67.許可
天窓からの光が入り、謁見室を兼ねた広間を明るく照らす。
ゆったりと肘掛け椅子に腰を下ろしていた王パリトリックは、目の前にいる弟に視線を移した。
「まったく、無理はするなと言っただろう」
事件の翌日、慌ただしく誘拐事件の報告に来たフィオンとはゆっくりと話す時間はなかった。
事件から数日たち、ようやく王都もいつも通りの落ち着きを取り戻した頃、再び王への謁見を求めたフィオンに対し王はため息交じりにそうもらす。
王都でギルダスの脱獄未遂があったために兵が遅れたことが一番の問題であるのだが、それにしてもである。少ない人数でどんどん先へと進み、揚句は川へと落ちたコレットを助けるために自らそこに飛び込む始末。これではフィオンを守るためにつけた護衛たちの身が持たない。
「コレットを助けるために最善の行動をとったつもりなのですが、ご心配をおかけして申し訳ありません。今後はもう少し気をつけますね」
そう言うフィオンの表情に反省の色はみじんも見えない。
きっとまたコレットに危険が迫ったのなら、同じ行動をおこすだろう弟に王はやれやれと肩をすくめた。
「まあ、いろいろとあったが犯人も捕まったことで、ようやくこの事件にも一区切りつく。ご苦労だったな」
コレットへの暴行襲撃に関わったギルダスは死亡、惚れ薬の主犯であるジェシカ・ランデルとその侍女トリーヌは捕獲された。
フィオンへ薬が盛られたことから始まった一連の事件は、一応の決着を見たことになる。
「実は、今日は兄上にお願いがあってまいりました」
「なんだ。お前は今回の件での功労者でもある。私でできることなら、何でも望みをかなえよう」
「本当ですか? よかった。兄上のご許可がいただけるのなら大丈夫ですね」
「いや、まだ内容を聞いておらぬ」
「ああ、そうでしたね。マカリスター男爵令嬢、コレットのことです。彼女との婚約をお許しいただきたいのです」
ぎょっとして、王はフィオンの顔を見た。
その原因をつくった当人は、涼しげな顔である。
「フィオン、それは……」
「婚約の許可は兄上にいただかないとどうにもならなかったので、少し不安だったのですがよかった」
にこにことして一人話を進めるフィオンに、王であるパトリックは顔をひきつらせた。
確かに望みをかなえるとは言ったが。
「フィオン、婚約というのは結婚を前提にということだ。わかっているのか」
「もちろんです。コレットのことは義姉上も気に入ってくださっていますし、王弟妃としての資質は十分ですよね」
フィオンが王弟妃として結婚相手に望むことは、王妃であるディアナと対立しない間柄であることだ。そのことはパトリックも十分承知している。
「だが、フィオン。薬のことがあった以上」
「兄上」
急に真面目な表情になったフィオンに、パトリックは言葉を止めた。
「惚れ薬の効果については、解毒薬を服用したことで問題はないはずです」
確かにそういう約束だった。
「兄上は、僕の相手がコレットではだめな理由がおありですか? 誰とだったら満足いただけるのでしょうか」
多くの貴族が納得するであろう、オースティン公爵家のアニエス。
だが、それはフィオンを王にと画策するオースティン公爵にその機会を与えることになる。
バード公爵家の親族であるモニカ・サーランドでは、フィオンを引き入れたい王弟派の貴族たちから、権力の集中を危惧する声が上がるのは必至である。
「マカリスター男爵は、とても信頼のできる人です。それは今までの言動からよくわかりました」
王家の意志をくみ取り、だが、それを利用して権力を得ようとするようなことはなかった。
あくまで貴族の一員として、自分のなすべきことがよくわかっている男爵は、十分信頼にたる人物だ。
「そして何より、伴侶として、僕にはコレットが必要です。愛しいと思う相手とともに生きたいと願うことは、許されないことですか?」
王はじっとフィオンを見つめる。
「バード公爵、フィオン・アルファードはマカリスター男爵令嬢コレットを妻とすることを望みます。他の誰でもない、彼女と一緒に生きていくことをお許しいただけないでしょうか」
ゆっくりと椅子から立ち上がると、パトリックはフィオンから視線を外し窓の外に目を向けた。
考えこむように一度目を閉じた後、振り返る。
