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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第三章 『白薔薇のレクイエム』
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第三章9 『ルームメイト』

 渋滞の影響で遅れた昼食も済ませ、翔太郎はキャリーケースを引いて、蒼岬リゾートホテル1102号室の前までやって来ていた。


 このホテルは海沿いにそびえる全二十四階建ての高級リゾートで、フロアによって和室と洋室で分かれた珍しい造りになっている。


「……気が重たくなるな」


 翔太郎は小さく息を吐いた。

 部屋割りは、十傑第八席の風祭涼介。

 そしてクラスメイトにして何度も衝突してきた第六席の影山龍樹。

 よりによって、この二人と同室とは。


 十傑の二人と過ごすというプレッシャーもあるが、それ以上に人間関係の火種が既に一つ用意されている時点で、先行きが不安すぎた。


「いや、むしろ二人と仲良くなるチャンスって考えたら悪くない組み合わせかもな」


 前々から、風祭涼介とは一度きちんと話してみたいと思っていた。

 彼は影山とは違い、推薦生に対する偏見を特に持っていない。また初期の玲奈やアリシアに比べてみても、翔太郎には友好的である。


 影山とも、学園生活を過ごす上で、このまま遺恨を残す訳にはいかない。

 彼もまた、水橋を守ろうとしたり、心配したりする姿を見てから、単なる荒っぽい不良という印象が少し変わっていた。


(仲良くなれるとは思ってないけど……せめて敵対せずに済めばいいか)


