69.恋の行方
「少しは落ち着いたら?」
「だって……」
そわそわと椅子から立ち上がったり座ったりを繰り返している姉に、アンリはため息をつきながら声をかけた。
バード公爵が訪問するとの連絡がはいってからずっとこの調子である。
コレットが誘拐されてからその後、何度かマカリスター男爵家を訪問していたフィオンだったが、コレットの具合が悪かったり眠っていたりでタイミングが合わず、結局あの事件後初めての再会となる。
コレットのお見舞いに来てくれたのに、本人と会うことができなかったということが何度となく繰り返された後の面会であるだけに、コレット自身は落ち着かない。
自分とは反対に、フィオンが来るといっても慣れた様子の弟は、椅子に座ったまま涼しげな表情で本に目を落している。
向かいに腰をおろし何か言いたげに自分を見ている姉に、アンリは読んでいた本から顔を上げた。
「何?」
「アンリは、前にフィオンさまがいらっしゃった時にお話したのよね」
「何度もうちに来ていただいたんだし、話ぐらいはするよ」
最初の頃でこそ王弟でありバード公爵でもあるフィオンの対応をするのは、男爵である父だったが、何度も訪問を受ければそれなりに親しくもなっていく。親しくなれば、もてなす際に挨拶をしない方が失礼である。
「フィオンさま、どのようなご様子だった?」
「は? 何が?」
「何って、その、私のこと何かおっしゃってた?」
「何かってそれは……」
以前、フィオンと会話した時のことを思いだし、アンリが言い渋る。それ以上何も言わないアンリに、コレットは不安になって身を乗り出した。
「アンリ?」
「……まあ、会えばわかる」
「これから会うから訊いてるのに。意地悪」
誘拐の際、助けてもらった時の記憶は、コレットの意識がもうろうとしていたため曖昧だ。さらに時間がたてば、あの時の告白も口づけも現実味が薄れていく。
すべてが自分の都合のいい夢だったのではないか、そんな不安が少しずつ生まれてきたこの時点での再会である。
さらに続けようとしたコレットの言葉は、フィオンの到着を知らせるメイドの言葉でかき消された。
それを聞いたアンリは、出迎えるべく椅子から立ち上がる。
「アンリ!」
「だから、会えばわかるよ。まあ、せいぜい頑張って。姉さん」
不安そうなコレットを後目に、アンリはにっこりとほほ笑み部屋をでた。
「もう、あんな言い方されたらもっと気になるのに」
つぶやくように言いながら部屋を出ようとして、コレットははたと気が付く。
「えっ? 今……」
初めてアンリに姉と呼ばれたことに、コレットはぱちぱちと目を瞬かせた。
「コレット、具合はどう? 体の方は大丈夫なのかな?」
マカリスター男爵夫妻やアンリを交えてあいさつを交わした後、コレットと二人になったフィオンはそう切り出した。
「はい、もう大丈夫です。何度もお見舞いに来ていただいたのに、ご挨拶もできず申し訳ございませんでした」
「そんなことは気にしないで。君が元気になってくれればそれでいいんだ」
病み上がりのコレットを気づかうように、フィオンは男爵家のサロンにあるソファにコレットを誘い座る。
見舞いの際に会えなかったことを気にしている様子はないフィオンの様子に、コレットはほっと胸をなでおろした。
「そうだ。これを君に返さないと」
思い出したようにそう言うと、フィオンは胸ポケットから綺麗な布張りのケースを取り出した。開けられたケースの中身に、コレットは大きく目を見開く。
それは以前フィオンからもらったムーンストーンのネックレス。
コレットをさらった犯人から逃げる際に、落してしまったあのネックレスがそこにあった。
「フィオンさま、これをどこで……?」
「君が閉じ込められていた場所で見つけたんだ。鎖が外れていたけれどちゃんと直したから、もう大丈夫。またつけてくれる?」
「はいっ……」
ネックレスを受け取る手に力がこもり、涙がにじむ。
「つけてあげるから、かしてみて」
ネックレスを受け取ると、フィオンはコレットの首に腕を回しネックレスを留める。コレットの胸元でムーンストーンがやわらかな光を浴びてとろりと輝く。
また自分の首元に戻ってきたムーンストーンのネックレスに、コレットはそっと指で触れる。
もう、戻ってこないと思っていた、大切な大切なフィオンからのプレゼント。
「ありがとうございます」
嬉しくて涙がこぼれそうになるのをこらえながら、コレットはフィオンを見上げた。