「……今回の事件で、一番危険な目に合ったのはマカリスター男爵の娘だ。お前が彼女を望めば、これからも彼女に危険が及ぶ可能性は否定できない。表立っては口にせずとも、口さがない者たちは薬の影響について語ることだろう。それで苦しむのは、お前の愛する彼の人ではないのか?」
「わかっています。ですが、コレットと別れたとしても、影ながらの言葉は彼女を傷つけることになるでしょう。離れてもそばにいても起こるとするならば、僕はそばにいてコレットを守りたい。問題があったとしても彼女とともにそれを乗り越えて行きたいのです」
「お前はわかっていても、彼女はどうだ。彼女の意志は? それが男爵との約束だったはずだ」
「コレットの気持ちは聞いています。プロポーズはまだですが」
コレットを助けたあの日、彼女の自分に対する気持ちは聞いている。しかし、王の許可なければ、プロポーズをしてもコレットは素直に頷くことができないであろうことは容易に想像がつく。
難しい顔をしたまま、パトリックが押し黙る。
「……だめだ」
「兄上っ!」
「今はだめだ。半年後、春になるまで待て。その頃には犯人たちへの処分も終わり世間も少しは落ち着くだろう」
ぱっとフィオンの表情が輝いた。
「それまでにマカリスター嬢にプロポーズの返事をもらえれば、だがな」
「はいっ。ありがとうございます!」
満面の笑顔を向け、フィオンは王に深く頭を下げた。
フィオンが出て行った扉をじっと見つめた後、王は椅子の背もたれに体をあずけ大きくため息をついた。
結局、フィオンが結婚の相手に誰を選んだとしても、国内には必ず波紋が及ぶのは必至である。
それなら……。
思い至った答えに、王は口元を緩める。
王妃である妻の言葉が、王の耳にずっと残っていた。
フィオンが愛する人を失うかもしれないといったあの言葉。
誰を選んでも、フィオンはこれから王弟として彼を取り巻く貴族の中で戦っていかなくてはいけない。フィオンが誰を選ぼうと、国内の情勢は変わってくる。それならば、フィオンの相手は彼が望む相手であった方がいい。フィオンが王家とともに歩んでいくことを決めているなら、それとともに戦うのは兄であり王でもある自分の役目だ。
惚れ薬に本当に効果があったのか、どうだったのか。それは今となってはわからない。
ジェシカの使用した薬が得体の知れない薬師から買い取ったものだったため、今では惚れ薬の効果自体を怪しむ声が大きくなっている。
惚れ薬を服用した時と、コレットにフィオンが惹かれた時期があまりにもピタリと合いすぎていて惚れ薬の効果を皆が信じることとなったが、それすら本当に一目惚れであった可能性もあるのだ。
薬など、最初から効果がなかった。
そう結論付けて話を進めていくことも難しくない。
フィオンとコレットの婚約に反対の声が上がった際の対応についてそんな風に考えつつ、結局自分は弟に甘くなってしまうのだと、パトリックは自嘲するように薄く笑った。
マカリスター男爵家のコレットのベッドルームに案内されたエリサは、ベッドから起き上がろうとしたコレットを手で制した。
メイドの少女が用意した椅子に腰を下ろす。
「申し訳ありません。こんな格好で」
「女性同士ですし、そんなこと気になさらなくてもよろしいのよ」
ベッドの上で体を起こしているコレットに、エリサはなんでもないと首を振った。
「それより、お体の方はどうですの?」
「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
怪我自体は足に負った靴擦れと首の痣があるくらいで、命にかかわるような大きなものはなかった。ただ、攫われたことによる精神的な不安や、山道での逃亡、川へ落ちたことでの体への負担が大きかったらしい。しばらくの間熱をだし、寝込むこととなってしまったのである。
熱は下がったものの、心配性の父親にベッドルームから出ることを固く禁じられてしまい現在に至っている。今日のエリサとの面会も、コレットがベッドから出ないという約束でようやく許可が下りたところだった。
「でも本当に驚きましたわ。まったく、あの人もわたくしと会う時にコレットをさらうなんて」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「あなたがかけたわけではないのだから、謝らなくてもいいですわ」
エリサでなければ、コレットの到着が遅くなっても腹を立てるだけでわざわざ家にまで連絡をすることはなかったかもしれない。これが普段から仲良くしており、コレットが理由もなく遅れるわけがないことをよく知っているエリサだからこそ事件の発覚が早くなった。