 考えても仕方がない。

 翔太郎は息を吐いて、ドアを開けた。


「だから共同生活をするなら、その態度を改めろと言っているんだ」


「あァ? テメェ如きが何指図してんだコラ。俺がどんな態度で過ごそうが、俺の勝手だろうがよ」


「普段からそんな態度だから、君の周りには誰も居ないんじゃないのかい?」


「そりゃ説教か? 第八席サマも随分と偉くなったもんだな」


「席次は関係ない。あくまで、日常生活の中での振る舞いを指摘しているだけさ」


 翔太郎は──反射的にドアを閉めた。


「……え、なんか喧嘩してるんだけど?」


 翔太郎はノブを握ったまま固まった。


 既に、中で口論中。

 入りたくない。全然入りたくない。

 このまま廊下にキャリーごと置いてどっか行きたい。


 そう思った矢先、内側からドアが静かに開いた。


「やぁ、鳴神。入らないのかい?」


「うわっ!? ……あ、いや、今行く。今日からよろしくな、風祭」


 緑髪で高身長。

 落ち着いた物腰と知性を感じさせる眼鏡姿。

 いかにも優等生な佇まいをする風祭涼介が、柔らかな笑みで迎え入れた。

 だがその口元には、どこか苦笑の気配もある。


「僕のことは“涼介(りょうすけ)”で構わないよ。丁度良い所に来てくれた。君にも、影山に一言言ってもらいたかったんだ」


「え? 一言って……ちょ、ちょっと待っ──」


 言い終わる前に腕を掴まれ、部屋の中へと引っ張り込まれた。


 思っていた以上に広い。

 畳敷きの床は新しく、窓からは真っ青な海が一望できた。


 天井の木枠や障子の桟には年季があり、古い旅館のような趣と、リゾートホテルの清潔さが同居している。

 部屋の中央には低い座卓が置かれ、隅には大きな桐の箪笥。

 奥の広縁にはガラス窓が並び、海風がかすかに吹き込んでカーテンを揺らしていた。


「うわぁ……結構、凄い部屋だな。年季入ってそうな和室なのに、なんか高級感ある」


「だろう? せっかくの合宿なんだから、こういう空間を楽しめればいいんだけど──」


「……チッ」


 その声は奥から響いた。

 視線を向けると、広縁の椅子にふんぞり返る影山龍樹の姿。

 机に足を投げ出し、無言で舌打ちをする。

 黒いパーカーの袖を捲り上げ、鋭い目つきでこちらを見た。


「誰かと思えば、今度は推薦生サマかよ。相変わらず呑気な面してんじゃねぇか」


「また、推薦生いじりかよ。ぶっちゃけ、最近はいろんなところで変な噂立てられてるし、もう慣れたけどさ……」


 今更の反応過ぎて、翔太郎は苦笑で返す。

 だが、影山は機嫌が悪そうに続けた。


「よりにもよって、何でテメェらと同じ部屋なんだろうな。俺は先公共に、一人部屋にしろって言ったはずだが?」


 十傑は、この学園では最も権力の高い存在だ。


 学園で何かと優遇された立場にいる彼らは、時として教員たちにも直接交渉する事が出来る程の権限も持っている。


「今回の夏合宿はバカンスじゃなくて試験だ。他の生徒との交流も含まれているという事なんだろうね。個室が無い理由ぐらい、少し考えれば分かるはずだが?」


 影山の横暴な要求に、すぐに正論で返す涼介。


「聞いちゃいねぇっての。こっちは、ムカつく顔が二つも並んで不快だって話をしてんだ」


「相変わらず喧嘩腰なんだな、お前」


「な? 僕が部屋に来てからずっとこの調子なんだよ。鳴神」


 涼介が軽く肩をすくめる。


「この調子で九泊十日も共同生活と来たもんだ。僕の神経の方が、先に限界を迎えそうでね」


「ハッ、何だ? 偉そうな事言ってた割に、案外打たれ弱ぇじゃねぇか」


「君とこれから長い時間を過ごすストレスを考えれば、自然な反応だとは思わないかい?」


「そういや、前のパートナー試験の時も、テメェだけ最終局面に居なかったよな? あの場で出遅れた十傑はお前だけだぜ、風祭」


 挑発気味に笑う影山。

 だが、涼介はわずかに眉を動かしただけだった。


「まぁね。それに関しては、言い訳の余地はない。けど──結果がどうであれ、僕は他人を見下す理由にはしない」


「……あ?」


「だから、普段馴れ合うつもりは無くても、こういう場では足並みを揃えようって話をしてるんだ。影山」


「俺がテメェらに合わせろと? テメェらが、俺の不快にならないように配慮しろよ」


「まぁまぁ、二人とも落ち着けって。まだ一日目だぞ?」


 翔太郎が苦笑しながら割って入ると、影山は舌打ちをもう一度だけ鳴らし、窓の外へ視線を逸らし携帯を触り始める。

 一方で、涼介は困った様にため息をついていた。


(はぁ……やっぱ、波乱の予感しかしないな)


