黒ノ聖夜 BLACK SANCTION10
黒いサンタ帽の男――夜咎クロウは、XX市立第二中学校を中心に、失踪した子どもたちの校区をなぞるように歩いていた。
失踪情報のあった付近であれば、何かしらの『幻想の者』の残滓を感じ取れるかと考えていたが、何も見つけられなかった。
「くそっ、お掃除上手かよ。『ブラウニー』でも雇ってんのか」
クロウは吐き捨てるように呟いたが、成果はないまま時間だけが過ぎた。
ぷらぷらと大通りを歩くと、家電量販店を見かけたので、人の流れを見るついでに入ってみた。
おもちゃ売り場で、最新ゲーム機のデモを見てその性能に感嘆したクロウは、パッケージを手に取って値札を見た。
「やっぱ高ぇなぁ……! こんなもんクリスマスプレゼントに頼まれたら……」
クロウは身震いした。
「子どもは減っていても、プレゼントの支出は増えてんじゃねぇか? クラウスの財布は大丈夫なのか……?」
赤いサンタクロースの顔を思い浮かべ、まるで他人事のように呟いた。
平日の昼間ということもあるが、その売り場で子どもたちの姿を見ることは無かった。
再び大通りへと戻ってきたクロウは、
「これは……夜まで待つしかねぇか」
と、肩を落としてため息をついた。
そうして歩いているうちに、再びXX市立第二中学校の校門前まで戻ってきていた。
校門越しに、校舎に向かってお辞儀をしている紺のコートを羽織った女性の姿があった。
仕事中らしく黒髪は低めにまとめているが、こめかみの後れ毛だけがほどけて、疲れの影をそっと滲ませていた。
園辺良子の姿を視界に認めると、クロウは慌てて建物の影に身を潜めた。
「はぁ!? アイツがなんでこの街にいるんだよ!?」
と、叫び出したくなる気持ちを抑え、声を殺して息を吐き出した。
クロウは見知らぬ家の塀からそっと顔を出して、良子の動きを観察した。
良子はバッグから取り出した手帳とスマホに何度も視線を行き来させていた。
そして、小さく頷くとどちらもバッグにしまってバス停の方へ歩き出した。
クロウは慌てて塀の内に入り込み、背をぴったりと壁に預けて息を殺した。
その瞬間、庭の柴犬が、クロウに向かって激しく吠え立てた。
「やめろ、バレる……!」
クロウは人差し指を口元に立てて必死に合図する。
吠え声に良子が一度だけ振り返る。――が、スマホに出た「バス時刻」の表示に気づいた瞬間、顔色を変えて駆けだした。
柴犬の声が収まらぬ中、クロウはほっと胸を撫でおろした。
「つうか、アイツまた厄介なことに首を突っ込んでるんじゃないだろうな」
クロウはズボンの埃を乱暴に手で払いながら立ち上がると、苦笑いを浮かべた。
「とはいえ、俺がずっと見張ってるわけにもいかねぇからなぁ。……まあ、さすがに何も起こらんだろ。……起こらんよな?」
一抹の不安を抱えながら、クロウは次の目的地へと向かうことにした。
子どもたちを攫う『幻想の者』なら河童や天狗の線も捨てきれない。
笛のような音がただの風鳴りだとしても、天狗絡みなら説明はつく。
可能性は薄い――だが、薄いからこそ先に潰しておくという腹づもりだった。
「気は進まんけど、川上に向かって歩きながら山を目指すか……」
うんざりした顔で遠くに見える山を眺めたあと、まずは市内を流れる大きな川に向かって歩き出した。
市内をふたつに分かつように大きな川が流れていた。
浅いが幅がある。子どもが落ちれば、笑えないことになるだろう。
もし『河童』が川底に引きずり込むなら厄介だが――。
クロウは足元の小石を軽く蹴り出した。
放物線を描いた石が水面に落ち、波紋の輪が広がるのをぼんやりと眺めた。
すると突然、水面が割れた。にゅっ、と緑色のぬめった顔が突き出てくる。
頭に皿を乗せたその奇妙な生き物は、目に涙を浮かべながら不満そうに口を突き出した。
「……痛ぇっす」
「……大当たりかよ」
まさかこんなにあっさり『河童』にお目にかかれるとは。クロウも思わず苦笑いを浮かべた。
「ん~、でも、こんな警戒心もない間抜け面に、子どもを攫うとかできるんかねぇ」
腕を組んで首をかしげる。
河童は頭のお皿をさすりながら、クロウの顔を睨みつけた。
「なんすか。悪いことをしたら先に謝るっすよ。常識ないんすか人間」
「いや、それは本当にスマン。ところでよ、お前……子どもとか水底にさらってないよな?」
「なんなんすかそれ。こんな冬場に子どもとか川に寄ってこないっすよ。うるさいから、夏場でも寄ってきて欲しくないっす」
「……違いない」
「濡れ衣っす。尻子玉引っこ抜くっすよ」
「おお、悪かった悪かった」
クロウが顔の前でひらひらと手を振ると、河童は「フン」と鼻を鳴らし、不機嫌そうな顔のまま、水の中へと潜っていった。波紋だけが静かに残る。
「……ここじゃねぇなら、次は『天狗さま』でも探しに行くかねぇ」
クロウは川を背にし、冷たい風が吹き降ろす山の方角を睨むように見上げた。
◆◆◆◆◆
山と言ってもメインとなる整備された道とは違う、細い山道をクロウは歩いていた。
