1-13 俺と彼女たちのハート争奪戦
十七歳になった青年・星鍵 拓海。
誕生日に出生時間と同じ時刻に目を覚ました彼は、その偶然へ胸を躍らせ、気分転換でいつもより早い時間に登校することにした。
一番乗りの教室で邂逅したのは、身目麗しい朱い髪と紅の瞳を持つ転校生・丑光 ほむら。だが、彼女は拓海が特別な心臓を持つために命を狙う【星楽の魔女】の刺客だったのだ。その一件で、拓海は自分の心臓に特別な力が宿っている知ることとなる。
星楽の魔女を無力化するには、魔女を恋に落とし、心の隙間に巣食う魔女の残滓を、拓海の力を流し込んで弾き出すこと。
拓海は無事に平穏な日常を手に入れることができるのか?
そして魔女との恋愛の行く先は?
《命/ハート》と《恋/ハート》を奪い合う、血みどろラブコメディが今始まる!
ズキリ、という胸の痛みで俺こと星鍵 拓海は目を覚ました。
体に異変が起きたのか、何度か深呼吸を繰り返し、胸に手を当てて自問自答する。しかし、倦怠感など感じられず……むしろ全身がエネルギーで満ち満ちている気さえする。
俺は六時にセットしていた目覚まし時計を確認すると、ベッドから立ち上がってカーテンを開いた。
「5時9分……偶然ってあるもんだな」
雫が朝日を浴びる緑の葉を這い降り、窓から伝わる冷気がやんわりと足元を包む。
今日は何ともない4月29日であり、俺の十七歳の誕生日である。きっと全身を覆う高揚感に近い感覚も、十七年前の出生時間ぴったりという偶然が起きたからだろう。
俺は制服に身を包み、こんな早朝に出産してくれた亡き母へ感謝し、再婚相手の連れ子である義姉の部屋の前を通過する。
星鍵 美春────ハル姉。
十年前に突然できた二歳上の姉。
小さい頃はよく遊んでくれたが、三年前から引きこもっており、血縁者の義母さえも原因を知らない。また、不思議なことに家の中ですら遭遇しないので、同じ屋根の下で過ごす俺でさえ三年間も目撃していない。
目を離した隙に姉の洗濯物や食後の食器が増えているので、それが生存確認になってはいるが。
「本当ならハル姉も大学生なんだよなぁ……流石に心配だなぁ」
そんな不安を零しながら、ささっと二人分の朝食を作ると、ハル姉の分にラップをかけた。
両親は共に海外出張なので、家事も手慣れたものだ。
「ハル姉の分はリビングに置いておくから、食べ終わったら水につけておいて」
無駄と思いつつ扉をノックする。
過去にこっそり部屋への侵入を試みたが、ばっちり内側から鍵が掛かっていたので、俺の呼吸には諦念が溶け混ざっていた。
視線を床へ落とすが、腕時計と顔を合わせてとあることを思いつく。
すでに登校できる状態だが、いつもより一時間近く早い。
今から家を出れば、到着時刻は……えっと、七時少し過ぎくらいだろうか。一番早い生徒でも七時半に教室にいると、情報通の友人から聞いている。
早起きは三文の徳というし、悠々自適に登校して、一番乗りだけが体験できる一人だけの静かな教室でも味わってみるか。
片道十五分ほどの登校時間。
いつもなら変わり映えのない景色を横に、友人とありきたりな会話を交えながら歩くが、今日は心なしか気分が良いのか、気怠い道のりすら心地よかった。
そして、あっという間に高校へ到着し、クラス分けの張り紙以外は誰も視線を向けない掲示板を横切り、周囲を見渡してスキップしながら校内へ足を踏み入れる。
いくらテンションが上がっているとはいえ、客観的に見ると流石に気持ち悪かったかな。
教室の前で、俺は我に返って赤面する。
初めての一番だ。
そう思いながら扉をスライドする────と、まだ肌寒い朝の風を浴びながら、青々しい葉の匂いを吸う美少女と目が合った。
日差しで煌めき、風が梳かせる紅蓮の長髪。ルビーを嵌めたように、不気味さと美しさが混濁した瞳。制服の上からでもわかるスタイルの良さと、すらりと伸びた黒いタイツに覆われた脚部。
彼女の美貌に奪われ、気付く。
俺自身、在校生の顔を全員覚えている自信はないが、こんなにも美麗な人がいれば記憶に焼き付くはず。
「君は……転校生?」
遡ること昨晩。
中学以来の悪友から電話があり、彼の人脈経由で春休み中の部活生が転校生を目撃したそうな。それはそれは国が傾くほど蠱惑的だと。
伝聞ではあるが、彼女が例の転校生なんだろう。
胸のざわつきが確信へ至らしめる。
「よく私が転校生だってわかったわね~」
彼女が髪をかき上げ、右耳にややいかついピアスが垣間見え、その仕草にドキッとしてしまう。
「私の名前は丑光 ほむら」
「よろしく、丑光。俺の名前は────」
「星鍵 拓海」
え? どうして俺の名前を知っているんだ?
そう言おうと口を開くが、溢れ出したのは肺から吹き抜ける空気と、大量の……血だった。
「っ!?!?」
激痛が遅れて全身に走り、思わずその場に倒れる。
胸部を中心に「痛い」と「熱い」の波が交互に襲い、悶絶の唸り声を捻り出しながら整列された机を薙ぎ倒した。
俺の反応が面白かったのか、丑光 ほむらは状況と不相応な笑い声を反響させる。
何がそんなにおかしいんだ。
怒りの視線を向けると、丑光の左手には生物の教科書でよく見た“心臓”が握られていた。
……心臓? 誰の?
