66.告白
ぎゅっと温かいぬくもりに包まれたと思ったのは、夢だろうか。
ぼんやりとした意識の中、コレットは息苦しさを感じ大きく咳き込んだ。背中を温かいぬくもりがさすってくれるのを感じる。
何とか呼吸を整えると、肩で息をしながらうっすらと目を開けた。
「コレットっ! 僕がわかる?」
「……フィオンさま?」
少しかすむ目の前にあったのは、優しいエメラルドグリーンの瞳。
必死の表情で自分を見つめる瞳は、コレットがずっと会いたくて会いたくて仕方のなかった人のものだ。
「どこか苦しいところとか、痛むところは?」
ぼんやりとした意識の中、コレットは何とかフィオンの問いを飲み込むとゆるく首を振った。
体は重くて、寒気を感じる。
しかし、体に怪我をしているような痛みを感じることはなかった。
「戻ろう。このままでは風邪をひく」
コレットから体をはがし、フィオンは自分の来ていた上着を彼女にかけた。
「戻る道を確認してくる。ごめん、少しここで待っていてくれ」
暗くなる前にここから移動し、兵士たちと合流する必要がある。本格的に夜を迎えれば発見は遅れる。森の中の移動も時間を要することになるだろう。
川に落ちたコレットを長時間森の中に置くわけにはいかない。
コレットにそう告げると、フィオンはあたりの様子を確認するように首をめぐらせた。立ち上がろうと体を動かす。
自分から離れようとしたフィオンの姿が、夢と重なった。
「いや……」
つぶやくようにコレットの口が動いた。
「いやです……」
今度ははっきりと聞こえた声とわずかに服に感じた抵抗に、フィオンははっとしてコレットに視線を戻した。
コレットが、フィオンの服をしっかりと握っていた。彼にとってはわずかな力。だが、うるんだ瞳で自分を見上げてくるコレットに、フィオンはそれ以上動けなくなる。
「行かないで……」
わずかに聞こえるだけの小さな声。
まだ胸で浅く呼吸を繰り返しながら、コレットは何とか言葉を紡ぎだした。
フィオンは、コレットに向き合うように腰を落した。
「苦しい? 足場を確認したらすぐに戻ってくるから。早くここから移動して手当をしないと」
夏とはいっても、森の中の水の温度は低い。
日も落ちかけている今、木々の間をわたっていく風は冷たい空気をはらんでいる。濡れたままでは風邪をひいてしまう可能性が高い。
小さい子供に言い聞かせるように、フィオンは優しく話しかける。しかし、コレットはその言葉にただ首を横に振った。
川に落ちたからなのか、体が鉛のように重い。それは、水を含んだ衣服が張り付いているせいばかりではない。
夏の日。
本来なら心地よく感じるであろう夕暮れ時の風は、容赦なくコレットの体温を奪い、体力を削っていく。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
フィオンが目の前にいる。
会いたくて、会いたくて仕方のなかった相手が、今手の届く場所にいる。
そう思ったら、もう何も考えられなかった。離れたくない。ただその一心で、フィオンの服を無意識につかんでいた。
「コレット?」
どうしたのかと名を呼ぶ。
「行かないで……ください」
もう、私から離れて行かないで。
ずっと、ずっと苦しかった。
フィオンの気持ちがわからなくて、でも信じていたくて。
会いたくて、でも会うことも、会いに行くこともできなくて。
それでも好きだという気持ちは、消せないばかりかコレットの中でどんどん大きくなっていく。
好きで、好きで、もう自分ではどうしようもなくて……。
「ずるい……」
「え?」
「フィオンさまは、ずるいです。私、ずっと、ずっと駄目だって思ってたんです」
出会った頃、ずっと彼を好きになってはだめだと思っていた。
それでも、フィオンはコレットが離れようとする何倍もの速さで、コレットの心の中に入り込んできた。
こんなに好きにさせておいて、薬の効果がなくなったらそれで終わりだなんて、そんなのはずるい。
「フィオンさまを好きになってはだめだって、ずっと思っていたんです。ずっと、ずっとがんばってて……。それなのに、こんなにフィオンさまのことしか考えられなくさせておいて、離れようとするなんてずるい」
もう、自分が何を言っているのかコレットにはわからなくなってきた。
頭がぼうっとしてきて、体が辛くって。
でも、体の辛さよりも、心が悲鳴を上げている。
もっと何か言葉を紡ごうとするが、それを止められるようにそのまま強く引き寄せられた。
コレットの濡れた髪に手を滑り込ませ、わずかに離れることすら許さないというほどに、痛いほど強く抱きすくめられる。
「……フィオン……さま?」
コレットに名を呼ばれ、フィオンは少しだけコレットから体を離した。
額がつきそうなほど間近にコレットの顔を覗き込む。
濡れたコレットの髪を後ろにそっと流すと、そのまま彼女の頬を両手で包み込む。手を添えて、まっすぐに自分の方へと顔を向けさせる。