何かが出てくればそれでよし、出てこなければ山頂付近からスノーボードで空を滑空して街に戻るつもりだった。
地面に散った枯れ葉を踏みしめ、ギュッと擦れた音を立てながら山道を行く。
冬の太陽が早々に仕事を切り上げて、空を茜色に塗り替えた。
クロウが山頂に隠れてゆく夕陽に向かって軽く舌打ちをした時――笛のように甲高い音が鳴ったかと思うと、空から強烈な突風がクロウを襲った。
思わずクロウは帽子を手で押さえ、もう片手で目元を覆い、砂埃から顔を守った。
「おいおい、ダメ元で来て正解引いたかぁ?」
クロウはニヤリと口角を突き上げた。
突風が去った後に残る――白い山伏の服に黒い翼と黒く突き出した嘴を持つ仮面。
夕闇迫る空から――天狗がクロウを見下ろしていた。
「よそ者の『幻想の者』がこの山に何の用じゃ」
黒い羽根を束ねた団扇をクロウへと突き出した。
風が止み、冬の冷気がヒヤリとあたりを覆っていく。
「なぁに、ちょっと相談に乗ってもらいたいことがあってよ」
「断ると言ったら?」
「そん時は――縦に首を振るまでお願いするだけだ、よっと!」
天狗が団扇を一振りすると、風の刃がクロウを襲った。
クロウがステップを踏むように横に飛び退くと、風の刃が地面を薙ぎ、足元の雑草が細切れになって宙を舞った。
「お話するときは、目の高さは合わせてってな!」
クロウの袖から黒い鎖が跳ねる。闇色の蛇みたいに伸びたそれが、瞬く間に天狗の腕へ絡みついた。
次の瞬間、クロウが鎖を引く。
天狗の身体が空中でバランスを失って――背中から地面に叩きつけられた。
「ガハッ!」
「よお、たまには地べたから見上げる景色もいいもんだろ?」
クロウが踵を落とす。踏み抜く気で振り下ろしたが、天狗は転がって紙一重でかわした。
「何をたわごとを」
天狗は即座に起き上がり、団扇で一閃。腕に絡んでいた鎖は風圧で寸断され、黒い欠片が散る。
間髪入れず、天狗が地を蹴った。一瞬にして視界が詰まる。
クロウの懐へ入り込んだ天狗が、独楽のように回って蹴りを叩き込む。
上段――中段――。クロウは腕で受け切る。だが、足元を刈る下段への反応が遅れた。
脛に衝撃が走り、クロウが派手に転倒する。
「見上げる景色はどうじゃ?」
天狗はそのまま、腹へ下駄を振り下ろす。
クロウは落ちてきた足首を両手で掴み取った。
「……へ、最高――だぜ!」
握ったまま、天狗の身体を横へ放り投げる。
黒い翼を小刻みに震わせ、絶妙にバランスを保った天狗は、転がることなく地面に降り立つ。
その間にクロウも、跳ね上がるようにして起き上がった。そのまま間髪入れずに天狗との距離を詰め、腹に連続でパンチを叩き込む。だが天狗は後ろに飛び退きながら、そのパンチを全て肘で受け切った。
天狗がそのままふわりと距離を取り、クロウはその隙に袖で頬を拭った――が、その瞬きの間に、天狗が視界から消え、クロウの背後に現れた。
「くそったれ! 『縮地』か!」
天狗の鋭い蹴りがクロウの背を捉えた。
クロウの背で空間が揺らぎ、空中から引き摺り出されたように『サンタクロースの袋』が現れた。
「サンタクロースってのは『袋』を背負ってるもんだからよ!」
勢いの止まらない天狗の蹴りは『白い袋』に吸い込まれ、激しく袋を引き裂いた。
衝撃で宙を舞った白い袋の裂け目から、『灰』がどっと噴き出して、空気中に広がった。
「ぐっ」
天狗は視界を灰に奪われ、呼吸と共に灰が咽喉へと飛び込んできた。
ほんの一瞬、クロウから意識がそれた。
その隙に、足元の影がうごめく。
次の瞬間――天狗の身体が、黒い鎖で締め上げられた。
◆◆◆◆◆
クロウはその場にどっかり腰を下ろすと、蹴り飛ばされた脛をさすりながら呻いた。
「くっそ、本気で蹴りやがって」
「……貴様、儂を捕えてなんとするつもりじゃ」
鎖に縛られたまま地面に転がされた黒い仮面の天狗が苦々しく吐き捨てる。
「なんもしねぇよ。最初から言ってるだろ『話しにきた』ってよぉ。お前……子どもとか攫って――なさそうだよなぁ」
クロウは辺りを見渡してため息をついた。
出会ってからずっと張り詰めていた天狗の気配が、不意に和らいだ。
「……貴様はあの新参者の仲間ではないのか」
「新参者?」
クロウの眉がピクリと動いた。
「街に現れた、新しい『幻想の者』じゃ」
「ちょっと詳しくその話を聞かせてくれよ」
クロウが鎖の端をぐっと握ると、天狗を縛り付けていた鎖はまるで分解されたようにサラサラと崩れて消えていった。
天狗は身体を起こすと、地面に胡座をかいて腰を下ろした。
「詳しくといっても――儂もあんまり知らんのじゃがな。そいつの姿も見ておらん」
天狗は黒い面をゆっくりと外した。クロウは中身を勝手に年寄りと想像していたが、精悍な青年の顔立ちが現れて、クロウは少し驚いた。
「ただ、この山に遊びに来ておった子どもたちも『幽霊先生が皆を連れて行く』と、言ったっきりで姿を見せなくなってしまった。それだけじゃ……」
「幽霊先生……」
クロウはその単語を繰り返す。
山に差していた紅い光は、いつしか山の裏へと消えて、闇がとっぷりと辺りを支配していた。




