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喜目良商店街の悪魔  作者: 稲荷崎 蛇子
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part04 喜目良商店街の人々


 窓を吹き飛ばされた喫茶青大将から一転、鰐淵は蛇川の腰を抱えて走っていた。


「蛇川! ありゃ何だよ!」

「せめて横抱きにして下さい。わかりますか? お姫様抱っこ、という奴です。私はお姫様抱っこをされた事がないので、常々体験したいと思っていました。鰐淵さんなのはガッカリですが、この際は我慢します。早く私をプリンセスにして下さい」

「お前この状況見てわからんのか」


 そろそろ夕日が沈もうという頃合いで、暗くなりつつある商店街。鰐淵はアーケードの片隅で立ち止まると、蛇川を下ろす。


「見てわからんのは鰐淵さんです。見てわかるでしょう。バクライさんの言っていた通りでした。副店長に教えてもらわなければ、今頃はハチの巣でしたね」

「見てわかるのは、百舌さんのおもちゃ改造技術だけだったぞ」


 蛇川は溜息をひとつ吐いてから、鰐淵に状況を告げる。


「バッジですよ、バッジ。百舌さんは鰐淵さんの持っている、可愛い蛇さんのバッジが欲しいんです。なんたって、当日の参加申請は無効ですからね」

「はぁ? 何だってこんなもんが……」


 そこで鰐淵は気づく。


「まさか……」

「お察しの通り、です。他の参加者を一人でも潰しておく事で、明日の競争相手を減らそうという事ですね。仮に参加者が一人だとしたら、百万円はその人のものです」

「んなバカな話……」


 その瞬間、鰐淵は首筋にチリチリと嫌な気配を感じ取り、上体をのけぞらせる。瞬間、そこにアイロンが飛来していた。


「青大将の、よく避けたじゃないか!」

「熊本さん!」


 鰐淵が視線を送った先には、よく利用するクリーニング店の店主がいた。両手にアイロンを携えており、そのコードを振り回す事で遠距離からアイロンを操る構えである。


「おとなしくバッジを渡しな!」

「させるかぁぁ!」


 肉体の反射能力を上げ、悪魔化を持続。さらに強化。繰り出されるアイロンを掻い潜り、鰐淵は熊本の胸元に手をかける。


「フッとべ!」


 クリーニング店の制服を掴むと、熊本の体を思い切りアスファルトに叩きつける。


「ぐあああ!」


 痛みにもがく熊本の懐に手を差し入れた鰐淵は、缶バッジを発見。引き抜くと、熊の絵が描いてある缶バッジがアーケードの灯りを反射した。


「熊本さん、これであんたはリタイアで……」

「鰐淵さん!」

「なっ、しまっ……!」


 その瞬間。空中を閃いたのは、一本の頑丈な糸だった。先端には鈎状の針があり、高速で迫るそれは鰐淵の手元、熊本から奪ったバッジへと向かう。


「ぃよっしゃあ! 一本釣りだ!」

「海老原さん!」


 しゅるしゅると、鰐淵から奪ったバッジを手元に引き寄せていたのは、釣り竿を構えた中年男性。商店街で釣具店を営んでいる海老原であった。


「配布時間を過ぎた今、自分の残機が一個だけじゃ不安なんでね……。悪いが熊本さんの分はウチがもらうよ。ついでに、青大将の分も欲しいかな……!」


 宙を閃く釣り糸は見えにくい。鰐淵は身構えたが、次の瞬間には背後へ跳んだ。


「リリィちゃん部隊! 突撃!」


 海老原の足元に接近していたのは、ラジコンカーに乗った特攻人形である。さきほど襲われたばかりの鰐淵は、それが百舌の操るものと即座に判断できた。


「しまった!」


 海老原の後悔はわずかに遅く、その爆発に巻き込まれる。


「ぐあああ!」


 地面に転がった所に、悠々と百舌が現れた。そして海老原と熊本のバッジを回収すると、それを胸ポケットにしまう。


「鰐淵さん」


 蛇川は中腰になると、鰐淵に言う。


「もはやここに安全な場所はありません。みんなお金に目が眩んでいます。逃げましょう」

「あぁ。それが良いな。……で、お前のそのポーズはなんだ?」

「お姫様抱っこを待っています。早く私をプリンセスにして下さい」

「え、俺が抱えて逃げるの?」

「当たり前じゃないですか。私が走るより、鰐淵さんが抱えた方が速いんですから。とっととデビルパワーで逃げましょう。ほら、デビルチェンジ。いつもみたいにデビルチェンジって決め台詞を繰り出して下さい」

