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薬の罠に気をつけて  作者: 宮野りう
「薬の罠に気をつけて」本編
52/71

52.到達

 ロイドが主人のベッドルームの扉をたたくと、中から短い返事が返ってきた。

 お茶の準備をしてきたカートを押しながら室内に足を踏み入れると、ゆったりとした肘掛け椅子に背をもたれて座っている主人の様子に、ロイドは気が付かれないほどの小さなため息をついた。

 解毒を行った直後に倒れ、意識が回復してからはまだ二日ほどしかたっていない。

 バード公爵家のお抱え医師からも、さらには王の親書しんしょを携え、公爵家へとやってきた王家の医師長からも、十分な療養の必要を指示されている。さらに王からの親書には、体を十分にいとい、体調が戻るまで王宮への出仕を差し控える許可が、見舞いの言葉とともに添えられていた。

 フィオンが目覚めたことを聞きつけ国内の多くの貴族たちが見舞いに来る中、体調を理由にすべての面会を断っている状態である。にもかかわらず、当の本人はまわりの心配をよそにベッドの中に大人しくしているつもりは毛頭ないらしい。

「どうした?」

 部屋に入ってきたというのに、入口で立ち止まったまま何も言葉を発しない従者に、フィオンは読んでいた手紙から顔をあげた。

「飲み物をお持ちしました」

「ああ、そこに置いておいてくれ」

 医師の指示にて日に何度も勧められる水分の補給に、フィオンは辟易したように答えると、頬杖をつきながら再び手紙に目を落とす。

 お茶の準備をしながら、ロイドはちらりとフィオンの方に視線を向けた。

 体調が万全でないためか少し気怠そうな様子はあるものの、テーブルの上に積みあがっている見舞いの者たちからの手紙やカードに目を通しているフィオンに、特に変わった様子はない。

 体調も少しずつではあるが、改善の兆しが見られている。

 フィオンが目を覚まして二日。

 こうして起き上がって言葉を交わしてみれば、解毒前と後で生活しているうえで大きな変化は見られていなかった。


 ただ、一つの点を除いては。



 ロイドは手早く紅茶を入れると、クッキーの入った皿ととともにテーブルの上へとおく。

 そのまま、じっと静かに立っているロイドに、フィオンはため息をつくと、再び顔をあげた。

「見張っていなくても、ちゃんと飲むよ」

「それを確認するのも、私の仕事ですから」

 数日間の絶食状態と、解毒を行った影響で消化機能が弱っている可能性がある。その負担を減らすためにと、少なめの食事を何度かに分けて摂取するようフィオンを診察した医師からの指示がでている。

