64.対峙
血が沸騰するかと思うほどの怒りが、全身を支配した。
コレットがいる場所にたどり着き、救出のための指示をだしたフィオンは、自分の目に飛び込んできたその光景にぴたりと言葉を止めた。
何があったのかとフィオンの視線の先に目を移したロイドが、それを認識する前にフィオンの体が動く。慌てて兵士と案内役に行動開始を告げると、ロイドは急ぎフィオンの後を追った。
素早く剣を抜きながら、フィオンはまっすぐコレットを拘束している男に向かって行った。急に現れた人の気配に気が付き、ウォーレスが振り向く。
コレットを拘束し首を絞めていたウォーレスは両手がふさがっているため、フィオンへの反応が遅れた。フィオンはウォーレスとコレットの間に素早く割り込むと、ウォーレスが手を離す前にその手を斬りつける。
うめき声を上げ深く切り付けられた腕を抑えながら、ウォーレスは膝をついた。何が起こったのかとウォーレスが顔を上げるより早く、フィオンより一歩遅れて来たロイドが押さえつけ、彼の上着を利用して素早く後手に縛り上げていく。
ウォーレスの手から離れその場に崩れ落ちそうになったコレットを、フィオンはその手に抱きとめた。恐怖で体を強張らせるコレットに優しく声をかける。
「もう大丈夫だよ」
耳元でそう言えば、コレットが驚いたように顔を上げた。
「フィオン……さま?」
状況がまだ飲み込めていないように不安な表情を浮かべたまま、自分の名を呼ぶ。
「うん。ごめん、遅くなったね」
安心させるように声をかけ、それでもやっと手にした愛しいぬくもりに、抱きしめていた腕に力が入る。
今確かにこの腕の中にコレットがいる。そのぬくもりが、コレットの存在と無事を確かなものに感じさせ、フィオンの心を満たしていく。
もう一度無事を確かめるように、フィオンは少し体を離しコレットの顔を覗き込んだ。涙でぬれた頬をそっと指で拭う。
再び抱きしめたい衝動をぐっとこらえ、フィオンはコレットを促し立ち上がった。
コレットをこの腕に取り戻したといっても、まだすべてが終わったわけではない。このまま再会をただ喜んでいる時間はない。
先ほどの恐怖がまだ残っているためか、ふらつくコレットを片手で支えながら、フィオンは真っ直ぐにある人物に視線を向けた。
ギルダス・ドーズ。
ここにいるはずのない人物。確かに今朝まで投獄され取り調べを受けていた彼が、そこにいた。
彼の後ろ、少し離れたところにジェシカたち三人が立つ。そのそばには、フィオンと供に来た兵士が立ち、ウォーレスの仲間に長剣を向け対峙している。
ウォーレスが拘束された様子を横目で見ながら、ギルダスはゆっくりとフィオンに向き合った。
「ここを突き止められるとは、さすが、と申しておきましょうか」
聞こえた声に、現状を思い出したコレットの体が震えた。
震えるコレットの髪を優しくなでると、フィオンは自分の背に隠すように立つ。
「よろしかったのですか、味方を一人逃がしてしまって。馬車や馬はあなた方にも必要だったのでは?」
「それで君たちを足止めできるのならね」
フィオンとギルダスの会話を聞いて、コレットはフィオンの後ろからそっとあたりを見渡した。
言われてみれば、ギルダスたちがここに来る際に乗ってきた馬と、ジェシカたちが乗ってきた馬車が姿を消している。先ほどの馬車の音は、彼らが立ち去った音ではなく、フィオンの仲間が馬車と馬をこの場から解き放った音だったらしい。
ギルダスは知らないが、馬車に乗って逃げたのはここまでフィオンたちを案内してきた男である。皆の意識をコレットから逸らさせ、彼らの逃亡を阻止する以外にも目的があった。
案内役のため戦闘には向かない。しかし、その地理の詳しさから薄暗くなった森でも道を間違えずに検問所まで戻ることができ、いち早くこの場所を正確に知らせることができる。
「私がここにいることに、驚かれないのですね」
「十分に驚いているよ。よくあの警備の中を逃げだせたと思ってね。そう、ジェシカ嬢、君も」
ギルダスの後ろに隠れるようにしていたジェシカは、フィオンに見られ視線をそらせる。
好きだからこそ、会いたかった。
だがジェシカにとって、好きだからこそ今は会いたくなかった相手である。
