第64話 交渉は美少女の傍で
色仕掛けが通じない。
――そっちの方が私好みだ。
永井結月は身を乗り出し、柔らかな微笑みを添えて言葉を紡ぎ始める。
「中村様。実務につきましては、私、永井が担当しております。
早速ですが、査定をご依頼いただいております試験管入りの液体と鉱石につきましては、現在も調査を継続しております。ご報告が遅れており、誠に申し訳ございません。」
深々と頭を下げると、すぐに中村から穏やかな声が返ってきた。
「いえいえ、そんな謝られるようなことじゃないですよ、むしろ、こちらが変な物を押し付けてしまって申し訳ないくらいです。」
その言葉に、私は内心で頷く。
当初の印象通り――誠実で、礼節をわきまえた人物だ。
「別にどれだけ時間がかかっても問題ないので、じっくり取り掛かっていただけければ、それでかまいません。今日は別件なんです。」
「別件でございますか。」
契約書の打診の話であれば好都合。
こちらから提案するよりも、相手の関心がある状態で話を進められる。
「ちょっと……いえ、かなり重いので、テーブルの上には乗せられないんですが、こちらです。」
そう言って中村が目配せをすると、隣にいた美少女がスーツケースを軽々と移動させる。
彼女の動きは滑らかで、重さを感じさせない。
だが、スーツケースのキャスターは悲鳴を上げるように軋み、今にも壊れそうな音を立てている。
床に横倒しにされ、ゆっくり広げられたスーツケースの中には、ぎっしりと石ばかりが詰まっている。
彼の持ち込む石。
その中で何度も写真で確認した見覚えがある石。
「……金鉱石、でしょうか?」
「お、よくご存じで。まだ純度なんかは計れてなかったと思いますけど、そうなんです。金鉱石だと思われる石を持ってきました。
こちらを精製、もしくは買取をしていただけないかなと思いまして。今日は、このご相談に来ました。」
内心でガッツポーズを取る。
私が担当していた案件。
強みと考えていた分野の話が、向こうから飛び込んできた。
「それは嬉しいお話ですね。金が含まれるかの確認、含まれた場合の精製手配は私が担当しておりますので、きっとお力になれるかと存じます。
実は、以前お預かりした分につきましては、業者から量が少し心もとないとの返答をいただいておりましたので、これだけの量があれば、十分に対応可能かと思われます。」
「そうですか~。いやぁありがたい限りです。こちらの石はこのままお任せしても大丈夫でしょうか?」
「はい。お任せください。預かりの写真など撮影させていただきますね。」
真理亜が石の写真を撮り、預かりに関する書類作成を進め始める。
「あぁ、そのスーツケースなんですが、石の重さのせいで少しガタがきてしまっていて……返却は不要ですので、そのまま破棄いただくようなご対応は可能でしょうか。」
「ありがとうございます。お運びいただくだけでも大変だったかと存じますのに、こちらの運搬を思ってスーツケースごとお預けいただけるとは……ご配慮に感謝いたします。
こちらで適切に処分いたしますので、どうぞご安心ください。」
私の言葉を聞いた美少女が、スーツケースの蓋に手を添えた。
その動きは、まるで『この話は済んだ』という合図のよう。
金鉱石の話は、これで一段落。
だが、私にとっては、ここからが本番。
真理亜が書類を準備している間に、静かに言葉を切り出す。
「中村様。もし今後も継続的に成果物をご持参いただけるようであれば、弊社との専属契約をご検討いただけないでしょうか。」
彼の目が少し動いた。
「以前、伊藤より少しお話をさせて頂いていたかと存じますが、査定の優先処理や、買取単価の上乗せなど、契約探索者様向けの制度もございます。
特に今回のような高価値資源につきましては、弊社としても最大限の対応をさせていただく所存です。」
「あ~……そうですねぇ……」
彼の反応は、微妙。
面倒な話が来た、という印象だろうか。
彼はふと、隣の美少女の方を向く。
美少女は彼の目配せを受けて、ひとつ頷き、ゆっくりと口を開いた。
「ご提案を有難うございます。ただ中村は……いえ、主人は、既に複数の選択肢を検討しております。