 翔太郎は心の中で嘆息した。

 だが、そのどこかで──この二人と過ごす日々が、単なる騒がしさでは終わらない何かを孕んでいるような、そんな直感もあった。




 ♢




 一方で、408号室。

 玲奈と心音、そしてアリシアの3人が同部屋となり、白を基調とした落ち着いた洋室だった。


 二つのシングルベッドと、一つのエキストラベッド。

 大きな窓の向こうには、海辺のリゾートらしい青い水平線が広がっている。


「今日から十日間、よろしくお願いします」


 部屋に入るなり、玲奈はきっちりと背筋を伸ばして二人にお辞儀をした。


「もー、今さらめっちゃ硬いって玲奈。別に今日が初対面って訳じゃないでしょ?」


 ベッドに腰かけながら心音が肩をすくめる。

 明るい銀髪を揺らしながら、まるで空気を軽くするような笑みを浮かべた。


「それもそうですが、改めてお世話になるので……こういう挨拶は必要かなと思いまして」


 玲奈は小さく微笑みながら答える。

 その几帳面な所作が、いかにも彼女らしい。

 緊張感を和らげようとする心音の対照的な柔らかさが、部屋の空気をふっと穏やかにした。


「相変わらず真面目だね。あんまり背負い込まないでよ? 合宿なんだから、部屋の中でぐらい、息抜きもしなきゃ損だって」


「……努力します」


「努力って言っちゃってる時点で向いてない気がするなぁ」


 心音が軽く笑う。

 それを見て玲奈も、思わず肩の力を抜いた。

 そのやり取りを、窓際の椅子に座ったまま聞いていたアリシアは──返事をしない。

 ただ、ぼんやりと天井を見上げたままだった。


「アリシア? 聞いてる?」


 心音が声をかける。

 しかし、反応はない。

 数秒の沈黙の後、彼女はまた呼んだ。


「アリシアってば!」


「……あ、えっと、ごめん。何の話?」


 ようやく我に返ったように、アリシアが顔を上げた。

 その頬にはわずかな赤みが差していて、視線がどこか定まっていない。まるで頭のどこかで、まだ別の場面を再生しているような様子だった。


「もう、聞いてなかったんだ? 玲奈が挨拶してくれたの。ほら、ちゃんと返事しなよ」


「……あぁ、そういうことか。迷惑かけるかもしれないけど、十日間よろしく。玲奈、心音」


「はい。こちらこそ、アリシア」


 玲奈は静かに微笑んだが──その眼差しの奥に、僅かな曇りが走った。


 先ほどのバスの中で、翔太郎の肩に頭を乗せて眠っていたアリシアを思い出した瞬間、胸の奥で小さな棘が疼いた。


 あの時に見た光景が、妙に頭から離れない。

 もちろん、アリシアが悪い訳ではない。

 疲れて眠っていただけ──それは分かっている。

 けれど、アリシアの無防備さを、翔太郎が優しく受け止めていたことが、何故かどうしても気にかかっていた。


「……アリシア、大丈夫ですか? 先ほどから、顔が少し赤いですよ」


 玲奈の問いに、アリシアは慌てて首を振った。


「大丈夫。ただ、ちょっと考え事してただけ」


「ホントに大丈夫? アリシアは大事なこと喋ってくれない前科あるし、なんかあったらちゃんと言うんだよ?」


「別に。言うほど大したことじゃない」


「またそうやって……」


 心音は困ったように肩をすくめた。

 前回のゼクスの事件を考えれば、アリシアの不調を気にかけるのも親友なら当然である。


 その横で、アリシアはほんの少しだけ玲奈の方を見た。


「ねぇ、玲奈」


「何でしょうか?」


 アリシアはしばらく無言のまま立ち尽くしていたが、やがて俯いたまま小さく呟いた。


「……ごめん、やっぱり何でもない。ちょっと、顔洗ってくるね」


 その声は、どこか震えていた。

 玲奈が何か言いかけた時には、もうアリシアは小走りで部屋を出て行ってしまっていた。


 ドアが静かに閉まる音が響く。


 玲奈はその場に立ち尽くしたまま、しばし扉の方を見つめていた。

 心配そうに──けれど、その瞳の奥には言葉にできない何かが揺れていた。


「玲奈?」


 心音が、首を傾げて声をかけた。


「今の……何かあったの? アリシア、いつもより落ち着きなかったけど」


 玲奈はすぐに視線を戻し、かすかに微笑んだ。


「いえ、特には。きっと旅の疲れでしょう。それにアリシアは昨日、ソルシェリアが合宿について行きたいと夜中に駄々を捏ねて、睡眠妨害されていたようなので」


「え?ソルシェリアが? ……そっか。まぁ、玲奈がそう言うなら」


 心音は納得したように頷きながらも、玲奈の横顔をじっと見つめた。

 どこか張り詰めていて、まるで何かを押し殺しているような──そんな表情。


 室内には、波の音とエアコンの低い唸りだけが残った。


「でも、なんか寝不足とは違う感じなんだよね。ホテルで合流してから、アリシアってずっとあんな感じっていうか……」


「……」


「ていうか今日だけじゃなくて、ここ最近、結構アリシアってぼーっとしてる事が増えてさ。もしかしたら、今のやり取り的に玲奈は何か知ってるんじゃないかなって」


「そうでしょうか……。私には何とも言えません」


「そっか、なんか変な事聞いちゃってごめんね」


 無表情の玲奈を相手に、軽く笑って取り繕う心音。

 けれど、その笑顔は少しだけ引きつっていた。

 気まずい空気が、部屋をじわりと満たしていく。


 ──その時。

 心音のスマホが、ベッドの上で震えた。

 画面には、同じB組のクラスメイトである「夏見ひより」の名前が表示されていた。


(ひより? 今、別のフロアの子といるんじゃなかったっけ?)


 玲奈に一度謝ってメッセージを開くと、いつも通りの軽い調子の文面が目に飛び込んできた。


『ねぇ心音〜、今めっちゃヤバい噂出てるんだけど!笑』


『鳴神翔太郎とアリシアが付き合ってるかもって噂が、聞いてる?』


『クラスでも話題になっててさ〜、アリシアの親友なら何か知ってるかと思って!』


 心音は思わず息を止めた。

 ゴシップ好きらしい夏見のメッセージだったが、話に出てきた二人が自分の知り合いだったこともあってか、画面を閉じることもできず、ただそこに視線を落としたまま固まる。


(……鳴神くんとアリシアが?)


