26.謝罪
久しぶりに会った人物に、コレットの体が動いた。
近付こうと無意識に体が動いたのを足の痛みが止め、コレットの口から小さく声が漏れる。
「怪我をしてるのか? 立てる?」
そういって、キースはコレットに近付くと彼女に手をかして立ち上がらせた。怪我をしているのに動かすのはあまり好ましくないだろうが、こんな暗がりのなか地面に座ったままでははっきりとした状況もわからない。意識はしっかりしているようだから、多少場所を変えるぐらいなら問題ないだろうとキースは判断した。
キースに手をかりてコレットは何とか足を進める。
痛みはある。しかし、手を借りたことで痛む足にかかる負担は大きく軽減された。その上見知った相手だったというのが気持ちの上でもだいぶ影響を与えているらしい。先ほどは力がうまく入れられなかった足に力が入る。
池を取り囲む遊歩道近くに置かれたベンチまでなんとか手をかりて歩くと、コレットはそこに腰を下ろした。
直接地面に座っていたときよりも足への負担が減りほっと息を吐く。そして、コレットはあらためて自分の目の前に立っている人物を見上げた。
遊歩道に置かれたランプの光で、さっきよりはっきりと相手の顔がみえる。
コレットの記憶よりも少し背が伸びていて、顔つきも以前より大人びた感じがするが、そこにいるのは確かに幼い頃から知っている元婚約者の姿だった。
「痛むのは、足?」
問われてこくりと頷く。
「……少し、ひねったみたい」
「他は?」
コレットはゆっくりと首を横に振った。体は確かに痛いが、ひねった足ほどではない。
それよりも、コレットは目の前にいるキースから目が離せなかった。
会ったら言いたいことはたくさんあった。訊きたいこともたくさんあったのに、突然その機会が訪れてもうまく言葉にすることができない。まるで言葉が喉に張り付いてしまったように、訊かれたことにやっと返事ができるだけだ。
しばしの沈黙の後、キースが口を開いた。
「久しぶりだな」
「……うん」
「噂は聞いてるよ。いろいろと大変そうだな」
「そんなこと……」
唇をかみ締めながら、コレットはキースから視線を逸らした。
なんだかわからないが、キースからその話を聞きたくなかった。
「コレット、ごめん」
びくんとコレットの肩がゆれた。ゆっくりと視線をキースに戻す。
何のことを言っているのか、そんなこと言われなくてもわかる。
「本当はもっと早く言いたかった。でも、会いにいけなかったから……」
コレットに会おうとしても、父親がそれを許さなかったのだから会えるはずもない。
「君は何も悪くなかったんだ」
「それじゃ……」
(どうして?)
幼馴染として育って、これからも夫婦として穏やかな時間が続いていくと信じていた。
でもキースにとって、幼い頃からの結婚の約束は負担なだけだったのだろうか。
「コレットのことは今でも嫌いじゃないし、妹みたいに思ってる」
「妹……」
「一緒にいたいと思う人ができてしまったんだ」
それは、コレットではない別の人と。
「キース!」
沈黙を破るように、ふいにキースの後ろの方から女の人の声が聞こえた。
石畳を走る足音が近付いてきたかと思うと、ぐいっとキースの腕がとられる。
「もう、遅いよ。どこいっちゃったのかと思った」
にっこり笑う女性を、キースは慌てたように支えた。その女性のおなかには少しのふくらみがある。
「走ったりしたら危ないだろ」
「平気よ。あら? お知り合い?」
コレットのことに気が付くと、女性は恥ずかしそうにキースに絡めていた手を離した。
にっこりとその女性はコレットに微笑む。
「はしたないところをお見せしてごめんなさい。あたしはメリーナ。よろしくね」
コレットの目が大きく開く。
彼女がキースの相手だということは、一目瞭然だった。
相手が名前を名乗ったのなら、きちんと自分の名前をいってあいさつするのが通例である。しかし、コレットは自分の名を名乗ることができなかった。
彼女は知っているのだろうか、キースに婚約者がいたことを。アッカーソンの家に関わっていれば、たとえ最初は知らなかったとしても多少は耳に入っているはずだ。
どこまで知っているのかわからないが、コレットは自分の名前をいうのがためらわれた。
名前をいえば、自分がそうだとわかってしまう可能性がある。
コレットの気持ちを察したのか、キースがメリーナに声をかけた。
「メリーナ。彼女は足を痛めてるんだ。送ってすぐにもどるから、約束の場所で待ってて」
「あら、ごめんなさい。痛むの?」
コレットの表情は薄明かりのかなでも分かるくらいに、こわばっている。
明るく話しかけてくるメリーナとは対照的に、コレットは何も答えられない。
目の前にいるキースとメリーナ。
メリーナを見つめるキースの瞳は、コレットの知っているキースではなかった。
その瞳のなかには、幼いころからの約束さえも消してしまうだけの思いが込められている。
わかっていた、ことだった。
キースと会うことも手紙を出すことも禁止されて、彼と連絡を取るすべはなくなっていた。それでも、心の中ではわかっていたのだ。
幼い頃の婚約を解消するだけの覚悟が、キースにあったということも。それだけ相手のことを思っているだろうということも。
小さい頃から知っている相手だから、コレットにはそれがわかっていた。
でも、はっきりした言葉がないからと自分でも気が付かないうちにその事実にふたをして、あえて触れないようにしていた。
わかってはいた。
でも、信じたくなかった。
しかし、目の前の二人の姿が、それが現実であるのだとコレットに知らしめる。
キースは、コレットは何も悪くないといっていた。それは、きっとキースの本心なのだろう。
急な婚約の解消は確かにほめられたことではない。貴族の社会で、約束の反故は信用を地におとしめる行為だ。しかし説明が足りずその過程に問題があったとはいえ、キースが悪かったわけでもないとコレットは思う。
キースの気持ちがメリーナに行ってしまったのは、コレットが悪かったわけでも、キースが悪かったわけでもなく、キースが心から求めた相手がコレットではなかった。ただそれだけのことだ。
それだけのことなのに……。
(どうして、こんなに胸が痛いんだろう)
こぼれそうになる涙を、コレットは必死でこらえる。
ここで泣くわけにはいかない。
「コレット、送ってく。ここには一人で来たわけじゃない……よね?」
こくんとコレットはうなずいた。
喉の奥がヒリヒリと痛い。言葉をつむげば、こらえていた涙がこぼれてしまいそうで何もいえなかった。
立ち上がるために差し出されたキースの手を、コレットはじっとみつめる。
もう自分のものにはならない優しい手が、そこにあった。
コレットは顔をあげるとキースをみつめ、その後ろで心配そうに自分を見つめるメリーナに視線を移すと、再びキースの手に目を落とす。
足が痛む以上、一人でここから動くことはできない。
でも……。
「その必要はないよ」
コレットが答える代わりに聞こえた声に、みなの視線がそちらに移った。
わずかなあかりでも彼の金色の髪がきらきらと光り、そこにいるだけでまわりが明るくなったような錯覚さえする。
急に現れた人物に、キースは姿勢を正した。
こんなに間近に会うのは、キースにとって初めてである。
「王弟殿下……」
つぶやくようにキースの口からその名が漏れる。通りすがりにフィオンがちらりとキースをみると、慌ててキースは頭を下げた。
キースの後ろにいるメリーナも何が起こったのかわからないようにまわりを見た後、失礼にならないようにキースをまねて頭を下げる。
そんな二人の前を通り過ぎ自分に近付いてくるフィオンをみて、コレットはほっと息を吐いた。




