65.足掻き
何が起こったのか、よくわからなかった。
先ほどの銃声が嘘のようにあたりがしんと静まる。
ロイドがコレットから素早く離れると、深く頭を下げた。
「ご無礼を」
「いえ……」
状況のわからないまま、コレットは体を起こしあたりを見る。
先ほどまでフィオンが立っていた場所に視線をめぐらせれば、そこに彼はいなかった。少し離れた場所に倒れているフィオンに気が付き、コレットの体から血の気が引いていくのが分かる。
(撃たれた? フィオンさまが……?)
コレットの体がぶるぶると震えてくるのが分かる。いてもたってもいられず、コレットはフィオンに向かって走り出した。
すぐそばにギルダスがいるとか、まだ周りに危険があるかもしれないなんてことはもう頭にはなかった。倒れているフィオンしか目に入らず、彼が無事かどうか以外何も考えられない。
「フィオンさまっ!」
コレットがフィオンのそばに跪く。コレットが触れようとした直前に、フィオンが体を起こした。乱れた髪を軽くかきあげると、そばにいるコレットに気づきにっこりと微笑む。
「お怪我は!?」
銃声に混乱しているコレットは、恥ずかしいと考える余裕もなくフィオンの無事を確かめるように彼の体に触れた。
どこも血を流しているようには見えない。だが、今見えていないだけで怪我をしているのかもしれない。
自分に触れるコレットの手を、フィオンは優しく握った。
「大丈夫。ごめん、心配させたね」
手から伝わる確かなぬくもりに、コレットの目から涙がこぼれた。あふれる涙を止めることもできず、コレットは手で顔をおおう。
「さっきの銃声はギルダスのものじゃない」
「えっ?」
フィオンの言葉に、コレットは顔を上げた。
それ以上何も言わず、フィオンはコレットの手をとり立ち上がった。フィオンが視線を向けた先にコレットも自然と目を向ける。
先ほどまでこちらに銃を向けていたギルダスが、そこに倒れていた。起き上がる気配はない。
コレットの後を追ってきたロイドが、倒れたときにギルダスが落した銃を拾い上げ彼を見下ろしていた。
「来たね」
フィオンの独り言のようなつぶやきをコレットが理解する前に、あたりに複数の足音が聞こえる。駆けつけたたくさんの兵士たちが、倒れているギルダスやウォーレスたちのまわりを取り囲んだ。
その中の兵士の一人がフィオンのそばに近づくと、膝をついて頭を下げた。西の検問所に行く前にフィオンと別れ王宮へと戻った兵士である。
「お怪我はありませんか、バード公爵」
「ああ、問題ない」
「公爵のおそばに銃口を向けた事、誠に申し訳ございません。しかしご無事を確保するためには、こうするしかございませんでした」
「君たちは自分の仕事をまっとうしたのだから、気にする必要はないよ」
王弟殿下に銃弾が当たる可能性のある場所への発砲は、一歩間違えば不敬罪である。
しかし、今回は非常時であり、彼の命を守るための行為だった。その上フィオンがその状況を促したようなものだから、問題はない。
フィオンはギルダスが倒れている方に目を向けた。
先ほどの発砲により、ギルダスには数発の銃弾が撃ち込まれている。息も絶え絶えで倒れたギルダスは、体を動かすこともできずただ虚空を見つめていた。
「叔父さまっ!」
半狂乱になったように、ジェシカが叫びながら走ってくるとギルダスにすがりつく。
兵が引き離そうとするが、腕を振りかざし大きく抵抗する。
「自業自得とはいえ、何ともやりきれませんね」
自分の我がままから端を発した事件のせいで、王都を追われ、目の前で叔父が銃弾に倒れるという結果につながったのだから、そのショックたるやかなりのものだろう。
「同情の余地はないよ。すぐに彼らを拘束するように。今度こそ逃げられないようにね」
同情的な言葉をもらした兵士にそう残し、フィオンはギルダスへと近づいた。銃弾を受け、かろうじて息をしているだけのギルダスを見下ろす。
「何か言い残すことは?」
じっとギルダスはフィオンを見つめる。
口をわずかに動かすが、言葉を紡ぐ前にゴポリと咳き込むと大量の血を吐き出す。その後何も言わずに、ギルダスはフィオンから視線をはずした。
荒い呼吸が短くなり、音を止める。そのまま虚空を見つめたまま、ギルダスは動かなくなった。
「……叔父さま? 叔父さまっ!! いやーーーっ」
ジェシカの悲鳴にも似た声だけが、森の中に響き渡った。
「怖かった? もう大丈夫だからね」
フィオンに優しく声をかけられ、コレットはっと我に返った。
目の前の出来事への衝撃で、体が震えていたことにようやく気が付く。
彼らがコレットにしたことを思えば、今の状況は同情はできない。自分への危険要素がなくなったことは確かなのだろうが、なぜか喜ぶことはできずやりきれないような気持ちだけが広がっていった。
泣き叫ぶジェシカを力なく見ていたコレットに触れるよう、フィオンが手を伸ばす。が、何かに気が付いたようにその手を止めるとぎゅっと握りしめた。
そのまま手を下し、近くにいた兵士に声をかける。
「彼女を安全な場所へ移動させたい。馬車の準備はすぐにできる?」
「先ほどここから馬車で去った男を近くに引き留めてありますので、すぐにご用意できす」
「わかった。準備を頼む」
「はっ」
兵士が去るのを確認すると、フィオンは近くにいたロイドを呼ぶ。
「ロイド」
「はい」
「馬車の準備ができるまで、コレットを休ませたい」
