part07 喜目良商店街の狂人
夕日が沈む前。鰐淵と蛇川はいそいそと商店街を歩いていた。祭囃子を背負いながら、アーケードを抜ける。
借り物競争で受けた体の負担は甚大で、連日続く悪魔化に鰐淵の体は悲鳴を上げていた。特に肉体の深部まで悪魔化した事がまずかった。とにかく吸収の良い食事。それから休息が必要だと鰐淵は考える。
しかし、そうも言っていられない。痛む体を引きずりながら、鰐淵と蛇川が向かったその先にあったのは、一件の小さな骨董品店である。
店名は、カミツキ。店主の手書きによる粗雑な看板が悪目立ちしている。
店の前には様々な品々。控えめに言ってクソの役にも立たないガラクタだが、それが乱雑に並ぶ。並ぶとは言ってもそれは陳列ではなく、ただ適当に転がしただけ、というような雰囲気だ。そして値札のついた品物が一つもない。
鰐淵は店先にあった傷だらけの椅子に座ると、蛇川に後を任せる。
立ってもいたくない程に疲労した鰐淵が、わざわざここまで歩いてきた理由は一つだ。それは一等の景品である商品券を使うため。
「ほとんど詐欺だろ……」
「それは商品券の話と、このお店の商品と、どっちの事ですか?」
「どっちもだ。決まってるだろ……」
百万円の商品券は、このカミツキでしか使えない。だけでなく、使用期限が当日限りなのだ。商店街の組合からは、本当に一等に金を渡さないという固い決意が見える。
という事は、昨夜の死闘は二等の二十万円が欲しくて行われていたという事になる。二十万欲しさにあそこまでするか、というのが鰐淵の感想だ。
「じゃあとりあえず、私だけで物色してみます」
椅子から立つ気のない鰐淵を見ると、蛇川は薄暗い店の中へ。
この店の商品は、どれも値札がない。店主がその時の気分で値段をつけるからだ。当然のようにぼったくりが行われるので、大体が目の飛び出るような高額になる。
この店はどうやって利益を上げているのだろう。と鰐淵は足元に転がった樽を見て思う。こんな汚い店で、こんな汚い陳列と商品で、ぼったくりの汚い売り方をして。客など来る訳がないのに。どうやって営業を続けているのだろう。
その時、鰐淵の座っている椅子の脚が、木の棒でカンカンと叩かれる。苛立った様子で木の棒を振る男性は、全体的に汚い感じのする痩せた中年男性だ。
「オアァー! なんで座ってる! あぁぁ! 商品だぞお前これ!」
彼を初めて見た人は、正気を失っていると思う事が多い。鰐淵も、あの蛇川でさえそう思った程である。しかし、彼は全くの正気。頭も体も健康体。こういう性格の、こういう人なのだ。
「うるせぇ……」
疲労も手伝い、鰐淵は無視して顔をそむける。しかし、今度はテーブルを叩いてより大きな音を立て始めた。おそらくテーブルや椅子の傷はこれが原因かと鰐淵は考える。それも商品のはずなのだが、自分でやる分には良いのだろうか。
「おま、おまァァ! その椅子の価値を知らんのか! ボケカス! オアァー! どんっだけ罰当たりな! はよどけろ! どけ、どけろよォー!」
灰色の着古したジャケットと、だるだるに伸びきって色褪せたズボン。大きな眼鏡に、もじゃもじゃの髭のせいで正確な年齢もわからない。路上生活を営んでいるようにも見えるが、彼がこの店の店主。亀谷だ。
「あー……ちなみに、この椅子はどんな椅子なんだ?」
鰐淵は慣れた調子で、立ち上がりながら続ける。すると亀谷は得意げに腕を組むと、スラスラ語り始める。
「こいつァーな! 建築の悪魔と呼ばれた職人が、死ぬ間際に作った椅子だ! 座った奴は不幸になるし、所持する奴ぁ正気じゃいられなくなる! 職人の怨恨と憎悪が、木目を通して染み出してんだ。わかるか? わかるか?」