「私を手助けしてくれるものは、こんな状態になってもまだいたということですよ」
「ウォーレス・ビーンか」
フィオンは先ほど自分が切り付けた男をちらりと見た。
「自白をしなかったのは、これが目的か」
「まったく、兄がいろいろと話してしまって困りましたよ。カイサルが死んでいるのなら、自白をしなければまだ策も練れたというものを」
「ランデル子爵は、おまえよりも判断を誤らなかったということだ。協力しなかった時の方がリスクは高いからね」
「それだから、出世もままならないのですよ」
ギルダスの余裕の表情にロイドは眉根を寄せた。王弟であるフィオンに対し、ギルダスの尊大な物言いが気になる。
「先ほど私たちを逃がさないためとおっしゃいましたが、それはあなた方も同じ。ここから立ち去ることはできない」
言い終わらないうちに、ギルダスは自分の懐から銃を取り出し、銃口をフィオンへと向けた。
兵士がギルダスに向かおうとしたのを、ウォーレスの仲間が邪魔をして阻む。ウォーレスを縛り終えたロイドは、慌ててフィオンのそばへと駆け寄った。守るために前へ出ようとしたロイドを、フィオンは手で制す。
「ロイド、君はコレットを守れ」
「ですが……」
「僕は大丈夫だから」
そう言って不安そうにフィオンを見るコレットに微笑みかけると、その手をロイドへとあずけた。
「方をつける。少しだけ待ってて」
焦るでもないフィオンの様子に、ギルダスはぴくりと頬を動かした。
「私があなたに危害を加えられないとでもお思いか? あなたたち全員を葬れば、我々は人知れず逃げることができる」
「王弟殿下への攻撃は極刑。それを知っての行動ですか?」
ロイドの言葉に、ギルダスはふんと鼻を鳴らした。
「監獄の看守をしていた私が知らないとでもお思いか。だが、すでに私は王家から罪を問われている身、どちらにしても大した差はない。そう思いませんか」
ギルダスが一歩フィオンに近づいた。
ロイドの体が反射的にわずかに動いたことに気が付き、ギルルダスは声を張り上げる。
「動ごけば、あなたの主人が銃弾で倒れることになりますよ」
「彼が動かなくとも、君が僕たちを見逃すとは思えないけれど?」
ギルダスの言葉に一瞬ひるんだロイドのかわりに、フィオンがそう付け加えた。
「ですが、少しくらいは命の期限を延ばして差し上げますよ。最後の言葉を残す時間くらいは」
ギルダスの様子に警戒した兵士が体の向きを変えるが、男がその隙をみて剣を振り回したため、再びそちらに向き直る。王弟殿下の危機である。一刻の猶予もないと兵士が男を切り捨てると、その近くにいたトリーヌの悲鳴があたりに響いた。
その悲鳴にギルダスが振り返る。自分に向かってくる兵士に気が付き、ためらいなく銃の引き金を引いた。
放たれた銃弾が当たり、兵士はその場に倒れ込む。兵士の持っていた剣が音をたてて滑り落ちた。
何とか立ち上がろうともがくが、脇腹に銃弾を受け体に力が入らない。しかし、このまま倒れている場合ではない。剣さえ手にすれば、それを支えに立ち上がることができると、地にはったまま落した剣に手を伸ばす。手が触れるかと思った刹那、すいっと剣が動いた。
視線をあげればジェシカが両手で剣の柄を握っていた。ジェシカにとってはかなり大きな長剣である。まともに持つことすらできず、ずるずると引きずるように剣を兵士から引き離す。
「……お嬢さま?」
茫然としていたトリーヌがジェシカに声をかけた。
ジェシカが剣を持っても、この重さではまともに持つこともできない。もとより剣のたしなみなどないジェシカには、これにより戦うことは不可能である。何をしているのだろうか。
剣にはウォーレスの仲間の男を斬った時の血が付着している。先ほどのことを思いだし、トリーヌはぶるりと震えた。
「わたしだってこのくらいのことはできます。倒れた男の武器を奪うくらいのことはね」
怪我しているとはいえ相手は戦い慣れた兵士である。彼が剣を再び手にすれば、今度はその狙いをジェシカやトリーヌにも向けてくることだろう。ものすごい形相で兵士がトリーヌを睨む。
それに怯えることもなく、ジェシカは彼の手の届かない場所に剣を捨てた。
兵士を撃つためにギルダスがフィオンから視線を外した一瞬を見逃さず、フィオンは一気にギルダスとの距離を詰めた。