そんなコレットの様子に、フィオンは眩しそうに目を細めた。目が合えばとろけるような微笑みを浮かべ、コレットへの栗色の髪をゆっくりとなでる。
触れられた指の感触に鼓動が跳ねる。
ドキドキと早鐘を打つ鼓動とともに髪へと意識を向けていたコレットは、急にフィオンが自分との距離を詰めたことに気づくのが遅れた。コレットが反応するより早く、そっと頬に唇をよせる。
「フィ、フィオンさま!?」
「なに?」
フィオンの自然な様子に、コレットの方が戸惑う。
「えっと、あの……」
「どうしたの? 顔が真っ赤だよ」
「それはっ、フィオンさまが」
慌てるコレットの様子に、イタズラが成功した子供のようにフィオンは笑う。
「コレットの気持ちも聞いたことだしね、もう我慢しないことにしたんだ」
「えっ?」
「君からの告白、とても嬉しかった。僕のことを好きになってくれてありがとう」
おぼろげに覚えている告白の記憶と口づけ。
それが夢ではなかったことに、コレットの顔がさらに赤みを増していく。
フィオンはソファから立ち上がると、恥ずかしくてうつむいてしまったコレットに向き合うようにひざまずいた。
優しく自分の手をとるフィオンを見れば、真剣なまなざしで自分を見つめる彼と視線が絡む。
「コレット、君が好きだ」
握られた手に、力がこもる。
「君を愛している」
フィオンの甘い告白に、コレットの耳がちりちりと熱を持つ。
恥ずかしくて、でも嬉しくて。
まっすぐに自分を見つめるエメラルドの瞳に捕らわれたように、コレットは動くことができない。
「僕と一緒にいれば、また君に危険が及ぶかもしれない。今回の一連の事件のことで、君を傷つけることを言うものもいるだろう。本当は離れた方が今後の君にとってはいいのかもしれない」
「そんなこと……っ!」
フィオンの言葉を遮るように、コレットは立ち上がった。コレットに合わせるように、手を握ったままフィオンも腰を上げる。しっかりと向き合い言葉を続けた。
「それでも、僕は君と一緒に生きていきたい。僕のわがままだということは十分わかっている。それでも、コレット、君とともにそれを乗り越えていきたいんだ」
コレットの手を引き寄せると、フィオンはゆっくりとその手に口付けを落とした。
「コレット・マカリスター嬢、あなたを愛しています。僕と結婚していただけませんか?」
「私……」
すぐに頷いて、彼の胸に飛び込んでいきたかった。だが、その衝動をコレットはこらえぐっと体に力を入れる。
フィオンのことが好きだ。
ずっと彼のそばにいたい。その気持ちに嘘はない。
しかし……。
貴族の結婚は当人同士が好きだからと言って成立するものではない。父親の承諾もなしに、コレットの一存だけで返事はできない。
「コレット」
コレットの気持ちを察したかのように、フィオンが彼女の名を呼ぶ。
「君の気持ちを聞かせて欲しい」
「私の気持ち?」
「僕のことが好きでも、結婚はできない? 公爵妃は君にとって重すぎる荷だろうか」
寂しそうなフィオンの表情に、コレットは慌てて首を横に振る。
フィオンと結婚することは、公爵妃そして王弟妃として生きていくことを意味している。確かに他の女性のように完璧にこなすことはできないかもしれない。好きだからと言ってすべてを受け入れるには重い身分である。
だが、コレットにとって問題なのはそのことではない。
「コレット、他のことは何も考えなくていい。君の気持ちだけを僕に聞かせてくれないか?」
ゆっくりと諭すようなフィオンの口調に促されるよう、コレットは口を開いた。
「私でいいんですか?」
王の許可がなければ結婚はできない。
薬の事件のこともあり、王はフィオンとコレットのことにとても慎重な姿勢をとっている。結婚を認めてもらえないかもしれない。コレットの父であるマカリスター男爵も、これから説得していかなくてはいけないだろう。
そんな状況で、それでもフィオンが好きという気持ちだけで答えてしまってもいいのだろうか。
驚いたようにフィオンが目を開く。
と、優しくコレットに微笑みかけた。
「君がいいんだ。僕は他の誰でもない、君が欲しい」
「フィオンさまを愛しています。私も、私もずっと、ずっとフィオンさまと一緒にいたい。お側においてください」
「コレット、僕と結婚してくださいますか?」
「はい」
フィオンの顔に満面の笑みがこぼれた。
フィオンの輝く笑顔が眩しくて目を細めたコレットを、ぎゅっと抱きしめる。
温かい腕の中にすっぽりと納まり、フィオンの香りに包まれればくらりとめまいがしそうだった。
「ありがとう」
