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1-25 妹の婚約者を盗りました。なぜならその男は結婚詐欺師だからです。

「彼はあなたとの婚約を破棄して、私と婚約することになったの。わかってもらえた?」


 妹に対し、リリスはそう告げた。

 なぜなら妹と婚約していた男が詐欺師だと知っていたからだ。


 妹を納得させ、かつ正規の手続きを踏んで妹の婚約を破棄させるには時間がかかる。

 一刻も早く詐欺師を妹から引きはがし、彼に近づいて詐欺の証拠を得るため、リリスは自分が妹の婚約者を奪うことにしたのだ。


 妹の婚約者が詐欺師だと知っている理由は、タイムリープ。

 リリスの記憶では、妹は一度自殺して死んでいる。心から愛していた男に裏切られて。


 過去に戻ったリリスは誓った。

 妹を守ると同時に――詐欺師に、妹を裏切った報いを受けさせてやるのだ、と。

 過去に戻ったと気づいたとき、あの男から妹を守らなければと思った。


 そして同時に、妹に死を選ばせた男に報いを受けさせるチャンスをもらったのだろうか、という気がした。



   ◇



 使用人を全員下がらせたため、ルードランド子爵家の応接室にはリリスを含む四人しかいない。

 リリスはゆるやかに波打つ薄紫色の髪を指ですき、わざとらしく胸を張って見せる。


「彼はあなたとの婚約を破棄して、私と婚約することになったの。わかってもらえた?」


 呆然と立ち尽くす(フィーネ)に向かって、固い声でそう告げた。

 リリスに向けられた翡翠(ひすい)色の瞳が「信じられない」と語っている。腰に落ちる真っ直ぐな髪も、淡く色付いた唇もかすかに震えていた。

 今にも倒れそうな妹を目にしていると心臓を押しつぶされたような気持ちになる。だがリリスには彼女に声をかける資格などない。

 なぜならこの婚約破棄を仕組んだのはリリスなのだから。


(――ごめん)


 心の中でだけ謝罪を告げ、腕組みをしてそっぽを向いた。

 大事な妹を傷つけたいわけではない。

 もっといいやり方はあったのかもしれない。

 だがフィーネを守るために取りうる手段を考えたとき、思い描けた手段の中でリリスに取り得た方法がこれだったのだ。


「それは本当なのですか……?」


 か細い声でそう言ったフィーネが、リリスの隣に立つ青年にすがるような視線を向ける。

 フィーネの婚約者だった男――ライネルは申しわけなさそうな表情で頷いた。


「君には悪いと思っている。でも、僕らは真実の愛を見つけてしまったんだ」


 ライネルの長いまつげが物憂(ものう)げに下を向いている。彼の赤い髪が切れ長の目にかかって揺れた。

 悲しげな表情をしているだけで絵になる美形は得だなと、リリスは鼻で笑いそうになるのを必死でこらえる。

 

(なにが『真実の愛』よ。フィーネより多い私の結納金と財産にしか興味がないくせに)


 リリスの肩にライネルの固い手が触れてきて、ぞわっと腕が泡立った。

 それでも組んでいた腕をほどき、彼を見上げる。仲むつまじく見えるように微笑んで。

 自分は今、ちゃんと笑えているだろうか――一抹の不安を胸に抱きながら。


「あ……」


 青い顔でふらついたフィーネの肩を、彼女の隣に立っていた黒髪の青年が受け止めた。

 黒縁眼鏡の厚いレンズの下で、紫色の瞳が困惑の色を浮かべている。


「リリスは、おれよりライネルさんのことが好きになっちゃったのかな」


 さびしそうに笑った元婚約者(カイル)に、つい「違う」と返したくなる。だがぐっと唇をかんで、リリスは彼から顔を背けた。


「カイルには悪いと思ってるわ。でも私の代わりにフィーネがあなたの家に嫁ぐ予定だから、注文中のタキシードはそこで着てちょうだい」


 痛い。

 自分の言葉が太い針になって自身を刺していく。


 彼が別の誰かと結婚するなんて嫌だ。

 小さい頃からずっと好きだった彼と、結ばれようとしていたのに。


 でも妹の婚約者を盗ったリリスに、嫌だなどと言う資格はない。


「いや、フィーネの婚約者なら、おれより(テオ)を推したいけど……ってそういうことじゃないか」


 カイルが指で頬をかいて視線をうろうろさせる。動揺したときの彼の癖だ。


「カイルくんには、一発殴られることくらいは覚悟していたのだけどね」

「おれは、リリスが一番笑えるようにするのがいいと思うから。リリスのこと、よろしくお願いします」


 カイルがライネルに向かって頭を下げる。

 自分の婚約者をとられたばかりだというのに、彼の表情から怒りは読み取れない。

 昔からそうだ。彼はリリスが何を言っても怒らず、受け入れてくれる。リリスが好きになったのもそんな優しいところだ。

 だが八歳の頃から婚約していた相手にあっさり手を離されたことに、またズキリと胸が痛んだ。

 胸の痛みから目をそらすかわりに、二人から視線を外す。


「じゃあ、そういうことだから。行きましょう、ライネル様」

「ああ」


 ライネルの腕に手を添えて応接室を退室する。


 部屋を出る間際にちらりと振り返ると、カイルはうつむいたフィーネと向かい合っていた。

 優しい彼なら、ショックを受けたフィーネを放ってはおかないと思ったから、この光景は想定どおり。ほっと胸をなでおろすが、同時に心が重くなる。


 カイルとリリスの婚約破棄は、書面通知で済ませることもできた。にもかかわらずカイルをわざわざ呼び出し、フィーネと一緒に婚約破棄を告げたのはこうして彼女をフォローしてもらうためだ。

