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薬の罠に気をつけて  作者: 宮野りう
「薬の罠に気をつけて」本編
61/71

61.決断

 小さな山小屋の中は、思ったよりも綺麗だった。

 中にあった古い干し草に大きな布袋をかぶせた場所に体をもたれかけると、コレットはほっと息を吐く。横になることで、体はずいぶん楽になったような気がした。

 最近は使われていなかったようだが、少女が室内を掃除してくれたため小屋の中はほこりなども気にならないほどだった。しっかりと固定されていた留め金をはずしてわずかに窓を開ければ、近くの川で冷やされた空気が流れ込み、こもっていた室内の熱気と臭いをさらっていく。これなら、森の中で休憩をとるよりはずっといい。

 

 小屋の中に戻ってきた少女は、ゆっくりとコレットに近づいた。失礼しますとだけいうと、額にかかったコレットの栗色の髪をそっと払い、濡れたハンカチを額へとのせる。目を開けることもなくそれを受け入れ、浅い呼吸を繰り返すコレットの顔には強い疲労の色が見て取れた。

 貴族の少女である。

 森の中の道を歩くことに慣れているはずもなく、ましてやさらわれた後の逃亡で神経もかなり疲弊していたはずである。途中で弱音を吐いても、泣き叫んでも仕方ない状況のなか、ずっと黙って自分の後ろをついてきたコレットはかなり無理をしていたはずだ。少しでも早く遠くに逃げる必要があったとはいえ、それに気が付くことができなかったのは自分の落ち度であると、少女は悔しそうに唇をかみしめた。

 問題は、これからどうするかだ。

 これ以上コレットを歩かせることは困難だ。だが、ここにじっとしていては、助けを呼ぶことすらできない。

 本当なら、こんな風にコレットを逃がす予定ではなかった。

 犯人たちの様子を確認しながら、コレットが地下に閉じ込められていたあの場所で助けを待つつもりだった。だからこそあそこに助けが来るよう、目撃者の誘導もしておいたのだ。

 しかし、姿を隠しながら様子を見ていた少女の耳に入ってきたのは、コレットの命を危険にさらす命令だった。はっきりとコレットを排除しようとしたその行動に、あのままじっとしているわけにはいかなかったのである。

 即効性の毒では複数いる犯人たちすべてに飲ませることが難しくなるため、コレットの安全を確保するために彼らには睡眠薬を飲ませた。その上でのコレットの安全を確保するための逃亡だった。

 犯人たちに居場所を突き止められては困るため、できるだけ痕跡を残さないように道を選んできた。もし今あの建物に助けが来ていたとしても、自分たちがいるこの場所へ辿り着くことはかなり難しいかもしれない。

 このままじっとしていては、助けが来る可能性は低い。

(どうすれば……)

 眠っているコレットを見つめながら、少女は強く唇をかんだ。



「気が付かれましたか」

 ゆっくりと目を開けたコレットに、少女が話しかけた。

 どうやら横になってから、少しだけ眠っていたようである。

 起き上がろうとしたコレットの背を少女が優しくささえた。休んだといってもわずかな時間である。体調が急激に回復するわけもなく、体を起こしただけでくらくらとめまいがした。

「私は、どれくらい眠っていました?」

「ほんのわずかの時間です。ご気分はいかがですか?」

「先ほどよりはずいぶんよくなりました。逃げなくてはいけないのに、ごめんなさい」

「いえ、わたしがコレットさまの体調に気づくことができなかったのが一番の原因です。申し訳ございません」

 少女の言葉に、コレットはゆっくりと首を横に振る。

「少しだけご無理をおかけしますが、もう少しだけ体を起こしていただいてもよろしいですか。コルセットをはずしましょう」

「でも……」

「そんなにすぐに追手はかかりません。それに、コルセットで締め付けたままだと、体への負担が大きすぎます」

 少女の言葉にうなずくと、コレットは支えられながらしっかりと座りなおす。

 座ったままの状態で、少女に手伝われながら、コレットは身に着けていたコルセットをはずした。その上からきちんと衣服を整える。確かにそれだけで、体はずいぶんと楽になり、呼吸さえもしやすくなった気がする。 

