58.監禁
最初に気が付いたのは、頬に感じる硬い石の感触だった。
ゆっくりと目を開けると、ほこりっぽい石の床が目に入る。薄暗い室内に窓から入ってきた光が差し込み、室内の様子をぼんやりと浮かび上がらせていた。
(ここは……)
ぼおっとする頭で考えながら、コレットは体を起こそうと身をよじった。動いたと同時に、腹部に強い痛みを感じ、息を詰まらせる。
その痛みに、コレットの記憶が一気によみがえった。
今日は、エリサのところへと行く予定だった。
父から荘園屋敷の方へ帰るようにいわれたコレット。それを自らくつがえすことなどできないから、父の決定に従うしか方法がない。しかし、今回の事件で自分のことを心配し、なにかと気にかけていてくれたエリサに黙って王都をさることなんてできなかった。
自分の気持ちを知りながら、それでも応援してくれるエリサに会って、せめて話をしてこの苦しみを緩和したいという気持ちもあったかもしれない。報告を手紙だけでする気持ちにはなれなくて、本日コールフィールド伯爵家の方を訪問する手筈になっていたのだ。
その道すがら、急に馬車をとめられた。
訳も分からないうちに馬車に男たちが乗り込んできた。逃げることもできないまま鳩尾のあたりを強打され、息がつまり動けなくなったところに口元に薬品の匂いがあてられる。薄れゆく意識の中、隣にいたノーラの悲鳴が聞こえたところでコレットの記憶は途切れていた。
何とか呼吸を整え痛みをやり過ごすと、コレットは腹部を手で押さえながらゆっくりと体を起こした。
ガランとした薄暗い室内は石の壁で覆われ、唯一高窓から注ぐ光だけが室内に注いでいる。そこに使われているガラスは汚れて曇り、光を室内に届けるものの外の様子をうかがいしることはできなかった。しかし、よく見れば窓の近くに草の影が見えていることから、地面に近い場所にあるのかもしれない。そうなると、今いる場所は半地下のような場所なのだろうか。
その窓の明かりをたよりに室内を見回せば、荷物を運ぶのに使われていたような大きな木箱がおいてあった。それらもほこりが積もっていて、ここが長く使われていない場所であることを物語っている。
バタンッ。
大きな音がして、コレットははっとドアの方に目をやった。
石の壁の一角に冷たく閉ざされている鉄の扉。だが、音のもとはその扉ではなく、それの外にある何か別のものからのようだった。そのあとに続くように人の足音とがやがやとした声が聞こえてくる。
声が近づいてくると同時に、コレットの体が震えた。
まわりを見ても、逃げられる場所はない。高い場所にある窓は、コレットが背伸びをしても指先が触れるか触れないかの場所にあり、それ以外には出入口の鉄の扉しかない。だが、その向こうに今まさに誰かが入ってきているのだ。
扉に手をかけられる音がして、コレットは気が付いたときと同じようにその場に伏せた。怖くてそちらを見ていられなかった。
キイと小さな音がする。
「どうだ?」
「まだ気を失ってるらしい。どうする?」
「もうすぐ指示がでるさ。それまではこのままにしておけばいい」
「……死んでないよな?」
「はっ、そんときゃそんときだろ。別に俺たちはどっちでもこまらねえんだからよ」
「ま、そうだな。でも、始末するなら少しぐらい遊んでもかまわねえよな?」
「好きだなあ、お前も。ま、でも、処分がはっきりしてからにしとけ。めんどくせえからよ」
「……だな」
パタンとした音がすると、声が少しだけ遠くなった。
ガチャガチャとドアノブが回され、鍵を確認するような音が響くと、コレットは少しだけ顔をずらして扉の方をみた。どうやら先ほどの音は、扉を開けたのではなく、扉にあった小さな確認窓を開けた音のようだった。
再びその窓が開くのではないか、彼らが扉を開けて中に入ってくるのではないかとコレットは息を殺していたが、彼らは中に入ることなく足音は遠ざかって行った。
室内に静寂が戻ってくる。
どっと疲れがでた体を何とか支え、コレットはのろのろと体を起こした。
どうやら今の人たちが自分をここに連れてきた人だったらしい。指示がでる、ということは、それを命じた人物がいるということだ。
最近の王都の現状から考えて、ただの誘拐という線はコレットが考えてもどうしても低い。今の状況でコレットをさらうのは、コレット自身が邪魔だからで……。
その考えにあたり、コレットの体が震えた。
閉じ込められた室内は薄暗く、不安と恐怖をどんどんとかきたてていく。怖くて、怖くて、どうしていいかわからなくておかしくなりそうだった。
どんどん大きくなってくる震えを抑えるように、コレットは片手で反対の腕を抑える。
連れ去られたというのに、手が縄などで拘束されたりはしていなかった。それがせめてもの救いだったが、だからなんだというのだろう。
