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薬の罠に気をつけて  作者: 宮野りう
「薬の罠に気をつけて」本編
56/71

56.想い

 小さく聞こえたため息に、先ほどまで使用されていた事件の報告書を整理していたロイドは、その手を止めて顔をあげた。

 バード公爵家の書斎。

 その当主であるバード公爵フィオン・アルファードは、書斎の椅子に腰をおろし、表情をかえないまま一通の手紙をじっと見つめている。

 綺麗な薄紫色の便箋。

 惚れ薬の解毒を行った後に、バード公爵家に届けられたその手紙。それを読むフィオンの表情は、他の手紙を読んでいるときと変化はみられない。

 だが……。

「お会いになられないのですか?」

 問われ、フィオンはゆっくりと顔をあげた。

 誰にとは、訊かなくてもわかる。

「……」

「まだ、お気持ちは変わられていらっしゃらないのですよね」

 それを確信しまっすぐに自分をみているロイドの言葉に、フィオンは観念するようにわずかに唇を緩めた。

「ロイドに見抜かれるとは、僕もまだまだ甘かったかな」

「そのお手紙だけは、この部屋で何度も目を通されていましたから」

 それを読むフィオンの表情に変化はなくとも、何度も彼の手に取られたその意味を、近くで見ていたロイドは感じ取っていた。

 外では感情を一切隠してはいても、唯一公爵家の書斎でだけみられるその行動。

 公爵であり、王弟でもあるフィオンの書斎に入れる人物は、公爵家の中の人間でもごくわずかである。掃除をするメイドでさえこの部屋に入ることは許されてはいない。

 そんな場所だからこそ、本人も無意識の行動だったのかもしれない。

 その場にいることができたロイドだからこそ、気が付くことができたことである。

 ロイドの答えに、フィオンはああと納得して再び持っていた便箋に視線を向けた。

「もう、お会いになってもよろしいのではないでしょうか。まわりには気が付かれないよう手配いたします」

 惚れ薬の実行犯を脱獄させ、カイサルを使い事件を起こしていた主犯であるギルダスは、王宮内で拘束したもののその口を固く閉ざしていた。

 しかし、それとは反対に彼の兄であるランデル子爵は、捕らえられたことに観念したのか、かなり自供が進んでいる。どうやら子爵自身はこれらの計画にあまり乗り気ではなかったようだ。自供することで己の罪を少しでも軽くしようという意図も垣間見えるが、そのおかげで惚れ薬事件からその後の犯人脱獄、コレットへの襲撃の全貌がほぼはっきりとしてきた。

 だが……。

「いや、今はまだだめだ」

 事件の全容は解明が進んでいる。だが、一番の元となった惚れ薬事件の首謀者であるランデル子爵の娘ジェシカと、惚れ薬を盛った実行犯である彼女の侍女、名をトリーヌといったが、その二人がいまだ見つかっていないのだ。

 あの日王宮にギルダスとともに姿を現したジェシカだったが、その後急に気分が悪くなったと退出し、そのままランデル子爵家にかくまわれていたはずのトリーヌとともに忽然と姿を消してしまったのである。

