第51話 変動の予兆(4/4)
動画の拡散が、多くの人の目に留まり、少しだけ関係を持った業界にも波紋が広がり始めた夕方。
その影響は、まったく関係を持っていない人間にも広がり始めていた。
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音羽芸能企画事務所
動画配信部門・スカウト
神林剛
三枝 ひかる
「……これ、昼に上がったばっかの動画なんだよな? もう6万再生いってるぞ。」
「そう。『ルミナ』って名前を出してる。コメント見る限り、ゲームキャラのコスプレらしいけど……コメントの熱量が異常。完全にバズってる」
モニターには、水着姿で愛嬌を振りまくルミナの動画が再生されている。
水着はキャラクター衣装らしく、露出はあるが品があり、動きも洗練されている。
そして、あろうことか背景がダンジョンだ。
「これ、どこの事務所?」
「それが、私が調べた限りだけど、どこにも所属してないっぽい。SNSも見当たらない。」
「なんだそりゃ? そんじゃ、なんで動画なんか出てるんだよ……」
「ギャラが良かったんじゃない?」
「金に困りそうな顔してねぇだろ……にしても完成度が異常だな。メイクも、動きも。これ、ほんと誰が仕込んでるだ?」
「謎。バックに誰かいるのか、ありえないけど本人が全部やってるのか……でも、今のうちに押さえといた方がいい。これ、放っておいたら他所に取られる。」
三枝の見立てでは『アイドルの原石』などという安い言葉では足りなかった。
すでに完成された芸能人が、近所のスーパーのたたき売りコーナーに置かれているようにしか見えない。
「同感。うちの『リアル×バーチャルの融合枠』、ちょうど探してたしな。
この声と顔、身体つき……これは売れる。」
神林の頷く様は、その意見に完全に同意していた。
「問題は、どうやって接触するかだな。DM送っても返事が来るかどうか……」
「とにかく、動画の投稿者に接触してみよう。何もしないのが一番の悪手だわ。」
「了解。じゃあ俺が投稿者にDM送ってみる。お前はもう少し情報を探ってみてくれ。」
「分かったわ……他も動いてるでしょうし、ちょっと違う線からもアプローチかけてみるわ。なんとしても今の内に囲わないと。」
「おう。見つけたもん勝ちだからな。『ルミナ』今年の顔になるぞ。」
2人が見ている画面の再生バーは、まだ序盤しか動いていなかった。
『売れる』と確信された、ルミナはまだ微笑んでいる。
その笑顔のまま、彼女がこのあとダンジョンで何をするのか、
そして、バズる大きな要因となった『ワンパン水着ネキ』のことを――上っ面にしか興味のない彼らは、まだ知らなかった。
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七級娯楽興行連合会 交渉屋 吉田隆
夕方五時半。
都内の繁華街、駅から徒歩数分の路地裏にあるカフェは、昼の喧騒を引きずったまま、少しずつ夜の顔へと移り変わっていた。
店内は、木目調のインテリアに間接照明が映える落ち着いた空間。
ガラス越しに見える通りには、買い物袋を提げた人々や、仕事帰りのスーツ姿が行き交い、時折、制服姿の学生がスマホ片手に笑いながら通り過ぎる。
カウンター席では、常連らしき男性がスマホを弄りながら、静かにコーヒーを啜り、近くのテーブル席では、若い女性二人が街頭で見かけた有名人について小声で盛り上がっていた。
店員は、黒のエプロンに白シャツというシンプルな制服姿で、慣れた手つきでコーヒーを仕上げている。
ジャズ調のインストゥルメンタルが静かに流れ、外の喧騒とは対照的に、店内は穏やかで、時間がゆっくり流れているように感じられる。
非常に真っ当なカフェ。
奥まったソファ席で、待ち合わせをしていたらしい男2人も、見た目には真っ当に見えた。
「いやはや、七興連さんも大変ですなぁ。」