「所持者の頭がおかしくなる、って所は本当っぽいな」
鰐淵は今しがたまで座っていた椅子に目をやる。凡百な木製の椅子、という印象しか受けない。建築の悪魔が作った割には、あまりにシンプルすぎる。使っている木材も、さして良いものには思えない。
ぶるぶると指先を震わせている、情緒不安定な亀谷。しかし鰐淵は、これが一時的である事も知っている。どういう仕組みなのか、亀谷は自身の店にいる時にしか不安定ではないのだ。商店街で見かけたり、青大将に来店する際はここまで攻撃的ではない。どう考えてもこの店の何かが悪影響を与えていそうだが、そんな事はあるのだろうか。
「アァーウ! 良いか? 勝手に店の物に触るなよ? どうなっても知らねえからな?」
「わかったよ。つっても、もう誰か中にいるみたいだぜ」
「ファァァ!」
蛇川の方を顎でしゃくると、亀谷はどたどたと店内へ。中で何か言い争うような声が聞こえてくるが、しばらくすると静かになった。
「……」
あれほど荒れ狂っていた亀谷が、どうしたのだろう。鰐淵が気になって店内に入ろうとした所で、頬を緩ませた蛇川が出て来た。元々しまりのない頬が緩むと、溶けた餅のようである。
「おやおや? 鰐淵さん、これは良い物ですよ」
嬉しそうに蛇川が抱えていたのは、千代紙を巻きつけて装飾した筒だ。おそらく万華鏡。
「こんな店にそんな物があったんだな。へぇ、いくらしたんだ?」
「百万円です」
「おまっ……! こんな土産コーナーにありそうなもんに、百万円全部出したのかよ!」
「もちろんです。……と言うか、これ以外に欲しい物なんてありませんでした。キモいお面とか、呪いの人形とか、タダでも要らない最悪のラインラップです。そんなゴミをもらうくらいなら、この万華鏡に全部使ってしまった方が良いでしょう。何より商品券はタダでもらったのです」
「まぁ……そうと言えばそうか……」
目的は達成したし、何やら良い買い物が出来たなら構わない。二人が店を出ようとした所で、亀谷がひょっこり店先に顔を出す。また何か叫び出すぞ、と鰐淵は身構える。
しかし、亀谷は朗らかな表情で手を振った。
「じゃあ、またおいでーな」
「品揃えがあまりにも最悪なので、私は二度と来ません。でも亀谷さんはまたウチに来て売上に貢献して下さい。お店でお待ちしています」
「うははは、またあのマズいコーヒーを楽しみにしてるよ」
「それは鰐淵さんのコーヒーです。私の入れる甘露と混同しないで下さい」
そんなやり取りをして、鰐淵と蛇川は店を出て帰路につく。鰐淵は今しがた起きた事が信じられず、蛇川の顔を凝視。
「なんです? 好きにならないで下さい」
「いや……。お前、亀谷さんに何したんだ……?」
百万の万華鏡を、現金で買ったと言うならば、あの機嫌の良さも理解できる。しかし蛇川は一円も払っていない。商品券で引き換えたのだ。
「へ? あぁ、大した事じゃありません。魔力が淀んで不愉快だったので、私の魔力で調律しました。結界とかではないので今頃、もう元の錯乱状態に戻っていると思いますよ」
「……もう少し詳しく」
「おや? もしかして鰐淵さん、知りませんでしたか?」
蛇川は万華鏡をくるくる弄びつつ、いつもの調子で続ける。
「あのお店、置いてある物ほとんど本物ですよ。呪われた道具とか、不幸を呼ぶナントカや、正気を失う家具とか。亀谷さんの頭がおかしいのは自前じゃなくて、完全にお店の商品が原因です。だから普通に接客して欲しい時は、魔力の流れを調律して、亀谷さんを正気に戻すと良いでしょう。魔術の心得がない人は、神気で結界を作るとか、気合で呪いを抑え付けるとか、そんな感じでしょうか。まぁ二度と行かないお店なので気にしても仕方ありませんけど」
