二話
「しょう君朝ですよ、起きて起きて」
「そこだ、既成事実を!」
「録画準備完了」
「早く起きないと…………き、キす! しちゃいますからネ」
「もう一歩、それで俺達の計画は完遂だ。後はひ孫を待つだけだ!」
「名前は何にしましょうか」
「そりゃあ、紗羅と正太郎で流星だ」
もう我慢出来ん!
「いい加減にしろ! はい、紗羅ちゃんおはよう」
目を瞑って唇を突き出している紗羅ちゃんの頭を撫でる。最近はこうやってあやすと問題が起きにくい。色んな意味で。
後、あの二人は許せん。
「な、なんだ正太郎。どうしてそんなに怒ってる? 流星が嫌だったか?」
「そうですね、なら私は下に行って朝食用にジュースでも作りましょうかね。ジューサーを用意しないと」
目視ではとらえられない速度で悪Bの斎藤さんは消えた。
後は悪Aのじいさんだ。
「ま、待て正太郎! 話をしよう! 話を聞け! 俺がプレゼントした百科事典を置け! 待てそれはマズイ! 嫌ぁぁぁぁぁぁ!」
よし、悪は滅した。
「正太郎様―――しょう君、お義母様は今日も帰られないそうです。本当は二人きりがよかったんですが御祖父様達が」
「まぁ、じいさんは放って置いて、さっさと朝飯食べて出掛けるぞ」
彼女が家に来てから一週間とちょっと、学校にも危なげながら慣れてきて、危なげって部分は紗羅ちゃんではなく、紗羅ちゃんに求愛されている俺に対しての嫉妬心からくる攻撃の話だが。
紗羅ちゃんには友達も出来て、俺としても一安心といったところ。裏で愛が随分根回ししてくれたみたいで、今度紗羅ちゃんに見つからないように飯でも奢ってやろう。
というわけで、休日の今日は、家、学校、スーパーの三つの場所を行き来することしか出来ない紗羅ちゃんを駅前まで連れて行こうと決めた。紗羅ちゃんは『デート、これがデートなんですね。愛し合う二人が愛を深め、確かめ合う儀式。デート!』とりあえず暴走した紗羅ちゃんをピヨピヨ口にして、昨日を終えた。
やっぱり、一人で冒険させてこの辺を覚えさせるのは恐かったので、それを禁止していたら、友達と帰りに遊びに行くのに誘われたら『申し訳ありません。私は旦那様にスーパーに行く以外は真っ直ぐ帰りなさいと言い付けられていまして、誘いには…………ちょっと』とか言い出してくれやがるもんですから、俺の女子の中での株が大暴落、女子とすれ違う度に舌打ちされる始末。可愛くて、素直で、ひたむきなもんだから女子人気も高い紗羅ちゃんに安心するような辛いような。
駅前に行けば、紗羅ちゃんの生活用品も見れるし、休日に女友達と出掛ける時も便利になるだろう。
「坊ちゃん、この私、斎藤、が作った。斎藤、によるデザートのあんみつをお楽しみ、斎藤、下さいませ」
最後の斎藤の部分はいらないと思いますよ。朝食を作るのを紗羅ちゃんに却下された斎藤さんは、プライドに傷を負ったらしく、デザートは私に、と紗羅ちゃんに必死で食い下がっていたらしい。じいさんから聞いた話だ。
「あの、斎藤君? 俺のは? 俺のデザートは?」
「お嬢さんも召し上がって下さいね」
「はい、ありがとうございます斎藤さん」
「おーい、俺にはないのかな?」
「あら旦那様、私ったら旦那様の分を忘れるだなんて、メイド失格だわ」
そう言って机に出される器。ちなみに、斎藤さんは仕事時、家時等などでモードを変えるらしく、じいさんの呼び方も変える。今は世話係モード。
「おう、あんがと…………な。斎藤君よ。朝食作れなくて凹んでんのを正太郎に報告したのまだ怒ってんのか?」
「はい? 何を言ってらっしゃるんですか? あんみつを召し上がって下さいな。あれ? まさかこの馬鹿には見えないあんみつが見えませんか? あまり学力の良くない坊ちゃんすら召し上がってるというのに」
口元に手を当てて嫌らしく微笑む斎藤さん。つか、俺の話は余計ですよ。
「いやぁ! 美味い、美味いね斎藤君!」
お前は裸の王様か!
