33.視察
厚い扉が、重々しい音をたてて開いた。
扉の向こうにつながる暗い石造りの廊下からひんやりとした空気が流れ込み、持っていた燭台の灯りがゆらゆらとゆれた。
換気のためにと、廊下の上部、人が手を伸ばしてもとどくことのない場所には、鉄格子つきの小さな窓が設けられている。しかし、そこからもれるわずかな光では、鉄格子の周りだけをわずかに明るく浮かび上がらせるだけで、建物の内部の明かり取りの役割までははたしていない。
監獄の中を案内されていたフィオンは、ここの責任者の一人であるギルダスに続いてその厚い扉の中へと入った。その後にロイドとここの監守が続く。
堅い石の廊下は音が響き、足音だけが大きく響いていく。
「ここでございます」
一つの扉の前で、一番前を歩いていたギルダスが立ち止まった。
腰につけていた鍵の束から一つを選び、目の前にある鉄の扉を開ける。
ロイドが持っていた燭台を受け取ると、フィオンは開けられた扉のなかにはいった。暗い室内を照らすように燭台をあげると、あたりをぐるりと見渡す。
狭い室内。ここにも空気とりのために高い場所に窓が設けられているが、やはり天井をぼんやりと明るく見せるだけで、昼間であるのに室内はかなり暗い。その窓も、幼い子供ですら通ることは困難なほどの大きさしかなく、鉄格子が石の間に埋められている。さらに石の壁は、人が手を伸ばしたとしてもわずかに指先さえも外へは出せないほどに厚くつくられていた。
壊された形跡さえないその場所から、人が出て行くことはできない。
「ここから人が出ることは、不可能です。ここはあの日のまま保存しておりますが、鍵が壊された様子も、壁に傷などもまったくありません」
後から室内へと入ったこのギルダスは、黙って室内を見渡しているフィオンに向かって話を続けた。
「まあ、そうだね」
壁に手をあてながら室内をくまなく見ていたフィオンは、ギルダスの言葉に頷く。
この部屋から出るためには、今出入りしたこの扉の鍵を開けるしかない。それはどう考えてもはっきりしている。
ひとしきり見てまわったフィオンを、ギルダスは部屋の外へと誘った。狭い石の牢獄の中に、フィオンの存在はあまりにも不似合いである。いくら視察のためとはいえ、王弟であり公爵位をもつ彼を、このような監獄の部屋の中に長居させるわけにはいかない。
部屋から出ようとして、フィオンはふと足をとめた。
「どうかなさいましたか?」
「この扉……」
「扉ですか? 鉄製のかなり丈夫なものになっていますので、こちらも鍵もなく開けることは無理かと思いますが」
「いや、そうじゃない。この扉には、のぞき窓がないね」
監獄の扉にあるべき、中をのぞくための小さな窓がない。
「ここ以外にも、のぞき窓がない部屋はあるの?」
狭い牢獄の一室である。中に入らずに廊下で控えていた監守の男は、急にフィオンに話しかけられて背筋を伸ばした。
燭台のあかりと窓からのわずかな光の中、牢獄の中とういう環境ですら、フィオンの存在感を薄めることはできない。緊張の面持ちで、胸に手をあて敬礼しながら答える。
「い、いえ。鉄の一枚扉の部屋では、ほとんどのぞき窓はついております。ここは以前よりのぞき窓はなかったのですが、犯人にはのぞき窓すら情報になりえることがありますので、そういうときのためにそのままになっております」
つまり、犯人に外の様子を少しでも知られたくない場合に有用なのである。監守の状況などを知られることもなく、暗く狭い部屋での犯人へのプレッシャーにもなる。
今回の犯人も、王弟に不逞を働いた重要人物である。重要人物であるから、この牢獄に入れたという監守の言葉に、フィオンは小さくため息をついた。
確かにのぞき窓や、廊下と牢獄の間が鉄格子のみという場合には、監守の見張りの状況や監視体制などが牢獄の中にいても知りえる情報となる。しかし、それは、犯人が外の様子を知ることができないと同時に、監守側からも中を容易には見られないということを意味している。今回、犯人が逃げたにも関わらず、その発見が遅れたのもそのためだろう。