 世間知らずの貴族の令嬢。

 最初すぐに発見されるだろうと思われていたが、あれから数日、ようとして行方が知れなかった。

「ですが、お会いになるだけなら」

「……今会うと、自制がきかなそうだからね」

 ロイドの言葉に、フィオンは自嘲するように口元を緩めた。

 今会ったら、コレットが嫌がったとしても自分を止められる自信がない。無理やりに自分の気持ちを押し通すのなら、もっとはやくに行動を起こすことだってできた。

 だが、それではだめなのだ。

 コレットの気持ちをふみにじって彼女を得たかったわけではない。

 それに……。

「約束を、破るわけにはいかない」

 ある人物と交わした約束。

 コレットを手に入れるためには、この約束だけはどうあっても守らなくてはならない。

 黙ったフィオンに、ロイドはそれ以上は追求せず持っていた書類の整理を再開した。書類を片付け、カートに用意してきたお茶を手早く淹れるとフィオンの前の机に置く。

 フィオンは読んでいた手紙をたたむと、カップに手を伸ばした。じっと自分を見ているロイドの様子に気が付き、フィオンは紅茶を一口飲んだだけで机の上にもどす。

「どうした?」

「薬が、残っていればよかったですね」

「薬?」

「はい。フィオンさまに使われた惚れ薬です」

 そうすれば、彼女の気持ちを振り向かせることも簡単だったかもしれないのに。

 ロイドの言葉に含まれた意味に気が付くと、フィオンは驚いたように目を開いた後、声を立てて笑った。

 惚れ薬の一件以来、コレットとのことには反対していたようだったロイドだが、ずいぶんな変わりようだ。そんな慰めを言うほどに、自分は落ち込んで見えたのだろうか。

 ひとしきり笑った後、フィオンは遠くを見るように窓に視線を移すと、つぶやくようにいった。

「コレットの気持ちが僕に向いてくれたのなら、きっと最高に幸せになれるだろうね。例えそれが薬の効果であっても」

 彼女が手に入るのなら、それでもいいと思うほどにコレットのことが好きだ。

 あの琥珀色の瞳が恋をする目で自分を見つめてくれたら、あの愛らしい頬が薔薇色に染まって微笑んでくれるのなら、そう思うだけで胸が苦しいほどに幸せに満たされる。

 だが……。

「惚れ薬がたとえあったとしても、僕は使わないよ。使えない」

 それを使用したことが知られたら、という危険をはらんでいるからではない。そんなものは、絶対に誰にも気が付かれずに行うことなどフィオンには簡単なことだ。

「コレットを好きでいたいと望んでいるのは、僕のわがままなんだ」

 惚れ薬を飲んでしまった自分。

 フィオンには、コレットを愛しく思う気持ちを薬のせいだと割り切って、彼女に会わないという選択肢もあった。

 彼女の平穏な生活を脅かさず、お互いが今までどおりの生活をおくる方法もあったのだ。

 だが、フィオンはそれを選ばなかった。

 自分の立場はわかっている。王弟としてやるべきことも、国内の情勢を考え立ち振る舞うことも十分に理解しているつもりだ。

 それでも、どうしても彼女が欲しくなった。苦しいほどに愛おしい、この気持ちをなかったことになんてしたくなかった。それによってコレットが事件に巻き込まれていくことをわかっていながら、想いを止めることができなかった。

「コレットを好きなままでいるのは僕のわがままなんだから、彼女には僕を選ぶかどうかの選択肢ぐらいはあげないとね」

 もちろん、選ばないという選択肢を一つ一つ押さえていくことぐらいは許してもらうけれどと、フィオンは心の中で付け足した。


 あの時。

 解毒薬を飲むことは、一種の賭けだった。

 王の命令だったからだけではない。

 それを服用することが、コレットを手に入れるうえでどうあっても避けて通ることができないものだったから、フィオンはそれを受け入れた。

 解毒薬を服用した今、この状況で解毒薬を飲む前と同じ行動をとるわけにはいかない。

 まわりは解毒が行われたと思っている。それを十分まわりに認識させた後での行動でなければ、なんのために解毒薬を飲んだのかわからない。

 惚れ薬の影響がなくなったうえでの、冷静な判断としてでなければ、到底コレットを手に入れるということをまわりに納得させることなどできないのだ。


 だが……。


「コレットは、僕を信じていてくれるだろうか」

 最後に会った時のコレットの表情が、フィオンの脳裏をよぎる。

 解毒薬を飲む前に会ったコレットは、何か言いたげだった。それは自分を好きでいてほしいと思う願望が見せた思い込みではかなったと思う。

 ただ、それから約半月。

 この状況で、コレットは今でもフィオンの気持ちを信じていてくれているだろうか。

 解毒薬を服用した途端、手のひらを返したようになった態度の自分を。

 今までの自分の言葉は、やはり惚れ薬のせいだったのだと傷ついてはいないだろうか。それとも、フィオンが近づかなくなったことで訪れた穏便な毎日に安堵しているのだろうか。

 フィオンが解毒薬を服用した直後から、コレットに対する嫌がらせの数が激減しているのは確かなのだ。

 息苦しさを覚え、フィオンは大きく息をつくと、冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。

 もう少し。

 あともう少しで……。





 書斎の扉をたたくと、短い返事が返ってきた。

 扉を開けて中に入ると、机に向かっていた父親はコレットに向かって顔をあげる。

「座りなさい」

 促され、コレットはソファに腰をおろした。父親であるマカリスター男爵も、椅子から立ち上がるとコレットの隣に腰をおろす。

「すでにお前の耳にも入っているかもしれないが」

 まっすぐに前を向きながら、男爵はそう切り出した。

「今回の一連の事件、犯人が判明したそうだ。クリプトンホテルでお前を襲った人物はもう亡くなっていたが、その犯人に命令をだしていた人物は拘束され、バード公爵に惚れ薬を盛った犯人も判明した」

「そう、ですか」

「惚れ薬を使ったのは、ランデル子爵家の娘だそうだ。ジェシカといったかな」

「ジェシカさま……」

 名前を口にだして、コレットの背筋がぞくりと震えた。

 スティルス湖畔で会った時の、彼女の鋭いまなざし。あれはコレットへのただのやっかみではなかったのだ。

 惚れ薬を使った人物。

 本来、その目的をはたしていたのなら、あのときコレットのいた場所が自分のものであったと、どれだけの憎しみをもって自分を見ていたことだろう。

「捕まったギルダス・ドーズは彼女の父親の弟にあたる。そのために、今回の事件を起こすことになったのだろうな」

 最初は姪の保身のためだったのかもしれない。

 だが、ジェシカをフィオンに近づけることで得られる権力に、いつの間にか目がくらんできたようだ。コレットを排除すれば、それがかなうとでも思っていたのだろうか。

「ジェシカ・ランデルは、叔父が逮捕される直前に姿を消したそうだ。だが、ランデル子爵家も抑えられ、今まで自分を守っていた叔父も拘束された状態。見つかるのも時間の問題だろう」