「言った事ねぇだろそんなの!」


 デビルチェンジ! を果たした鰐淵は、四肢のみならず全身を黒く変質させると、蛇川の腰を脇に抱えてその場を離れた。周辺の建物の屋根まで跳躍すると、そのまま空を駆けるように屋根から屋根へと移動する。


「ちょっと鰐淵さん。何ですかこの抱え方。これじゃ悪魔に攫われる美女の図です。まぁ、悪魔に攫われるのは、それはそれでプリンセス感もありますが。でもあんまりです。いくら私の事が好きでも、こういう強引なのはタイプじゃありません。繊細な美女を扱うには、どういう風にしたら良いのか一度教えて……」

「え、お前自分を美女に分類してんの? バカじゃん」

「足場魔法」

「ッ! あぶねぇ! この速度で転んだらミンチだぞバカが!」


 空中で急ブレーキをかけられ、寸での所で体勢を整えた鰐淵は蛇川に怒声を飛ばす。


「はぁー……とりあえず、安全圏まで行きましょう。さすがに人間がこの速度に追いつくのは無理です。あ、カロリーは気を付けて下さいね。このままだと走りながら死にます。しかも死因は餓死ですね」

「……隣町、いや……さらにもう一つ隣の駅まで行くか。それから解除だな」

「それくらいなら大丈夫でしょう」


 数分後、目的の場所に到着すると同時に鰐淵は肉体を人間のものに戻す。同時に、全身にのしかかる疲労で一歩も動けない事を確認。鰐淵は駅の壁にもたれて座り込むと、蛇川に告げる。


「蛇川、食い物を買ってこい。あと運んでくれ」

「マジで言ってます?」

「あほか。あそこにお前を放置してきても良かったんだぞ」

「……」


 蛇川は僅かな時間、何事か思考すると決意を決めた表情で鰐淵の肩に腕を回した。そして体を下に入れる。両足を踏ん張り、力を込めた。


「……ふん! はっ! ……どっせい!」


 気合の声もむなしく、鰐淵の体は持ち上がらなかった。

 本当にやるとまで思っていなかった鰐淵は、仄かな罪悪感に炙られ声をかける。


「いや、すまん。人も見てるし……やっぱ別の方法を考えよう。お前の頑張りは認める」

「ぐ、むむ! はぁッ! やぁッ!」

「もういいって。人が見てる」

「えいやぁ!」

「人が見てる。やめて」

「はァァ!」

「やめ……」

「やめますよ!」

「痛い! なんでビンタ!」

 蛇川は特に理由もなく鰐淵の顔を叩いた。





 鰐淵と蛇川の二人は、最寄りの漫画喫茶で一晩明かす事にした。蛇川の財布には百円すら入っていなかったので、鰐淵が二人分の料金を支払う。


「商店街に今戻るのは危険すぎるからな。明日、借り物競争の時間になったら戻ろう」

「恐らく今頃は商店街を封鎖しているでしょう。中は相当な修羅場のはずです」


 漫画喫茶は静かで、戦場のようだった商店街とは世界そのものが違うようですらあった。


「じゃ、私はブランケットとソフトクリームとメロソーを取ってくるので」


 入店するなり早々に漫画喫茶を楽しむ蛇川は、両手に漫画雑誌をいくつも抱えていた。せっかくなので鰐淵も漫画を数冊だけ手に取ると、セルフサービスのコーヒーを飲みながらゆっくりと椅子にもたれかかる。体は動くようになったが、あまりに疲労が大きい。何か食べて、一晩寝たくらいでどれだけ回復できるか不安ですらある。