「あはは、自分がどうして襲われたかわかってないって顔してておっかしー! 冥途の土産に教えてあげる!」
彼女が指を鳴らすと、突然右手から炎が現れる。
種も仕掛けもわからないマジック。だが、俺の胸部から漂う肉の焦げた臭いの理由には辻褄が合う。
「私は星楽の魔女こと【タウラスの魔女】よ。十七歳になって魔力が最高に熟した、アンタの特別な心臓をいただきに来たの!」
星楽の魔女? 牡牛座? 特別な心臓?
酸素の供給が停止する脳では理解が追い付かない。
「アンタの反応を見るに、何も知らないみたいね。まぁいいわ、『知らなかった』は罪であり、知った後は『知っていた』が罪なの。よってアンタは重罪────【ファラリスの牡牛】」
どういう意味だ。
しかし、喉を震わせる空気さえ肺に残っておらず、疑問の言葉は虚空へ消える。
そして、混乱する俺を置いてけぼりにするように、全身が一瞬で暗闇に包まれた。そこは布団に包まった落ち着く闇でなく、鍋の中で蒸し焼きにされる食材のような息苦しさ。
「さようなら、骨ごと焼け焦げなさい」
ああ、ここは灼熱が籠る鉄の檻だ。
俺は意識を朦朧とさせ、露出した肌が熱された床に貼りつく感覚を覚えながら双眸を閉じた。
………………。
…………。
……。
「はっ!?」
息継ぎするため水面へ顔を出すように飛び起きる。
何度目かの呼吸を終え、改めて周囲を確認する……が、ここは天国でも地獄でもなく……、俺の部屋だ。
「待て待て待て、俺は死んだはずで……!」
胸部へ爪が食い込み、冷や汗と吐き気が込み上げる。
夢にしては生々しすぎだ。
しかし、ぽっかりと空いた胸部から血液が零れ出る脱力感や、細胞の焦げて肌からタンパク質へ変わる感覚は、ただの夢で片づけるには易しすぎる。
そして、俺は“それ”と目が合ってしまった。
「5時9分……ッ」
目覚まし時計が指差す時刻。
自分が出生した時間であり、自分がこの世に生まれ落ちてきっちり十七年が経過した瞬間。
それらの単語が噛み合い、脳裏に丑光 ほむらの言葉がよぎる。
──十七歳になって魔力が最高に熟した、アンタの特別な心臓をいただきに来たの!
「まさか本当に────」
混乱する思考と独り言を掻き消すように、廊下を踏み抜くような足音が反響し、留め具が外れる勢いで扉が開かれる。
絶対に賃貸住みが不可能な挙動を行った張本人と目が合い、俺は喉から驚愕を漏らす。
「ハ、ハル姉っ!?」
「たっくん、こうして面と向かうのは三年と三十一日振りだね……と言いたいところだけど、そうも言ってられないみたい」
三年振りに姿を見た引きこもりの姉……ハル姉はボサボサに伸びきった髪と、かび臭い服に身を包んでいた……わけではなかった。
ピシッと整った団子ヘアーを揺らし、眼鏡のレンズ越しに確認できるシャドーと、部屋着にしては違和感のある白衣を靡かせ、とても三年間も引きこもりだったと信じがたい清潔感を纏っていた。
ハル姉は、ベッドで愕然としている俺へ近寄り、俺の顔をペタペタと触って確認する。
「体温に変化はなし。単刀直入に聞くけど、未来で死んできたでしょ? お母さんから教えてもらった伝承に、その心臓の持ち主は死に戻りできるって言葉があったはずだし」
「話についていけないんだけど!?」
「一週間前にタウラスの魔女が日本で確認されたわ。恐らく、監視してたたっくんの様子が急変した可能性として、タウラスに殺されて死に戻りしたと考えるわ」
「今なんか監視って不穏なワードが出てきた気がするんですけどォ!?」
「ん? あぁ、この家には監視カメラが至る所に設置されてて、たっくんの身に何が起きても対応できるように設計されてるから! 安心して!」
安心とはなんだろう。プライベートが侵害されすぎて、最早シロアリに食いつくされた木造住宅みたいにスカスカである。
というか、もしかして同じ屋根の下で三年間も鉢合わせしなかった理由って……きゃあ! 考えるのも怖くなってきた!
「話が逸れたけど、たっくんの心臓は千年に一度の魔力を秘めてて、星楽の魔女たちはそれが欲しくてたまらないわけ。そこで私が所属する組織の出番なわけですよ」
「え、えっと俺の心臓が特別で、丑光 ほむらみたいな輩に命を狙われてるってこと?」
「その通り。そして、私たちの組織がバックアップするから、たっくんは魔女の刺客たちを恋に落として、彼女らの心の隙間に魔力を流し埋めて無力化してほしいの」
ハル姉はここぞとばかりのキメ顔と共に人差し指を向けた。
「心臓を奪われるか、恋心を奪うか────作戦名は【ハート争奪作戦】よ!」
どうして俺の心臓を奪われることが作戦概要に入っているのだろう。
そんなツッコミさえ入れる隙がなかった。





