黒ノ聖夜 BLACK SANCTION22
鈴の力でぼんやりとする清田に通報させて、クロウと良子はキヨタサプライの倉庫を後にした。
遠くから近づいてくるパトカーのサイレンが、冷たい夜風に乗って聞こえてきた。
日はとっぷりと暮れ、街の灯りが遠くに煌いた。
良子は腕を鼻に寄せて嗅ぎ、顔をしかめた。ガソリンの特有の刺激臭がコートに染みついていた。
もっとクロウと話をしたい。二十年分の感謝も伝えたいし、聞きたいことも山ほどある。
だが、その前にできれば着替えたい。クロウに臭いと思われないだろうか。そんな小さな悩みが良子の胸中を巡った。
着替えるには宿泊しているホテルに戻らないといけないが、そこはビジネスホテルという名の『元ラブホテル』。
あそこにクロウを連れ込む自分を想像して――良子は顔から火が出そうになった。
良子はぶんぶんと頭を横に振って、脳裏を過ぎったイケナイ妄想を必死に振り払った。
「……なにやってんだ、お前」
隣を歩くクロウが、不審なものを見る目で良子を見下ろしている。
「な、なんでもないです! ちょっと寒気がしただけです!」
良子は顔を真っ赤にして両手を振った。
このままでは心臓が持たない。良子は話題を変えるべく、慌てて口を開いた。
「そ、それより! クロウさんは、どうしてこの街に?」
「……仕事だ」
「仕事って、サンタクロースの?」
「子どもの失踪事件を調べにな……」
「えっ!? 失踪事件!?」
良子の表情が、一瞬で記者の顔に戻る。
クロウはポケットに手を突っ込み、じっと宙を睨みつけて考えた。
『幽霊先生』と噂される羽村と言う男。それに重なる『ハーメルンの笛吹き男』の『幻想の者』。
記者である良子なら、何か情報を持っているかもしれない。
クロウは顔を良子に向けた。
「なぁ、お前。『羽村』ってやつ知ってるか」
「――え」
クロウの口から出たその名前に、良子は思わず息を呑んだ。
声にならない叫びが喉の奥で凍り付く。
羽村史郎。
この街をパンデミックから救おうとした医者。
そして――街の闇に呑み込まれ、命を失った人物。
「し、知ってます……! 私、その人のことを調べてて、あいつらに拉致されたんです!」
クロウの眉がピクリと動く。
「ちょっと、お互いの情報交換といこうや」
◆◆◆◆◆
歩きながら、クロウは自身の置かれている状況を、洗いざらい話した。一般人には秘匿すべき『幻想の者』の情報ですら、良子には隠さずに教えた。
もう何度も巻き込まれた記憶を持つ彼女に、今さら隠し事もなかった。
「まあお前は『良い子』だから、この話は他の誰にもしないって信じてるぜ」
「ははは、こんな話誰も信じませんよ。記事にしたって創作サイトにアップぐらいしかできないですね」
良子は乾いた笑いを浮かべた。そしてすぐ、憂いを帯びた瞳に戻る。
「タケルくん、でしたっけ。早く見つけられるといいですね……」
クロウもまた、良子の事情を聴き、まだ安全といえる状況にいないことを確認した。
このまま一人で帰らせれば、口封じのためにまた違う刺客に襲われるかもしれない。
再び沈黙の時間が訪れる。
クロウは悔しげに舌打ちをした。
「あー、くそっ、旧市立病院にさえ行けたらなぁ!」
クロウの言葉に良子が不思議そうに首を傾げた。
「いけますよね? 私、旧市立病院覗いてきましたよ?」
「あぁん? さっき説明しただろ? 『幻想の者の隠れ家』には、招かれた奴か、俺たちの『認識改変』を跳ねのけられるような奴じゃないと――」
そこでクロウは言葉を止めた。
「は? 見てきた?」
「私、見てきましたよ? ここに来た翌日に、取材の下見で。フェンス越しでしたけど、人気のない病棟が佇んでました」
良子は事もなげに言った。
その言葉に、クロウは雷に打たれたように足を止めた。
クロウの脳内で、パズルのピースがカチリと嵌まる。
良子は度重なるクロウの能力を受けていたせいで、とうの昔に耐性を得ていた可能性。
『記憶操作』も受け付けなければ『認識改変』も受けない。
クロウが突然、良子の両肩をガシッと掴んだ。
野性的な顔が、良子の目の前まで迫る。
「ひゃえっ!?」
良子は頬を染めて、身体をのけぞらせた。
吐息がかかるほどの距離で、クロウの瞳がぎらりと光る。
「そうだよ! お前がいれば、いける……!」
「え……? なに、が?」
良子の口元には苦笑いが浮かんだ。
「良子、俺を旧市立病院に案内してくれ! お前が一歩先を歩いて『俺を招いて』くれれば、俺も入れる!」
良子は理解が及ばずに目をぱちくりさせた。
「え、ええ……? 理屈はわかりませんけど、私が先導すればいいってことですか?」
「そうだ! 今すぐだ! 善は急げだ!」
クロウは子供のように目を輝かせて、良子の腕を引っぱろうとする。
良子は一瞬、鼻につくガソリンの臭いに顔をしかめ、自分のボロボロのコートに目を落とした。
こんな姿で、しかも疲労困憊の状態で、化け物の巣窟に行くのか。
――ううん、違う。
良子はふるふると首を横に振った。
今は、自分の身だしなみや疲れを気にしている場合じゃない。
タケルくんの、子供たちの未来がかかっているのだ。
「……わかりました」
良子は顔を上げ、クロウを真っ直ぐに見据えた。
その目には、もう迷いも恐怖もなかった。
かつて守られた少女は、今、守るために戦う大人の顔をしていた。
「行きましょう、クロウさん。道案内は任せてください」
その姿に、クロウは一瞬だけ呆気に取られ――すぐに、凶悪で、それでいて最高に楽しそうな笑みを浮かべた。
「へっ……ありがてぇ! だったら――」
クロウは虚空から『袋』を取り出すと、中からスノーボードを引き抜いた。
「走る必要はねぇ。近くまでコイツで行くぜ! 案内役なら、特等席に乗せてやるよ」
「えっ、これに乗るんですか!?」
「舌噛むなよ! 飛ばすぜ!」
クロウは良子を抱え上げると、ボードと共に夜空へと舞い上がった。
目指すは街外れの丘――旧市立病院。羽村が潜む、『幻想の者の隠れ家』へ。