 普段は主人であるフィオンの命令が第一だが、今回は主人の体調にかかわることである。フィオンになんと言われようと、ロイドにとってそれだけは譲れなかった。

 自分の言葉よりも、医師の指示を忠実に守るロイドに、フィオンはやれやれと肩をすくめると、手紙をテーブルに置いた。

 それでも自分の体調を優先していることが分かっているため、素直に従いカップを手に取る。

「こちらもお召し上がりください」

「いらない」

「では、何か食べたいものはございませんか? 果物でも……」

「ロイド」

「はい」

「僕は病人ではないよ」

「……はい」

 薬の影響で意識を失い、生死の境をさまようかとまで思われたその症状は、病気よりも心配の要らないものなのか。

 釈然としないままロイドが視線をフィオンから逸らすと、さっきまでフィオンが見ていた手紙が目に入ってきた。

 奇麗な薄紫色の便箋に書かれた文字に、ロイドは見覚えがあった。この数か月、何度となく主人に渡した手紙と同じ筆跡だ。

 以前その手紙を読んでいたフィオンの様子を思い出す。

 先ほどまで手紙を見ているフィオンの表情は、他の手紙やカードを見ていたときと変わることなく、ただその内容を確認しているだけのようにロイドには見えた。

 数日前まで、この差出人からの手紙を嬉しそうに見ていたときとは明らかに表情が異なっている。


 フィオンが目覚めてから二日。

 目覚める前と後、唯一異なっていることといえば、あれほど毎日口に上っていた名前が、ぴたりと止まってしまっていることだった。

 フィオンが目覚めてから、ロイドは一度もコレットの名前を耳にしていない。


「お返事を書かれますか?」

 ロイドの言葉に、フィオンはカップをソーサーの上に戻すと、さっきまで読んでいた手紙にちらりと目をやった。

 だが、さしたる興味もないようにすぐに視線を戻すと、椅子の背もたれにゆっくりと体重をあずける。

「いや、まだいい。それよりも、例の件はどうなっている」

「はい。一応の聴取はとってあります。いつでも会えるように手筈は整えてありますので、体調が回復次第……」

「では、すぐに手配を」

「は?」

「明日、いや、今日の午後にでもここに連れてくるようにね」

「だ、駄目です」

「是非は聞いていないよ。これは決定事項だ」

「ですが、お身体が」

「僕が外出すると言っているわけではないよ」

「で、ですが……」

「連れてこないなら、僕が出かける」

 冗談とも思えない口調に、このままでは本当に外出しかねないと、ロイドは諦めぐったりと肩を落とし頷いた。





 午後の日差しが差し込む、バード公爵家の応接室。

 窓から差し込む光と室内にともされた明かりが混じりあい、金の額縁に入れられた大きな絵も、天鵞絨張りのソファも、輝くシャンデリアもすべてが美しく輝いている。

 その部屋に置かれた彫りも美しい木目のテーブルの上に、この部屋には似つかわしくない古びたトランクが置かれていた。

 トランクの鍵を開ければ、中にはきれいな便箋や封筒が何枚も入れられている。

 上質な紙がつかわれたそれらの品は、あちこちが擦り切れ古くくすんだこのトランクにはあまりにも不釣り合いな品物だ。

 乱雑に入れられた手紙をロイドは丁寧に広げると、それをフィオンに手渡した。

「見たことのある筆跡だね」

 足を組み換え椅子に座りなおすと、フィオンは便箋をめくりその内容を確認する。

 一通り目を通すと、フィオンは顔をあげた。

「それで、君はこれをどうやって手に入れたの?」

 室内のきらびやかさに気おされてぽかんとまわりを見ていたルッツは、急に声をかけられ、はっと前を向いた。

 フィオンとロイド、二人の視線が自分に集まっていることを感じ、ルッツはごくりと息を飲む。

「あ、あの、カイサルから預かって欲しいと頼まれたんです。もし自分が三日たっても取りに来なかったら、あいつの……彼の部屋に行ってこのカバンの鍵を持ってくるようにと」

 そういうと、ルッツはトランクと一緒にテーブルに置かれた、古びた鍵を見た。

「何日も待ってみたんですがカイサルは姿を現さないし、そのうちあいつがホテルを襲撃した犯人だって言う噂を聞いて、取りに行くかどうするか迷ったんです。あの、あいつの部屋に行ったことがわかったら、オレ……僕も疑われるんじゃないかと思って。でも、このトランクに何が入っているかわからないのも怖くなって、それで」

 そういいながらうつむくルッツに、フィオンは優しく声をかけた。

「そこでロイドと会ったんだね。大丈夫、僕たちは君を疑ったりしていないよ。それで、カイサルは他に何か言っていなかった?」

 フィオンの言葉に、ルッツの表情がぱっと明るくなる。

「は、はい。鍵をとりに行くときは誰にも見られるな、それとこのトランクの中は、働いていた牢獄の関係者には絶対に見せないようにと言っていました」

「牢獄の関係者、ね」

「はい。でも、カイサルがホテルの事件に関わっているなら、牢獄での脱獄にももしかして関わっているかもしれないって思って、誰かに言わなくちゃって思ったんです」

 このトランクの中身が、事件と何らかの関わりがあるのかもしれないと思うと、ずっと自分が持っているのも怖くなる。だが、ただ警察に持って行っても信じてくれるかわからない上、ルッツ自身が疑われる可能性もあった。

 カイサルが牢獄関係者に見せるなといった意味は分からなかったが、分からないからこそ、あえてそこに報告するのもはばかられる。

 誰にも相談できなかったルッツが、ただ一人思いついたのが監獄を視察に来ていたフィオンだった。だからその従者であるロイドに声をかけられたとき、これがチャンスだと思い迷いもなくついていったのだ。

