋敷には、フィオンの祖父であるヘンリーが暮らしている。手紙で現状を報告しているとはいえ、コレットを正式に迎え入れるためには、きちんと会って報告するのが筋である。
「兄上はまじめすぎます」
「王だからな」
国の安定のために考慮する必要がある。
だがそれは国のだめだけではなく、フィオンの兄としてこれからの二人のことを考えてのことだとフィオンにはわかっていた。
「王都にいる間は、コレットに会いに行ってもいいんですよね」
「いいが、三日後には王都を立つと言っていたぞ」
「三日後?」
「昨日会った時にな」
ということは、明後日には王都を立つことになる。
フィオンは慌てて椅子から立ち上がった。
自分の許可を得て急いで退出したフィオンの後ろ姿を、パトリックは静かに見送った。
婚約の許可を出すのにいろいろと言ったものの、けして二人の恋路を邪魔したいわけではない。
願わくは二人が幸せな表情を浮かべ、半年後に寄り添っていてほしいと思う。
だからこそ今この時期が大切なのだ。
身を引くように王都を離れたマカリスター男爵家に対し、バード公爵家、引いては王家の方から婚約を打診する形でなければならない。
恋人同士の仲を引き裂く悪者のような形になってしまうが、今回ばかりは仕方ないと、パトリックは口元を緩めながら、窓の外に広がる秋風ふく大空を見上げた。
「はい。昨日お父さまからお聞きしました」
フィオンの問いに、コレットは素直にそう答えた。
マカリスター男爵家の居間に通されたフィオンは、コレットと二人になると王の出した条件について口にした。コレットがマカリスター男爵領に帰っている間、フィオンとコレットが会うことも、手紙を出すことすら禁止した件である。
「今でも毎日会っていたいくらいだというのに、半年間も会えないなんて……」
がっくりと肩を落とすフィオンに、ソファに隣り合って座ってたコレットはそっと手を伸ばす。しかし、手がフィオンに触れる直前に、その手をとられ指を絡めるようにして握られた。
「こうして触れることも、君を見つめることもできない」
フィオンは指を絡めたのとは反対の手で、コレットの頬を包みこむ。
「コレットも僕と一緒にいられなくて、寂しいと思ってくれる?」
フィオンの髪が触れるほど近くで見つめられ、コレットは赤く染まった頬を隠すこともできないまま小さく頷く。
昨日父親からその話を聞かされて、驚いた記憶はまだ新しい。
マカリスター領に帰ることは予想がついてはいても、まさか手紙まで禁止されるとは思っていなかった。
コレットの返事に少し口元をゆるませて、フィオンは彼女を抱き寄せた。ふわりとフィオンの香りに包まれる。
「できることなら、このまま君をさらってしまいたいよ。こうして抱きしめて、僕以外のことなんてすべて忘れさせてしまいたい」
マカリスター男爵領は王都からは遠い。
山をいくつか越えた先にあるその領地は、冬になれば深い雪に阻まれ辿り着くことも困難になる。コレットが領地に戻れば、王の命令でなくとも会いに行くことは困難なのだ。
フィオンの中で、半年後のコレットとの婚約は絶対である。婚約後も、出来るだけ早く結婚の準備を進めるつもりだ。
そうなれば兄の言うとおり、コレットの最後になるかもしれない領地への帰郷を止めることなどできない。それも半年後の婚約許可を盾に取られればなおさらである。
「春になれば、ここに戻ってきます」
フィオンのそばに。
自分にも言い聞かせるように、コレットはフィオンにそう告げた。
マカリスター男爵が願い出て、王が許可を出した時点で、コレットが領地に戻ることを覆すことはできない。
「少しの間も君を離したくないと思う僕は、心が狭いのかな。もし僕がそばにいない間に、誰かが君を攫っていったらと考えるだけでたまらなくなる」
驚いたように、コレットは顔を上げた。
フィオンがそんな心配をしていたとは思ってもいなかった。
「今までそんなことありませんでしたもの。大丈夫ですよ」
「それは今まで会った男が見る目がなかったからだ。今年もそうだとは限らないだろう?」