「はて? なんのことでしょう?」
「聞いてますよ。決闘場、閑古鳥が鳴いてるそうじゃないですか。」
「これはこれは、お耳が早い事で。まぁシノギの一つでしかありませんが、お察しの通り、痛い事は確かですね。」
「席を用意いただけるのであれば、ウチもお手伝いいたしますが?」
「はっはっは、ご冗談を。貴方達の力を借りるほどじゃあありませんよ。
ああいう所ってのは、時間さえあれば元に戻ってくもんですから。」
社交辞令のように見えながらも、冗談で言ったようには見えない言葉を、さらりと躱す。
「足抜けしたいって言い出すヤツも大量に出たって話を聞きましたが?」
追撃のように言葉を重ねていく男に対して、七興連の男――吉田が、いかにも楽しそうに、小さく笑い始める。
「ふふふ。そんなに興味がありますか? ウチで起きたことについて……いいですとも。そんなに詳細を知りたいのであれば、情報をお売りいたしますとも。」
吉田が指を1本立てた。
「ある動画を1度だけ見る権利をお売りいたしますよ。この動画を1度見れば、何があったか全てご理解いただける。そんな動画ですよ。」
「1本で動画を1度見るだけ? それは随分とふっかけるな。」
対面する男の言葉に、吉田が大袈裟に頭を振って見せる。
「ふっかけるだなんて、とんでもない。これは心外ですよ。」
芝居じみた嘆き方をして見せたかと思えば、一気に空気を変える。
「血が大好きで毎日殺し合いを見に来ていたクソが『ソレ』を見たせいで来なくなる。
足抜けの厳しいウチですら『ソレ』を見たせいで、足抜けしたいと言い出すヤツが続出する。
ウチの上ですら『ソレ』には絶対関わるなと厳命してくる。」
そして、再び笑顔を纏う。
「どうです? 『ソレ』について興味も沸くでしょう?」
「……まぁ、確かにな。」
「ですよね~。なにせソレのせいで荒巻まで弱音を吐く始末ですから。」
「荒巻……あの用心棒か。」
「えぇ。3級ダンジョンを荒らしまわったり、色々と突っ込んでいっては暴れまわる、ウチ自慢のサンキュウさんです。」
対峙していた男は諦めたように溜息を吐いた。
「『ソレ』のヤバさは、分かった。
だが、どうも腑に落ちん……なぜウチに声をかけた?」
「いえね。そちら様では、運営されている事業のひとつに芸能系がありませんでしたか?」
「芸能系? ふん。そんな小奇麗な言葉に入るか知らんが、あるな。たしか、夢見坂企画興業だったか? そんな法人が傘下にある。」
吉田は意味深に、にっこりと微笑む。
「ソレとは知らずに絡んでいきそうだな……と思いましてね。
ウチは『ソレに係る全て』とは絶対に関わりたくないんですけど、流石に知らぬふりも可哀想かと思いましてね。
いやぁ、私も動画を見ましたが、本当に納得しました。関わったら組が潰れるくらいで済めば運が良い。」
「……ウチが潰れるとでも言いてぇのか? アァン?」
凄む相手を気にせず笑う。
「潰れるだけで済めば良い方ですよ。
今、言いましたが、ウチは本当に関わりたくないんですよ。
だから、この提案を持ちかけるのも、これが最初で最後です。」
沈黙が場を支配した。
暫くの後、対面していた男が諦めたように、ため息をつく。
「はぁ……いったん、話を持ち帰らせてもらう。
もし動画を見ることになった場合、人数は何人までいける?」
「この近くのウチの事務所の会議室はあまり広くないもんで……5、6人くらいまでにしてもらえると。」
「分かった。」
男が席を立つ。
吉田も合わせて席を立った。
商談も終わりのようだ。
「……一本は100万でいいのか?」
「はっはっは!」
吉田は、心底楽しそうに笑った。
「1億ですよ。
別に、そちらが自滅した後で、全部いただいても構いませんし。」
吉田は、にっこりと深く微笑んだ。
対面していた男は、青筋を立てながらも、何も言わずに席を立ち、静かに去っていった。