「ここがどのあたりなのかわかりますか?」

「王都の西に広がる森の中です。この小屋の近くを流れている川は、スティルス湖からの支流でしょう。王都とスティルス湖の中間地点あたりでしょうか」

 王都からものすごく遠くに来てしまったというわけではないが、歩いて戻るにはまだかなりの距離がある。

 まっすぐに少女を見つめコレットは尋ねた。

「正直に答えてください。ここから歩いて助けを求めるまでに、あとどのくらいかかりますか?」

「おそらく、先ほど歩かれた距離の倍以上は必要と思われます」

「そうですか」

 とてもではないが、今の状態のコレットが歩ける距離ではない。

「しばらくは、何も考えずにお休みください」

 そう言って自分が横になるために手を貸そうとした少女を、コレットはやんわりと止めた。胸元に手を当て一度大きく息をすると、しっかりと少女を見つめ口を開く。

「あなたを信じて、お願いがあります」

「はい」

「私をここに置いて行ってください」

「えっ?」

 少女は驚いて目を見開いた。

 今言われたことが信じられない。

「コレットさま、今なんと」

「ですから、私を置いて一人で逃げてください」

「できません」

 少女はきっぱりと即答する。

「あなたさまを今の状況でお一人にすることなどできません。それに、もしここに犯人が来たらコレットさまをまた彼らの手に渡してしまうことになります」

「でも、このまま二人でここにいても助けが来る可能性は低いわ。あなたには、私がここにいること知らせて欲しいの」

「ですが……」

「危険なことをお願いしているのはわかっています。あの場所から助けてくれただけでなく、これ以上をお願いするのは申し訳なく思います。でも……」

 コレットの体調と体力では、これ以上森の中を進むことなんてできない。

 できたとしても、少女の足手まといになるだけだ。それならば、危険でも少しでも助かる可能性のある方に賭けなければならない。

 見た目はコレットとそう年も変わらないような少女でも、コレットを助けたときの状況からみてかなりよく訓練されている人物である。それは、ここまで一緒に歩いてきてまったく疲れた様子がないことでもみてとれる。

 彼女ならば、一人でこの森を抜けることは難しくない。もし犯人に見つかったとしても、コレットが一緒にいなければ彼らの標的になる可能性も低い。

 今考えられることで、一番二人が助かる可能性が高いのが、コレットがここに残ることなのだ。

 自分を助けるために来た少女は、この場にコレットを置いていくとは口にできないだろう。そうなると、その決断をするのは自分でなくてはならない。

「お願いします」

「……もし、わたしが助けを呼ばずに一人逃げてしまったらとお考えにはならないのですか?」

 自分に命を与えている主人の名前だけでなく、自らの名さえ名乗らないものを信じていいのかと少女は問う。

 その問いに、コレットはきょとんとしたように目を瞬かせると、ふわりとほほ笑んだ。

「私を置いて逃げる機会は何度もあったのに、それをしなかった。今まで何度も命を助けていただいているあなたを信じない理由が、私にはありません」

 コレットの答えに、少女は深く頭を下げた。

「必ず助けを呼んでまいります。それまで、どうかご無事でいらしてください」

「ありがとう。あなたも気をつけて」




 建物の周りをぐるりと歩いた後、フィオンはコレットが閉じ込められていた地下室の窓の前で立ち止まった。

 ゆっくりと腰を落し窓から中をのぞきこむ。

 部屋と外界の間にある窓枠には何かが擦れたような跡があり、他の部分よりも埃が少なくなっていた。窓の外の草むらには、最近つけられたような踏まれた跡もある。

「ここから外へ出られたのでしょうか。室内から見た時はかなり高さがありましたが……」

「一人では無理だろうね」

 草が踏まれた痕跡を目で追いながら、フィオンは立ち上がる。

「ここから出たという以外、手がかりらしいものはありませんね」

 ロイドが独り言のようにもらした言葉には答えず、フィオンはもう一度あたりを見渡した。すると建物から出てきた衛兵が自分たちに近づいてくる姿が視界に入ってきた。フィオンが見ていた方向に視線を動かしながら、兵士は邪魔にならないよう建物づたいにこちらに近づく。

「なにか訊きだせた?」

「彼らがどのようにしてマカリスター男爵令嬢をさらったのかということは訊きだすことができましたが、やはり地下室に閉じ込めた後のことはまったく。どうやら本当に奴らは知らないようです」

「あのワインの入手経路は?」

 彼らが飲んだあのワインの中に、睡眠薬が入っていたと考えてほぼ間違いないだろう。

 フィオンの問いに衛兵は首を横に振る。

「今回の誘拐には、彼らのリーダーとなるものも一緒に行動していたようですが、そのリーダーの男が持ってきたものだと思っていたようです」

「思っていた?」

「リーダーの男がここを訪れた後に、ワインが置かれていたとのことでした」

 直接渡されたわけではないが、状況からそう推測したらしい。

 ほかにここを訪れたものに彼らが気づかなかったのなら、確かにそう思うのも仕方がない。

「彼らの頭ということか。で、その男の名は?」

「ウォーレス。ウォーレス・ビーンという名です」

「聞かない名前だね」

 犯罪者組織のトップとしてあがってくるものの中に、その名前は聞いたことがない。

「どうやら自ら犯罪を犯すというよりは、依頼を受けて犯罪まがいのことも行っている集団のようです。この一件についても同じようですが、彼らは取引相手について詳しくは知らされていませんでした」