(しょう君、私、絶対に負けませんからね。応援してください)
じいさんが騒いでる横で、俺に小さな声でそう言ってくる紗羅ちゃん。はて?何を応援しろと?
「御祖父様? まさかと思いますがこの後の御予定は?」
「ん? 決まってる孫達との楽しい休日だ」
「駄目です。嫌です。許しません」
「なっ、紗羅が斎藤君張りに冷てぇ」
「旦那様、ここは二人きりにするというのも手ですよ」
斎藤さんにそう言われて考え込むじいさん。考え込む振りをしてるようにしか見えない。
「当然、ついて来るのも禁止です。二人きり、二人きりが絶対です」
「チッ、二人きりにしちまったらよ、正太郎が狼になって紗羅を襲っちまうかもしんねぇし」
「同意の上です」
即答したよこの子。もう言い終わる前に被せてたよ。
「いや、獣のように襲われたら嫌だろ? やっぱり初めては綺麗な思い出の方が」
「しょう君が求めるのであればそれが喜びになり、思い出になります」
「ちょっと待て! なんか話が悪い方向というか関係ない方向へ走り出してるぞ!」
「しょう君…………私は、いいんですよ?」
潤んだ瞳で俺の頬に手を当ててくる紗羅ちゃん。あれ?なんか、頭がぼーっとしてきた…………なんだ、紗羅ちゃんの顔に吸い込まれていくようだ。
「って斎藤さん! その焚いてるお香はなんですか!? なんか頭がぼーっとするんですが!?」
「まぁ、ちょっとムラムラするだけのアロマですよ、うふふ」
「なんてものを!!」
「しょうく~ん。ふにゃぁ~…………」
「ちょ、紗羅ちゃん!? やめて、そんな抱き着かないで」
斎藤さんは撮影の準備に入ってるし、じいさんはいじけてるし、もう嫌だこんな騒がしい生活。
「晴れて良かったです」
「そうだな。絶好のデート日和だ。今日の君は俺達を照らす太陽よりも輝いている」
「おい、愛さんよ、なんでここにいるんだ?」
俺と紗羅ちゃんの会話に強制介入してきた愛。さっきまでは二人…………じゃなくて少し離れてるが四人だった。
「休みになんの用だ?」
「それはボクに言っているのかい? 一週間前のアレ、君のせいでボクの人気はがた落ちだ。少しは責任を取ってくれないか? 紗羅の旦那様なのだろう?」
「しょう君責任取って下さい!」
はいはい、誤解がないように、チャンネルを回して今の紗羅ちゃんのセリフだけ聞いちゃった人に対しても、普通にお付き合い下さっている人にも今の紗羅ちゃんの言葉の誤解を解いておきます。
ただ、紗羅ちゃんは旦那様という言葉だけに過剰反応してるんでしょうね、うん。
「紗羅ちゃん? 俺もさ、別に大所帯で行くのはいいんだよ?」
ちょっとした意地悪、またこの間みたいに紗羅ちゃんが不安定になったら困るから二人きりを考えていたのだが、悉く邪魔が入りやがる。
じいさんと斎藤さんは紗羅ちゃんに気を遣うので、最悪の事態にはなりえないと思っていたが、愛は前科もある。自分が楽しむためには少々手段を選ばない人間なので、紗羅ちゃんには近づかせたくなかった。
学校に入ってからずっと付き合いがあった人間を遠ざけるようにするなんて…………俺、紗羅ちゃんの事考え過ぎか?
そんな反対意見が頭の中を過ぎった時、紗羅ちゃんの苦しむ姿が思い出された。
頭を振った。嫌だ。人があんなに苦しむ姿は見たくない。俺の関係者なら尚更だ。
「あう、でも、折角来て頂いた愛さんを帰すのも…………でも、私は二人きりも………」
クソ、良い子だった!
