36.探索
部屋を照らしているランプの明かりが、人影にゆれた。
部屋へと入ってきた人物を一瞥すると、椅子に座っていた男は眉間にしわを寄せたまま机の上の書類へと視線を戻した。
「仕事の終了が遅れているようだが?」
「それが、あの女のそばにはいつもバード公爵がいて近付くことができません」
バード公爵か王妃、コレットのまわりにはほとんどの場合そのどちらかが一緒にいる。コレットが一人になるのは、彼女にあてがわれた客室に戻ったときだけだ。それでも周辺はかなり厳重に警戒されていて近付くことさえできない。
もちろん、別荘には王妃がいるのだから、簡単な警備であるはずはないのだが、コレットのまわりも男爵令嬢には思えないぐらいの警戒のしようである。
「別荘内の警備も急に厳しくなり、入り込むことすら困難になって……」
返された言葉に、男は持っていたペンをおいて顔をあげた。
「カイサル」
「はい」
「聞きたいのは、言い訳ではないよ」
「……はい」
カイサルは、言葉少なに頭を下げる。
それをみて、男は深くため息をついた。
確かに、思っていた以上にスティルス湖畔にある王家の別荘では警備が厳しくなっている。
現在、別荘内に入る人物は、例えいつも備品を納める業者だったとしても馬車の中を細かく確認され、立ち入りがかなり制限されているようだ。この男だけで厳重な警備を潜り抜けるのは難しいかもしれない。
「もうすぐ、貴族が多く出仕しているスティルス湖畔のホテルで夜会が行われる。王妃さまは毎年主賓としておこしになる。そのとき、あの女も連れてくることだろう」
王弟フィオン・アルファードの想い人、コレット・マカリスターは、現在王妃のお気に入りでもある。外出する際には必ず連れて行くはずだ。
「そのホテルの出資者やその招待客が集まるパーティーだ。多少見慣れぬ人物が混じっていても誰も気付くまい」
男は机の引き出しから短銃を取り出すと、机の上に置いた。
「これが、最後のチャンスだと思え」
ランプのあかりに照らされた男は、眼光鋭くカイサルを見た。
ランプのあかりが陰となり、目元が暗くなっていた男の顔。黒い瞳の光だけがやけにはっきりと見えて、カイサルはごくりと喉を鳴らす。
机の上に置かれた銃に手を伸ばし、しっかりと握り締めると、カイサルは頭を下げた。
少しきつめの酒の入ったグラスを荒々しくテーブルに置くと、カイサルはちっと心の中で舌打ちをした。
スティルス湖から少しはなれた小さなレストラン。夜は酒も出すようなこの場所は、労働者階級の集まる場所である。一人飲んでいたカイサルは、今ほどテーブルに置いたグラスを強く握りしめた。
急かされているのはわかっている。
しかし、目的の人物に近付けないのだから、手の出しようもない。
「カイサル?」
名を呼ばれ、カイサルは驚いて顔をあげた。
このあたりに知り合いはいないはずだと、いぶかしげに見上げた先、そこにいたのは以前働いていた監獄での同僚だった人物だった。
「ルッツ?」
「久しぶり。怪我はもういいのか?」
にこやかに話しかけてくると、ルッツはカイサルの向かいに腰をおろした。
「ああ。お前、何でここに?」
監獄で働いているものが、どうしてここにいるのか。
スティルス湖畔は、貴族たちの夏の保養に使われる場所。私有地も多いため、労働者が遊びにくるには少し敷居が高すぎる。
「ん? 仕事だよ。ほら、夏はお偉いさんたちは涼みにこの辺にくるだろう? 今年なんて、いろいろあって忙しいっていうのにさ。その使い走りにされてるのさ」
自分が働いている監獄での事件。
その件で、いろいろな人物に手紙や連絡をとるのに使われているのだと、ルッツは肩をすくめながら笑った。
「お前がやめてから、まだ人が入ってこないんだ。具合が大丈夫なら、もどってきてもらえたら助かる」
「いや、俺も今は別の仕事をしてるから」
「そうか」
ルッツはそういうと、レストランのウエイターに声をかけた。
軽い食事とビールをオーダーすると、カイサルに向き直った。少しまわりの様子を気にするようにちらりと見る。
「カイサル」
「なんだ?」
「お前、なんかやばいこととかしてないよな?」
「は?」
「い、いや。なんでもない。変なこといって悪いな」
慌てて言葉を取り消すと、ルッツはウエイターが運んできたビールを口に運んだ。自分をじっと見ているカイサルの視線に気がつくと、グラスを口からはなしテーブルへと置く。
「この前、お前の家に行ったんだ」
「俺の?」
ルッツとは、確かに仕事場が一緒だった。住所ならば、仕事場の連絡用の記載を見ればわかるかもしれないが、それぞれの家を訪ねるほどの用事があった覚えはない。
「お前、今どこに住んでるんだ?」