「まぁ、下のものにまでは言わないだろうね」

 取引相手がだれかということは、その組織をまとめるものだけがわかっていればいい。手下のものに話すことで取引相手の存在が簡単に露見するようでは、取引は成立しない。

 犯罪の世界だからといって、何でもいいというわけではないのだ。特に組織だって何かを遂行しようというならなおさらである。

 マカリスター男爵家に何らかの要求がなかったことから、それを依頼した人物はコレットを誘拐することが目的だったと思われる。誘拐して、そしてどうする気だったのか。それに思い当たると、怒りでめまいがしそうだった。

「建物のまわりをご覧になったそうですが、何か気になるところなどはございましたか?」

「そうだね」

 落ち着かせるようにゆっくりと息を吐くと、フィオンはあたりを見渡した。

「ここを人が通ったことは確かなようだね」

 部屋の中、窓のそばに足場がなかったことより、コレット一人でこの部屋をでることはできない。だが、それが誰の手によるものかは別として、何らかの手段によってこの場を後にしていることは確かだ。

「注意深く隠した痕跡があるけれど」

 そう言いながら、フィオンは先ほどまで見ていたあたり、木々が生い茂るあたりに歩を進める。高く茂っていた草むらをかき分け始めると、フィオンの手を煩わせてはいけないと、慌ててロイドと兵士が駆け寄った。その前に人がわずかに通れるだけの小道が現れる。

「これは……」

「よく見ないとわからなかったけど、人が通った跡がある。最近誰かがここを歩いたことは間違いなさそうだ」

 言いながら、フィオンは足元に張り出した硬い藪木に引っ掛かっていたものを拾い上げた。

 それはモスグリーンの布の切れ端。風雨で汚れた形跡もなく、ここで破けてそう時間はたっていない。

「この道を捜索しよう」

「今すぐですか?」

「迷っている時間はないからね」

「しかし、もうすぐ応援の兵も来るはずです。今いる人数では先ほどの男たちの見張りに、マカリスター男爵家のご令嬢の捜索にと人数を割かれては危険が伴います」

「危険が迫っているのは僕たちだけかい?」

 ここでこうしている間にも、コレットの身に何がおこっているのかわからないのだ。

「ならばせめて、西の検問所に連絡者を送ってみましょう。その上で……」

「それを待っている暇はないよ。時間はかなりたっている。その上で今ここに応援がこないということは、彼らがここに来られない状況である可能性が高い」

 城に救援の兵を要請してかなりの時間がたっている。

 伝令の兵士の移動時間を加味したとして、それでもフィオンたちが捜索している時間などを考えればもう応援の兵が到着していておかしくない。

 それがないということは、来られない何らかの理由があった可能性がある。

 それが気にならないわけではないが、今はそちらに気をまわしているだけの時間も人員的余裕もない。

「僕とロイドそれともう一人兵と案内役の四人でこの道を進む。君はもう一人の兵とともに誘拐犯を連れて西の検問所に戻ってくれ」

「しかし、二人で三人の男をつれていくにはかなりのお時間をいただくことになります。検問所への連絡はもっと早い方がいいのではありませんか」

 ここには馬車はなく、自分たちが乗ってきた馬のみである。犯人たちが使っていた馬はあったものの、コレットを連れてきたときに利用したであろう馬車は見当たらなかった。

「三人とも連れて行く必要はないよ。こちらに一番協力しそうな一人だけをつれて、あとの二人はこの建物の別の場所にそれぞれ縛って閉じ込めておけばいい。二人一緒だと逃げることもできるだろうけれど、一人ずつなら逃げ出すにも時間がかかるだろう。強固な拘束をして、しっかりと施錠し監禁しておけばある程度の時間は稼げるはずだ」

 もし万が一逃げられたとしても、一人を連れて行けば最低限の証言は得られる。

「西の検問所で応援を得て、その後残りの二人を確保すればいい。それとともに、このあたり一帯の捜索を指示するようにね」

 おおよそ、この小道から行ける場所となれば場所は限られてくる。

 応援の兵が集まれば、捜索場所はかなりしぼられてくるはずだ。

「ですが……っ! 従者どのも公爵をなんとかお止めください」

「はぁ」

 黙って聞いていたロイドは、急に話を自分に振ってきた兵士に気の抜けた返事を返した。

 そのままフィオンと衛兵の顔を見る。

「こうなってしまったフィオンさまは、僕ではもう止められません。後はことがうまくいくように、至急の手配をよろしくお願いします」

 味方を得ることができなかった兵士は、ぐったりと肩を落として頷いた。



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