28.自覚
「何、これ?」
室内に入ってきて開口一番、エリサがドアの前に立ったままつぶやいた。
マカリスター男爵家の一室。
そこには、花瓶に活けられた花々が美しく飾られていた。しかし、問題はその量である。
テーブルの上はもちろん、現在は初夏のため使用していない暖炉の中にさらにはその上、飾り棚の上に、たぶんそのために移動されたのであろう窓際のチェストの上と、部屋のいたるところで大小の花瓶に美しい花が咲き乱れていた。
せめてもの救いは、室内の窓が開けはなたれていることだろうか。花の量のわりには室内に香りがこもりすぎず、その美しさを堪能することができる。
エリサの言葉に、コレットはあいまいに微笑んだ。
実は自分の私室も同じようになっているといったら、エリサはどんな反応をするのだろうか。
近くにあったピンク色のガーベラに顔をよせて香りを楽しむと、エリサはくるりと振り返った。
イスから立ち上がろうとしたコレットを手で制すると、コレットの向かいに腰をおろす。
「この花、もしかして全部?」
エリサがあたりを見回しながら言うと、コレットは慌てて手を振った。
「あの、全部というわけではなくて。王妃さまからいただいた分も……」
フィオンから聞いたのだろうか。夏至祭の後、王妃さまから怪我のお見舞いとして届いたものも多少は含まれている。
しかし、ほとんどはフィオン、バード公爵がお見舞いの際に持ってきたものではあるが。
いただいた相手が相手である。
メイドに任せるだけでなく、執事までもがむやみに枯らしてはいけないと目を配り、はてはマカリスター男爵と夫人までが気にかける始末。そのため、花のもちが長くなりこの事態となっているわけである。
フィオンとしては、花が傷む前にと新しい花を贈っているだけなのだが……。
「それで? 足の具合はどうですの?」
お茶に誘ったのを怪我のためにと辞退され、今日エリサはそのお見舞いに来たのである。
「もう、ほとんど大丈夫です。あまり長く立っていると、少し痛みますけれど」
「夏至祭のときなのでしょう? いったい何がありましたの?」
「えっと……」
何から話したらいいのだろうか。
見知らぬ人にフィオンから引き離されてしまったこと、そして足を痛めたところで元婚約者であるキースにあったこと。あの日はいろいろあった一日だった。
しかし……。
あの日、フィオンの腕の中で泣いてしまったコレットを用意させた馬車に座らせると、彼は優しくコレットの頬にふれ涙をぬぐった。
その手のぬくもりを思い出し、コレットの頬が赤く染まる。
その後馬車でバード公爵家に連れられ手当てを受けたのだが、そこに着くまでの馬車の中。安心させるようにと、ずっとフィオンが肩を抱いていたのを思い出せばもういたたまれなかった。
冷静になって考えれば、顔から火が出るのではないかと思うぐらいに恥ずかしい。
いきなり見知らぬ人に腕をつかまれフィオンとはぐれてしまった恐怖、元婚約者であるキースに会った衝撃。確かにあの時のコレットの心境はかなり不安定だった。
傷ついていた心が、痛む体が、フィオンの優しさを拒否するすべなどなかったのも事実である。
だとしても、いつもよりも近い距離をそのままに、自分を抱き上げるその腕の強さも、優しく頬をなでるそのぬくもりも受け入れ、前髪が触れ合うかという距離で見つめあう。
まるで恋人同士のような距離で、甘えるようにフィオンのぬくもりを求めていたような自分に、コレットは涙がでそうなぐらいに恥ずかしくなった。
その上、あの日からフィオンのことばかり思い出してしまって、どうしていいのか分からない。
会いたいと思っていた元婚約者に久しぶりに再会したというのに、あれから脳裏をよぎるのはフィオンのことばかりなのだ。
質問したことにも答えずに、一人思い出しながら頬を赤く染めたコレットを、エリサはじっと見つめた。
何があったのか、その詳細は分からない。
分からないが、このコレットの反応から見て言えることは一つ。
「落ちたのね」
「えっ?」
エリサの声にはっと我に返ると、コレットは聞き返した。
考え事をしていたためよく聞こえなかった。
ようやく自分を見たコレットに、エリサははっきりと言う。
「バード公爵のこと、好きになったのでしょう?」
(好きに……)
エリサの言った言葉を自分の中で繰り返すと、コレットの顔がさらに赤くなり、やわらかな耳朶までがふんわりと朱に染まった。
その反応に、エリサはため息をつく。
「図星ですわね」
「えっ、いえ……ち、違います。そんな……」
しどろもどろに答えながら、コレットは熱くなった頬を隠すように手をあてた。
好きだなんて、そんなはずはない。いや、あってはいけないのだ。