高い場所にある窓は、コレットが手を伸ばしても届くか微妙な距離。はねれば触れるぐらいはできるかもしれないが、コレットの力では自力でのぼることなんて不可能だ。鉄の扉は固く閉ざされている。拘束がなくても、逃げる道なんてない。
震える体を抱きしめるように、コレットは膝を抱えぎゅっと体を縮こまらせた。にじむ涙を隠すように腕に顔をうずめると、さらに腕に力を込める。
そのとき胸元をさらりとなでるような感触に、はっとしてコレットは自分の胸に手をあてた。
外出用の明るいモスグリーンのドレスの胸元。襟と同じ白い色のボタンを一つだけ外すと、そこからネックレスをそっと取り出す。
それは、フィオンに送られたムーンストーンのネックレス。解毒が行われたあの時から、外すことができなかったそれ。ぎゅっと握りしめると、少しずつ震えが止まってくるのがわかった。
そうだ。
ここで、怖がって震えている場合ではない。
きっと自分がいなくなったことは、家に伝わっていると思う。一緒にいたノーラがどうなったのかも気になるが、今は無事でいることを信じるしかなかった。
助けはきっと来る。
だが、それをじっと待っているだけでは間に合わない可能性もある。それなら自分でなんとかするしかないのだ。
もう一度ムーンストーンのネックレスをみる。
もう一度会いたい。
ここで終わるなんて、絶対に嫌だ。
だから、大丈夫。まだ自分はがんばれる。
コレットは大きく息を吸った後、しっかりと前を向いて立ち上がった。
震えは止まっていた。
恐怖は消えない、不安もなくなったわけではない。それでも、ただ泣いてじっとしている前に自分にもできることがあるはずだ。
立ち上がると、恐る恐る入口の扉に近づく。扉に耳をあて、まずは外の音を確かめた。扉の向こうからは音はせず、人がいる気配は感じられない。
ごくりと息を飲んだ後、そっとドアノブに手をかける。ゆっくりとまわしてみるが、案の定鍵がかかっていてびくともしない。
次に、コレットは扉ののぞき窓に触れてみる。コレット側からは、扉は押すような形になっていたため、外の音に気をつけながらゆっくりと力を加えた。
開けた小窓からのキイッという小さな音に、コレットの手がびくりと止まる。手を止めれば、まわりは先ほどと同じように静寂に包まれた。
緊張にため息がこぼれる。
それでも、意を決し再度ゆっくりと小窓をあけると、恐る恐るのぞき込んだ。
わずかに風が流れ込む。湿った空気のその先は、コレットのいる部屋よりも暗く、見た限り窓もない。目を凝らしてよく見れば、どうやら扉の向こうは通路のようだ。通路の端には階段があった。階段の上がどうなっているのかは見えなかったが、先ほどの人たちが来たときの音から考えるとさらに扉があるようだ。
コレットは扉の小窓を指一本分開けた状態まで閉じた。小窓が開いていると室内の音が外に漏れる可能性がある。できればきちんと閉めてしまいたかったが、小窓には取っ手が付いていないため内側からではそこまでしか閉められなかった。
部屋の真ん中に戻ると、コレットはもう一度部屋の中を見渡した。部屋と外部をつなぐのは、出入口の鉄の扉と横に長めの高窓の二つ。出入口の扉は鍵がかかっているうえに、そこから何とか出たとしてもその上にまた扉がある。
そうなると、残されるのは高窓だがそこには手が届かない。
室内に他にあるものは、何かの荷物を入れるためだろうか。コレットの膝よりも高さのある大きな木箱が四つ。三つは床の上に直接置かれ、もう一つはその箱の上に少しずれた状態で無造作に置かれているような形だった。
(これを動かせたなら……)
木箱を足場にすれば、窓に手が届くかもしれない。
コレットは、上に箱がのっていない木箱を押してみた。が、ぴくりとも動かない。あまり無理に動かして、大きな音がしてはいけないと力を加減していたためだろうかと、コレットは腕に体重をかけ、今度は力いっぱい押してみる。
大きな木の箱はそれだけでも重そうなのに、中に何かがはいっているのだろうか。まったく動く気配がない。
いったい、何がはいっているのか。
急に怖くなって、コレットはその箱から一歩後ずさった。
怖がっている場合ではないのは、わかっているつもりだ。しかし、不安は心を支配するように忍びより、さらに恐怖を増長させていく。
再び震えそうになる体を抑え、コレットはネックレスに手をのばした。浅くなっていた呼吸に気が付き、大きく深呼吸を繰り返す。
木箱の中身を確かめて、中身が出せるのならばそれを出して箱を動かさなくてはならない。
迷っている時間はない。
コレットはもう一度木箱に近づくと、日が直接あたらず薄暗い中、箱の状態を確認する。蝶番が付いている木箱には、鍵を取り付けるための金具はついていたが、鍵はついていなかった。
ごくりと息を飲んだ後、コレットはゆっくりと箱を開けた。
小さく軋むような音が室内に響く。