俺の気持ちを察してか愛が頬を嫌らしく吊り上げだ。嫌な笑い方だなこんちくしょう。
「ふむ、流石は紗羅だ。そこの下心まる見え狼とは違うな。おっと、すまない、悪く言う気はない。お悩みの紗羅にボクから提案しよう」
「あう?」
「聞いた話によれば生活用品なんか買うんだろ? 正太郎じゃ女子の買い物相手にならんだろう。女の意見もあったほうが良い。買い物を午前中に済ませ、午後は二人っきりのデートの洒落込めば良い」
聞いた話って誰から聞いたんだよ。深くはツッコミたくはないが。
「あう! 凄く良い提案です! 愛さんともお出かけ出来ますし、しょう君ともデート出来ます!」
「だろう? ボクも君とお出かけは嬉しいよ」
ったく、誰よりも紗羅ちゃんの事を案じて、紗羅ちゃんに謝罪したいのは愛じゃないか。紗羅ちゃんも紗羅ちゃんで気を遣ってさ。
「んじゃ、行きますかね。昼飯はなんと俺が奢っちゃうぞ」
なんか気分が良かった。こういう事の積み重ねが大事なんだ。辛くて恐い過去なんてこうやって埋めちまえばいいんだ。
「はぁ、やれやれ、男が出すのは当然だろう?」
肩を竦める愛、それすらも気にならない程気分が良い。
「あう、しょう君、手を」
「おう!」
いやぁ、気分良いわ。
「手を繋ごうか」
「ああ!」
俺の周りの人間は良い奴ばかりだ。少しでも愛を悪く思った俺が恥ずかしいぜ。
「ってなんで俺の両手が塞がってんの!?」
いつの間!?びっくりだ!
「御祖父様、私のしょう君なんです! だから手までですよ」
俺は咄嗟に右を見る。
「ぽっ」
頬を赤らめてんじゃねぇ!
左手が紗羅ちゃんで塞がってなかったら殴ってるところだ。
「つか、今の流れおかしいよね!? なんで愛じゃなくてじいさんと手を繋いでんの!? なんで紗羅ちゃんはじいさんと手までは許しちゃうの!?」
マズイ、ボケばっかりでツッコミが追いつかん。
「ほう、この愛様の手が良かったか、堂々と浮気発言とはやるじゃないか」
「あう……………御祖父様もたまには繋ぎたいかなって思って…………でも、愛さんと手を繋ぎたいとはどういうことですか!?」
「昔は『斎藤さーん、だっこ~』と駄々をこねたのに…………」
「孫と手を繋ぐ事も許されんか」
愛は腹立たしいくらいニヤニヤ笑ってるし、紗羅ちゃんは泣きそうになったり怒ったり忙しいし、斎藤さんは本気で凹んでるし、じいさんはウザいし。
なんで!俺が悪い空気になってんだよ!?
と、この状況では叫べそうになかったので、
「ごめんなさい!」
くぅ、俺がなにしたってんだよ?
「いや、紗羅にはこっちが似合う」
「あら、愛さんのような若人はまだセンスが洗練されていませんね」
すっかり紗羅ちゃんを気に入った愛は、駅前ショッピング街の百貨店に入ってからあれやこれやと面倒みていた。見た目では断然紗羅ちゃんが上に見えるのだが、まるで愛が姉で妹を世話しているだけで、当たり前のような光景だった。二人が笑ってる姿を見ていた俺は満足だった。
でも事件は起こった。
そう、年上女性最強(自称)が二人の間に割って入ったのだ。
「お嬢さんは坊ちゃんを誘惑するんです。ですから、少し肌を見せるのは当然」
「ふん、甘いな斎藤さんは。正太郎の好みは清楚系だ。白は汚れなく清らかさを引き立たせる。よって、露出は最低限、白で攻めるべきだ。なぁに、これからもう少しで夏だ。薄着の紗羅にノックアウトさ正太郎程度なら」
「あ、あう…………あう、けんかしないでくださいよ」
服以外の生活用品は大体揃った。荷物持ちに徹してる俺はちょっと離れて三人の様子を見守っていた。
「なぁ正太郎よ」
横にいたじいさんが声をかけてくる。いつものふざけた様子はなく、これから何を言われるか、少し不安になった。
「なんで、俺までグスッ、にもづもぢざぜられるがな~?」
…………すまんじいさん。俺の両手のキャパ超えちまってさ。これでもいくつか会社を持つ社長やら会長だ。まさかこんなところで荷物持ちさせられるとは思わなかったのだろう。
「あそこに混ざって紗羅の服をワイワイキャピキャピ選びてぇよぉ…………」
そっちか!?
