第36話 さすせり
支店での用事を終え、軽くなったリュックを背負い直す。
昼下がりの街は人通りこそ多いが、どこか緩やかな空気が流れているように感じた。
「……あ。お土産、買ってこ。」
本当にセリフィアには世話になっている。
目についたお店で、サンドイッチやケーキを選び、買っていく。
甘い物を買ったので、紅茶とウーロン茶、緑茶も買ってリュックに入れた。
流石にジュースを合わせるほどヤンチャにはなれなかった。
買い過ぎかな? と思う程度に膨れたリュックと手持ちのケーキ。
マナマテリアルズでは冷静に話はできた気がするけれど、一度、気が緩んでしまうと、どこか心がフワフワと浮いてしまう。
650万円かぁ……
税金が20%引かれても520万円。
この1週間で、500万円を超える収入があることになる。まだ換金していない素材もあるから、もっと増える可能性だってある。
仮に最低でも週500万円なら、月収で2500万円。
年収にすると2億円を超えてくることになる。
「会社……辞めて良かった……」
ふわふわとした足取りのまま、やがて路線の駅に着く。
窓の外を流れていく住宅街の景色を眺めながら、電車の揺れに身を任せていると、見慣れた駅に到着した。
飾り気のない駅を出ると、街の喧騒も、活気もない住宅街。
少し歩いて商店街を抜け、駅から離れた住宅街の裏手にある古びた階段を下りていく。
そこに、超常資源庁が設置した簡易ゲートがぽつんと佇んでいた。
洞窟ダンジョン。
化石カニくらいしか売りの無い、寂れたダンジョン。
ルミナがワンパンで倒したイレギュラーモンスターの出現騒動後は、ただでさえ少なかった人が、さらに減り、今では誰も寄り付かないダンジョンになったと言っても過言ではない。
だが俺にとっては、もう第2の実家みたいな場所だ。
「ん? そっか。ここらに引っ越すのもアリだな……いや、引っ越しより賃貸でも借りればいいか。」
10級の不人気ダンジョンの周辺は、住宅街としての価値は低く、家賃も安そうだ。
だが俺にとって、ダンジョンに近いというのは色々違った意味を持つ。
幸いなことに、懐に余裕もある。
――セリフィアに相談した後、不動産屋にも寄っていこう。
そう決めて、俺は洞窟ダンジョンへと足を踏み入れた。
★ ☆ ★ ☆彡
洞窟ダンジョンの地下2階、落ち着いた岩の上で、俺とセリフィアは腰を下ろしていた。
天上の淡い光が心を静めるようで落ち着くが、周りの静けさを際立たせている気もする。
「……ふわふわですね。卵の味が優しくて、とっても美味しいです。」
「俺、こういうのあんまり食べないから新鮮だよ。どうしても『早い!安い!体に悪い!』ってヤツばかり食べちゃうんだよね。」
「それは……先日のスキャン結果も納得と言いますか。お身体は大事になさってください。」
「そうだね~、そういえばいくつか内臓が気になるって言ってたもんね。」
「胃と肝臓、大腸ですね。覚えています。」
「……ちなみにさ、結構……その、悪そうだった?」
「肝臓は……沈黙の臓器と呼ばれる程、自覚症状がありませんから……ね。」
何も言わずに、セリフィアは静かに微笑んだ。
「……気を付けます。時間もあるので自炊と野菜を取る生活を心がけます。」
「それがよろしいかと……ところで、私はなぜ、この格好なのでしょう?」
そう。
今のセリフィアは、いつもの白衣と制服姿ではない。
『セリフィア・アークライト クリスマス衣装バージョン』なのである。
固有スキルが変わっているので、いつものスキャンは使用できない。
けれど、そもそも今は使う必要が無い。なら違う衣装で良いじゃない。というわけで、別衣装バージョンを召喚している。
水着バージョンもあるけれど、流石に真面目に話がしにくくなりそうなので、控えさせていただきました。
「うん。素敵だ。」
「もう……」
白を基調としたショート丈のワンピース。