その部屋からでると、ギルダスは廊下のもときた方向へとフィオンを促した。しかし、フィオンはすぐにそれには応じずに廊下の反対側を振り返った。
「ところで、この廊下、反対側はどうなっているの?」
ここから燭台で照らしても、暗い廊下の奥はよく見えない。
「向こう側ですか? 突き当たりにはさらに鍵つきの扉がございまして、塔への入り口へとなっています。監獄の部屋が並んでいますが、何か?」
「見ることはできる?」
「止めておかれた方がいいかと思います。囚人が数名拘束されておりますし、バード公爵さまの目にするようなものではありません。それに……」
「それに?」
「この奥は囚人たちの脱出を困難にさせるために、路がかなり入り組んでいますので」
「路を知っているものでなければ、進むのは困難だと」
「はい」
責任者の言葉に、フィオンはもう一度そちらに目を向けた後、もと来た廊下を歩き始めた。
監獄の建物のなかでも、ここの責任者たちや監守たちが普段いる場所は、普通の屋敷といってもいいほど綺麗で明るく整えられていた。
その一室に通されたフィオンは、この監獄の見取り図を確認しながら、ギルダスの説明をうける。先ほど見学できなかった塔の内部の様子も確認するが、彼の説明はほとんどが王宮での報告時に聞かされたものと同じようなことが終始繰り返されているだけだった。
「このように、監獄のまわりは深い堀で囲まれておりまして、さらにその周りは高い塀がめぐらされています。あの小さな窓から人がでることなど不可能ですが、万が一出たとしましても、建物の周りに足場はなく、落ちれば水音が響いて監視のものに気付かれます」
さらに堀の水の中には、何箇所にも大きな石が置かれている。水の中に隠れているそれは、一見しただけではどこにあるのか分かりにくいが、高い建物の上から叩きつけられれば命はない。
発見されるか、命を落とすか、二つに一つの選択しかないと切々をギルダスは説明した。
確かにこれだけの厳重な建物で、窓や扉を壊すことなく脱出するのは難しい。となると、やはり可能性は一つである。
「この監獄の鍵の管理はどうなってますか?」
「鍵ですか?」
「そうです」
「……鍵を開けて出て行ったと?」
「可能性の一つとして、ということですよ。どこも壊された形跡がないのですから、その可能性も否定はできない」
フィオンの言葉に、ギルダスはしばし黙り込んだ。
小さく息を吐いた後、重い口を開ける。
「牢獄の鍵は、金庫の中に束になって保管されています。特殊な金庫なので、開ける場合は、二つの鍵を同時に回す必要があるのですが、鍵穴が離れていますので二人同時に開けなければ金庫を開けることはできません。一人で鍵を持ち去ることは不可能です」
誰か一人が犯人を逃がそうとして、その牢の鍵は簡単に手に入れられるものではない。
「その金庫は見れる?」
「……どうしてもとおっしゃるのでしたら、ご覧にいれますが」
「見よう。ところで、鍵はそれだけなの?」
「いえ、責任者のお一人でありますクライエ侯爵さまのところに予備の鍵がございます。しかし、あの事件の日に侯爵さまはこちらに出仕しておりませんでしたし、次の日予備の鍵を確認したところ、すべてが間違いなくそろっていました。盗まれた形跡もありません」
ギルダスがフィオンを金庫の部屋に案内しようと立ち上がったとき、ドアがノックされ雑用係の男がはいってきた。
フィオンがいたことに驚いて、慌てて頭を下げる。
「どうした?」
「は、はい。ギルダスさまに至急のようがあると使いのものがまいっているのですが」
「殿下がいらっしゃっているときだ。後回しにしなさい」
「で、ですが……」
どうやらこのものも押し切られてきたらしい。