そんなふうに赤くなって否定されてもまったく説得力がないと、エリサは再びため息をついた。
まあ、あれだけフィオンに口説かれて、今まで好きにならなかったのが不思議なくらいなのだが。
「……だめ……なんです」
頬から手を下ろし膝の腕で握ると、コレットは力なくそういった。
「フィオンさまとは身分も違いますし、薬のことも……」
フィオンの言葉が、すべて薬のせいだなんて思いたくはない。
でも、薬のことがなくて本当に自分のことを好きになったのかといわれると、それも違うような気がする。
急にしゅんとしたようなコレットをみつめると、エリサはメイドが入れたお茶を手に取った。
ゆっくりとそれに口をつける。
「よろしいんじゃなくて」
「えっ?」
コレットが驚いて顔を上げる。
「ですから、バード公爵のこと。好きになってもよろしいんじゃなくて」
「で、でも」
惚れ薬の一件。
エリサは最初からかなり反対していたはずだ。好きになるなと釘を刺され、コレットもその意見には納得するだけの理由があったのに。
コレットの思っていることを感じ、エリサは肩をすくめた。
「最初はね、反対でしたわよ。だってそうでしょう? わたくしの友人に声をかけるから見る目があると思ってせっかく紹介しましたのに、それが『惚れ薬』のせいだなんて、馬鹿にするのにもほどがありますわ」
ちょっとだけ眉根をよせ、不機嫌そうにエリサは言った。
あのときのことを思い出すと、今でも腹が立つことは確かだ。
「でもね」
ふんわりと表情を和らげ、エリサは続けた。
「最近は、それだけじゃないのかしらとも思うの」
「それだけじゃ……ない」
「コレットに好きになられて困るのなら、公爵もあんなに口説いたりしないでしょう?」
いくら惚れ薬の効果があったとしても、公然とみなの前でコレットを口説いてくるのはどう考えても意図的であるとしか思えない。
会いたいだけなら、人目を避けて会ったほうが面倒は少ないはずだ。
もしそんなことをするのだったら、コレットの気持ちがどうであろうとエリサは絶対に反対するのだが。
だが、あえて堂々と人前でコレットを特別にあつかうことで、はっきりと自分の態度を示しているフィオンには、盲目的な恋心以上のものが感じられる。
まあ、うがった考え方をするのであれば、まわりに認めさせることによってコレットの逃げ場をなくしているという考え方もできるのであるが。
それでも、フィオンが真剣にコレットとの未来を見据えているのならば、コレットの気持ちを尊重し応援することもやぶさかではない。
「王さまも王妃さまも、反対はしていないようだし」
反対ならば、王家のパーティーでフィオンのパートナーを務めさせることなどしないはずだ。
「それは……」
確かにはっきりと反対をされた覚えはない。
というか、王妃さまといい、モニカ・サーランド嬢といい、アンリにエリサまで。反対されるどころか、こうも応援されるとコレットとしてはどうしていいのかわからなくなってしまう。
「無理に好きになれといっているわけではなくてよ?」
いくら王弟であるとはいえ、事態が事態である。
コレットには断るだけの権利と理由がしっかりとあるのだ。
「ただ、好きな気持ちに嘘をつく必要はないんじゃないかしら」
そうなのだろうか。
自分はフィオンのことが好きなのだろうか。ずっと好きになってはだめだと思っていた。だからまわりになんと言われても、すべて鵜呑みにするわけにはいかなかった。
けれど……。
好きになってもいいとはっきり言われ、コレットの気持ちが揺らいでいく。
「まあ、それは後でゆっくり考えるとして」
とまどったような表情のコレットに、エリサはにっこりと微笑んだ。
「夏至祭になにがあったのか、しっかりと聞かせていただきますわよ」
どうやらその話題からは、逃がしてもらえないようである。
エリサが帰った後も、コレットはイスに座ったままその場から動けなかった。
エリサの言葉が、コレットの頭の中で何度も繰り返される。
自分がフィオンを好きかどうかなんて、よくわからない。ただ、フィオンのことが頭から離れなくて、そのたびに苦しいほどに胸がドキドキする。
キースのことも確かに好きだったはずだ。でも彼を想うときにはこんなふうにはならなかった。会えたら嬉しかったし、会いたいとも思っていたけれど、こんなふうに自分でコントロールできないほどに思考を支配されることなんて……。
コレットの口からため息がもれる。
テーブルの上に飾られた、フィオンから贈られた花。それをじっと見つめると、そっと花びらに指で触れてみる。
それだけで、この花を贈られたときのフィオンの顔が思い浮かぶのだから、自分は本当にどうかしてしまったのではないかと思う。
花から指を離し、再びため息をつくとコレットは視線を上げた。
(えっ?)