 世間知らずの貴族の令嬢が、後見もなくどこかに姿を消すことは難しい。

「王家から、今回の事件についての説明があると連絡がはいった。それが終われば、事件についてはある程度の区切りがつく」

 男爵はコレットに視線を向けると、優しくその名を呼んだ。

「コレット、私は一度領地に戻ろうと思う。お前も一緒に」

「えっ?」

 言われたことの意味に、コレットは驚いて父親を見た。

「いつもの年なら、社交シーズンも終わりすでに領地に戻っている時期だ。今年はいろいろとあって遅れてしまったが、あとひと月もすれば秋の収穫期がはじまる。冬の仕度も始めなくてはならない」

 北東部にあるマカリスター男爵領は、雪が深い。足早にすぎる秋は、いろいろと忙しいうえ、冬になれば、領地への行き来にはかなりの労力を必要とするようになる。

「コレット、マカリスター家の荘園屋敷マナーハウスに帰りなさい」

「でも、お父さま」

「今が一番いいんだ。まわりの意識は、犯人一家の方に向いている」

 王都でここ数カ月一番の話題になっている事件である。

 ギルダスが王宮で拘束されたことは、皆の事件への関心も相まって速いスピードで噂となり世間に知れ渡っていた。

 今までマカリスター男爵家へと向けられていた好奇の視線が、今はランデル子爵家とその周辺に向けられている。惚れ薬の発端を担った少女はまた捕まってないが、それも時間の問題。ランデル子爵家の娘と惚れ薬の実行犯の逃走の話題で、しばらく王都はいっぱいとなっていくだろう。

 今ならば、コレットは皆から注目を受けずに動くことができ、そのまま領地で静かに過ごすことで、コレットを事件の騒がしさから切り離すことができる。

 王都でどんなに噂が流れても、そこから遠いマカリスター男爵領まではその多くは届くことがない。さらに、領地でおとなしくしていることで、皆の興味もコレットから離れていくことだろう。事件が収束して、バード公爵との距離を間違えなければ、コレットはあくまで事件解決までの間に王家に協力していた形で終わることができる。

 今が一番の引き時と、男爵は考えていた。

 父親の言葉に青い顔をして言葉を発しないコレットを、マカリスター男爵は片手でそっと抱き寄せる。コレットの額が、優しく父の胸に押し当てられた。

「先日、王妃さまに謁見した際、王宮でバード公爵をお見かけしたよ。お元気そうだった」

 はっとして、コレットは顔をあげた。

「解毒をされたバード公爵にお会いして、傷つくのはお前だ。このまま、静かに終わらせた方がいい」

「お父さま!」

 どうして、とコレットには訊くことができなかった。

 父親の言葉が何を意味しているのか、そんなこと訊かなくてもいやというほどわかっている。それは、何度も自分の中に浮かんできては打ち消してきた事柄だったから。

 でも、それでも。

「一度だけでいいんです。傷ついてもかまいません。だから……」

 一目だけでも、彼に会いたい。

 会って話をしたい。

「コレット」

 目に涙を浮かべ自分の腕にすがりつき訴える娘に、男爵は小さい子供をあやすように優しく頭をなでた。

「王弟殿下には、私たちが会いたいといってすぐに会うことはできない」

 事件の説明を受けるために王宮にあがれば、王弟でもあるフィオンともまた会うことになるだろう。しかし、男爵として王に謁見する場に、コレットを連れて行くわけにはいかない。

 現在の状況で、マカリスター男爵家からコレットをフィオンに会わせるのは、コレットのためにも、まわりの貴族たちへの対処としても得策とはいえない。フィオン、または王家がコレットとフィオンを会わせる決定をしなければ、こちらから動くことはできないのだ。

「これ以上、騒ぎを大きくするわけにはいかない。今はあきらめなさい。いつか、お会いできる機会も訪れるだろう」

 事件が落ち着き、それを思い出として語ることができる時期になったのなら。ただ、それがいつになるのかはわからない。

「陛下や王妃さま、バード公爵には私から挨拶をして話しておく。お世話になっておきながら、挨拶もせずにお前が王都を離れる理由も一緒にな」

「でも……」

「これは決定だ。お前も、王都を離れるための準備をしておきなさい」

 そういうと、男爵はぽんぽんとコレットの頭を優しくたたくと立ち上がった。

 もう話は終わったという合図だ。

 こうもきっぱりと決定を下されてしまえば、父親である男爵にコレットは逆らうことができない。

 ぎゅっと、膝の上に置いたこぶしを握り締める。

 会えなくなっても、フィオンが自分への興味をなくしたといわれても、それでも彼を愛しいと思う気持ちは消えなかった。

 好きで、好きで、好きで……。

 行き場をなくした想いが、コレットの心を締め上げる。

 握りしめた手を見ていたコレットの視界がぼやけ、瞼を閉じた瞬間に熱い雫がこぼれ落ちた。


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