耳元でささやかれた言葉が心にすっとしみこんでくる。
フィオンのぬくもりが、自分を引き寄せる腕の力が夢でないことを確かめるように、コレットはフィオンの背に腕をまわした。おずおずと腕に力を込めれば、それに応えるようにコレットを抱き寄せるフィオンの手にも力が入ったことを感じる。
フィオンの腕の中で幸せな気持ちにひたりながら目を閉じる。
だが、ふと思い出したように不安が湧き上がり、それがコレットの口からこぼれ落ちた。
「お父さまは、なんとおっしゃるでしょうか……」
フィオンとのことに、父親はいつもあまり乗り気ではなかった気がする。
もちろん、王弟殿下からの正式な申し出となれば、マカリスター男爵家では断る術をもたない。しかし、断ることができないのと、納得できるかは別問題だ。
「大丈夫。もうマカリスター男爵の許可はもらっているから」
「許可、ですか?」
「そう。君との正式な婚約のね」
「えっ? いつですか?」
驚いて声を上げると、コレットは抱きしめられたまま顔を上げた。
そんなことは、父から全く聞いていない。
「君が眠っている間にかな。お見舞いでここにうかがった時にね。でも、最初に王宮に来ていただいたときにもきちんと話はしてあるよ」
意味がすぐには飲み込めず、コレットはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
惚れ薬を飲まされたと言われ、初めて王宮に男爵夫妻を招いたときということは、最初からフィオンはコレットの両親に結婚の打診をしていたということになる。
「最初……から」
「始めはね、すぐにうなずいてはもらえなかったんだよ。公爵妃となるのはコレットだから、君が僕と一緒にいる覚悟ができないときは諦めて欲しいと言われたんだ。このことは君には言わないようにというのが約束だったけれど、もうコレットから返事はもらえたから時効かな」
王弟であり、バード公爵であるフィオンからの申し出に、マカリスター男爵は断るすべがない。だが、そんな中で男爵は一つだけ条件をつけた。
コレットがフィオンのことを慕い、公爵家に入るだけの気持ちがもてたときには正式にお受けするが、そうでなければ諦めてやってほしいと。
惚れ薬が関わっていることとなれば、婚約についてすぐに頷くわけにはいかない。断ることなどできない立場であるマカリスター男爵の、ただひとつの抵抗だった。
親が反対しても、許可したとしても、結局フィオンの隣で人の目にさらされるのはコレットである。例えフィオンに望まれたとしても、コレットが彼のそばにいる覚悟ができなければ不幸になるのは彼女自身なのだ。
言われて、コレットははっとした。
両親が初めて王宮に行ったあの日。今後のことについて説明を聞いてきたとは言っていたが、詳しい内容は聞かされなかった。
フィオンの薬の影響がなくなった後について、コレットがフィオンに本当に求婚されているのではないと釘を刺されたとばかり思っていた。
だが、王宮から帰ってきた父親は渋い顔をしていたが、反対に母親はにこにことしてバード公爵は素敵な方だったと上機嫌だった。勘違いするなと釘をさされたのならば、母親の機嫌があんなによかったわけがない。
「今回の事件で君を危険な目に合わせてしまっているからね。許可してくださるのに戸惑いもあったようだけれど、最初の約束通り、君の意志に任せるとの仰せだったよ」
コレットがフィオンのプロポーズを受けたのなら、マカリスター男爵家としてもバード公爵家からの正式な申し出を受けるということで話はついていた。
すでに王からも許可をもらっている。コレットの気持ちさえ固まれば、反対する理由はない。
「男爵はコレットのことをとても大切に思っていらっしゃるね。素敵な父君だ」
「はい」
いつも、フィオンとのことに反対されているのかと思っていた。
だがそれは自分に対する最大限の愛情だったのだと思うと、コレットは胸が熱くなってくるのを感じる。
「コレットの気持ちも聞いたことだし、お父上にも陛下にも許可をとっているし、もう何も問題はないね」
「えっ? 王さまにもですか?」
「君がプロポーズを受けてくれたらという条件つきだけれどね。事件の混乱が収まるまで少し時間を置いてということだったけれど、春には正式な許可がもらえるよ」
にこにことほほ笑むと、フィオンはコレットを抱きしめ甘い香りを確かめるように髪に顔をうずめる。
抱擁を受けながら、コレットの頭にひとつの疑問が浮かび上がった。
(惚れ薬……は?)