怖くて目をつぶったまま蓋を開ける。開ききった蓋から手を離すと、コレットはそろりと目を開けた。
中に入っていたものを見て、大きく息を吐くとコレットはその場にしゃがみこんだ。
箱の中に入っていたのは、大き目の木でできた乳鉢と乳棒、鋳鉄の鍋にやかん、大き目のかき混ぜ棒などだった。以前この建物の中で使用されていた道具類なのかもしれない。
大きな木箱である。
膝を折って横になれば、人が入ることも不可能ではない大きさだった。一緒にいたノーラがそばにいなかったこともあり、コレットが抱いた危惧だったが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。
安堵の溜息をつくと、コレットはもう一度箱の中身をみた。
箱の中身を出すこともあるが、中には何かに使えるものもあるかもしれない。まず、鍋ややかんが踏み台の変わりにならないかと取り出してみる。しかし、底が丸くなっている上に、口の部分は持ち手などが邪魔になって安定しそうもなかった。
次に木でできた円筒形の乳鉢を取り出そうとして、コレットは顔をしかめた。薬草か何かを大量にすり潰すために用いられたのか、かなり大き目で深さもある乳鉢。見た目では底も平らであるようだが、とにかく重い。持ち手が付いているわけではなく、乳鉢のまわりのわずかなくぼみに手を添えて出すしかないのだが、コレット一人の力ではわずかに持ち上げることしかできず、箱の外にまで引き上げることができなかった。せめて抱えることができればと、コレットは乳鉢以外の荷物を箱の外にすべて出し、箱のふちに手をかけた。
箱の中に入ろうとして、はたと気が付く。
外出着だから、今着ている服のすそは引きずるようなものではない。しかし、箱に入るために足を踏み入れ乗り越えるには、スカートが邪魔になってしまう。
じっとスカートを見つめた後、入口の扉に視線を移す。
着替え以外で、それもいつ人の目にさらされるかわからない状況で足を見せる行為は淑女としてあるまじき行為である。しかし、今はそんなことをいっている場合ではない。
(あきらめないって、決めたんだから)
コレットは覚悟を決めると、スカートのすそを持ち膝上でぎゅっと縛る。膝のあたりに、ドロワーズのすそを飾るフリルが見え隠れするのが恥ずかしい。夏用の靴は足首の覆いがほとんどなく、薄い絹の靴下では何とも心もとなかった。
できるだけ自分の足を見ないようにして、コレットは箱のふちに手をかけると箱の中に入り込んだ。両手で乳鉢を抱えると、何とか箱の上部にまで引き上げ、箱のふちの角のあたりにそれを乗せた。倒れないように抑えながら箱からでると、また両手で抱えて乳鉢をやっと床の上におろす。
乳鉢から手を離し、急いでスカートのすそをもとに戻すとコレットはその場にぺたりと座り込んだ。力仕事で息はあがり、誰にも見られはしなかったが外で足をさらけ出したことにめまいを覚えるほどの恥ずかしさがせりあがってくる。
何とか呼吸を整えると、コレットは立ち上がった。横にした乳鉢を転がしながら窓のそばへと持ってきて伏せるように置く。壁に手をつきながら乳鉢の上にのれば、何とか窓から顔をだすことができそうだ。留め金を外して窓を開け、コレットは外の様子をうかがうように少しだけ顔を出した。
思っていた通り、コレットが閉じ込められていた場所は地下にあった。
窓は地面からほんのわずかの高さ、雨が降っても水が入り込まない程度の場所につくられていた。これならば、窓から出てもおりるのに困る心配はない。
さらに様子を見ようと身を乗り出したコレットの耳に、馬のいななきが聞こえた。
はっとして首をすくめる。窓の内側に隠れると、馬の蹄の音とともに馬車の走る音が聞こえた。息を殺しながらその音が過ぎ去るのを待つ。
どうやら馬車はコレットのいる窓の方にはこなかったらしい。しかし、音が遠ざかってもしばらくコレットはその場から動けなかった。心臓がものすごい勢いで音を立てているのがわかる。
遠ざかった馬車。
さっきの人たちがどこかへと出て行ったのだろうか。それとも、窓を開ける前、コレットが気づかないうちに訪れていた訪問者が去って行ったのかもしれない。もし、訪問者が来た後だったのなら、さっき男たちが話していた「指示」とやらが下った可能性がある。
(急がないと)
コレットは乳鉢から降りると、それを少しだけ脇に片付けた。先ほどは動かなかった木箱だが、重い中身を出したことによって何とか動かせる可能性がある。あれを窓の近くに持って来れば、窓はコレットの胸の高さぐらいになるはずだ。それならばこの部屋から出ることができる可能性はかなり高い。
動き出そうとしたコレットの耳に、草を踏む音が聞こえた。
はっとして上を見上げる。
草を踏む音とともに、窓に人影がうつった。息を殺して窓を見上げているコレットの目の前で、その影がぴたりと止まった。




