黒ノ聖夜 BLACK SANCTION09
目当ての小学校も、その次の保育園も、結局門前払いだった。
「あぁー、全然ダメだぁ。取り付く島もない」
朝からいくつか学校を回ったが、どこも取材を受けてくれるところはなかった。
アポなしでの突然の訪問は、当然歓迎されないのは分かっていたが、こうも空振りだと身体以上に心が疲れた。
インフルエンザの流行で学級閉鎖も相次ぎ、先生方も年末スケジュールの調整に大わらわのようだった。
バスの停留所にあるベンチに腰をかけ、ヒールに紛れ込んだ小石を取り除きながら、良子は白い息を深く吐き出した。
「まさに『師走』とはこのことだねぇ」
だからといって、足を止めるわけにはいかない。
中途半端なことをすれば、また相馬デスクに「没」と切り捨てられてしまう。でも、今は何より、自分自身が「羽村院長」が何をしたのかが気になっていた。
「でも、とりあえず、午前は棒に振っちゃったし、せっかくだからお昼は、例のご当地中華のお店に行っちゃおうかな」
良子は事前に調べておいたXX市でしか食べられない地域密着の飲食店に思いを馳せて、到着したバスに乗り込んだ。
◆◆◆◆◆
良子はコンビニで買ったサンドイッチを頬張りながら、次に当たるつもりの場所へ足を運んでいた。
「まさか……臨時休業とは……」
定休日まで事前に調べていたのに、お目当ての中華を食べることは叶わなかった。
良子がお店に辿り着いた時に見たものは「インフルエンザのため、しばらく休みます」とコピー用紙に太いマジックで走り書きされた文字だった。
肩を落とした良子はそのあと手近なコンビニに逃げ込んだ。
「インフル、インフルって、何が『奇跡の街』よ。どこもかしこも感染拡大しまくりじゃない」
良子は不満たっぷりに、サンドイッチの最後の一欠片を口に放り込むと、残されたビニールゴミを折り畳んでポケットへと仕舞った。
良子は足を止め、深呼吸をすると、「よしっ」と一言だけこぼして、気を取り直して歩き出した。
しばらくして――XX市立第二中学校と書かれた白い校名板の前で、園辺良子はマフラーを押さえながら足を止めた。
吐く息は白く、校門の内側からはチャイムの余韻がかすかに聞こえる。
「……完全に不審者だよね、これ」
手袋越しに、自分の名刺を持った手を見下ろす。
報道関係者の身分証は首から下げているが、知らない大人が一人で中学校の前をうろついていれば、どう見ても怪しい。
お昼休憩の時間も終わり、午後の授業がはじまった正門前は人気も少なく静かだったので、余計に良子の存在が目立つ。
良子はそのまま突っ立ってても仕方ないと気持ちを切り替え、年季の入ったエプロン姿で校門前を掃き掃除している清掃員のようなお婆さんに声をかけた。
「あの、すみません」
声をかけると、お婆さんは手を止めてこちらをゆっくり振り返った。
「どちら様でしょう?」
「都内のネットニュース編集部の者です。すみません、取材で少しお話をうかがえればと……あれ?」
名刺と社員証を示そうとして顔を上げ、目の前のお婆さんの姿をまじまじと見つめる。
「あら、今朝のお嬢さんじゃない。奇遇だわね。あれから腰、痛んだりしてない? 大丈夫だった?」
お婆さんは良子の顔を見ると、嬉しそうに声を上げた。
今朝、商店街のアーケードで両手に荷物を抱えてよろけたお婆さん。その時に散らばった書類に足を取られて、良子は尻もちをついたのだった。
「あの時の! ひょっとしてこの中学校の方だったんですか?」
お婆さんは箒を校門に据え置くと、ニコニコと笑いながら、良子の名刺を受け取った。
「ええ、そうよ。園辺良子さん、ね? 取材でよかったかしら」
「そうなんです、校長先生か、五年前の感染対策に詳しい担当者の方に繋いでいただけないでしょうか!」
「いいわよ」
良子が頭を深く下げたその瞬間、間髪入れずにお婆さんの優しい声が頭の上から聞こえてきた。
良子はその即答に一瞬頭が真っ白になったが、意味を理解するとすぐに頭をあげ「ありがとうございます!」と感謝の言葉を述べた。
お婆さんはニッコリと頷くと、箒とチリトリを手に取り、校門を開けて中へと進む。
良子も今度は取材ができるかもしれないという気持ちから、両手を前で揃えたまま笑顔で校門の外で待った。
そして、お婆さんが不思議そうに振り返った。
「ついて来ないの?」
「え? でもまだ許可いただいてないですし」
そこでお婆さんは、何かに気付いたように笑みを浮かべ、手に持った箒と良子の顔を見比べた。
「あたしね、伊東と申します。お掃除おばさんと勘違いさせちゃったかしら? これでも、このXX市立第二中学校の校長先生なの。よろしくね」