薬の影響はいったいどうなっているのだろう。
解毒薬を飲んだというのに、全く変わりのないフィオンの態度。いや、コレットの気持ちを知ったため、それ以上に触れることに躊躇がない。
「フィオンさま。ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「いいよ。なに?」
「解毒のお薬、飲まれてましたよね」
「惚れ薬の解毒薬? 飲んだよ。君も見ていたよね」
確かに見ていた。
コレットだけではない、多くの人たちが証人となって確認したのだから間違いない。
だが、この状態は解毒薬を服用する前と変わらないような気がする。
いや、コレットの気持ちを知って遠慮がなくなった分、前より押しが強いような。もう、惚れ薬のせいなのかそうでないのか、コレットには訳が分からない。
コレットは回していた手を解くと、じりっと一歩後ろへ下がる。が、腰に回されたフィオンの手に力が入り、体はぴたりと密着したまま動かない。
「もしかして、コレットは僕の気持ちはすべて薬のせいだと思ってた?」
「えっと、その……」
少し責めるような、すねるような声でそう言われれば、頷くこともはばかれる。
「そうか。僕の気持ちは君に届いていなかったんだね」
「も、申し訳ありません。フィオンさまのお言葉を疑っていたわけではなくて、でも、あの……」
しょんぼりと肩を落としたフィオンに、コレットは苦しい言い訳を考える。そんなコレットの様子にフィオンの肩が小さく震えた。
フィオンが笑っていることに気が付き、コレットは真っ赤になってフィオンの胸を叩いた。
「もう、意地悪です」
「ごめん。君があまりにも可愛くて」
なじる言葉でさえフィオンの耳朶に甘く響き、ようやく手に入れたぬくもりにめまいがするほどの幸せをかみしめる。
「まあ、これから時間はたっぷりあるからね」
意味が分からず、コレットは小首をかしげた。そんな仕草もいちいち可愛い。
「僕が君にどれだけ夢中なのか、これからしっかりとわかってもらえるよう努力するよ」
これ以上彼の愛情をたっぷりと注がれたのならば、心臓がもたないかもしれない。早鐘を撃つ鼓動を感じながら、コレットは不安そうにフィオンを見上げた。
そんなコレットの様子に、フィオンはにっこりと微笑む。
「大丈夫。最初は手加減しておくから」
何を? という問いを発する前に、フィオンは唇を近づける。コレットが逃げないことを確かめるようにゆっくりと唇をよせた。
戸惑いを感じつつも、それを受け入れるためにコレットは恥じらいながらそっと目を閉じた。
甘く寄り添う二人からくるりと視線を外したロイドは、邪魔にならないようにと静かに部屋を後にした。
惚れ薬を盛られ、その解毒薬で倒れたフィオン。事件のあらましだけを見れば、薬の直接的な被害を受けたのは自分の主人であるバード公爵フィオン・アルファードである。
しかし、その被害者たる主人は、それを気にする様子もなく楽しんでいる節さえある。大変な人に好かれてしまうことになったコレットに対し、ロイドはなんだか申し訳ないような気持ちになってくる。
世の中には、知らない方が幸せなこともある。
惚れ薬の罠にもっとも嵌ることとなった未来の公爵夫人が、ずっと笑顔でいられるようにと強く願いながら、ロイドは廊下の窓越しに少し高くなった秋空を見上げため息をついた。
終
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




