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8話 聖女、昔を思い出す

「おまえ、王都に戻る気あるか?」

「まったく少しもこれっぽっちも」

『ぷっぷぷぷぷっぷっぷぷー』

「だよなあ」


 セネガーが苦笑いしました。なんかムカつきますね。わたくしが今、この街にいる理由を知らない国民は居ません。大々的に報道されましたから。

 キコールさんは気遣いの溢れた声色で書状を差し出しながら「王宮からの使者が内々に、あなたへ登城する指示を持ってきた。私の立場ではこれを覆すことができない」とおっしゃいました。わたくしは、テーブルに載せられた紙切れをじっと見ます。わたくしの名前があり、勅命であることを示す印章が押されているのがわかりました。


「しかし、これはあなたにとって転機だと私は思っている」

「転機? なにがですの?」

「アニ。あなたは、立派な聖女だ。胸を張って生きてほしい。それが私の願いだ」


 わたくしはキコールさんの顔を見ました。真剣な瞳でした。

 わたくしは、ちょっとだけ拗ねた気持ちになって「今日はもう、帰りますわ」と言い、席を立ちました。

 研究所を出て、家路に着きます。プーが歩きながら『ぷう?』とわたくしを見上げました。わたくしはその頭をなでて「だいじょうぶですわ。なにもありません」と言いました。

 セネガーが幌なし馬車を出してくれました。この人御者もできるんですよね。わたくしとプーが乗り込むと、静かに動き始めます。

 セネガーは、ずっと律儀にわたくしの警護をしています。まるでわたくしへ仕える騎士みたいに。――もし、わたくしがちゃんとした聖女だったら。セネガーとは、正式にそんな関係だったかもしれないですね。


 家に着いて、馬車を降りて。セネガーにお礼を言ってプーとともに家へ入り、扉を閉めました。プーはずっとわたくしのことを心配しています。それが伝わって来ます。きっと、わたくしの気持ちも、彼に伝わっているから。

 服を脱ぎ散らかして、顔も洗わないで。わたくしはベッドへ沈みました。なにも考えたくない。もう、なにも。このままずっと眠ってしまいたい。


 そのまま、うつらうつらとして。昔のことを夢に見ました。


 ――わたくし、両親がおりません。物心ついたときには、地方の孤児院で生活をしていました。小さい施設の中に、たくさんの子どもがいて。大きくなれるのは一握りの人数でした。

 そんな環境でも、わたくしは恵まれていたのだと思います。とくに大きな問題が生じることなく育ちましたし、小学校はすべて国営なので、ちゃんと通わせてもらえました。ひどい運営をしている孤児院では、そうした手続きを踏まないところもあるそうですので。

 わたくしの生活が変化したのは、十歳のときでした。それなりに苦しい運営費用で回している院に、監査が入ったのです。わたくしはそこで暮らしている子どもたちの中でも、年相応には育っていました。先生たちは口をすっぱくして「院が不利になることを言わないように」と言い聞かせ、監査員の聞き取り調査へとわたくしを向かわせました。

 食事はちゃんととれているか、職員たちの接し方はどうか。読み書きの程度も確認されました。あとで知ったのですけれども、それは当時十三歳だった第五王子様が派遣した人たちだったようです。王子様たちはみな、その年になると社会奉仕活動を推奨されているそうですわ。都市部の孤児院なんかは、もうお兄様たちが手を付けていらしたんでしょう。それでわたくしたちの院に白羽の矢が立ったわけですね。

 わたくし、それなりに賢いお子さまだったのですけれど、受け答えがしっかりしていると監査員さんたちが感心してくださいました。ちょっと算数が苦手ですけれども、尋ねられたのは国の貨幣に関する知識くらいで、計算はしなくてすみましたし。どうにか表面上を取り繕って、院のイメージアップに貢献できたわけです。そして、第五王子様からの定期的な支援が決定しました。


 院の名前は王子様の名前からとって、『マインサム国立孤児院』と呼ばれるようになりました。昔の名前はわすれちゃいました。


 で、わたくし。

 優良児童として、マインサム院での生活を報告する役目をおおせつかりました。第五王子マインサム様へ上げられる季節ごとの報告に、わたくしの日記みたいな読書感想文みたいな、なんかそんな文書が添付されることになったのです。なにを書けと。ぼやっとした注文にたいそう困りましたわ。院の先生や小学校の先生とも相談して、報告書というよりはお手紙の形で書くことになりました。拝啓敬愛なるマインサム様、みたいな。

 そしたらねえ。あるとき、お返事が来たんですのよ。


 院内もうてんやわんやでした。だって王宮から。王子様から。専属の従者さんが持参して。たぶん下っぱの方だとは思いますけどね! でも、とにかく正式な使者が、わたくし宛の王子様の手紙を持ってきたことは変わりないわけです。わたくしよりも院長と先生方が先に読んでいました。そして、『完璧な』指導の元に返信を書くことになりました。書きました。で、送りました。

 そしたら今度は使者さんでなく、一通の指示書みたいのが院に届いたのです。内容は『先日届いた返信の内容は、アニ本人が考えたものではないだろう。アニが書いた手紙を読みたいのだ。周囲の者は干渉するな』といったものでしたわ。もちろん王子様からの指示。びっくり。


 そんなこんながありまして。院を出た十六歳まで。わたくしはずっと、第五王子マインサム様と文通のようなことをしていたのです。びっくり。

 院を出る際に送った最後のお手紙。全部で八枚の便箋になってしまいました。それでも内容は厳選して、すごく削ったんですのよ。これまでかけてくださった恩情、それに気遣い。とても感謝していること。社会に出るにあたって、マインサム様と文通させていただいたことが、どれだけ心の支えとなるか。お伝えしたいことはたくさんありました。たとえマインサム様にとっては奉仕活動の一貫だとしても、わたくしにとっては生涯の思い出です。今後は他の院の子どもが、王子へとお手紙を書くのでしょう。そう思って、たくさんのありがとうという言葉を書きました。


 お勤めに出て三カ月ほど経ってからです。職場の建設事務所に、王宮からの使者が来ました。わたくしを王宮女官として徴集する、とのことでした。びっくり。

 取るものもとりあえず、王都へ向かいました。社長を含め他の職員さんたち、歓迎会をしてくれた直後なのに送別会もしてくださいました。めちゃくちゃいい職場でした。院の先生方も駆けつけて、みなさんで大々的に見送ってくださいましたね。だって、孤児院から王宮でのお勤めに大抜てきですわよ? もうそれだけで成り上がり物語が一本書けますわよ。

 女官といっても、もちろん下っぱです。最初の数カ月はランドリーメイドでした。それから食堂に配属されて、そこでは二年お勤めしました。そして、わたくしが十九歳になった年。もうひとつの転機が訪れました。

 聖女としてふさわしい資質を持つ者を、国民の中から探す、とのお触れがなされたのです。


次の更新は4月17日(水)7:00~です



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