◆◆◆◆◆
伊東の穏やかな雰囲気とは違い、校長室は静かで重厚な空気に包まれていた。
高級そうな調度品に囲まれ、部屋の隅には大きめの観葉植物。天井近くの壁には歴代校長の肖像画が掲げられており、見下ろされているようで息苦しかった。
そして、これまた高級そうな革張りのソファーに座るよう伊東に勧められた良子は、腰を下ろした途端に思わず深々と頭を下げた。
入室したときに若い先生が置いてくれた緑茶の湯飲みがテーブルの上でカタリと揺れた。
「先程は失礼いたしました」
「そんな恐縮しなくていいのよ、あの状況なら誰だって掃除のおばさんと思うわよね」
伊東の気さくな振る舞いに、良子は胸を撫でおろした。
気持ちを落ち着けて、改めて室内を見てみる。深く茶色い木目調の棚にはトロフィーや賞状といった色んな記念品が並んでいた。
「それにしても、立派なお部屋ですね。凄すぎて、気後れしちゃうというか」
「ふふふ、威圧感があるかしら? あたしもね、ここにいると時々息が詰まっちゃってね。だから外で掃除をしたりして気を紛らせてるの」
「そうなんですか? でも、あの棚の、台座にフクロウが乗ってるトロフィーとか、素敵ですよね。何かの大会ですか?」
「あのトロフィーは『知恵の天秤』といってね。全国中学校科学文化祭で大きな結果を残してくれた科学部の皆がついこの間持ってきてくれたのよ。中でも部長の子が――あら、なんだったかしら」
まるで電波の切れた動画再生のように、伊東の話がプッツリと途絶え、その視線が、一瞬だけ宙をさまよった。
そのあきらかな不自然さに、良子は喉の奥に何かが詰まったかのような居心地の悪さを感じた。
「……科学部の部長がどうかされたんですか?」
おそるおそる尋ねる良子に、伊東は元の調子で明るく返す。
「歳をとると嫌ね。……その子の名前も思い出せないんだけど、確か『家出』したとかで今は居なかったはず。気にしないで」
……気にしないで? ついこの間賞をとった子が家出したのに?
あまりにも唐突な伊東の言葉に、深掘りしたい気持ちが疼いた。だが、羽村院長の話を聞く前に取材を断ち切られてしまう可能性を考え、良子は言葉を飲み込んだ。
「それで、取材はなんだったかしら?」
伊東が促すように続けたので、良子もそれに乗っかり話をすることにした。
「五年前のパンデミックの時に、『羽村先生が』各学校に様々な形で支援をされていたと思うんですけど、どのようなものがあったのか教えていただけませんか?」
良子はボイスレコーダーの電源をオンにして、手帳を開きペンを構えた。
◆◆◆◆◆
伊東は当時の支援内容について、すんなりと話してくれた。
今はもう撤去されてしまったが、大量のアクリル仕切り板や、ビニールカーテンなどの物資を、緊急事態宣言発令時にどこよりも早く手配してくれたそうだった。
当時は伊東も羽村先生と成瀬市長の迅速な決断に感謝して、お礼の電話をしたとも言っていた。
伊東がゆっくりと椅子から立ち上がると、窓の向こうへ視線を送り、目を細めた。
「羽村先生が子供たちを守るためにって、慌てて手配してくださってねぇ」
当時の事を思い浮かべて微笑んでいるようだった。だが、良子には、その横顔がどこか寂しそうに見えた。
「声を荒げて電話をかけてきてね。急いでいるからって『どこも同じ数量だけ送り込むから、上手く使ってくれ』とか言うのよ。最終的に余ったやつは他の施設に回したりとかしたけど……。大きい病院のトップなんだから、もう少し落ち着いて行動すればいいのにね」
伊東はふっと笑うと、良子の前のソファーへ腰を下ろした。
良子はペンを持った手を動かしながら、静かに話を聞いていた。
考えながら、ペン先でトントンと手帳を叩く。
「その『どこも同じ数量』というのは……やっぱり同じ数量なんですか?」
我ながら変な質問をしたと思い、良子は苦笑いを浮かべた。
伊東の答えはいたってシンプルだった。
「それはそうでしょう。そんなところで嘘をつく必要もないでしょうし。各施設の必要数を集計するより、一定数を送り込んだ方が早いと思ったんでしょうね」
「なるほど」
一見無駄に見えるけど合理的――なのだろうか?
余力を感じさせる潤沢な予算が、この一見普通の街にある、ということなのだろうか。
良子は心の中でそう呟くと、ペンの尻をノックしてペン先を仕舞った。
その後、良子は羽村先生が亡くなった時のことについて聞いてみたが「持病の悪化による心不全」と、今まで聞いた以上の話は返ってこなかった。
取材を受けてくれたことへ、熱い感謝を述べ、良子はXX市立第二中学校を後にした。