「そんなこと、お前に関係ないだろう」
カイサルは、いらだちながら自分のグラスの中身を一気にあおった。
自分がこれからやろうとしていることを見透かされているようで、なんだか気分が悪い。
「……この間、バード公爵が視察にいらっしゃったんだ」
言われた名前に、カイサルの眉がぴくりと動いた。
「お前のことを、なんだか気にしてるふうだった。別にお前があそこを辞めたのは怪我をしたせいだし、あの事件とは何にも関係ないとは言っておいたけど……」
じっとルッツはカイサルを見た。
真剣な眼差しで、まっすぐに自分を見るルッツに、カイサルは耐えられなくなって視線をそらす。
「俺が何をしてようと、関係ないだろう」
「それはそうだけどさ。何か気分悪いだろ? もと同僚が疑われてたらさ」
「おせっかいが」
「ちぇ。せっかく心配してやったのに。まあ、いいや。お前が事件に関係してないなら別にいいんだ。悪かった、変なこと言って」
両手を顔の前で合わせて謝ると、ルッツはばつが悪そうに笑った。
心配したとはいえ、疑ったような発言をしてしまったと頭をさげる。
そんなルッツを横目で見ると、カイサルは空になったグラスを手にウエイターを呼び止めた。追加の酒を受け取るとそれを口に運びながら、ウエイターが持ってきた食事を食べ始めたルッツをじっと見る。
自分が今、ここでルッツに会ったのも、意味があるのかもしれない。
「……なあ、ルッツ」
「んん?」
口いっぱいに食事をほうり込んだルッツは、大きく口を動かしながら顔をあげた。
「ここで俺に会ったことは、誰にも言わないでくれ。その、仕事の都合上、いろいろあるんだ」
「別にいいけど」
特にこのことを話すような相手もいない。
「それともう一つ。……お前に頼みたいことがある」
カイサルの言葉に、ルッツは目をパチパチさせながらごくりと口のなかのものを飲み込んだ。
バード公爵の別荘で、夜会用の白い手袋をはめながら、フィオンは口を開いた。
「それで?」
「はい。監獄で働いていたカイサルという男のことですが、以前住んでいた場所はすでに引き払った後でした。どうやら、監獄での仕事を辞めた後すぐにどこかへ移って行ったようです」
今ほど部屋に入ってきたロイドは、フィオンに促され報告を始めた。
スティルス湖畔の別荘に滞在していたフィオンに遅れること数日、王都に残っていたロイドはつい先ほどこちらに到着したばかりである。
「もともと近所との交流は少なく、まわりのものもどこに行ったのかまではわからないようです。ただ、いくつか気になることがありました」
「気になること?」
「はい。まず、近所のものはカイサルが怪我をしたということはまったく知りませんでした。いついなくなったのかもあいまいなくらいでしたので、その姿を見なかっただけなのかもしれませんが」
しかし、働けなくなるほどの怪我だったのなら、誰かの目に留まってもよさそうなものだが、だれも怪我をしたカイサルを見ていない。
「それと、私がカイサルの住んでいた場所を確認する前、同じように彼を訪ねてきたものがいたとか。すでにカイサルはいなくなっていた後だったので、会えなかったようでしたが」
カイサルが住んでいた頃はほとんど訪問者がいなかったので、近所の住民も彼がいなくなったとたんに現れた訪問者に驚き、よく覚えていた。
いなくなったとたんに捜索されるということは、何かやらかしたのかと興味半分がほとんどだったが。
「それは茶色の髪の若い男で、カイサルのことを以前から知っていた人物のようだったとの話です」
「ロイド」
「はい」
名を呼ばれ、ロイドは言葉をとめた。
「茶色の髪の若い男。この国にどれだけいると思う?」
「数えたことはありませんが、かなりの人数になると思います」
「だろうね」
フィオンは、小さくため息をつくと、近くのイスに腰をおろし、机の上で手を組む。
「その男がどんな用事だったのか、か。その男について他にわかることは?」
「いえ、カイサルがいないことがわかると、その男は黙って帰っていったそうです。話をした人がカイサルを見かけたら連絡するといったそうですが、断ったとか」
知り合いが尋ねてきた、ただそれだけのことなのか。それとも……。
連絡を断ったのも、たいした用事ではないという可能性もある。しかし、それは自分の存在をまわりに知らせたくないともとれる。
現在はほんの少しの情報も必要なときである。些細なことでもその糸口がつかめるのならば無駄ではない。
「その男がカイサルを訪ねたのはいつだった?」
「私がそこを訪ねた二日前だったとのことなので、今月の二十三日です」
何か考えるように、フィオンは手の甲を口元にあてる。