さっき何着か紗羅ちゃんの前に持っていったら尽くあの二人に撃破されてしまったじいさん。見ていて可哀相だった。『今までしっかり生きてきましたか?』『人生という言葉を舐めてませんか?』『ご老体、もう貴方は時代遅れだ』『ふぁいとです』等など、罵倒の末の紗羅ちゃんのフォローが余計にきいたらしく、今は荷物番といったところだ。
紗羅ちゃんに似合う服か、俺は周囲を見回したブティックなんて来たことない俺には、チカチカしてしまって最初は目が慣れなかったが、段々と耐性が出来てきたらしい。
似合いそうな服を見付けた俺は一旦荷物を床に置いて目的の物へ歩いていく。こういうのはフィーリングが大事だ。第一印象でこれと決めた。
「お姉さん、こんなん如何でゲス? ちょっと自信が―――」
「ないわ」
「坊ちゃんもやはりセンスなんてありませんでしたか」
ひでぇ、責めて言い切らせてよ。
「これは…………格好いいですね…………」
おっ、紗羅ちゃん好感触。やっぱり本人の意見が大事だよね。
「ほらぁ、俺のセンスも捨てたもんじゃ―――」
「紗羅が正太郎のために必死で褒め言葉を探したのがわからんか?」
うう……………もう何も信用しない。
「ああ、しょう君床に手をついて落ち込まないで」
紗羅ちゃんが俺の手を取って優しく握ってくれた。細くて、小さくて、白い肌には傷が…………
紗羅ちゃんが慌てて手を引っ込めた。
冗談混じりの空気で楽しくやってたのに、胸に嫌なドロドロが流れ込んでくる。
よし!
紗羅ちゃんの腕を掴んで、無理矢理手を引っ張り出して、そっと握った。強く握ったら壊れてしまいそうな手、それについている傷、火傷の痕。
「だからいつも手袋してたんだね?」
ずっと気になっていた。紗羅ちゃんが料理の時以外は外さない指が出る手袋、たまに肘まで布地が伸びてるタイプもつけていた。薄々わかっていたんだ、素肌を見せたくないんだってこと。
「今日は、手を繋ぎましたから…………ちゃんと私の手で…………」
もう一度ピヨピヨの刑だ。
「ひょうくん!」
「気にするな。ってのは無理だよね? 女の子だし、でも、俺は全部引っくるめて今の紗羅ちゃんが好きだ。大切なんだ。昔とは違うかもしれないけど、俺は今度こそ君を守るよ」
言っていて思い出してきた。幼少の頃にヒーローに憧れた俺が紗羅ちゃんに言った言葉、とても軽い言葉だった。でも、今は違う。
「しょうく………ん…………」
紗羅ちゃんが胸に飛び込んできた。本当に細くて小さい、こんな小さな人に重荷なんて背負わせやがって…………今はそんな事を言ったって状況は変わらない。だから、もう変えさせない。紗羅ちゃんが傷付く未来なんてこさせてたまるか。
「ふむ、良い感じのところ悪いが、周囲の視線が凄いぞ正太郎」
あっ
「しょう君、私、しょう君が大好きです!」
ああっ…………
恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。そしてビデオまで撮られてる。
「ちょっと加工すれば完璧にプロポーズです旦那様」
「うむ、正太郎の誕生日が待ち遠しいぜ」
「やれやれ、賑やかだな」
「よくお似合いです旦那様!」
「そうか!? いやぁ、孫に選んでもらったものだしなぁ、今年の夏はこれで決まりだな!」
超がつくほど上機嫌のじいさんが先頭に立って後に俺達は続いている。
「えへ、あうあうあう」
もう歌いだしそうに上機嫌な人も俺の手を掴んで離さない。
「正太郎、あれは先程君が紗羅に選んだシャツじゃなかったか?」
「ああ、女性物だが、肩幅の狭いじいさんだと一番大きいサイズ入ったんだよ」
「にしても本当センスないな、あれを紗羅が着ていたら………ゾッとするよ」
