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1-16 魔法少女は34歳

足立玲奈、34歳。かつて共に戦った魔法少女の同期達は皆それぞれ結婚して家庭に収まっている。

市役所での公務員としての勤務の傍ら今も『全日本魔法少女協会(JMGA)』の中部支局長として働く玲奈が、ある日町の廃教会で出会ったのは、同族の雌達に蹂躙を受ける雄のセイレーン「ロートス・イーター」だった。魔法少女の力を駆使し、傷ついたロートス・イーターを自分のアパートへ保護した玲奈は彼の身体の秘密を知ることに。

これはそんな「年甲斐もなく」魔法少女のステッキを振るう現役魔法少女34歳公務員女史と、彼女が救い出した金色のセイレーンの王子が織りなす、わずかながら甘くほろ苦い邂逅を描く物語である。

 廃墟になった教会のパイプオルガンに彫像のように磔にされた男が、溜息を静かに吐き出した。腕と一体化している金の翼の羽が僅かに震える。その足元にやってきた眼鏡をかけたスーツ姿の女が、静かに問うた。

「……あなた、名前は」

「ロートス・イーター」

 気だるげに半人半鳥の男が答える。

「そうだ。おれは王子だ。100年ぶりに海に生まれ落ちた雄だ。だから女どもは皆おれの子種を求める。良い子種は閨に楽器があればこそ」

 パイプオルガンに磔にされているのはそういう理由があるらしい。

「恥辱だ。そうだ恥辱だ。夜になればおれは女どもに精を絞り尽くされ、朝になればあの珊瑚の色の窓から注ぐ光がおれを焼く」

 ここに派遣されてきたのが『少女』ではなく、偶然現場近くにいた思春期を超えた女である自分でよかった、と思わず女が布一枚身にまとっていない男をもう一度見てから、もう一度聞く。

「……人間は、敵ですか?」

「わが父祖の代までは、ヒトの船と我らは相容れなかった。だが、いつの頃からか、ヒトの船は、我らを見失った。そして、もはや、ヒトは敵ではない。なにものでもない」

 セイレーンの伝承よりも早くヒトの技術は進化し、近代化に伴いいつしか彼らの存在自体が忘れられていった、ということなのだろう。

「安心しました。それでは、あなたを保護します」

「女どもに八つ裂きにされるぞ」

「私の義務です」

「義務か。ヒトの雌は義務とやらで八つ裂きにされるのか」

 ガシャン、という騒々しい音と共にステンドグラスが割れて、半人半鳥の姿をしたセイレーンの女たちが金切り声をあげながら教会内になだれ込む。

 女はそれを一瞥し、スーツの胸ポケットからキラキラと輝くコンパクトを取り出して開くと、『通信機能』をオンにした。

『本部、応答願います。こちら中部支局長。緊急要請。西日本エリアに展開する「ハピネス【機種依存文字:ハート虹色】魔法少女隊」のデータをC35に転送するように』

『本部了解。データ転送完了。パターンCで起動可能です』

 パターンC、ポージングと武器、そして音声を『同期』する必要があるデータの呼称である。女は粛々と、今しがた指定したばかりのデータを『開く』。

『マジカル☆ハピハピフルパワー100パーセント。キラキラおんぷパワーフルチャージ』

 裏面に「C35」と印字されたテープの貼られたコンパクトの鏡の中から、教会という場にはあまりにもそぐわない、軽やかで華々しい音色と光を放つ1本の愛らしいステッキが顕現する。そして女は34歳公務員女性という歳姿には少々『似つかわしくない』愛らしさ満点のポーズを真顔できめて、彼女の手には少しばかり小さいステッキを宙に降り、至極事務的な口調で言った。

『ラララ♪ミュージカル☆ハピハピアワー、キラキラエレガント・シンフォニー』

 ステッキからキラキラと鳴り響く音色と無尽蔵に湧き出る七色の光。女の眼鏡にも反射するあまりにもファンシーな音符の形の光が、襲い来るセイレーンの女達へ無慈悲に直撃した。


 足立玲奈、34歳。魔法少女マジカル☆レーナ。かつて共に戦った魔法少女の同期達は皆それぞれ結婚して家庭に収まっている。

 しかし魔法少女というのは今でも全国津々浦々に存在しており、彼女達をサポートする『協会』が極秘裏に発足したのが10年前。当時24歳の社会人、市役所で働く公務員だった玲奈にもこの秘密の役職の話が回ってきた。独身であり収入も安定した生活を送っている女性は、魔法少女出身者の中では貴重でもあったのだ。

 そして玲奈には『全日本魔法少女協会(JMGA)』の「中部地区支局長」などという役職名がついた。地元で活躍している少女達を陰ながら見守り、時には密かに現場でも活躍するその手腕は高く評価されている。


 古ぼけた祈禱台をパイプオルガンの横まで引きずり、台を覆う布を剥がす。日の落ちた教会で、『ハピハピ☆ミュージカルステッキ』を口にくわえ、ヒールを脱ぎ捨て台の上に上がる。よく目をこらすと、かすかに潮の香りがするテグスのようなもので手首が乱雑に縛られている。この教会からは海がほど近い。玲奈は仕事用鞄の中からメイク用の小さなハサミを取り出すと、このセイレーンの男の手首を縛り付けているテグスを丁寧に切り落としていった。