 その瞬間、洗面所の扉が静かに開いた。

 アリシアがタオルで髪を押さえながら部屋へ戻ってくると、心音はすぐにスマホを伏せ、にこっと笑顔を作った。


「おかえり、アリシア! 寝不足の顔も、少しスッキリしたね!」


「……うん。ごめんね、変な空気にしちゃって」


「全然! 気にしない気にしない! むしろさ、せっかく合宿一日目なんだし、部屋にこもってるの勿体ないよ!」


 ぱん、と手を叩く心音。

 わざと明るい声を出して、空気を変えようとしていた。


「このホテル、遊技場とかカフェとかあるんでしょ? せっかくだから、三人で行ってみない?」


 玲奈は少し驚いたように目を瞬かせた。


「遊技場、ですか?」


「そうそう! 確かロビー階の奥にゲームコーナーとか、卓球とか、あとビリヤードやダーツもあったはず! ちょっと息抜きに良くない?」


「……私は別にいいけど」


 アリシアがぽつりと答える。

 その声には、まだ少し眠たさが残っていたが。


「決まりっ!」


 心音が強引に立ち上がると、ベッドの上のクッションを叩いて笑った。


「ね、玲奈も行こう! ずっと室内で過ごすより、こういう時くらいリラックスしないと損だよ?」


 玲奈は少しだけ考え、そして小さく頷いた。


「そうですね。せっかくのリゾートホテルですし、少し探検するのも良いかもしれません」


「よーし! じゃあ決まり!」


 心音は軽やかにスニーカーを履きながら、二人を振り返る。


「合宿初日の夜は、三人で笑って過ごすって決めよ。試験とか関係なし! 十日間も過ごすんだし初日は夜まで遊んじゃおう!」


 玲奈はその言葉に、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。

 アリシアも少しだけ表情を緩め、頷くのだった。




 ♢




 1日目の夜。

 蒼岬リゾートホテル、大宴会場にて。


 天井まで届く大きなシャンデリアが、金色の光を会場一面に広げていた。

 円卓がいくつも並び、制服姿の生徒たちが笑い声と共に次々と着席していく。

 和洋折衷の豪勢な料理が並び、目の前の皿にはローストビーフ、刺身盛り合わせ、ステーキソースの香ばしい匂い──外の夕暮れと対照的に、宴会場は活気に満ちていた。


 翔太郎は涼介と並んで席に着いていた。

 涼介はナイフとフォークを器用に扱いながら、周囲の談笑を目だけで追っている。


「食べないのかい?」


「あ、いや……ちょっと人を探してるっていうか」


「人?」


「うん、B組のアリシア・オールバーナーなんだけど」


「アリシアかい? アリシアなら、さっき氷嶺と一緒に入口付近に居たけど」


 もう既に移動してしまっているのか、涼介の言われた通りに入口の方を見ても、アリシアの姿は見えなかった。


「ていうか凄いな。合宿ってよりはパーティーみたいじゃん、これ」


 翔太郎は、湯気の立つスープを見つめながら苦笑する。


「落ち着かないね」


 隣の涼介が、手元のグラスを軽く傾けながら静かに言った。

 煌びやかな照明の下、数百人を超える生徒たちのざわめきが宴会場を包んでいる。


「これだけ人数がいると、ちょっとした騒ぎでも目立つ。君は慣れてる?」


「いや、全然。むしろこういう場が一番苦手だ」


「僕も同感だ」


 涼介はグラスの縁を指でなぞりながら、小さく笑った。

 その笑いには社交的な柔らかさがあったが、どこか人の内面を測るような鋭さもある。


「ていうか、影山も一緒に来れば良かったのにな」


「彼は、僕らと馴れ合うつもりが無いんだろう。とはいえ、君もあれだけ敵視されながら、よく夕食に誘ったもんだよ」


 涼介と部屋を出る際に、翔太郎は一応声を掛けたのだが、影山は鬱陶しそうに「先に行け」の一点張りである。


「まぁ、でも断られるって分かってたけどね。ほら、影山ってこういう時、水橋とよく一緒にいるし」


「水橋美波か。……去年のクリスマスから、もう半年以上が過ぎているというのに、影山も強情な男だ」


「やっぱり涼介も、あの事件のことを?」


「当然、知っているとも。僕もその場に居たしね。聖夜の魂喰いは零凰学園の汚点だ。事件から数年は語り継がれるだろうね」


 その言葉に、翔太郎の表情が少し曇った。

 あの事件の後、調査は進まず、事件を起こした推薦生・海道杏子の動機も未だに闇の中だ。

 この様子だと、涼介も影山がなぜ推薦生を嫌っているのかは理解している様子だった。


「そういえば、アリシアが言ってたんだけど、あの時って、涼介も海道杏子を止めるために戦ったんだっけ?」


「僕は戦ったというより、周りの警戒をしていたり避難誘導をしていただけさ。実際に海道と交戦したのは、主に影山だったよ」


「へぇ……。影山って結構凄いんだな」


 涼介は肩を竦める。


「彼の戦いぶりは凄まじかった。海道の被害にあった水橋に後遺症が残って入院したことで、影山はずっと推薦生を必要以上に敵視している。──まぁ、そんな彼を見て、君が気にかけるのも無理はない」


「……別に、気にしてるわけじゃないけど」


 聖夜の魂喰いの調査は、あれ以来進展が無い。

 アリシアの推測では、海道杏子も夜空の革命の関係者だと踏んでいる。

 そして被害者である水橋の話も、組織に繋がる情報は無かった。


 ゼクスとカレンも死亡し、四季条の行方も分かっていないので、いよいよ組織を追う手がかりが無くなった訳だが、ゼクスの工房である第五湾岸埠頭は、引き続き剣崎や日本政府が調査を進めている。


 翔太郎が目を逸らすと、涼介は意味深に笑ってナプキンで口元を拭った。


「そういえば、翔太郎。アリシアなら、あそこだ」


「あっ、ホントだ」


 フォークが皿をかすめる音、周囲の笑い声。

 その中で、翔太郎は涼介に言われた方へと視線を動かした。


 ──少し離れた女子席。

 心音がカメラを構え、アリシアと玲奈にピースを促している。

 玲奈は控えめに笑い、アリシアはどこか上の空のように見えた。


(……仲良くやってるな)


