第69話 鷹司一族 会議録
鷹司環は、会議室の扉を押し開けるまえに、深く息を吐いた。
三十代前半――若手と呼ぶには落ち着きすぎ、年長者と呼ぶにはまだ早い年頃。
だが、一族の中ではすでに『調整役』として定着していた。
兄弟姉妹の衝突をなだめ、叔父叔母の利害を取り持ち、御爺様の意向を柔らかく伝える。
表に出ることは少ないが、裏で火消しを担うのが環の役割だった。
苦労人――そう呼ばれても否定できない。
幼い頃から長女としての責務を受け入れてきたが、今日もまた重い役目が待っている気がしてならない。
御爺様が『集まれ』と言うのは久しぶりのこと。
しかも今回は、直系の孫だけでなく、分家の鷹山からも一人呼ばれている。ただの会議では済まない。
今回呼ばれた分家の鷹山直哉は、現場に近い視点を持つ男。年齢も四十代半ばで、まだ働き盛り。実務に強く、探索者や庶民に近い立場から物を言う。
その名を聞いた時から、会議が一層複雑になることを予感せずにはいられない。
分家が発言権を持つ場は、波乱を呼ぶ。
幸い、呼ばれた者たちは皆、議題の当たりくらいはつけているはず。
情報を掘り下げていない無能であれば、御爺様に呼ばれることは無い。
せめて、荒れることがありませんようにと心の中で願いながら、扉を押し開けた。
★ ☆ ★ ☆彡
会議室のモニターには、特異冒険者の試験動画が映し出されている。
中村大輔――突如現れた異質な存在。
普通の一般人であったにも関わらず、力を隠していたのか、それとも突然変化したのか、経緯不明の謎だらけの人間。
映像は、圧倒的な戦闘力、常識外れのダンジョン踏破、異次元の武具収納、現実を疑いたくなる異能力者の召喚。
そして追加映像――薬による四肢欠損の完治。
光が収束し、失われた腕が再生される瞬間。思わず指先を握りしめた。
「……これだけではないはずだ。」
祖父、忠邦の低い声が室内に静かに響く。その響きに背筋を正す。
御爺様は酸いも甘いも知り尽くした男。日本の発展を願いながらも、真っ直ぐでは辿り着けない現実を理解している。
その眼差しは、映像の先を見据えているように見えた。
御爺様の言葉を聞き、まず長男である篤弘が口を開いた。
「この男は危険すぎます。
国に管理させるべきでしょう。放置すれば、国家の枠組みすら揺らぎかねない。」
硬い声、まるで石を打ち鳴らすような響きに聞こえた。
非常に父らしい意見だと思う。保守的で、伝統を守ることを優先しがちだからこそ、中村という人物は制御不能な爆弾にしか見えないのだろう。
次男の俊英は、冷静に指を組みながら言った。
「しかし、資源としての価値は計り知れません。四肢を完治する薬だけでも市場を変える。国に渡すより、我々が主導権を握るべきです。」
叔父の言葉に胸の奥がざわめき、自然と眉が寄ってしまう。
現実主義は理解できるが、利権の匂いが強すぎるように感じる。
実利を得ることは必要だと分かっていても、危うさを感じずにはいられない。
従弟の悠真も熱を帯びた声で後に続く。
「新しい時代の象徴です。彼を封じ込めるのは愚策。協力し、未来を切り拓くべきです。」
従妹の綾芽が悠真を静かに補足する。
「庶民の目から見れば、ヒーローのように映るでしょう。世論を敵に回すのは得策ではありません。」
悠真と綾芽の兄妹――おそらく言葉にすれば『改革派』のようなことを考えているのだろう。
とくに悠真は革新的な思考を好んでいる。
私が父に『そうなるよう』育てられたように、叔父に『そうなるよう』に育てられている。
親の教育の影響は、大きい。
「鷹山様のご意見はいかがでしょうか。」
沈黙を守る妹の詩乃を察し、分家の鷹山直哉に促す。
「そうですね……彼の見せた能力の価値は計り知れません。
本家が主導されるのは当然です。ですが、ご意見にあったように世論の矛先が直に向かう恐れもあるのではないでしょうか。
であれば橋渡しなど現場調整は分家が担うことで、本家は大局に専念できるかと。
利益も名誉もすべて本家に帰し、分家はただ陰で支えるのみ。その形が最も自然かと思います。」
その声は素朴で、本家を立てる重みがあった。
ただ、その言葉の裏には『中村と接触するのは自分たち』という意図が透けて見える。
そこには隠された野心がある。そう感じずにはいられない。
意見は交錯する。
危険視、商業化、改革、世論、そして現場の声。
議論の流れを見つめながら、心の中で整理する。どの意見も合理的だが、結論は容易に出ないだろう。
御爺様を見ると、黙って耳を傾けていた。
家族と分家の言葉を一つひとつ噛み締めるように受け止めながら、皺深い顔にわずかな笑みを浮かべている。
私は、その笑みに、祖父がすでに答えを持っていることを悟った。
其々の意見が出尽くし、やがて沈黙が訪れる。
誰も軽率な言葉を吐かず。ただ、祖父の言葉を待った。
「……中村大輔。あれは、我々の未来を映す鏡になるだろう。」
忠邦の声は重く、静かに落ちた。
私は、その言葉を胸に刻む。
未来を映す鏡――それは希望か、破滅か。まだ分からない。
「詩乃。」
「はい。御爺様。」
ここまで沈黙を保っていた妹の詩乃が、注目を集める。
「お前の力を見込んで、ひとつ頼みがある。
お前の目で、この男を見極めてくれるか。」
「承ります。」
妹の詩乃は、ダンジョンと深く関わって生きてきた。
詩乃も『そうなるよう』育てられた子。
この会議が、そして妹が、一族と分家の行く先を決定づけることだけは、確かだった。




