1-23 呪われた天使に口付けを~幼馴染を助けるために運命の番(つがい)を探します~
「アリーヤ!! ここ開けて! 大変なんだ!!」
そんな声に叩き起こされた女天使アリーヤの前に現れたのは見知らぬ天馬。
見ず知らずの相手を警戒する彼女へ天馬は告げる。
「僕だよ! フィルだよ!」
涙ながらに告げられたのは、アリーヤの幼馴染の男天使の名前だった。
目が覚めたら天馬になっていたと言う彼の言葉を受けたアリーヤは、何が起きているのかを知るため、呪いに詳しい天使の元を訪ねる。
そこで判明したのは、正攻法では解呪に難のある呪いがフィルにかけられていることだった。
呪いを解く唯一の可能性は、この世にたった一人だけ存在するフィルの運命の番を探し出しだすこと。
フィルを救うため、彼の運命の番を探し出すことを決意したアリーヤは、彼の足跡を辿る小さな旅へ出るのだった。
勝気な優等生アリーヤと泣き虫だけどやるときはやる男フィル、二人のじれったい恋の物語が幕を開ける――。
そこは雲の上に築かれた天使の国サンクラント、その中央都市外縁にある森の中。背の高い木々に設けられた大小さまざまなツリーハウスが、朝日に照らし出されている。
朝告げ鳥たちが鳴き始める中、大地に設けられた小さな家の扉を乱暴に叩く音と共に、テノールの切羽詰まった声が響いた。
「アリー! アリーヤ!! ここ開けて! 大変なんだ!!」
朝の空気を吹き飛ばすそれらの音に、眠っていた家主――アリーヤはふと目を覚ました。薄暗い部屋の中に浮かぶ水球のような寝床の中で、金緑色の目を眠そうに擦った彼女は、丸めていた華奢な身体を欠伸と共に大きく伸ばす。そんな中、自身の名を呼ぶ泣き混じりの声に小さくため息をつくと、背中から生える一対の白い羽を使って寝床を抜け出した。
ふわりと宙を移動する彼女が指を鳴らすと、寝間着は瞬く間に白のワンピースへと変わり、どこからともなく現れたリボンが長い白金色の髪を首元で括る。そうして身支度を整えた彼女は、扉を押し開けながら口を開いた。
「もう、フィルってば、こんな朝早くからどうしたの……よ?」
戸口に立つ一対の黒い羽を持った馬――ペガサスを見た瞬間、呆れの滲んだ彼女の声が不自然に途切れる。自身を見下ろす黒馬に呆けていた彼女は、ハッと誤魔化すように苦笑いを浮かべて言った。
「ごめんなさい、てっきり知り合いだとばかり……。ええっと、天馬族のあなたはどちら様でしょうか?」
「天馬族じゃなくて、僕だよ! フィルだよ!」
「……え?」
黒の天馬が涙目で告げた言葉に、アリーヤは訝しげな表情で相手を見つめる。自身を見下ろす天馬の艶やかな黒のたてがみと体毛に、くりっとした大きな水色の瞳。左目の上にある小さな傷を無遠慮に見つめたあと、彼女は疑わしげに目を細めて口を開いた。
「黒羽もその瞳の色も、目元の傷跡もフィルと確かに同じですけど、私が知っているフィルは私と同じ天人族の男のはずですが?」
「じゃあ、これならどう? 【高潔】のアリーヤが奇跡を起こす方法はくち……あいたっ!」
胸を張る天馬の言葉は最後まで発せられることなく、アリーヤが一瞬で取り出した星形の杖により物理的に遮られた。大粒の涙を滲ませる天馬をジロリと睨めつけると、彼女は低い声で言った。
「それ以上はやめて。本物のフィルなら、やめなかったらどうなるか……。わかるわよね?」
脅し文句と共ににっこり微笑む彼女と、天馬の鼻先にある杖の先端へ集まりつつある黒い光に、フィルを名乗る天馬は慌てたように口を閉ざして首を縦に振る。その反応に警戒を解いて杖を音もなく消し去った彼女は、ため息混じりに天馬を自身の家へと招き入れたのだった。
彼女が通したのは先ほどまで彼女が寝ていた部屋だが、水球は消え失せ、代わりにテーブルと椅子が並んでいる。そんな中、羽を折り畳んだフィルが家具などに身体をぶつけないように注意を払いつつテーブル脇に座れば、途端に彼の腹が盛大に鳴き始めた。
それに対し、アリーヤが耳飾りを指で軽く弾けば、澄んだ水の入ったボウルと果物を盛った皿がパッと現れる。目の前に並んだ食べ物と自身の蹄を見て一瞬躊躇うものの、彼は口をつけるとあっという間にそれらを平らげていく。そんな彼の横で椅子に腰かけたアリーヤは胡乱げに言った。
「全く……。いくら信じてもらうためとはいえ、秘匿されている力天使が起こす奇跡の方法を口にするのはマナー違反よ」
腕を組みながら怒っている体を取りつつ、再び耳飾りを叩けば、空になった皿とボウルがあっという間に満たされる。そんなアリーヤの行動に、フィルは嬉しげに尻尾を揺らし、目を細めながら言った。
「僕とアリーヤ以外にほとんど知る人がいないことで咄嗟に思いついたのがそれくらいだったから、つい……」
アリーヤが難しい顔で眉根を寄せて振り返れば、彼は困ったように耳を伏せるばかりだ。フィルをじっと見つめた彼女は、ため息混じりに自身の食事を出しながら言った。
「悪気がなかったのはわかった。とりあえず、お腹が減っては何とやらって言うし、話はご飯を食べてからにしましょ」
