黒ノ聖夜 BLACK SANCTION14
クロウは、公園のブランコに腰を掛けて微かに揺らしながら、今一度『幽霊先生』について考え直した。
「先生つうぐらいなんだから、やっぱ学校の先生じゃねぇの?」
コンビニで買ってきたコーヒー缶のプルトップを開けて口につける。考えすぎてこんがらがった脳みそに、ブラックコーヒーの苦みがよく染み渡った。
そろそろ学生たちが帰宅しはじめる時間帯。
放課後の子どもたちを狙って、夜咎クロウは策を練った。
――しばらくして公園のベンチで、クロウと少年が少し間をあけて、向かい合うように座っていた。
その二人の姿を、他三人の子どもたちが囲んで眺めていた。
クロウの手には、大人気カードゲーム『バトモンカード』が握られていた。
買えばすぐ遊べるスタートデッキと呼ばれるカードの束を、さきほど近くの家電量販店でいくつか買ってきた。
それを見せびらかすようにして、道行く子どもに対戦を挑んだところ、ノリの良い子どもたちがクロウに付き合って、遊んでくれた。
そして今、対戦に負けたクロウが唸り声をあげた。
子どもたちはクロウを指さして、大きな声で笑った。
「おっさん弱ぇぇ!」
「もう一回、もう一回対戦だ!」
クロウがすがりつくように子どもにねだると「仕方ねぇなぁ」と付き合ってくれた。
クロウはカードをシャッフルしながら子どもたちに話しかけた。
「お前らさ、『幽霊先生』って聞いたことない?」
首をかしげる子どもたちのなか、クロウの対戦相手をしている少年――タケルが口を開く。
「……死んだはずの羽村先生が、笛を吹きながら子どもを迎えに来るってやつでしょ。知ってるよ」
タケルは手札を見つめたまま、ぽつりと言った。
「昨日さ、友達のシュウとボイチャしながらゲームしてたんだけどさ。突然『羽村先生のフルートの音だ』って言い出して、ゲームから抜けてさ」
周りの子どもたちが「シュウって誰だよ」と笑いだす。
タケルは気にせず話をつづけた。
「あいつ、病院の演奏会が大好きで、よく聞きに行ってたんだよな。だから、たぶん本当のこと言ってたんだと思う。そんで今日、シュウの奴、学校に来なかったんだ」
タケルは顔を上げ、強い瞳でクロウを見つめた。
「だからオレ、今晩探しに行こうと思って」
「はぁ? 探しに行くってどこへだよ」
クロウが手札からカードを一枚、場に並べた。
「シュウの家の近くだよ。夜に笛の音が聞こえたら、付いていけばシュウに会えるかもしれないだろ」
クロウは呆れてため息をついた。
子ども特有の無鉄砲さだが、同時にそれは「カモ」が自らネギを背負って鍋に飛び込むようなものだ。
「やめとけボウズ。オバケに会えても、お前まで食われておしまいだ」
「うるさいな! おっさんには関係ないだろ。……俺の勝ちだ!」
タケルが切り札のモンスターを場に出す。クロウのライフポイントはゼロになった。
歓声を上げる周囲の子どもたち。しかしタケルだけは笑わずに、カードを片付け始めた。
クロウは頭をガシガシと掻きむしった。
ここで「はいそうですか」と見殺しにするのは、寝覚めが悪い。
それに、どうやら向かう先はお目当ての『幽霊先生』で間違いなさそうだった。
「……仕方ねぇな。俺も付き合ってやるよ」
「え?」
「大人のナイト・ガード付きだ。感謝しろよ。その代わり、俺の言うことを聞くこと。いいな?」
◆◆◆◆◆
夜二十三時。
住宅街のはずれ、少し古びた公園の茂みの中に、二つの影があった。
「……寒い」
「文句言うな。お前が言い出したんだろ」
クロウは震えるタケルに、飲みかけのブラックコーヒーの缶を押し付けた。
周囲は静まり返っている。風が木々を揺らす音だけが、ザワザワと耳障りに響いていた。
「まあでも……静かだな。そう簡単に、思い通りに動いてくれるわけはないだろうけどよ」
クロウが欠伸を噛み殺そうとした、その時だ。
――ピー、ヒョロロ……。
風の音に混じって、奇妙な旋律が聞こえてきた。
どこか物悲しく、それでいて誘うようなフルートの音色。
「……聞こえる。おっさん、聞こえるよ!」
「ああ、俺にも聞こえてるぜ。……極上の獲物の音がな」
タケルが立ち上がろうとするのを、クロウは手で制した。
音は、公園の奥――今は閉鎖されている遊歩道の方から近づいてくる。
街灯の薄明かりの中に、ゆらりと影が現れた。
白衣のようなものを纏っているが、その裾はボロボロに裂け、まるで生き物のように蠢いている。
手には銀色のフルート。
「……なんだよ、あれ」
タケルの歯がカチカチと鳴る。
現れたのは、優しかった院長先生の面影を残した、悪夢のような怪物だった。
男は、虚ろな目でフルートを口から離し、無表情なまま口を開いた。
「……おや。余計な者が、いるようですね」
その声は、重低音のノイズが混じった、人ならざるものの響きだった。
「てめぇ……人間、じゃねぇな。『幻想の者』――どう考えても『ハーメルンの笛吹き男』。なんで幽霊のフリなんかして子どもをさらってやがる」
ハーメルンの笛吹き男――羽村は、興味無さそうに宙からクロウを見下ろした。
「私は――契約不履行につき、その取り立てをしている……までです」
タケルがクロウの背から、歯を震わせながらも懸命に叫んだ。
「は、羽村先生! シュウを……返してください!」
羽村の視線がタケルへと移る。
「大丈夫、すぐに会わせてあげますよ」
羽村がフルートを口元に添えた。
静かな夜空に、ひときわ高い笛の音が響く――。
「させるかよ!」
クロウが手を伸ばすと、羽村めがけて黒い鎖が空を引き裂いて飛び出した。
だが、羽村に辿り着く前に、その勢いを失って地に落ちた。
ジャララ、と乾いた金属音が響く。
クロウの表情から生気が抜け落ちていた。
しばらくぼんやりと空を見つめていた彼は、まるで糸で操られる人形のように、フラフラと歩き出す。
羽村は変わらぬ表情で告げた。
「あなたは呼んでいない。どこか――水の中にでも沈んでいなさい」
羽村はフルートを奏でながら、タケルと共に夜の闇へとかき消えていった。
取り残されたクロウの背中だけが、月明かりの下でよろめき続けていた。