「……俺のコーヒーの方がうまいんじゃねぇか……?」


 すすったコーヒーの味わいを確かめてから呟き、そもそも自分の出すコーヒーは常に自慢の一杯なのだが、と眉をひそめた。

 いかに喜目良商店街の人間と言え、鰐淵がここに潜伏している事を看破して襲撃をかける人物はいなかったので、何事もなく朝を迎える事ができた。

 それなりに体力を回復した鰐淵は、近場のコンビニでバナナやプロテインと言った、吸収の早い食品を購入。昨日に失われた分と、これから失いそうなカロリーを少しでも補うべく、無心で口に運ぶ。


「では、作戦を確認します」


 借り物競争における蛇川の作戦は非常にシンプルなものだ。走者である鰐淵は、自身の携帯電話を蛇川と通話状態にしてポケットに入れる。ここにマイク付きのコードレス型イヤホンを使う事で、鰐淵は走りながら蛇川と通話ができる。蛇川は逐一状況を受けながら、可能な限りのアシストを行うという内容だ。


「もちろん、他の人も似たような事を考えているでしょう。何らかの妨害はあるものと想定します」


 鰐淵は頷きながら、炭酸を抜いたコーラで食事を流し込む。


「電車で行くのは一駅前にして、そこからは歩いて行きましょう。数は少ないものの、観光客や見物客に紛れ込みます」

「あぁ。わかった」

「借り物競争は通常、その周辺で手に入れられる物を指定するものです。しかし、あの商店街組合の事ですから、どこにあるのか見当もつかない物があるかも知れません。ですがそれでも、自分たちが引いた場合の事を考えれば、どこかには用意してあるはずです。臨機応変に動きましょう。鰐淵さんの活躍に期待します」


 いつになく真剣な表情の蛇川は、そこまでして百万円が欲しいのだろう。鰐淵だって欲しい。それが折半だとしても、本気で欲しい。

 二人は電車に乗り込むと、目的地に向かう。


 しばしの時間が経過し、喜目良商店街のアーケードが見えてきたのは正午少し前。

 居並ぶ屋台には半壊したものもあり、入り口にはバリケードを築いた跡も見えた。昨夜の激戦がどんなものだったかを如実に語っている。


「受け付けは……お、あそこだぞ」


 借り物競争、とポップな字体で書かれた場所を鰐淵は見つける。長机を並べたもので、商店街の組合マークも書いてある。受付係はピザ屋の姉ちゃん。ダミーの受付という可能性は低そうである。


「うは、青大将さんじゃないっスか!」


 鰐淵は彼女の名前まで知らないが、ピザ屋の配達を頼めば毎度必ず彼女が来るし、商店街でもたまに見かける。顔見知り程度の関係だ。


「えぇーすっげぇ! バッジ守り切ったんですか? うはー!」


 手元のリストに鉛筆で走り書きし、鰐淵の持つ缶バッジを確認する。それから少し離れた所にある仮設テントを指して案内。


「もうすぐ借り物競争やりますよー。今年はもう、半端ないメンバー揃ってるんで、今から火花バチバチっスよ。青大将さんも、賞金目指して頑張りましょー!」

「おう。百万はウチがもらうぜ」

「……へ?」


 その瞬間、ほんの僅かに表情が変化する。しかしすぐにそれは取り繕われた。


「百万狙いっスか! 応援してますよぉ!」


 両こぶしを握って、それから両腕を振り上げる。


「ドゥー! ユア! ベストっスよ!」


 笑顔で言う彼女に軽く手を振ると、鰐淵は仮設テントに向かう。


「では、私はこの辺で。競争が始まる頃にはスタンバイしてます」

「あぁ。……ついでに、余裕があったら店の様子を見に行ってくれ」

「借り物競争について、副店長のお知恵を拝借してきますよ」


 そして、二人はどちらともなく視線を交差させる。互いが拳を突き出したのは同時だった。


「百万、とろうぜ」

「そんなの当たり前です」


 二人の拳がゴツ、とぶつかる。


「私たちは無敵ですから」

「俺たちは無敵だからな」


 言葉と拳を重ねた二人はそこで別れた。そして、仮説テントに足を踏み入れた鰐淵は参加者を確認する。

参加者の人数は、鰐淵自身を含めてもたったの四人しかいなかった。



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