そうして食事を終えると、腹が膨れたことで余裕ができたのだろう。リラックスした様子で座る天馬に、アリーヤは問いかけた。
「それで? その姿は一体どうしたの?」
「それが僕にもさっぱり……」
彼は小さく肩を竦めたあと、左右の耳をバラバラに動かしながら続けた。
「昨日眠るまではいつもどおりだったんだ。でも、床に落ちて目が覚めたらハンモックは壊れてるし、鏡に映ったのはこの姿だし。もうどうしていいかわからなくて……」
「それで慌てて私のところへ来た、と」
意を汲んで続けたアリーヤの言葉に、天馬はコクリと頷き返す。そうして、小さく尻尾を揺らしながら穏やかに言った。
「きっとアリーなら、姿が変わっても僕だってわかってくれると思ったんだ」
「まぁ、戦闘に長けた黒羽には気性の荒い人が多いのに、地で真逆を行く泣き虫なんてフィルくらいだし」
「うっ……」
ピンと立ち上がっていたフィルの首が、しなしなと頽れる。そんな彼のたてがみを撫でながら、彼女は苦笑を浮かべて言った。
「とりあえず、クラリス様なら何かご存じかもしれないし、相談してみましょ。私が一緒に調べるにしても、クラリス様にお休みの許可を頂かないといけないし」
「一緒に調べてくれるの?」
「当たり前じゃない」
即答した彼女は両手を腰に当てると目を細め、好戦的な笑みを浮かべて彼を覗き込みながら問いかけた。
「それともなぁに? 私が幼馴染の一大事を放っておくような薄情者だとでも?」
「ちっ、違うよ! ただ冷静に考えると、何があるかわからないのに、巻き込んでよかったのかなって……」
「フィルが私に泣き付くのなんていつものことだし、今更でしょ」
そう言って、決まり悪そうに唸る天馬の鼻頭を、彼女は軽く指で突く。それでもなお不安げに揺れるアクアマリンのような瞳に、彼女は天馬の額にそっと口付けを贈る。その瞬間、全身を覆った淡い黄緑色の光に彼が目を瞬かせれば、上体を起こした彼女は誇らしげに言った。
「戦闘では役に立てないけど、天使の異変に関しては主天使とそれを補佐する力天使、私たちの管轄なんだから任せなさい」
「アリーヤぁ~!」
感極まった様子で涙ながらに名を呼ぶ彼の頭を、アリーヤはよしよしと優しく撫でたのだった。
◆
それから約半日後。パフスリーブの白いワンピースに着替えたアリーヤは、フィルと共に中央都市から遠く離れたセントルイーネと呼ばれる古の聖遺跡にやってきていた。不安と緊張でガチガチの二人の目の前にいるのは、鼻歌混じりに雑貨の山を漁る天使。二対の紫色の羽を楽しげに揺らす天使からそっと視線を外したアリーヤは、自身の手元の水晶を見た。
彼女が持つのは、つい今し方目の前の天使が放り投げた記録球と呼ばれる音声と姿を映し出す水晶。今映し出されている、金髪赤目の女天使の姿は胸のサイズを除き、目の前で家捜ししている天使と瓜二つだった。
粛々と語る虚像を見つめるアリーヤの脳裏を、数時間前に告げられた言葉が過る。
――これはだいぶ複雑な呪いを受けているな。私の手には余るが、双子の妹バーバラがあらゆる呪いの解呪法に精通しているから訪ねてみるといい。少々癖のある智天使だが、きっと力になってくれるはずだ。
それはフィルを診たクラリス――水晶に映る天使の言葉だ。それを受けた二人がそのままバーバラを訪ねれば、話半分も聞かないうちに『直に視た方が早い』と言って、探しものを始めて現在に至る。
そんな中、バーバラが一時間ほどかけて発掘してきたのは、糸で魔法陣を描いた古びた布。彼女は雑貨の山を押しやり、空いた床にそれを広げて言った。
「待たせたな、二人とも。さぁ、【氷の黒耀】の坊や、解析するからここに立ってくれたまえ」
彼女の言葉に、フィルは羽を周囲にぶつけないよう慎重な動きで魔法陣を上に立つ。その瞬間、複雑に絡み合う文字列が天馬の全身を覆うように浮かび上がった。その光景に二人が驚き言葉を失う中、バーバラは思案顔で文字を見つめる。
「ほう? ほほーう?」
禍々しい光を放つ文字も見受けられる中、バーバラは顎をさすりながら興味深げに呟くばかりだ。読み解くことで夢中な彼女に、アリーヤはおずおずと声をかけた。
「あの、バーバラ様、これは一体……?」
「え? ああ、いや失敬。ここまで手の込んだ呪いは五百余年生きてきて初めて見たものでつい、な。これは坊やにかけられた呪詛を可視化する鑑定具なんだ」
軽い調子の謝罪と共に告げられた説明に二人が息を呑む中、彼女は一つ咳払いをして続けた。
「結論を言えば、正攻法での解呪は難しい」
天気の話をするように宣告された凶報に、二人の身体が強張る。ゴクリと唾を飲み込んで口を開いたのはアリーヤだ。
「フィルはずっとこのままということですか?」
「そう急くな。手はまだある」
希望の言葉に二人が前のめり気味になる中、バーバラは事もなげに言った。
「運命の番を探し出せば問題ない」
「運命の、番?」
聞き慣れない単語を復唱するアリーヤとフィルの声がピッタリ重なる。戸惑い顔を見合わせる二人を待つのは、互いの知らない幼馴染の側面を知る小さな旅。それが停滞した二人の関係を大きく変えるなど、このときの彼らは知る由もなかったのだった。