 バスの中で眠る彼女の姿。

 肩に預けられた重み。

 思い出すたびに、胸の奥がざわつく。


 しかし、それとは別にバスに降りた瞬間に、明らかに避けられたので、少しだけアリシアと話がしておきたいと思っていたところだった。


「何か、アリシアに気になることでもあるのかい?」


「あ、いや別に?」


 涼介は小さく笑い、グラスを軽く揺らした。


「僕が思うに──君は周囲をよく見ているようで、肝心なところでは無自覚だ。アリシアや氷嶺が君をどう見ているのか、気づいていないだろう?」


「ん? どういう意味だよ?」


 話の流れを掴めていない翔太郎の反応に、涼介は少し困ったように笑った。


「前の十傑会議ではね、第一席の獅堂迅牙先輩が君のことを新十傑候補として名前を挙げていたんだ」


「らしいな。玲奈から聞いただけだから、実際にその第一席と話した事はないけど」


「僕が驚いたのはその後だよ。まさか──あの氷嶺とアリシアが、二人揃って君を推していたんだ。あの二人がだよ? 十傑の中でも、特に他を寄せつけなかった二人が、だ」


「マジかよ、あいつら」


 十傑会議がどんなものだったのか、特に詳しく玲奈に聞いた訳では無かったが、自分の名前が出た時に、二人は大きく反応を示したらしい。

 それこそ、普段の玲奈とアリシアを知っている者たちからすれば、驚きを覚醒ない程度には。


「僕もその時、少し興味を持ったんだ。どんな人間が、あの二人の信頼を得たのか。僕があの時、君に声を掛けたのはそれも理由の一つだ」


「なんか……そう言われると、むず痒いな」


 翔太郎は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。

 褒められているのは分かるのに、どうにも居心地が悪い。

 すると涼介は少し表情を和らげて言った。


「氷嶺がまさか誰かをパートナーにするなんて思いもしなかったし、アリシアが白椿以外の人間をあそこまで認めているのも驚きだった」


「やっぱり、あの二人が他の誰かと仲良くしてるのって、そんなに珍しいのか……」


 玲奈もアリシアも、ディスコミュニケーションの典型例だったような生徒である。


 ただ、翔太郎自身は特に何かしたとは考えてない。

 彼女たちの問題に首を突っ込んで、自分が思うように動いただけ。結果として、二人の信頼を得ているが、一歩何かを間違えれば嫌われていてもおかしくは無かった。


 だからこそ、歩み寄ってきたのは彼女たちの力によるものだと考えていた。


「素直に受け取ればいい。実力もあるが、何より君の在り方が周りを変えている。僕はそれを、羨ましいとさえ思うよ」


「そんな大層なもんじゃないと思うけどな」


「だけど──氷嶺もアリシアも、君に出会って確かに変わった。それは事実だろう?」


「まぁ確かに、最初に比べたら仲良くなれたとは思う。特別、俺が何かしたって訳じゃないけどさ」


「特別なことをしてないのに、誰かを変えているっていうのは──それこそ、特別以上のことなんじゃないかな」


 涼介の言葉に、翔太郎は一瞬返す言葉を失った。

 周囲の笑い声が遠くなり、グラスの氷が音を立てて溶けていく。

 その音が、妙に印象的だった。


 ──その少し後。

 場内の明かりがふっと落ちた。


「……始まるみたいだね」


 涼介が小声で言うのとほぼ同時に、マイクを手にした教員がステージに上がる。

 白いクロスのテーブルに反射する光。

 会場のざわめきが次第に静まっていった。


「えー、皆さん。まずは一日目、お疲れ様でした!」


 拍手と歓声が沸き起こる。


「本日は自由行動日ということで、皆さん思い思いに過ごせたことと思います。──ですが、明日からが合宿本番です」


 会場のあちこちで、緊張と期待の混じった声が上がる。

 教員は笑みを浮かべ、やや芝居がかった口調で続けた。


「二日目以降は、生徒個人ごとに選択する異能課題が始まります。実戦形式の課題もありますので、くれぐれも怪我のないように! この合宿で得た経験が、皆さんの今後の糧になることを願っています!」