「マジかよ……」
鰐淵は今まで知らなかった事実と、蛇川が魔女らしい事を言っている事に愕然とする。そして亀谷の鑑定眼にも驚くが、そもそも何故そんな物ばかり収集しているのか理解できない。
「あれ本物だったのか……。……いや、ちょっと待て。確か変な椅子に座ったんだが、大丈夫なのか? 何だったか、座ると何だったか、という椅子だ。店先にあった奴。俺は大丈夫なのか? お祓いとか行った方が良いのか?」
「あー……あの不細工な椅子ですか。確かに座っていましたね。まぁ気にしなくて大丈夫ですよ。不幸招きなんて珍しい物じゃありません。鰐淵さんが想像している程の事はないでしょう。でも何かあったら嫌なので、少し離れて歩いて下さい」
「お祓いに行くか……」
「鰐淵さんが祓われるオチしか見えませんね」
「じゃあどうするよ。ちょっと座っただけで、こんなの冗談じゃねぇぞ」
「落ち着いて下さい。仕方ないですね全く。では宝くじでも競馬でも、何でも良いから賭け事をして来て下さい。絶対に勝てないので、千円くらい使って下さい。それでおしまいですよ。ちょっとしか座っていませんから、それで充分です。その程度の不幸しか起きません」
「なる、ほど……」
鰐淵はそこで、蛇川の手元に視線を移す。
「ところで、それも妙な代物なのか?」
「これですか? これは良い物ですよ」
にやりと蛇川が笑う。
「願い事を叶えてくれるタイプの物です」
「……マジで?」
「ランプの魔人とか、アレの系統ですよ。マジです」
蛇川は万華鏡を反対側から覗いた。
「んふふふ……。昔の方が作ったと思いますが、この中には悪魔が冷凍保存されています。……もちろん、本当に凍っている訳ではありませんよ? そんな感じって事です。この悪魔はどんな願い事でも一つだけ叶えてくれるので、帰ったら使ってみましょう」
「そんな都合の良い道具が本当にあったのか……」
どんな願いでも、とは大きく出たな。鰐淵は願い事について考えていると、蛇川は首を傾げ、眉を寄せる。
「んー……。まぁこういうのは、代償がお約束なので……。大きすぎる事を注文しては大変な事になるのが定番です。ギリギリの線を狙いましょう。お金で言うと、五万円から十万円くらいだと少ない代償で済みます」
「どんな願いでも、が随分と庶民的なサイズになったな」
「十万円欲しくありませんか? 私は欲しいので、一人占めですね。今夜は和牛の霜降りステーキと特上寿司でパーリナイ。ワインを買って帰りましょう」
「待て待て。どうせなら金で買えないタイプの願い事にしようぜ。色々考えた方が良い」
「それも良いですね。私はお金持ちの美青年たちにチヤホヤ囲まれて、あーん誰にしようか迷っちゃーう、と言うのをやりたいです」
「お前さぁ、十万円サイズの願い事だって言ったじゃん。いくらあっても足りないだろそれ」
「は? 私の魅力なら十万円でこれは妥当ですけど」
二人は並んでしばし歩くと、喫茶青大将に到着する。
「まずは願い事の内容を考えましょうか。焦る事はありません。じっくり考えましょう」
「あぁ。勝手に使うのはなしだぞ? ちゃんと二人で分ける感じのにしよう」
「構いませんよ。全部私の物になれば良いと思っていますけど、元々は鰐淵さんが借り物競争で勝ち取ったものです。もちろん、全部私の物になれば良いと思いますけど。……おや? しかしこれを選んだのは私で、使い方を知っているのも私? とすると、全部私の物にしても良いのでは? 鰐淵さん、諦めて下さい」
「何をだ?」
カウンターに置かれた万華鏡は、封じられた力が解放されるのを静かに待っていた。