「身体は冷えていませんか。他に怪我は」

 問われた意味がわからない、といわんばかりにロートス・イーターが目を瞬かせ、そして自由になった片方の手首をゆっくりと動かし、目の前の玲奈をまじまじと見つめる。

「なぜ怪我の有無を聞く。おれはお前を害すことも……」

 言いかけて、どこかが傷むのか眉をしかめて口を閉ざす。玲奈は再びコンパクトを開く。

『本部。怪我人発見。本ステッキをマジカルヒーラーステッキに換装。本件はケース5472で登録をしておくように』

『ケース5472登録完了。本部よりデータ転送します』

 電子音が苦手なのか、ロートス・イーターが眉をしかめ、コンパクトに吸い込まれていったステッキと、新しく顕現した、少し年季の入ったステッキをもの憂げに眺める。

「さっきの騒々しい杖は使わないのか」

「用途が異なります。これは私が昔使っていたもの。対象物を癒します。妖魔の類にも使ったことが」

「おれは妖魔か」

「あなたはあなたでしょう、ロートス・イーター。セイレーンを妖魔と呼ぶかはこれから魔法少女協会本部が決めることです」

 台を真正面に動かし、人と鳥との境目のような不可思議な男と正面で向かい合う。

「動かないで。そちらの糸も切ります。その後に治療を」

 廃墟になった教会で、魔法少女のステッキの白い光だけが光る。

「おそらくは腕と肋骨が折れています。この杖でもある程度の治療はできますが……」

 肋骨が折れるまで蹂躙されつづけたのだろう。そして腕が折れているのは腕と一体化している翼で逃げられるのを防ぐためだろうか。肌のあちこちに赤や青の痣が残り、背中にもパイプオルガンに擦りつけられた痛々しい跡が残っている。

「……きちんとした治療と休養、そして食事があなたには必要です」

 現役の魔法少女だった頃にはなかった「武器」が今の自分にはある。玲奈は鞄の中から自家用車の鍵を取り出して言った。

「たとえ追っ手が来ても振り切れる程度の運転ならJMGA本部の研修で訓練済です。裏手に車が止めてありますので」

「クルマ?」

「端的に言うと陸用の船です」

「お前が、おれを、運ぶというのか。どこにだ」

「私の部屋にです」

 男の上半身に祈祷台から剥ぎ取った布をかけてやりながら

『本部。支局長専用車両「ま19-51」にルルル♪マジカル☆キラメキシールド施行を緊急要請。怪我人を搬送します』

 コンパクトの通信機に指示を速やかに送り、玲奈は静かに言う。

「急ぎましょう。この場を早く立ち去って安全な場所にあなたを護送する義務が私にはあります。車にはシールドを張りました。安全にあなたを運ぶことが出来ます」

「義務、だと」

「魔法少女の義務です」

 まさに『義務』の二文字が歩いているような、そんな玲奈の瞳をセイレーンの男が凝視する。

「……よいだろう。人の女から施しを受けることになろうとは」

 忌まわしい傷跡ばかりが残る身体で、ロートス・イーターはゆらりと立ち上がる。

「連れて行くがいい。どこへなりとも」


 まるで滑る落ちるように助手席に崩れ落ち目を閉じた男が、眉を強く寄せ呻き声を上げ、身体を苦しげに曲げる。

(うなされている……?)

 発見した時に本人が語った通りだとすると、それも当たり前のことだろう。平然と振る舞ってはいたが、腕や肋骨が折れるほどの蹂躙を何日も受けて、正気でいるほうが難しい。玲奈は片手でハンドルを握ったまま、もう片手でマジカルヒーラーステッキを再度灯し、

『マジカルヒーラーステッキ、ルルルヒーリング♪イリュージョン』

 助手席の男の身体全体に優しい光を注いでやる。そしてもう片方の手で、車のダッシュボードを開けて、まるで女の子が生まれて初めてクリスマスで貰うおもちゃにも似た、あちこちに愛らしい装飾がキラキラ輝くノートパソコンを引っ張り出す。スイッチを入れると盛大に

『マジカルトィンクル☆ノートパソコンへようこそ!』

 音声が響くが、ロートス・イーターが反応する気配はなかった。そっと息を吐き玲奈はキラキラしたスイッチを入れる。

『……ケース5472音声入力登録開始。怪我をしたセイレーンを一体保護。JMGAデータベースの過去出現した敵性生物一覧を検索するも該当なし。保護したセイレーンは海洋生物と見られるため東日本エリアで活動していた「魔法少女隊ラブ・マーメイド☆ピーチ・マジック【機種依存文字:ハート青】」活動期間中のデータ、およびセイレーン関連データもレファレンス要請』

 この可愛さに全てを全振りしたようなノートパソコンも、魔法少女協会の正規支給品だった。

『怪我が癒えるまで中部支局長のアパートメントにて保護。念の為今夜中にもシールド施工を要請、以上』

 やるべきことを速やかに終え、玲奈はノートパソコンを閉じ、まだ少し唸り声を漏らして目を固く閉じているロートス・イーターの額に手を伸ばす。

「熱が……」

 カーナビに自宅までの最短距離を表示させ、アクセルを全開にする。そして眼鏡を手の甲で押し上げてから、車のハンドルを片手に、ステッキをもう片手で握り

『マジカルヒーラーステッキ、スペシャルハイパー☆イリュージョン。ラララ♪きらめけいのちの力よ』

 猛スピードで発進した車内で、玲奈は現役時代にも数度しか使わなかった最大呪文を、いつもの事務的極まりない口調で、何十年かぶりに口にした。

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