こちらからはじいさんの背中が見えているのだが、背中に印字されている文字はは「筋肉」正面は「鉄人」腕には「アームストロング」と入っている。
格好良すぎるのかな、まぁ、あれは紗羅ちゃんには合わんか。
「紗羅、徹底的に正太郎のセンスを鍛え直さないと後々困るぞきっと」
「あう…………」
なんで紗羅ちゃん苦笑いなんだよ。あんなに格好良いのにさ。
「紗羅、そろそろボクは帰るよ。午後は予定があってね、デート、頑張るんだよ」
「もう帰っちゃうんですか? せめて食事だけでも」
「すまないね。また明日学校で食事しよう」
「あう、残念です」
「では」
そう言って行ってしまう愛、なんか後ろ姿が格好良いな。紗羅ちゃんも、本気で愛の事を慕ってるんだな。素直じゃないけど、根は良い奴だからな。紗羅ちゃんにとってマイナスにはならないだろう。
あっ、この流れで飯奢ってやる予定が。仕方ないな、また今度にしよう三人で。
「あら? クールなペッタンコ嬢ちゃんはどこへ? ぐぇ」
鉄人じいさんのこめかみに何かが飛んできた。床を転がるそれは、十円玉。そういう危ない事は完璧にいなくなってから言わないとな。
「どうやら旦那様は十円らしいですね。そして坊ちゃんは五百円、と」
うわっ、いつの間にか斎藤さんが俺の目の前に、ってノリで俺にまで投げやがったなあの野郎。しかも五百円なんて当たったら痛いじゃないか。
「中々の投擲です。旦那様を守る事が出来ませんでした。やりますね愛さん」
違う、絶対に態とだ。態とじいさんを放っておいたんだ。斎藤さんならなんとか出来そうだし。
「いてて、仕方ない、四人で昼飯といくか。ジジイがどんな物でも食わしちゃうぜ」
「四人? 旦那様、この斎藤もお嬢さんや坊ちゃんと食事を一緒してもよろしいのでしょうか?」
「斎藤君、あまりツッコミたくはないが、そんな遠慮してたのは十ねぎゃば」
「あらぁ。何故私の手元の五百円玉が旦那様の眉間に? 刺客? 刺客かしら?」
周囲を態とらしく警戒する斎藤さん。どうしてじいさんを攻撃したんだ?昔の話をしようとしたからか?
「ったく、具体的な数字出されて年齢がばれぎゃああああ! やめて、額の五百円グリグリしないで! らめぇ!」
うわっ、すっげぇ気持ち悪い。
「ふふ、本当、夢みたいです。しょう君がいて皆いて、こんな楽しいなんて」
「まだまだ、楽しい事は沢山あるよ。紗羅ちゃんにはもっと笑顔でいてほしいな」
「しょう君。そろそろ卑怯ですよ。もう私しょう君の言葉だけで蕩けちゃいそうです」
「いや、本心で言ってるだけさ。大事な家族みたいなもんだからね」
「え?」
「手のかかる妹が出来たみたいで嬉しいんだ」
「………え?」
繋いでいた手が離れた。紗羅ちゃんの顔から色という色が消えた。半歩ずつ下がって俺から距離が開いていく。
「…………しょう君? 私、私は………わ………は………わ………私、私……私しょう君が………わわわ………あう、あうぅ………なんで………いやぁ………またなの………嫌なのに………」
「お嬢さん!」
異常に気付いた斎藤さんが素早く紗羅ちゃんを抱きしめた。何度も何度も『大丈夫』と声をかけている。紗羅ちゃんはぶつぶつとずっとなにかを呟いている。
「え、あの紗羅ちゃん?」
「いやぁ! やめて、ぶたないで…………いたいのいやぁ………」
「そ、そんなことしないするもんか、俺だよ正太郎だよ」
「いやぁ…………助けて………助けてしょう君………」
「だから―――」
右頬に衝撃。あまりの力に尻餅をつく。頭が真っ白だ。一体何が?なんで?
「大丈夫だよ。紗羅にはじいちゃんがついてるからね」
殴られた?
じいさんに?
初めての経験に頭が真っ白だ。なんで紗羅ちゃんはあんなに怖がってるんだよ、俺はなんで動かないんだよ、なんで、動けないんだよ!