「わかりました。ではあの小屋のあたりで、お座りになれる場所を確保いたします」
「頼んだよ」
フィオンに頭を下げると、ロイドはコレットへと近づいた。
「コレットさま、ご案内いたします。どうぞこちらに」
そう言うロイドの様子に、コレットは近くにいるフィオンを見上げた。フィオンは優しく頷き、コレットへ行動を促す。
コレットが小さくうなずくと、フィオンは静かにコレットから離れた。
声をかけることもできないまま自分から離れて行ったフィオンを、コレットは目で追う。
先ほどギルダスに銃で撃たれた兵士に声をかけ、その怪我の具合を確認している彼を見ながら、小さくため息をついた。
会いたくて仕方のなかった人。
助けに来てくれた時の彼は、以前と同じ瞳でコレットを見てくれたと感じられたのに、どうしてだろう。なぜか今はフィオンとの間に距離を感じてしまう。
いつもコレットが近くにいるときは、フィオンは彼女のそばにいた。もちろん、今はそんなことを言っている状況ではないことは分かっている。それでも、フィオンの行動がよそよそしく感じてしまうのは気のせいだろうか。
助けに来てくれたのは、まだ自分を大切に思っていてくれているからなのだろうか。それとも、事件に巻き込んでしまったことへの責任感からなのか。
コレットは混乱の中、ロイドが休息できる場所へと促す言葉も耳に届かないまま、その場にじっと立ち尽くしていた。
兵士の間を人影が動いた。
力なく座り込みギルダスにすがり泣いていたジェシカの急な行動に、兵士たちの反応が遅れた。彼らの手をすり抜け、ジェシカはただ一点に向かって走っていく。
ただひとりの人を欲しただけだった。
その人の隣にいて、自分にだけ笑いかけてほしかった。
でも、そのままでいて自分が選ばれないこともよくわかっていたのだ。
好きで、どうしても彼が欲しくて、だからこそ禁断の薬にまで手を出した。
だが、それももう終わりである。
自分のために力を貸してくれた叔父はもういない。
フィオンにその事実を知られ、これから自分もこの事件で取り調べを受けることだろう。厳しい処罰がくだるかもしれない。
だが、その前にやっておくことがある。
気づいたときには自分の目の前にいた。
髪を振り乱し、赤く腫らした目がひたりと自分を見据えている。ただひたすらに憎しみをたたえた目に、鬼のような形相に、コレットは動くのが遅れた。
コレットが逃れるように体を引くよりも早く、ジェシカの手がコレットに伸びた。
彼女のどこにこんな力があるのかというものすごい力で、腕をつかまれる。
「あなただけ残るなんてゆるさないわ」
地の底を這うような声音。それが聞こえたかと思うと、コレットは引きずられるように腕をひかれる。ロイドが二人を捕まえようとした直前、ものすごい力でコレットは突き飛ばされた。倒れないようにと力を入れた足が、ずるりとすべる。
ふわりと、体が宙を舞う。
何かにすがろうと伸ばした手は空をきり、足元から地面が消えた。景色がゆっくりと離れていく。
水音が、あたりに響いた。
一瞬のうちに目の前で起こったことに、皆が信じられずに動けなかった。コレットを突き飛ばしたジェシカが、数人の兵士に取り押さえられながらその場にへたりこむ。
その音を聞いた途端、フィオンは持っていた剣をその場に突き刺すとまっすぐに音の方へと向かっていく。
「フィオンさまっ!」
ロイドが自分を引き留めようとする声が聞こえたが、それを聞き終わる前にフィオンはコレットの後を追って川へと飛び込んでいた。
夏とはいえ、森の中を流れる水はかなり冷たい。
夕暮れ時、木陰となる場所は薄暗く視界を遮っていく。
速い流れの中コレットの来ていたモスグリーンのドレスが視界にはいる。水に映る木々の緑に隠されそうになるそれに、フィオンは必死に手を伸ばした。何とかコレットに追いつくと、フィオンは彼女を抱きかかえるようにして川岸へと上がる。
意識を失っているようだが、息はあった。
名を呼べばわずかに身じろぎするコレットに、フィオンはほっと息を吐く。怪我をしていないか確認しながら、フィオンは苦しそうに眉根を寄せた。
先ほどコレットに手を触れようとしたときにはっきりと見えたそれ。コレットの首には、先ほど絞められた跡がくっきりと赤く残っていた。その上、頬は赤みを帯び少し腫れている。誘拐されてここまでどれだけ苦しい思いをしたのかと想像するだけでフィオンの胸に痛みが走る。
そうなのだ。
もとはといえば、その原因はすべてフィオン自身にある。そんな自分が、この手に触れる資格を持っているのだろうか。
薬の一件があったにしろ、フィオンがコレットを望まなければ、二人の距離を縮めようとしなければ起こらなかったことなのだ。
コレットに苦しい思いをさせることも、こうして命の危険にさらすこともなかったのなら。
コレットを抱いている手に力がこもった。冷たくなった手をギュッと握りしめる。
この手を離したくはない。
だが、自分が彼女を望む限りこれからもコレットにこのような危険が付きまとうことになるのかもしれない。
コレットがフィオンのそばにいる。
それはフィオンにとってはこの上もなく幸せなことだ。だが、コレットにとってはどうなのだろう。
コレットがフィオンと共にいることを望んでいないのなら、彼女にとって自分といることは不幸なことなのではないだろうか。
(コレットを僕から解放する時なのかもしれない……)
コレットを抱きしめたまま、フィオンは苦しげに息を吐いた。