「今月の二十二日だったね。僕が監獄を視察に行ったのは」
「そうですね」
「若い男で、茶色の髪。カイサルを以前から知っている。それに当てはまる人物が一人、心当たりがある」
その男は、カイサルの元同僚で、フィオンにその名を教えた人物でもある。
「この前会ったときは、何も知らないようだったんだけどね」
視察の際の彼の様子を思い出す。
これだけの情報で、カイサルを訪ねた男と彼を結びつけるのは少し強引かもしれない。しかし、フィオンと話した次の日であることが引っかかる。可能性はゼロではない。
フィオンの言葉に、ロイドははっとしたように顔をあげた。
ロイドもその人物には、視察の際に会っている。
「少し彼の周辺をさぐってみてくれ。気がつかれないようにね。それともう一人。監獄の責任者、ギルダス・ドーズについて」
「ギルダスさまですか?」
「ギルダスの方は、僕も探りをいれてみるけどね」
「はい」
一度深く頭を下げると、ロイドは言葉を続けた。
「それともう一つ。フィオンさまがおっしゃっていました、監獄の周辺のことですが」
「ああ、どうだった?」
「監獄の周辺、とはいっても少し離れた場所なのですが、現在は使われていない修道院の建物がありました。人気はないのに、地下室周辺に誰かが使用したような痕跡が残っていました」
生い茂った草の様子やそこにつけられた足跡。ある程度わからないようにと隠されてはいたが、全くつかっていなかったにしては綺麗すぎた。
痕跡を残さないようにしたことが、かえって誰かがここを使ったことを示している。
「詳しく調べてみると、その地下室に隠しの通路が見つかりまして」
「そこが監獄につながっていた?」
フィオンが引き継いだ言葉に、ロイドは驚いたように顔を上げた。
ロイドの表情にフィオンは肩をすくめる。
「だいたい予想はつくよ。王都には王家にまつわる隠し通路がいくつも存在しているからね」
王都周辺には、王家に伝わる隠し通路が存在する。
それは、王家が続いていくなか陰で大きな役割をになってきた。
代々口伝により王家に伝わってきたその通路の存在と使用法は、基本親である王からその後継者へと引き継がれていく知識の一つである。しかし、隠し通路のすべてを相手に教えるということは、王の周辺を丸裸にすることを意味するため、必ずしもすべて伝えられているわけではない。
フィオンはといえば、父である王から、そしてその存在のいくつかを知っていた祖父、前バード公爵ヘンリーからその通路の存在を知らされた。
王家のフィオンの部屋から外部へとつながる道、そして、もし何らかの状況で監獄へと行くことになった場合の抜け道などを。
フィオンが聞いた監獄の通路は、今回の事件と関係した場所ではなかった。しかし、今回の場所の建物の構造や犯人が抜け出した状況から、通路の存在が浮かび上がってきた。
あの監獄も古くからある建物である。その強固なつくりゆえに監獄となり、長きにわたり使われてきたあの建物にならば、隠し通路があるのもおかしくはない。
今回の監獄の隠し通路。誰が何の目的で作ったものかはわからなくても、それを偶然にも見つけ、使用したものがいたということだろう。
引き続き話を進めようとしたロイドを、フィオンは軽く手を上げて制した。
それと同時に部屋への入り口がノックされる。
フィオンが入室の許可を口にすると、扉が開かれバード公爵家の従者の一人であるフランツが入室してきた。
フランツはフィオンの近くにロイドがいるのをみると、驚いたような表情を浮かべた。ロイドは今回、フィオンの用事で王都に残っていたはずである。
「フランツ」
名を呼ばれ、フランツははっとして姿勢を正した。
「は、はい、失礼します。馬車の用意が整いましたのでお知らせに」
「わかった」
フィオンは立ち上がると、視線をロイドに戻す。
「報告は以上?」
「は、はい」
おおむねの報告は終わったと、ロイドは慌てて頷いた。
話は終了したと、フィオンはかけてあった上着に手を伸ばす。それを見て、慌ててロイドが上着をとり、主人の着替えに手をかした。
「どちらかへお出かけなのですか?」
フィオンが着ているのは、パーティー用の外出着である。
「ん? 今日はクリプトンホテルで夜会が開かれるんだ。義姉上がコレットも連れて行くというものだからね」
にっこりと笑いながらロイドを見る。
「コレットをエスコートするのは、僕の役目だろう?」
他の人物に任せるわけにはいかない、というか、任せるつもりもない。
フィオンの言葉にロイドはあいまいに頷いた。否定も肯定も、今の彼には難しい。
そんなロイドをしり目に、着替えを終えたフィオンはにこやかに部屋を後にした。