「かまいませんよ」
「バード公爵」
「どうやら急いでいるようですしね。その間、彼に話相手にでもなってもらいましょう」
用件を伝えに来ただけなのに、いきなり名指しされた男は驚いたように顔を上げ、ギルダスとフィオンの顔を交互に見比べる。
フィオンの申し出にギルダスはどうしたらよいものかと考えるが、申し出に従い入ってきた雑用係に粗相のないようにと申し付けると部屋を出ていった。
残されたのは、まだ少年の面差しを残す頃合の男である。ふかぶかと頭を下げてその場に固まる。
王弟であるバード公爵の名は、貴族界に属していないものでもその存在はよく知っている。自分達にとって雲の上の存在である人物が、今目の前にいるのである。
「まあ、そんなに硬くならないで」
「は、はい!」
声が裏返る。
硬くならないでといわれても、声をかけられただけで緊張がはしるのを止めることができない。
「名前は?」
「は、はい。ルッツといいます」
「そう、ルッツ。君に聞きたいことがあるんだ」
「はい」
「事件のあった日、君はここにいた?」
「え? あ、は、はい。あの日は夕方からの当番でしたので……。で、ですが、僕は決して犯人を逃がす手助けなんてしていません!」
慌てて否定するルッツに、フィオンは笑いかけた。
「別に君を疑っているわけではないよ。ちょっとそのときの様子を聞きたいんだ」
「は、はぁ」
そういわれても、あの日実際につれてこられた犯人を自分は見ていない。様子と言われてもと、ルッツは口ごもった。
「当日でなくても、ここで最近変わったことはなかった?」
「変わったこと、ですか?」
「なんでもいいよ。難しく考えないで、どんなことでもいいから」
「そう……ですね。あの日からといえば、この前ここで同じ雑用をしていたヤツが仕事をやめたことぐらいでしょうか」
「辞めた? どうして?」
「詳しくは分かりませんが、怪我をしたと聞いています」
「怪我?」
「どんな怪我かはオレ……私には分からないですが、仕事を続けられなくなるような怪我だったようです。ギルダスさまが確認されたというお話でした。で、ですが、あの事件の後もそいつはちゃんと普通に仕事をしていましたし、怪我で仕事を辞めたのだから、事件には関係ないと……」
「そうだね」
慌てて仲間をかばおうとするようなルッツの反応に、フィオンは優しく声をかけた。
その表情に、ルッツはほっとしたように肩の力を抜いた。
「ところで、その怪我をした人物の名はなんと?」
「カイサルといいます。無口で自分のことはほとんど話さなかったですけど、仕事は真面目にやる奴でした」
「バード公爵、大変お待たせしましてもうしわけありませんでした」
ギルダスはもどってくるとふかぶかと頭をさげた。
そんなに長時間待たせたわけではないが、王弟殿下の訪問時にありえない失態である。
「いえ、彼と話すことができて、とても有用な時間でしたよ」
「もったいないお言葉でございます」
もう一度頭を下げると、ギルダスは雑用係に目で合図をおくる。早くここから出るようにとのしぐさに、ルッツは短くあいさつをすると慌ててこの場を後にした。
「至急の用件は、大丈夫だったのですか?」
「はい、本当に申し訳ございませんでした。使いの者にはきつく言い渡しておきましたので」
「いえ、僕の訪問も急なことでしたのでお気になさらずに。ここへ来るむねも、直接ではなく間接的な申し入れとなってしまい申し訳なかったと思っています」
「とんでもございません。そのようにお気遣いいただきまして、こちらこそ恐悦でございます」
「伝言役をおわせてしまってすまなかったと、ランデル子爵にそうお伝えください」
「もったいないお言葉でございます。公爵にはいつもお世話になっているのに、そのように気にかけていただいたと知れば、兄も大変に喜びましょう」
にっこりと微笑むと、ギルダスは再度フィオンに深く頭を下げた。