「コレット、正直に答えてほしい。僕のことをどう思っている?」
「……」
「答えて」
真剣な瞳で、懇願するようなフィオンの問い。
そらすことさえ許されないエメラルドの瞳にとらわれてしまったかのように、コレットは想いを口にする。
「……好き」
一度口にすれば、もう止まらない。
「好き。あなたのことが、好きです。私……」
言い終わらないうちに、コレットの唇に熱いほどのぬくもりが落ちてきた。
体が震え、わずかに唇が離れる。そんなわずかな距離をつめるように、ぐいっと引き寄せられ再び唇が重なった。
目を閉じれば、他のことはすべて遠くに感じられ、ただ唇に落されるぬくもりを一層強く感じている。
苦しいのは、口づけのために呼吸を奪われているからなのか、それとも壊れそうなくらいに高鳴る鼓動のためなのか、コレットにはもうわからなかった。
ただわかるのは、フィオンが愛しいと思う気持ちだけ。
わずかに唇が離れ、間近でフィオンと見つめあう。愛しくて愛しくて、恥ずかしいと思うことも忘れて、コレットはフィオンを見つめ返した。
「コレット、君が好きだ。もう離さない」
フィオンの言葉に視界が揺れた。涙がこぼれるよりも早く、そっと顎に手を添えられると、吐息さえからめ捕られるかのように再び口づけが落される。
唇が熱い。
フィオンに触れられている場所から、体の奥から熱が宿るのを感じる。
その熱に捕らわれて体の力が抜けそうになるのをこらえるように、コレットはフィオンにすがりつく手に力を込めた。
フィオンの腕の中で、コレットはくったりと意識を手放した。
拉致されたことでの極度の緊張に加え、川へと落ちたことで体にかなり負担がかかっていたはずだ。助けられて緊張が緩んだということもある。
先ほどまで自分と重なり合っていたコレットの唇に、そっと指で触れた。
それだけでじんと胸が熱くなる。
コレットを危険な目に合わせた原因の一つは自分だ。それは十分に分かっている。だが、彼女の想いを聞いてしまえば、もうどうしたってコレットを手放せそうになかった。
フィオンは壊れ物を扱うようにそっとコレットを抱き上げると、川の上流にむかって歩を進めた。途中、フィオンとコレットを捜索していたロイドと兵たちと合流し、先ほどの小屋まで戻る。
「フィオンさま。ご無事でなによりです」
フィオンの姿を見つけると、隊を率いていた兵士が急いで近づき頭を下げた。
「ジェシカ・ランデルの拘束が遅くなり、このような事態となってしまい申し訳ございませんでした。ご処分はいかようにもお受けいたします」
「謝罪は後で。それで、現状は?」
「事件の容疑者、ジェシカ・ランデルとその侍女トリーヌ、そして彼らを手助けしたウォーレス・ビーンは拘束済みです。ギルダス・ドーズについてはすでに絶命。ウォーレスの配下の男もすでにこと切れています」
報告した兵士が指示す先には、ジェシカとトリーヌ、そしてウォーレスが動けないように縛り上げられていた。
近づいたフィオンに、ジェシカが顔を上げる。
「フィオンさま……」
「まったく、事件を大きくしたね、君も」
「わ、わたしはただっ! ただ、フィオンさまに好きになっていただきたくて。ただ、それだけだったんです!」
「それだけだったら、コレットに危害を加える必要なんてあったのかな? 周りも見えず、人を傷つけようとする人間を僕が好きになると思っていたのなら、見くびられたものだね」
「それはっ……!」
「ジェシカ嬢、よく自覚するといい。君の軽はずみな行動が、浅はかな願いが、ランデル家を滅ぼし、そして君の叔父の命を奪ったことをね」
フィオンの言葉に大きく目を見開くと、ジェシカはぐったりとうなだれた。
用意された馬車に気を失ったままのコレットを移動させる途中、フィオンは思い出したように兵士に声をかけた。
「そういえば、よくこの場所が特定できたね。ああ、コレットを監禁していた男を連れて行った者から話を聞いたのか?」
フィオンと行動していた案内の男が検問所まで行って知らせたにしては、兵士たちが来るのがあまりにも早かった。
「いえ? 彼らはそんなに詳しい場所までは知りませんでした。別に情報の提供者がいたのです」
「他の情報提供者?」
「女性がこの小屋で具合が悪くなっているから助けてほしいと。特徴からマカリスター男爵令嬢と一致する部分が多かったため、こちらにも兵を向かわせた次第です」
「その人はどうした?」
「はい。ここに案内するために一緒に来ています」
くるりと兵士はあたりを見回す。
「あれ? どこに行ったかな。確かに先ほどまで一緒にいたのですが。このあたりに住んでいるものなのか、かなり道にも詳しい女で」
「……黒髪の?」
「えっ? ああ、そうですね。帽子をかぶっていましたが、確かに髪は黒かったかもしれません。その者をご存じで?」
「まぁ、面識はないけどね。だいたいはわかってきたかな」
「はあ」
それ以上は何も言わず馬車に乗り込んだフィオンに、兵士は訳も分からず首を傾げた。