ふんわりとしたパフ袖や、裾には、雪の結晶の刺繍が細かく施され、光を受けてきらきらと輝いている。
胸元に赤色のリボンが結ばれて、中央には小さな鈴がひとつ。
いつもはストレートの白銀の髪も、今日はゆるく編み込まれ、赤いリボンでまとめられている。
「こんなん、もう天使か妖精やろ。」
「んもう……」
つい漏れた本音に、セリフィアは少し頬を染める。
ぎゃわいい
――おっと、ちがうちがう。
これは実験なのだ。普段のセリフィアと衣装違いのセリフィアが、同一人物かどうかの確認。
もし違っていれば、話がかみ合わないはずだが、今のところ食い違いはゼロだ。
話している限り、まったくの同一人物であると言っていい。
「あ。ごめんごめん。ケーキも買ってきてあるから、後で食べようね……で、マナマテリアルズで話をしてきたから、また相談に乗ってもらいたいんだ。」
「ええ。お役に立ててうれしいです。お任せください。」
恥ずかしそうに俯いていたセリフィアが、凛とした雰囲気に戻る。
「マナ・マテリアルズでの話しは……まぁ独占契約の打診だったよ。
優先査定、価格優遇、採取タイミングの助言……って内容だったんだけど、どう思う? 一応、向こうのまとめた資料も預かってる。」
資料を渡すと、セリフィアは眼鏡を軽く直し、静かに目を通し始める。
数秒の沈黙のあと、口を開いた。
「……まず、これは概要であり、契約の正式な文面が提示されていませんので、マスターの仰る通り『打診』に過ぎません。
ですが『独占』という言葉が含まれている以上、慎重に検討すべきです。」
「やっぱりそうか。」
「はい。独占契約は、素材の流通先を一社に限定する契約です。
その場合、価格決定権が相手側に偏り、将来的な買いたたきや条件変更のリスクが生じます。」
「なるほど……」
「もちろん、メリットもあります。
素材の優先査定は、早く結果が出る可能性がありますし、価格優遇も貯蓄効率を高めます。
ただし、これらは『契約の安定性』が前提です。」
セリフィアが、いつものように指を立てて続ける。
「マスターが供給者である以上、交渉の主導権は本来、こちら側にあります。
契約を急ぐ必要はありません。
まずは公的機関の査定基準や、他社の動向も確認し、比較検討されるのがよろしいかと。」
「うん……そうだね。」
さすせり。
本当に流石セリフィアさん。
俺が漠然と持っていた疑念を、全て言語化してくれたような気がする。
「俺も、まだD9免許だし、選択肢を狭めるのは早いよな。」
「はい。もし契約書の草案や、他業者の条件などが提示されましたら、お手伝いさせていただきますので、また私にお任せください。」
セリフィアの声は、いつも通り冷静だけど、どこか俺を信じてくれている響きがあった。
「ありがとう。頼りにしてるよ。」
セリフィアは少しだけ躊躇った後、俺をじっと見て言葉を続ける。
「……今回の打診は、マスターが一定の評価を得たということ。
マスターが評価されるのは、私にとっても誇らしいことです。
……ですが、少し不満でもあります……これは言葉を変えれば『一企業による囲い込み』でしかありません。」
「……ふむ?」
「私はマスターが、一企業程度に収まる器だとは思っていません。
これから等級を上げ、ダンジョンに挑んでいけば――その真価は、ますます顕著に表れてくるでしょう。」
真剣な眼差しで訴えてくるセリフィア。
髪型も服も違うのに、彼女の芯の強さは変わらない。
「まぁ、早い段階でマスターの有能さに気づいたマナマテリアルズも、確かに優秀ではあります。
……ですが、まだまだ甘いですね、もっとマスターに有利な条件を提示するべきでした。」
セリフィアは少し考え、静かに語を紡いだ。
「マスター。私に少し外の情報をくださいませんか?」
その声音は穏やかだったが、言葉の端に揺れる笑みは、どこか不敵な気配を帯びていた――