クソ、ちくしょう、紗羅ちゃんが泣いてんだぞ。
「しょう君、しょう君しょう君……紗羅怖いの、紗羅守ってくれるって…………石………石は? 石がなきゃ………石はどこ!?」
「はいお嬢さん、大丈夫ですから、怖いのなんて斎藤がやっつけてしまいますから。すぐに坊ちゃんも来てくれますからね」
「石だ………石、本当!? しょう君くる?」
「はい、ですから落ち着いて、良い子にしてください」
「うん、良い子にするよ」
まだ百貨店の中だ。レストランのフロアと言ってもまだ人がいる。周囲の視線がある。喋り声が聞こえてくる。
なんでだよ。
なんで、紗羅ちゃんには俺が映らねえんだよ。
「旦那様、私はお嬢さんを」
「おう、正太郎は任せな」
何も、わかんない。俺が、俺が…………
「立てよ正太郎、ほら、行くぞ」
じいさんに無理矢理肩を担がれて、そのままエレベーターまで連れていかれた。紗羅ちゃんは違うエレベーターに乗って。
「正太郎、どういうつもりだ?」
「どういうつもりって…………俺は」
「テメェが言ったのは言っちゃいけない言葉だ。それは分かるな?」
諭すように、教えられる。語調は強くなく、優しい。
「お前の事だから言葉にしてはっきりと言いたかったんだろう。お前の父親と一緒だな。だがな、お前の父親も人が傷付く真実は黙ったさ、優しい嘘つきになったさ。お前は……………」
じいさんの語調が少しずつ強くなる。
車に乗せられ着いたのはじいさんの家。今はバカみたいに広い和室、じいさんの部屋にいた。
じいさんはその中心にある机の前に座っていた。俺は座る事も出来ず呆然と立っている。
「お前も分かったみたいだし、それに、殴ったのは、その、悪かった」
「………甘いよ」
「ん?」
「じいちゃん甘いよ………俺、自分で言ったのに、守るって言ったのに…………俺、最低な事したんだよ!」
最低だ。分かってたのに、傷付くの分かってたのに、ハッキリさせなきゃ余計に傷付けるって思ったから、俺は………………クソ、なに自分を正当化しようとしてんだよ、俺は悪い事をしたんだ、悪い事をした。
「じゃあ歯を食いしばれ!」
え?
後ろからかかった声に振り返ると、
「ぐっっっ!!」
意識がぶっ飛びかけた。左頬に受けた衝撃は異常だ。畳の上をゴロゴロと転がってしまう。
そして殴った主は、マウントをとって、
「このクソ息子が!」
バキッ、ドカッ、ゴキッ、って感じの擬音が俺の頭蓋骨や顔の骨で打ち鳴らされていく。
「しょ、晶子さん!? ちょちょ、ちょっと待ちなさい! 正太郎が、俺の孫が貴方の息子が! 痙攣してる、待って、俺が悪かったから許してやって! 正太郎が! 正太郎がぁぁぁぁぁぁ!」
鳴り止まない骨の合奏。
「ん?」
母さんの両手を押さえた。
「……………」
「なに睨んでんだ!」
まだ謝る前に死ぬわけには……………流石はお母様、頭突きとは―――
『ねえねえ!』
『………………なに?』
初めて声をかけた。ずっと本を読んでつまんなそうにしてる女の子の声はとっても綺麗だった。
それが一番最初に思った事。
『なんでご本読んでるの?』
『つまんないから』
『じゃあ僕と遊ぼうよ』
『嫌よ。あっちで騒いでるあの子達でいいじゃない?』
大部屋の中心でワイワイとやってる大人の近くで何人かの子供が遊んでいた。
『でも僕は君と遊びたい』
『なんでよ?』
顔が凄く嫌そうだった。
『だってパパが言ってたもん。一人ぼっちは良くないって』
『なに? 馬鹿にしてるの?』
『馬鹿にしてる? それってなに? どーゆう意味?』
嫌そうな顔は更に深まった。
『私と遊んだってつまんないわ』
『そんなことないよ』
『え?』
少し嫌そうな顔が弱まった。
『だって遊んでみないとわかんないもん。パパも友達は選ぶものじゃないって言ってた』