 自分で仕向けておいて、勝手に傷つくのは身勝手だ。


 応接室を出てすぐ庭園の散歩に誘われたが、今日は疲れたからと断って自室に戻る。

 部屋に戻るなり、リリスはベッドに転がって長い息を吐き出した。


 これで妹をあの男(ライネル)から引きはがすことができた。

 二度とあの男に、妹もこの家の財産も奪わせてなるものか。


(婚約者の立場で尻尾をつかんで、絶対にあの詐欺師を処刑台に送ってやるわ!)


 シーツを固く握りしめ、改めてそう誓う。

 二組の婚約破棄と新たな婚約締結の正式な手続きは途中だ。しかし姉妹の交換でしかないので、通常の婚約破棄よりハードルは低い。当人たちに宣言もした。

 後戻りはできない。する気もない。

 だがこうして一人になると、不安が膨らんでくる。


 自分は計画どおりに進められるのだろうか。

 もしどこかで間違えてしまったら、また妹を失うことになるのだろうか。

 本当にこのやり方でよかったのだろうか――


「リリス、いる?」


 部屋の戸が控えめにノックされ、リリスは顔を上げる。カイルの声だ。

 目をしばたき、ベッドから起き上がる。


「あなたと話すことはなにもないわ。優しいあなたのことだから、フィーネと一緒にいるのかと思ったのに、何してるの」


 閉じたままの扉まで寄り、そっけなく返す。

 部屋には入れない。面と向かってカイルと話をしたら、何を口走るかわからなかったから。


「フィーネなら、(テオ)が一緒にいるよ」

「……どうしてテオがここにいるの?」


 テオとは歳が離れているから、一緒に遊んだ記憶はあまりない。カイルの家を訪ねたときに会うくらいだ。テオがこの家を訪れたのも、せいぜい一度か二度だろう。


「リリスに呼び出される前に、父さんから婚約破棄のことは聞かされていたからさ。テオがどうしてもってついてきたんだ」

「……そう」


 想定外の訪問者ではあるが、フィーネがひとりじゃないことに、ほっと胸をなでおろす。

 婚約破棄を告げた直後だというのに、のんびりしたカイルの声が扉ごしに響く。


「だからね、おれはリリスに聞きに来たんだ。……大丈夫? どうしたの?」

「……っ」


 過去に戻ってきてからずっと張り詰めていた緊張の糸に優しく触れられた気がして、脈が強く打った。

 片手で胸を押さえ、もう片方の手を扉に添える。


 彼は許可なく戸を開ける人ではない。

 それくらいわかってるのに、ぐっと指で扉を押さえた。開けられてしまわないように。


「別にどうもしないわ」

「でも、泣くのを耐えるときに腕を組んでそっぽを向くクセ、出てたよ。おれでよければ話くらい聞くけど」


 ――やめて。

 今は優しい言葉なんて聞きたくなかった。


 カイルの穏やかな声を聞いていると、余計なことを考える。


 時間が巻き戻る前、リリスはカイルとの結婚準備で浮かれていた。

 フィーネの様子は気にしていたし、できるだけ時間を作って傍にいるようにしてはいた。それでも式の打ち合わせや新しい部屋の家具選びで、家を留守にしなければならないことはあった。

 フィーネが死んだ夜も、帰りが遅くなってしまったリリスは彼女と顔を合わせることもできなくて。


(あの日はフィーネのそばにいてあげれば良かったのかな)

(そうしたら思いとどまってくれたかな)

(フィーネにとって居心地の悪いこの家に、一人残したりしなければよかったの?)


(私がもっと支えてあげられていたら、あの子は死を選ばなかった――?)


 この二ヶ月間、毎晩夢に見るフィーネの死に顔が頭をよぎって体が震えた。

 どんなに謝りたくても、『自死した妹』はもういない。時間が巻き戻ったことで、全部なかったことになってしまった。


「リリス?」


 鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。

 すぐに声を出したら震えそうで、一度深呼吸をした。


「なんでもないわ。放っておいて。あなたはもう婚約者じゃないんだから、関係ないでしょう」

「婚約者じゃなくても、リリスはおれの幼なじみだよ。何かあったなら頼ってよ」


 心の中でだけ、もう頼ってるわよと返す。

 妹をフォローする役回りは彼にしか頼めない、そう思ったから呼びつけたのだ。


 彼に寄りかかってしまいたい。

 そんな考えが頭をよぎる一方で、怖い、とも思う。

 ライネルに報いを受けさせたいだなんて、こんな(くら)い感情を彼に知られたくない。


「……放っておいて」


 また拒絶の言葉を吐いたのに、


「リリスがもうおれを好きじゃなくても、おれの好きな人はまだリリスだから。そんな暗い声で言われたら放っておけないよ」


 返ってくるカイルの声は優しく、ささくれだった心を真綿でくるまれたような気がした。

 じわりと浮いてきた涙の粒が、胸に乗せた手の甲にぽたりと落ちる。


「ばか。お人好し」

「リリスに笑ってもらうためなら、おれはお人好しのばかでいーよ」


 閉じたままの扉の向こうで、カイルが笑った気配がした。

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