顔を上げた瞬間にその場にいた人物に、コレットは動くこともできずに目を瞬かせた。
今まで頭の中で思い描いていた人物が目の前にいれば、幻でも見ているのではないかと思う。
「……フィオン……さま?」
半信半疑といった感じで名前を呼ぶと、フィオンはにっこりと微笑む。
「ノックはしたんだけど。驚かせてしまったかな?」
確かによく見れば、フィオンの後ろで彼を案内してきたであろうメイドが扉を閉めるのが見えた。決して勝手に入ってきたわけではなく、おそらくコレットにも声をかけたのだろうが、考え事をしていてまったく気が付かなかった。
目の前にいるフィオンが本物であることに驚いて、コレットは慌てて立ち上がった。
王弟殿下でもあり、バード公爵である彼を迎えるのに、ぼおっとしていた上に座ったままだったなんて失礼にもほどがある。
慌てて立ち上がったことで、コレットの足にツキンと痛みが走った。その痛みでバランスを崩し、コレットの体がぐらりと傾ぐ。
「きゃっ」
倒れるかと思ったその前に、コレットの体がフィオンにふんわりと抱きとめられた。
触れた瞬間、コレットの体がびくりと震える。
一瞬、強く抱きしめられたと思ったのは錯覚だろうか。そばで触れて、彼の香りに包まれる。それだけで、息が苦しくなるほどに胸が痛くなる。
じんわりと涙がにじんでくるのは、決して足の痛みだけのせいではなかった。
「急に動いたりしたら危ないよ。まだ怪我が治りきっていないんだから」
優しく耳元に届く声に、コレットは小さく頷いた。
コレットの返事を腕の中で感じると、フィオンはコレットの手をとりゆっくりとイスに座らせた。
「大丈夫?」
「……はい」
ひざまずいて視線を合わせてくるフィオンに、なんだか恥ずかしくて視線が合わせられず、コレットの視線が泳いだ。
いきなり目の前に現れたフィオンに心の準備ができず、動揺が隠せない。
そんなコレットを気にする様子もなく、フィオンは胸ポケットからケースを取り出すとコレットの前でそれをあけた。
中からでてきたのは、ムーンストーンのネックレス。花模様のデザインの中に、乳白色の宝石が輝いている。
「プレゼント」
「え?」
「お見舞いの、ね」
言われてもう一度、ネックレスに目を落とす。
自分のためにと彼が用意したのかと思うと、それだけでドキドキして頬が熱くなる。
しかし。
「い、いただけません」
「どうして?」
「いただく理由がありません」
ムーンストーンのまわりにあしらわれているのは、小さくカットされた宝石たち。それによって形作られた可愛らしい花模様は、まるで月の中に咲く花のようである。金色に輝く鎖は、まるで植物の蔓をおもわせるほどに綺麗に作りこまれていた。
フィオンにとってはたいしたことがなくても、決して安い買い物ではなく、お見舞いとして簡単に受け取れる品物ではない。
身に着ける装飾品や宝石などの類は、贈り物として花を受け取るのとは話が違う。
「これ以上花を贈ったら、家中が花に埋もれてしまうかと思ったんだ」
フィオンは部屋の中を見渡してそういった。
一応気にはしていたようである。
「それに、この石には癒しの効果もあるから、お守りに」
そういわれてしまえば、断ることもできない。
「受け取ってくれるかな?」
「……はい」
こくりとコレットが頷けば、フィオンはとっても嬉しそうに微笑んだ。その笑顔にコレットの胸が大きく鼓動を刻む。
フィオンはそのネックレスを取ると、ゆっくりとコレットの首にそれを付ける。
向かい合ったまままわされた腕に、近付く顔に、全身が意識しているのが分かった。恥ずかしくて、逃げ出したくて、でも、離れたくない。
ただ座っているだけなのに、心臓の音がやけにうるさかった。
どきん、どきんと脈打つ音が、ネックレスをつけるために触れた指先から伝わってしまったらと思うと、どうしていいのかわからない。
もう、否定なんてできなかった。
(私は、フィオンさまを……)