 再び拍手が起こり、会場の空気が一気に温まる。

 教員がグラスを掲げた。


「それでは──零凰学園、夏期合宿の成功を祈って……乾杯!」


「乾杯っ!!」


 歓声とともに、無数のグラスが打ち鳴らされた。

 弾ける音とともに、宴会場は一気に明るさを取り戻す。

 生徒たちの笑い声が渦巻き、ステージの幕が開く。


 軽快なリズム。

 次々と流れ出すメロディに合わせ、パフォーマンスのダンサー達がステージに登場する。

 派手な照明と歓声が交錯し、場内の熱気が上がっていった。


「え? 高校の夏合宿の夕食会でパフォーマンスなんてやるのか?」


「仮にも、零凰学園は日本トップの異能力育成機関だからね。こういうエリート達の娯楽も政府がお金をかけてくれているって事さ」


「なんか、嫌な税金の使い方だな」


「その言い方はちょっと捻くれてるね。まぁ、でも普通に見て楽しむ分には良いんじゃないかい? 滅多に見るものでもないしね」


 涼介が微笑しながら皿に料理を取り分け、翔太郎の方に差し出す。

 肉の香ばしい匂いと、スパイスの刺激が混ざり合う。

 ステージの光がちらちらと二人のテーブルを照らしていた。


「明日から試験か。なんか、いよいよ合宿って感じになってきたな」


「君なら問題ないんじゃないか? 仮にもパートナー試験で一位を取ったんだろ?」


「まぁ、それも俺一人の力じゃなくて玲奈と組んでたからだし……」


 翔太郎のぼやきに、涼介は声を殺して笑う。

 穏やかで、どこか人懐っこい笑みだった。

 騒がしい会場の中で、二人のやり取りだけが不思議と落ち着いた空気を作っている。


 ──そんなところに。


「おっすー!」


 明るい声が背後から響いた。

 振り向くと、紫色の長髪を高い位置でツインテールに束ねた少女が、グラスを片手にひょいと立っていた。


 ピアスとネイルがちらつき、制服も少し着崩している。

 まるでこのリゾートホテルの空気をそのまま纏ったような、自由な雰囲気の少女だった。


「確か、天童リルカ……だったか?」


「そーそー! 覚えててくれたんだ、鳴神くん!」


 にかっと笑って、リルカは涼介の隣にずいっと腰を下ろす。

 その明るさに、翔太郎は少し面食らった。

 彼女こそ、風祭涼介のパートナーである。


 だがその組み合わせは、誰が見ても少し不思議だった。

 学園ランキング222位の彼女と、十傑の中でも知性派として名高い涼介。

 真面目な優等生と、自由に振る舞うギャルという組み合わせは、どう考えても釣り合いが取れていないように思えた。


「僕は今、翔太郎と二人で話してたんだ」


 涼介が控えめに制する。

 だが、リルカは気にも留めない。


「え〜? なにそれ、なんか涼介が冷た〜い! ねぇ鳴神くん、あたしも混ざっちゃダメかな?」


「え? いや、俺は別にいいけど」


「ほら、鳴神くんもオッケー出してくれたしっ!」


「全く……すまない、翔太郎。リルカは空気を読むのが苦手なんだ」


「まぁ、見ればなんとなく分かる」


 なんというか、リルカの性格や話し方的にソルシェリアに近い馴れ馴れしさを感じてしまった。


「えー、二人ともひどくね? 超空気読んでるし! むしろ盛り上げてあげようっていう優しさだし!」


「そういう自己申告で、僕は何度も君に振り回されてるんだよ。リルカ」