公的機関による買取制度も、信頼性と安定性の面で有力な候補であり、先方からも非常に前向きな返答をいただいております。
とはいえ、主人の意向として『最も価値を見出してくださる相手』との関係を大事にしたいとお考えです。」
その語り口には、私情は一切挟まれておらず、あくまで『主人の意向』として語ることで、交渉の主導権を握り、その立場を崩す気が無いと言っているように聞こえる。
「もちろん、金額だけがすべてではありません。
付加価値――たとえば、時間。その他、精製後の用途や、企業としての技術力、流通網の透明性などなど、主人が納得される提案をいただけるのであれば、検討の余地はございます。」
見た目の若さと裏腹に、冷静で礼儀正しい。
自身は従者としての姿勢を保ちつつ、冷静に選択肢を丁寧に提示する――その語り口には、交渉に慣れた者の手並みがあった。
否定するわけでもなく、明確な条件を突きつけるでもない。
だが、確実に『より良い条件』を引き出そうとする。
そのバランス感覚に、静かに感心する。
「ご指摘、ありがとうございます。
確かに、公的機関の制度は安定性や信頼性の面で優れており、探索者様にとっても安心できる選択肢かと存じます。
その上で、弊社としては『価値を見出す』という点において、より柔軟かつ迅速な対応を心がけております。」
手元の資料を一枚滑らせながら、言葉を続ける。
「たとえば、精製後の用途については、研究部門との連携により、素材の特性を活かした開発案件への展開も可能です。
また、成果物の流通に関しては、庁との連携ルートに加え、独自の技術提携先を通じた高付加価値化の実績もございます。
時間的な対応につきましても、契約探索者様には優先処理枠を設けておりますので、本件の場合でも査定から精製、報告までを一括で進める体制を整えております。」
一息置いて、彼に視線を向ける。
「もちろん、最終的なご判断は中村様のご意向に沿うことが重要と理解しております。
弊社としては、誠意を持ってご提案させていただきますので、もしご興味をお持ちいただけましたら、改めて契約内容のご説明をさせていただければと存じます。」
私の言葉に、彼は一つ大きく頷き、にこやかな笑みを浮かべた。
「いやぁ、ありがとうございます。
一介の探索者に過ぎない私に、過度なご期待を頂けているようで、なんだか恐縮してしまいますよ。あっはっは……とはいえ、どちらにしろ契約書次第な点もありますので、データで構いませんので、後でご連絡いただけますか? セリフィアもそれで良いかな?」
「はい、問題ございません。私から頂いた名刺のご連絡先へ段取りいたします。」
「よし。それじゃあ、今日はこんなところで。
金鉱石、お手数ですが宜しくお願いいたします。」
彼が立ち上がって軽く礼をすると、美少女も即座に立ち上がり、ほぼ同時に深く頭を下げた。
「こちらこそ、ご足労をいただき、誠にありがとうございました。
金鉱石の手配、また契約内容につきましては、改めて資料を整え、ご連絡させていただきますので、どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします。」
私も真理亜も立ち上がり、深々と礼を返す。
本日の打ち合わせは、これで一区切り。
「それでは、こちらが鉱石の預かり証になります。永井は鉱石の手配がありますので、私がお見送りさせていただきますね。」
真理亜が一歩前に出て、にこやかに案内の動きを見せる。
二人は軽く頷き、部屋を後にした。
私はその背中を見送りながら、静かに一礼する。
そして、頭を上げ、ふぅと小さく息を吐いて椅子に腰を下ろす。
打ち合わせは穏やかに締めくくられた。
手応えは無いに等しいけれど、不快に思われてはいないこと、次回があることが決まった。
今は、これで上出来だろう。
ふと、スーツケースに目を向ける。
金鉱石がぎっしり詰まったそれを持ち上げようと手をかけてみたが――びくともしない。
あの美少女が、これを軽々と扱っていたというのは、とても信じがたいが、目の前で見た事実。
交渉。
人となり。
中身。
普通の探索者と同じ括りには収まらない。
そのことだけは、しっかりと理解できた。