「それで僕に話す気になってくれたんだね。ありがとう。とても助かったよ」

「それで、あの、カイサルは脱獄に協力していたんでしょうか……」

 ルッツは不安そうにフィオンに尋ねた。

「君には残念だろうけど、それは間違いなさそうだ」

 

 手紙に書かれていた内容。

 牢獄から逃がした女を連れて特定の場所にカイサルを呼び出すためのもの、そして、コレットがいつどのような状況でどの場所にいるかなどの情報や、襲撃を催促するものなど、今回の主犯からカイサルに出された指示が記されている。

 手紙には相手の名前はない。

 しかし、いつも同じ種類の封筒に便箋を用い、同じ筆跡であれば、おのずと同じ人物からの手紙だと名前などなくてもわかる。

 カイサルが主犯である人物からの指示を受け、惚れ薬事件の犯人を牢から脱獄させ、コレットの命を狙っていたことは間違いない。


 フィオンの言葉に、ルッツはがっくりと肩を落とす。

「ルッツ」

「は、はい」

 名を呼ばれ、ルッツははっと背筋を伸ばす。

「この件は、まだいろいろと捜査中で、機密事項なんだ。誰にも他言はしないようにね」

「はい」

「そして今から君は、僕の庇護下に入る。仕事もしばらく休んで、身を隠すように」

「え? 隠れるんですか?」

「しばらくの間だけだよ。君は、どうやら思っていることが表情に出やすいようだからね。それに、君がいろいろなことを知っていると分かると、それを快く思わないものが行動を起こさないとも限らないからね」

 さっとルッツの顔から血の気が引いた。

 どうしてカイサルが自分の前に姿を現さないのか、その意味が頭の中を巡っていく。

「念のためだよ」

 慰めるようにそう声をかけたフィオンに、ルッツは不安を隠すこともできずただ頷くしかなかった。


 ロイドに促されルッツが退席すると、フィオンは椅子から立ち上がりトランクの中に詰められたものを一つ一つ確認していく。

 手紙には、必ずこれらを読んだ直後に燃やすようにとの指示があった。しかし、どうやら燃やされ処分されたものはないようだ

 他にもトランクの中には薄汚れた紙に殴り書きのように書かれたメモや、報酬の一部としてもらったものか、金貨が数枚と札束が紙袋に入れ詰められていた。

 手紙が全く処分されていなかったということは、最初からカイサルは主犯たる人物のことを完全に信用していなかったようだ。

 その上、これをルッツに預けたということは、確信ではないにしろ自分の身の危険も考えていた可能性が高い。それが主犯の人物に対する警戒か、それともコレットを襲撃した後での逃走を見越したものかは分からない。だが、カイサルの言っていた牢獄関係者に見せるなという指示は、これらの証拠を隠蔽いんぺいされないようにするためのもので、予想が前者であることを予測させる。

 扉が開き、ロイドが部屋へと戻ってきた。

 

「彼の関与は疑いようがないね」

「はい、まず間違いなく」

 カイサルを撃ったと思われる銃が、ホテル側の捜索でスティルス湖で見つかっている。それは、カイサルが持っていたものと同じもので、そして牢獄で常時使われているものとも同じ型だった。

 カイサルが盗んだと言い訳もできるが、あの時カイサルは弾の切れた銃一丁しか持っていなかった。その後、その銃を使い、その場に捨てた人物がいたと考える方が自然だ。

 そしてロイドの調べで、それを個人で購入した人物の名があがっている。

 その名の人物とこの手紙の筆跡の人物が同じであることは、たとえ手紙に名がなくともそれを目にしたことのあるフィオンとロイドにはすぐにわかった。

 犯人の一角は明らかになった。

 惚れ薬の主犯が彼かどうかは別として、惚れ薬事件の実行犯は間違いなく彼の近くにいる。そして、クリプトンホテルでの襲撃や、カイサルの肩の銃痕に彼が関与しているのは間違いない。

「そろそろ、観念してもらおうかな」

 証拠もそろった以上、言い逃れなどさせない。

「ギルダス・ドーズとその周辺を徹底的に洗い出せ」

 フィオンの言葉に、ロイドは深く頭を下げた。





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