「でもぉ、いつも振り回してくる可愛いあたしに、なんやかんや涼介も毎日充実してたり〜?」


「してない」


 涼介の小さなため息に、翔太郎はつい笑ってしまう。

 二人のやり取りは、漫才のように自然でテンポが良かった。


「同部屋の子たちはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」


 翔太郎の問いに、リルカはすぐに顔をしかめる。


「だって、あたしの同部屋の二人、超感じ悪いんだもーん。涼介は知ってるでしょ?」


「確か、リルカの同部屋は舞羽と白河だったね。相変わらず、舞羽とは仲が悪いのか」


「悪いどころじゃないって! もう、あたしが何かするたびに超陰口叩かれるし、ホント、あと九日間これとか地獄すぎるんだけど!」


 天童リルカの同部屋は、朝霧舞羽(あさぎりまいは)白河悠理(しらかわゆうり)という女子二人組だ。

 この二人はパートナー試験5位という、十傑のいるペアに次ぐ成績を叩き出しており、玲奈と心音とアリシアが同部屋で固まっている以上、総合順位3位のリルカと同部屋になるのは当然であった。


「それは……まぁ、大変そうだな」


「なにその他人事みたいな励まし〜! 鳴神くんだって、人のこと言えないんじゃないのぉ? ライバルの影山くんと同部屋みたいだし?」


「喧嘩が起きないように、同部屋の人間として僕が見張っているつもりだ」


「いや、さっきまで影山と喧嘩してたのって、どっちかと言えば涼介の方なんじゃ……」


「あははっ、やっぱりそんな事だろうと思った!」


 リルカが笑いながら頬を膨らませ、涼介が小さく咳払いをした。

 どこか呆れたようで、それでも完全に突き放さない。

 それが、この二人らしい距離感なのだろう。


 翔太郎はそんな二人を見て、ふと不思議に思った。


 なぜ、涼介がリルカとパートナーを組んでいるのか。

 翔太郎には、それがどうしても腑に落ちなかった。


 学園ランキングは8位と222位。

 数字の上では圧倒的な差があり、性格に至っては正反対だ。

 冷静沈着で理論派の涼介と、テンション高めで感情優先のリルカ。どう考えても釣り合いが取れているようには見えない。


 ──なのに。


「リルカが来ると思って、一応取り分けておいた」


 涼介が目の前の皿を差し出した。

 そこには色とりどりの料理が、きれいに盛り付けられている。

 しかもよく見ると、カルボナーラ、アボカドサラダ、アサイーボウル……まさしく女子人気の高い定番メニューばかり。


「え、マジィ!? あたしの好物ばっかじゃん!」


 リルカが目を丸くして、声を弾ませた。

 椅子を引き寄せ、涼介の隣にぴったりくっつく。

 その動作があまりに自然で、まるで長年の恋人同士のように見えた。


「さっすが第八席の優等生くん。分かってるね〜!」


「はいはい、口に合うなら良かったよ」


「も〜、そういうとこだよ。いちいち塩対応するくせに、優しいんだから〜」


 リルカはにへらと笑って、彼の肩を軽く小突いた。

 涼介は困ったように眉を下げながらも、まんざらでもなさそうに微笑む。


「……」


 ──なんだ、この空気。


 翔太郎は目の前の光景を眺めながら、胸の奥に小さなもやが広がるのを感じた。

 もしかして、この二人……そういう関係なのか?


