第61話 特別な場所
帰宅。
でも、セリフィアと並んで帰宅するということが、あまりに現実感が無い。
帰路、腕を離さないセリフィアの、立て板に水のように述べられるダンジョンの外に出られた推論も、彼女らしい論理的で冷静な分析だったが、どこか夢の続きのような心持ちのせいで、カフェで流れるジャズのように心地よく流れていくだけで、耳には残らなかった。
だが、自室に辿り着くと、その空気が、俺を一気に現実へと引き戻した。
片付いている方ではあると思う。
けれど、拭き掃除や掃き掃除をしているワケでもなく、畳むのが面倒で雑にソファに放置されている洗濯物なんかが、男の一人暮らしを感じさせる生活感に溢れている狭い部屋だ。
この空間は、確かに俺の現実だった。
キッチンは別のワンルーム。
そして今、その現実に、セリフィアが来ている。
セリフィアは部屋に入るなり、静かに視線を巡らせた。
一歩、また一歩と、ゆっくりと歩き、ベッドやテーブル、ソファ、とりあえず放置しているスーツケースなど、散らかった部屋を観察している。
「ここが……マスターのお部屋……ですか。」
「まぁ、うん……10年以上、住んでるとこかな……男の一人暮らしだし、狭いけど結構、気に入ってるよ。」
そんなに見る物もないだろうに、セリフィアの視線は、じっくりゆっくりと動く。
開け放たれっぱなしのクローゼットなんかも、しっかりと見られていて……さすがに少し恥ずかしい。
「……衣類は、ほぼ同系色。収納も非常に男性的ですね」
「まぁ、黒とかグレーばっかだね。」
「お部屋の雰囲気として……もしかして、私のようにマスターの部屋を訪れる方は少ないですか。」
「え、ああ……まぁ、そうだね。そういうのは無いかな。」
ナベなんかの友達と会う時は大抵外。
俺の部屋に人が来ることなんて、まず無い。
自分以外の人間が自室に居る事に気づき、心が一層、浮つき始める。
セリフィアは、キッチンに出しっぱなしのコップや、洗ってある皿なんかに目を留め、小さな棚にある、少し古びたケトルやマグカップを指先でなぞった。
「長く使われている物ばかり……新しく持ち込まれた品はありませんね。」
「うん……物持ちは良い方だからね。」
俺は自室に美少女がいる事実に、彼女に見せてはいけない物が無かったか、意識が色々と騒ぎだす。
洗濯機はベランダに出していたっけ?
風呂は――床は、いつ掃除しただろう? 多分汚いな。
ゴミはどうだっただろう? 見せてはいけないモノは無かっただろうか?
そういえば、換気してなかったっけ?
「この部屋は、マスターの単独の生活が、よく表れています。」
セリフィアは、どこか満足したように、じんわりと微笑んだ。
分析結果の正解に満足したような、安心したような笑みだった。
「マスター。ご提案ですが、今日は、これからカグヤたちとお祝いの予定でしたので、マスターのお部屋では準備などが大変かと思います。
当初の予定通り洞窟ダンジョンに向かうのはいかがでしょうか?」
「あ! そうだったね! セリフィアがダンジョンから出てきた衝撃で色々飛んじゃってたよ……」
そうだった。
なんなら俺は家に帰らずに、買い物して、そのまま洞窟ダンジョンに向かうつもりだったんだ。
「とはいえ、折角自室に戻られたのですから、スーツからラフな格好に着替えられても良いのでは? お手伝いさせていただきますよ?」
「え? ……お手伝い? 着替えを?」
セリフィアが微笑む。
その笑みには、ほんのりとした艶が混じっていた。
「えぇ、コーディネイトなど……もし、その他お手伝いが必要であれば、なんでもご要望ください……」
この妖艶さに応えてしまえば、今日のこれからの予定は全部ダメになりそうな気がしてならないので、出かかった言葉を泣く泣く飲み込む。
「それじゃ! 折角だし! 見立ててもらおうかな! その後は、買い物も一緒に行こうね!」
「はい。喜んでお手伝いさせていただきます。」
手早く着替えを終えた俺は、セリフィアと並んで買い物に出かけると、彼女はどこか終始ご機嫌で、空気はまるで買い物デートのようだった。
人目を引く美少女っぷりに、周囲の視線が刺さる。
そのたびに少し戸惑いながらも、セリフィアが隣にいるという非現実感が心地よくて、俺は再び夢見心地に戻っていた。
洞窟ダンジョンに辿り着き、ルミナ、カグヤ、ミレイユ、カリーナを召喚し、全力でキャッキャウフフを楽しむのだった。
今夜、何かが始まった気がした――




