第67話 毒みたいな希望
記憶とスマホのマップを頼りに歩いていると、見覚えのある人影が目に入った。
鋭い目つきに、頬の切り傷。
今日も作業用ジャケットにスラックスの、変わらぬスタイル。
決闘場ダンジョンで、俺が牽制の為に威圧をバラまいたとき、唯一行動できた強面さん。
見送りもしてくれて、腐った環境に居ながら芯の強さを持っている気がして、悪い印象を持っていない人だ。
そして『左腕が無い』。
立ち止まって観察していると、左腕の無い強面さんが俺たちの前まで歩み寄り、静かに頭を下げた。
「お久しぶりです。本日は、こちらに御用でしょうか?」
渋く落ち着いた声。
セリフィアに変な視線を向けることもなく、まっすぐ俺を見ている。
美少女に目を泳がせないだけで、印象は良い。
……俺だったら、つい見ちゃうくらいはするだろうしな。
自分にできないことをできる人には、好印象持っちゃうんだよな。
とりあえず社会人スマイルを向けておく。
「突然すみません。用事といえば用事なんですが……アナタに用事があったんですよね。」
「……………は? ………え?」
落ち着いた強面さんらしからぬ様子で狼狽えている。
それもそうだろう。
決闘場ダンジョンで、あまり良い印象は与えていないし、むしろ殺意ばら撒いたくらいの認識は持ってる。
恐らく、こちらの思惑通り『危険人物』認定してくれているはず。
そんな人間が『お前に用がある』なんて言えば、戸惑って当然だ。
無駄にストレスを与える気もないので、勝手に話を進める。
「セリフィア。見てみて。」
「はい。魔力干渉解析」
セリフィアが指先を軽く掲げると、周囲に魔導式がいくつも浮かび上がり、白銀の光が幾何学的に展開された。
強面さんが反射的に構えを取った。
それも仕方ないだろう。
浮かび上がっていた光が強面さんに、ゆっくりと収束し、膜のような揺らぎ、魔力の波紋が広がり重なってゆく。
少ししてセリフィアが眼鏡をクイと動かし、光を反射させた。
「スキャン完了しました。マスターの読み通りです『状態異常』ではありません。」
「そっか。じゃあ試してみる価値はあるね。」
俺のプレイしているゲームに『四肢欠損』などの状態異常は存在しない。
で、あれば。だ。
四肢欠損などの状態は、HP回復で回復できる可能性があるのではないかと。
アイテムからポーションを取り出そうと動き出す。
「念の為、エクスポーションが良いかもしれません。」
「そう? ……まぁいいか。」
ポーションなら、2万本くらいあるんだけど……エクスポーション2千本くらいしか……ちょっと、もったいなくない?
……いや、2千本『も』ある。と捉えておけば良いか。
どうせ作ろうと思えば、どれだけでも作れるんだから。
アイテム欄からエクスポーションを1本召喚する。
「うぉ」
召喚されたエクスポーションを手に取った瞬間、掌には収まりきらないほどの存在感を放っていた。
深い黒曜色のガラスの容器は、光を吸い込むような艶を持ち、角度によっては内側から微細な金の粒子が舞っているように見える。
中の液体は、深紅と紫が混ざり合ったような色合いで、瓶の中でゆっくりと渦を巻いている始末。
ポーションも生きているような雰囲気があったが、こっちはまるで、意思を持っているかのような動きに見える。
「え~っと……コレ飲んでみてもらえません? 大丈夫です。身体に悪い効果はないんで。」
「…………は?」
知らんけど。
多分無いだろ。うん。
エクスポーションだし。
なんなら俺もポーションと万能薬飲んだことあるし。うん。
強面さんが、完全に渋さを忘れて戸惑っている。
それも無理ないとは思う。
俺とセリフィアがここに来た目的は、平たく言えば『人体実験』。
持っている回復薬や万能薬が、現実の人間にどう作用するかの検証だ。
医学的に諦めざるを得ない怪我をしていそうな人、人体実験の結果、悪い結果になっても心がそこまで痛まないような人――そう考えた時、強面さんが思いついたのだから仕方ないじゃないか。
……とはいえ、見た目が完全に毒なコレをどうやって飲ませたものか。
「何を呆けているのです? マスターの声が聞こえませんでしたか?」
セリフィアの声は、冷たく、静かだった。
けれど、その一言に込められた『圧』は、明らかに尋常ではない。
強面さんが、わずかに肩を震わせ、その目が、セリフィアを見たまま動かない。
まるで、視線を逸らしたら、その瞬間に何かが起こると本能が警告しているかのよう。
「……いや、あの、ちょっと待ってください。俺……何かしましたか?」
「いえ。何もしていません。だからこそ、今、していただきたいのですが?」
セリフィアは一歩、前に出た。
強面さんの問いに対する返答は、善悪でも、損得でもなく、ただ機械のような冷たさ。
『問答無用』
ただ、そう告げているような雰囲気。
うん。さすセリ。
俺は、とりあえずスマホで撮影でもしておこう。
なんでも証拠は大事。
「……飲めば、どうなる?」
「回復します。」
セリフィアの圧の中で質問できる強面さんは、やっぱり只者じゃない。
「……副作用は?」
「ありません。少なくとも、私の知る限りでは。」
強面さんが、しばらく黙った。
その沈黙の中で、何かを天秤にかけているのがわかる。
「……わかったよ。飲めばいいんだろ。」
そう言った強面さんに、俺は少し悪いことをしているような気になってきていたので、せめてものお詫びに、意味深な古代語の記されている封を切って、飲みやすい状態にして渡す。
動画は撮り続けるけどな。
エクスポーションを受け取った強面さん。
一度、瓶を、じっと見つめる。
「……はぁ。」
一度、大きくため息をついてから瓶の中身を口にし、一気に飲み干した。
沈黙。
何も起きない。
俺も、セリフィアも、ただその場で見ている。
だが、数秒の後――
「……っ、あ……?」
強面さんの身体が、わずかに揺れた。
彼の左腕から、淡い光が立ち上る。
空っぽだった袖の中に、何かが満ちていくような気配。
服の内側で、肉が、骨が、筋が、音もなく再構築されていく。
光が収束し、やがて――
「……ある。」
強面さんが、震える声で呟いた。
袖をまくり上げると、そこには確かに、左腕があった。
肘から先、指の一本一本まで、完璧に再生された腕が。
「腕が……ある……!」
その声は、驚きでも、喜びでも、恐怖でもなかった。
ただ、現実を受け止めきれない人間の、素の声。
セリフィアが、微笑みを俺に向ける。
「仮説、正解でしたね。流石ですマスター。」
「…………だね。」
自分でやっておいてなんだけど。
正直なところ、俺も現実を受け止めきれない側の人間だった。