『パパが…………良いわね、パパがいて』
『? パパいないの?』
(今思えばこの言葉がどれ程残酷な意味を持ったか分かる。当時の僕と自分を呼んでいた俺をゲンコツ一発で怒りたい。)
『こんな所にいたか、おっ、可愛い女の子じゃないか』
『パパ! うん、僕友達になったんだ』
『なっ、誰がお前なんかと友達だ!』
『え? 友達になろうよ。僕は、ひむ、かい、しょうたろうだよ?』
『あっそ』
僕はじっと見つめた。
『…………なかじょうさら』
『うん、さらちゃん』
『やるなぁ、よしパパと遊ぼうか正太郎、紗羅ちゃん』
『良いの?』
『もちろん! よーし、二人とも持ち上げちゃうぞ!』
僕とさらちゃんはパパの肩に乗せられて庭まで出て行った。
「………………いつっ」
「あっ、大丈夫ですか!? しょう君?」
「紗羅…………ひゃん?」
あれ?凄く喋りにくい。顔いてえし。
「って! 紗羅ひゃん。ほれ、ほめん、ほれはひゃらひゃんのほと!」
「しょう君落ち着いてください! 何を言ってるかさっぱりです」
「ほめん……………って、紗羅ひゃん!? ほう、はいじょふなほ?」
「はい、もう大丈夫です……………嘘です」
嘘?大丈夫じゃない?
俺は跳び起きて紗羅ちゃんにつかみ掛かる。
「ほめん! ほれ、うはくいへはいへど、紗羅ひゃんが好きは! かわひひし、気立へもひいし、おへにはもっはいない! へも、もっほ紗羅ちゃんを知りたい! もっほおへをひってほしい! ずっほ好きだったから!」
言いきった。なんて言ってるか自分でもさっぱりだが、紗羅ってとこだけしっかり発音出来る理由もさっぱりだが、言った。
「まだ恋愛的な好きかもわからないんじゃないんですか?」
気持ちだけは伝わったようで、紗羅ちゃんは要点だけ返事してくれる。俺はそれに隠してもしょうがないので素直に首肯した。
「でも、私の事好きなんですよね?」
「もひほん!」
もちろん、もちろんだからね。
「なら話は簡単です」
「へ?」
紗羅ちゃんに押し倒された。そこでさっきまで俺が寝ていたのは布団で、恐らくじいさんのお屋敷内の一室である事がわかった。にしたって広い、畳が敷き詰められているが、何畳あるのか数えるのが面倒なくらいだ。
うん、本当じいさんは凄いな。っていうくらい紗羅ちゃんと触れ合った場所がいてぇ!違うこと考えてみたけど洒落になりませんよこれ。
「しょう君をメロメロにしちゃえばいいんです。わ、私はもうこれ以上にないくらいメロメロですけど」
「まっへ、紗羅ひゃんまっへ!」
「待ちません。もう二度と恐い思いはしたくありませんから、素敵なしょう君を誰かに取られる前に!」
「あっ…………」
泣いてる。そうだよ、さっきまであんなに傷付いて、泣いて、恐がって、俺また感情任せで大失敗するところだった。
俺は紗羅ちゃんを抱きしめた。
「しょう君…………」
俺の上に乗っかってる紗羅ちゃんと視線が合う。
「俺、絶対に、紗、羅ちゃんを、守る、よ。二度、と、この約束、破らないから、でも、俺、馬鹿だから、嫌な、事は、嫌と、言って」
やっと分かった。顎殴られた時に舌を変形させるくらい噛んだんだ。舌が異様に痛い、でも、ゆっくりと言葉にしていけば喋れる。これだけはしっかり言いたかった。
「これ以上私を好きにさせてどうするんですか? もう、一時だって離れられなくなっちゃいます」
そう言った紗羅ちゃんの顔が迫ってくる。
「いつっ」
「もう、私をいじめた仕返しです。大好きですよしょう君」
頬に触れた感触は腫れ上がり過ぎてよくわからなかったが、唇がしっかりと触れたのは見えた。
紗羅ちゃんは俺の胸に顔を埋めて、更に強く俺に抱き着いてくる。
「ここでなら、悪い夢も見ないですね」
そんな呟きが聞こえた時、俺は安堵感に満たされて暗闇に落ちていった。