「大変でしたけれど、これでやっと落ち着きますわね。それにしても、フィオンさまに惚れ薬を盛ったのが、ジェシカ・ランデルだったとはね。フィオンさまに全く相手にされていなかった分、全然気が付きませんでしたわ」
「そう……ですね」
今思い返してみれば、ジェシカのコレットへの敵愾心はかなりのものだった。
自分のしたことがきっかけでコレットとフィオンが近づいたとなれば、当初から苛立ちはかなりのものだっただろう。まわりがフィオンとコレットの仲を強く止めなかったことも、火に油を注ぐ結果となったのかもしれない。
「それにしても、結局薬の出所ははっきりしなかったのでしょう?」
「はい。町の薬師から購入したとおっしゃっているらしいのですけれど」
「その薬師が見つからないのではね」
ジェシカの侍女であるトリーヌが購入したといってはいるのだが、購入したのは野外であってのことで、薬師の住んでいるところがはっきりしない。
薬師との直接の面会はなく、仲介人である売り子は黒い髪の自分と同じくらいの女だったとのことなのだが、黒髪の女性などこの国に珍しい色ではない。国中の黒髪の若い女性を探し回ることはほぼ困難である。
ふと、自分を助けてくれた女の子も黒髪だったとコレットは思い返す。
兵がコレットのところに来るのに案内した女性がいたというのは聞いた。おそらく彼女だったのだろうと思うが、結局その後会うこともなくお礼を言うことはできなかった。
彼女自身が周りに存在を知られたくないようだったので、コレットから彼女について聞くには抵抗がありそのままになってしまっている。
だが、どうしてだろう。
またいつか会えるような、そんな気がする。
彼女が自分の前に姿を現すときは、コレットが危険にさらされる場合が多いので、あまり好ましくはない気もするが。
「それにしても、そんないかがわしいところで購入したものを、よく王弟殿下に服用させましたわよね」
エリサの言葉にコレットははっと思考をもどした。
「そうですね」
「命に別状がなかったからよかったものの、ひとつ間違えれば毒殺と同じことになっていたかもしれませんもの。厳しい処分は免れないでしょうね」
今では、惚れ薬自体の効果が怪しまれ、ジェシカとトリーヌの罪状は、王弟殿下へ得体のしれない薬物を盛ったということで話が進んでいる。
王弟殿下への薬物投与。
それ自体フィオンの命を奪う可能性もあったため、国家反逆罪ととられてもおかしくない。
これからジェシカとトリーヌは、厳しく取り調べをうけ罰せられることだろう。
ジェシカの犯行を助けた罪とコレットへの暴行の指示をしたギルダスはすでに亡くなっているが、これから罪人として名を連ねることになる。ギルダスに雇われたウォーレスも、ギルダス脱獄への荷担とコレットへの暴行について罪が確定している。直接手を出したわけではないが、ジェシカとトリーヌをかくまったランデル子爵にも何らかの処罰が下されるだろう。
薬師は見つかっていないが、王都における怪しげな商売に目を光らせるということで、この一件には決着がつきそうだった。
「それで、助けていただいたときフィオンさまにはお会いしましたのよね?」
「は、はい。でも、危ない状況でしたし、私も川に落ちて意識を失ってしまったので、そんなにお話はできませんでした。フィオンさまがお見舞いに来てくださっても、体調が悪くてお会いできませんでしたし」
「そう。でも、次にお会いしたらちゃんと自分の気持ちをお伝えするのよ」
「えっ? あ、はい……。そうですね」
コレットの様子に、エリサはピクリと眉を動かした。
話していないというわりには、様子がおかしい。
「何かありましたわね」
救出されたときに。
「いえ、その、あの……」
自分でも訳が分からない状態のまま告白したことと、その後のフィオンの行動を思いだし、コレットの顔が朱に染まる。
そんなコレットの様子にエリサはにっこりとほほ笑んだ。
「コレット」
「はい」
「わたくし、友人としてずっとコレットとフィオンさまのことを気にかけておりましたのよ」
「はい。それは、とても感謝しております」
「ずっと応援していたのですから、結果はしっかりと報告していただかないと」
にこにこと話すエリサに逆らえるはずもなく、コレットは耳まで真っ赤に染めながら頷くしかなかった。