ギルダスが振り向くとほぼ同時に、銃を持っていた腕に剣を振り下ろす。
わずかにギルダスが後ろに下がったため、剣は腕をはずれて銃にあたった。ガツンという鈍い音が響き、ギルダスの手にびりびりとした衝撃が走る。その衝撃に耐えきれず、銃が手からこぼれ落ちた。
ギルダスが拾い上げるより先に、フィオンは銃を蹴りあげる。そのまま流れるような動きで、フィオンはギルダスの喉元に剣を当てた。
「そろそろ観念してみる?」
「そうですね……とでも、言うとお思いか!」
素早くしゃがみ込むと、ギルダスはフィオンの足に強い蹴りを繰り出す。
それをフィオンがかわし再びギルダスに向かう前に、くるりと体を翻しさきほどジェシカが捨てた剣を拾い上げた。
フィオンの剣がギルダスの背中を貫くと思われた次の瞬間、ギルダスは弧を描くように体をひねりフィオンに剣を向けた。
フィオンの剣と交わり、あたりにキンッという金属音が響く。
フィオンとギルダスの攻防に、コレットは祈るように自分の手を胸の前で組んだ。
フィオンの方が優勢に見える。しかし、ギルダスもフィオンの剣を的確に受けて防いでいる。わずかな動きでさえフィオンの邪魔になるような気がして、まったく動けぬまま事態を見守ることしかできなかった。
あたりの木々が風に吹かれざわざわと揺れる。
一瞬フィオンの視線がギルダスから逸れた。
それを見逃さず、ギルダスがフィオンへの交戦を強めていく。川の近くまで来るとギルダスはにやりと笑った。
「川へ落しただけでは効果は薄いことはわかっています。今度はカイサルのときのような失敗はしません」
じっとギルダスを見ていたフィオンは、自分の持つ剣をすっと下ろした。その様子にギルダスは怪訝そうに眉根を寄せる。
「今更命乞いですか?」
「そう見える?」
「いえ。そうだとしても、もう遅い」
「そうだね」
フィオンはちらりとコレットとロイドの方へと目を向けた。
「よそ見をするとはなめられたものですね」
大きく剣を振りかぶったギルダス。それが振り下ろされる前に、フィオンは弾かれるようにギルダスの前から脇にそれると、下ろしていた剣を斜め上に向けて振り上げた。
「うっ……」
うめき声とともに、ギルダスが片膝をつく。抑えた腹から血がしたたり落ちた。
フィオンの剣の切っ先が、ギルダスの目の前に突き付けられる。
「ギルダス、これが最後の忠告だ。このまま大人しく縄につくか、それとも……」
フィオンが言い終わらないうちに、ギルダスはその場に倒れ込んだ。
怪我のためかと皆が思ったその時、小さく肩を震わせながらギルダスは体を起こした。フィオンを見上げる表情は笑っている。
「あっ!」
ギルダスの手に握られているものに気が付き、コレットは思わず声を上げた。
先ほどギルダスの手から離れたはずの銃がそこにあった。
「形勢逆転ですね。おっと動かないでください」
フィオンに銃口を向けながら、ギルダスはゆっくりと立ち上がる。銃口はそのまま、ゆっくりと後ろへと下がりフィオンとの距離をとる。
手負いとなった今、フィオンたち全員を始末することは難しい。
ならばここから逃げる方法を考えた方が得策である。
森の中へ入り、夕暮れ時の闇にまぎれて逃げるつもりか。ギルダスの考えに思い至り、ロイドはギルダスに向かって走り出した。いくら銃を持っているとはいえ手負いの男である。取り押さえることは不可能ではない。
「ロイドっ!」
走り始めたロイドをフィオンが呼び止めた。
振り返ったロイドに、フィオンは首を横に振る。追わなくてもいいというその意味に、ロイドは訝しみながらも足を止めた。
ここまで追ってきた犯人である。
ここで逃がすことはできない。それを一番わかっているのはフィオンであるはずなのだが。
「コレットを守れ」
先ほどと同じ命令をフィオンが口にした。それと同時にフィオンがわずかに首を動かす。それを見逃さずに、ロイドは促されるように視線を動かした。
あれは……。
はっとすると、ロイドは踵を返した。
「失礼します」
短い言葉がコレットの耳に届くのと同時に、ロイドに引き寄せられその場に伏せる。
その瞬間、空気を切り裂くような銃声があたりに響いた。