 ただのパートナー、にしては距離が近すぎる。

 それに、好物まで把握しているなんて。

 普通そこまでしないはずだ。


「それ天童の分だったのか」


 翔太郎が呟くと、リルカはすぐに反応した。


「鳴神くん、あたしのことはリルカで良いってば。この前言ったじゃん」


「いや、でもあんまり話したことない相手に、最初から名前呼びってのは……。それに、いいのか? 涼介」


 視線を横にやる。

 当然、涼介がやめてくれとでも言うかと思った。

 しかし彼はスプーンを手に、きょとんとした顔を向けるだけだった。


「ん?何故、僕の許可を取ろうとするんだい?」


「いや、だってお前と天童って───」


 翔太郎の言葉は、口から出かけたまま途切れた。

 リルカが「ん〜?」と首を傾げ、涼介が小さくため息をついたところで、テーブルの周囲がざわめいた。


「ん?」


 周囲が妙に騒がしい。

 最初は単なるクラスの盛り上がりだと思っていたが、どうも様子が違う。


 視線を感じる。

 何人もの生徒がこちらを見ては、顔を寄せ合い、小声で何かを囁き合っている。


「なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」


「いや、何も付いてないよ」


 翔太郎が不思議そうに涼介へ目を向けると、彼は苦笑を浮かべて肩をすくめた。


「気にするな。どうせまた、誰かがくだらない噂でも流してるんだろう。僕から、辞めるように言ってこようか?」


「いやわざわざ、涼介がそこまでしなくてもいいって」


「噂ねぇ……」


 リルカが周りに視線を向けて、ぐっとテーブルに身を乗り出してきた。

 目をきらりと輝かせ、周囲のひそひそ声を拾い上げるように耳を澄ませる。


「……ふ〜ん。なるほどねぇ」


「なるほどって、何がだ?」


 嫌な予感しかしない翔太郎の問いに、リルカはにやっと口角を上げた。


「鳴神くん。君さぁ、アリシアちゃんと付き合ってるってマジ?」


「は?」


 あまりに直球すぎる爆弾に、翔太郎は思わず声を裏返らせた。

 グラスの中の水がわずかに跳ね、周囲の何人かがこちらを注目する。


「ちょ、ちょっと待て!誰がそんなことを──」


「あたしさ、こう見えて耳も目もめちゃくちゃ良いんだよね。さっきから聞こえてくるんだよ、“推薦生と第九席、マジで付き合ってる説”ってヤツがニャー」


「……誰がそんなこと言い出したんだよ」


「さぁ? 不特定多数過ぎて、誰が言い出しっぺとまでは特定できなかったな。でも、けっこー信憑性ある感じで話されてるけど?」


 リルカは肘をテーブルにつき、頬杖をつきながらにやにや笑っている。

 まるで面白いネタを見つけたと言わんばかりだ。


「信憑性か。そういえば、さっき翔太郎はアリシアを探していたな。もしかして、そういう事なのか?」


「えっ、マジで!? 今回の噂はガチだったり?」


「いや、別に付き合ってないって。本当に」


「ふぅん?」


 リルカはわざとらしく伸ばした声で、翔太郎の表情を観察する。


「まぁ、でも僕は噂よりも翔太郎を信じるよ」


「えー、そこ突っつかなくて良いんすか、涼介パイセンよ〜。明らかに今怪しかったよ?」


 リルカの謎のノリに隣では、涼介が呆れたようにため息を漏らしていた。


「リルカ、やめておけ。本人が否定している以上、ここから詮索するのは無粋だ」


「だって気になるじゃん〜! 今や鳴神くんは学年一の有名人なんだしさ」


「そういう好奇心が噂を広める原因だろう」


「えぇー、冷た〜い」


 リルカは口を尖らせながらも、テーブルの下でこっそり翔太郎の足を軽く蹴った。


「でもさ、鳴神くん。否定する割には、顔ちょっと赤いよ?」


「本当に違うっての。アリシアにも迷惑だから、そういうの辞めような?」


「へぇ〜、そっかそっか〜?」


 わざとからかうように笑うリルカの声が、騒がしい宴会場の中でもひときわ響いていた。

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