フィオンの目から見れば、以前からコレットを気にしていた男はいたはずなのだ。
婚約者がいたコレットは、あたりの男が自分をどうみていたのかなんて意識していなかったのだから、知らないだけで。
「それなら、フィオンさまの方が……」
「僕がなに?」
「フィオンさまの方が、まわりに素敵な女性がたくさんいて、わたしのことなんて忘れてしまうのではないですか?」
「それって妬いてくれてるの?」
「それは……」
確かにそうなのだが、はっきり言われるとなんだか恥ずかしい。
赤くなった頬を隠すように顔を伏せるが、赤くなった耳朶が隠しきれていない。
「本当に? コレットが妬いてくれてるなんて、すごく嬉しい。もっと顔を見せて」
そう言って、フィオンは嬉しそうにコレットの顔を覗き込んだ。
王弟であり、バード公爵の身分を持つフィオンの周りには、望むと望まざると人が集まる。その中には女性も多く、立場上仕方ないことだとコレットは理解していた。
こんなに素直に妬いてくれるなんて、めったにない事だ。
嬉しそうに自分の顔を見るフィオンに、コレットは軽くフィオンの胸を叩く。
「意地悪です」
可愛くなじるコレットに、フィオンは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
「僕が好きなのはコレットだけだよ。それは変わらないから」
「はい。信じています」
フィオンとともに生きていくと決めた時に、そう自分の中で誓ったのだ。
彼のことを信じると。
彼の言葉も、そして気持も――。
「わたしもフィオンさまを愛しています。だから、フィオンさまも信じていてくださいね」
けしてフィオンのことを好きな気持ちは変わらない。離れていても、他の人に心動かされることなどないのだと信じてほしい。
「わかった」
フィオンは背に回していた腕を解き、コレットの頬に当てた。
キスを求められ、コレットは慌てたように腕に力を入れる。
ここはマカリスター男爵家の居間である。いつ誰が入ってくるかわからない場所では抵抗があった。
さすがに家族に見られるのは、恥ずかしすぎる。
コレットの抵抗もやすやすと受け止め、フィオンはにっこりと微笑んだ。
「せっかく二人きりにしてくれたんだから、誰も入ってこないよ」
しばらく会えないのだからと、心配そうな表情をしつつも二人きりになることを許可した男爵が、今更邪魔をするとは考えにくかった。もちろん、部屋の外には誰かが聞き耳を立てて待機しているのかもしれないが。
触れた手で彼女のおとがいを少しだけあげ、フィオンはゆっくりと顔を近づける。コレットは入口のドアを気にしつつも、そっと目を閉じた。
唇が重なる。
優しくついばむような、甘い口づけ。
思いを通わせてから数えることもできないくらい行われたその行為に、コレットはおずおずと答える。
何度も行われた行為でも、胸のときめきは苦しいくらいにコレットの体を支配する。
フィオンの手がコレットの髪に滑り込んだ。
深くなった口づけにコレットは驚く。今までにないくらいに強く求められ力が抜けそうになる。すがるようにフィオンの手に絡めた指に力を込めた。
ちゅっと唇を吸い上げられ、そっと舌でなぞられる。
ぞくりと背中が震えた。
ようやく解放され、コレットは肩で息をしながら、うるんだ瞳でフィオンを見上げる。
「そんな目で見られたら、止められなくなりそうだ」
そう言うと、フィオンはコレットをぎゅっと抱きしめた。
「続きは帰ってから。忘れないでね」
フィオンはコレットの赤く染まった耳朶に口づけ、そのまま耳元で囁く。
甘い痺れがコレットの全身を支配する。絡めた指を離せば、倒れてしまいそうなくらい体に力が入らない。
フィオンにもたれるように寄り添うと、コレットはこくりと頷いた。
離れるのを寂しいと思うのはコレットだって同じだ。
フィオンにも、自分を忘れないでいて欲しいと願いながら、コレットはフィオンの背に回した腕に力を込めた。




