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桜の雨、ふたたび  作者: 蒼原悠
肆 ブロッサム・プロミス
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四十三 『桜庭』






 卒業式が一通り終わると、今度は閉校記念式典に移行する。──もっとも何かが変わるわけではない。副校長の司会進行も、装飾もそのままだ。

 改めて校長が登壇し、式辞を述べる。次に来賓席の紹介があり、昭島市長、教育委員長、PTA代表が、それぞれ一分ずつスピーチを行う。

──『建物老朽化のためとはいえ、このような歴史ある学校が閉校の憂き目に遭わざるを得なくなってしまったことが、私には残念でなりません。せめて同じ中学に通えるようにと便宜を図りたかった……』

 と、涙を誘う市長のスピーチがあれば。

──『この学校は小規模で教員の目が行き届いていたこともあってか、市内の中学の中でも断トツに評判がよろしくてですねぇ。いじめ事件もなくて大変よろしかったものです。我々としては大変ありがたかった、いえ、よその中学がどうというわけではありませんが……』

 と、反応に困る教育委員長のスピーチもあり。

 来賓紹介が終われば、今度は生徒の側にマイクが回ってくる。生徒代表の言葉として、あらかじめ選ばれていた三年生の生徒が原稿用紙を手に立ち上がり、壇上に登って話をした。卒業生代表として、邸中が如何に居心地のいい空間であったのかを、言葉を駆使して語ってみせた。

 それも過ぎてしまうと、今度は樹や梢たち、“進級生”の番である。


──『続きまして、閉校記念歌『桜庭』の合唱です。作詞は本校生徒会一同、作曲・編曲は本校教員の小荷田によります』

 司会の声に合わせて、吹奏楽部の面々が一斉に楽器を取った。立ち上がり一礼をした燕尾服姿の音楽教師・小荷田(こにた)(りゅう)が、グランドピアノの前の座席にそっと腰掛ける。

来た──。

 二年生たちの間に緊張が走ったのも、束の間。ピアノの放つ力強い音色が体育館に高く響き渡り、会場は瞬時に巨大な音楽室と化した。寄り添うように合流した吹奏楽の伴奏が、オーケストラのような音の広がりを瞬く間に作り上げた。




【──晴れ渡る桜の庭で 仲間たちと出逢ったあの日

 胸の中で開いた花は 友たちの心つなげた

 教室の片隅で 共に悩み学び合い

 かけがえのない(あかね)(いろ) 探してた】




 流れてくる音色に、自然と声が乗ってゆく。

 たった二日で仕上げたとは思えないほどに、二年A組の歌声は他のクラスに馴染んでいた。まっすぐに前を見つめながら声を張る、樹。目を閉じたまま、暗唱した歌詞を懸命にたどる林。誰もが思い思いのやり方で、感情と抑揚を『桜庭』に込めている。




【幸せはいつだって 永久ではないけれど

 忘れたくない思い出は きっと永遠になる


 桜咲く この学舎(まなびや)で 笑い泣き 駆け抜けた日々

 明日からは この桜庭(さくらば)に つらくても背を向けて

 歩き始めよう 新たな日々を ひとりじゃない──胸の温もり 抱きしめて】




 歌声の濁流の狭間に思い出されるのは、音楽室の風景だけではなかった。

 夕暮れの色のよく映える、あの古びた教室。

 いつも快適な気候で出迎えてくれた、三階奥の小さな図書室。

 たった二百メートルの長さのコースしか取ることのできなかった、こぢんまりとした校庭。

 怪我をするたびに世話になった、薬の香りの染みた保健室。

 一番と二番を結ぶ僅かな間奏の合間に、それだけの光景が鮮やかに(よみがえ)った。まだ、感傷に浸る時じゃない──。そんな思いが自然と反映されたかのように、二番冒頭の声はちょっぴり大きくなった。




【雨の日も風の吹く日も 手を振って足を運んで

 胸の奥に根を張る幹は 揺るぎない力紡いだ

 グラウンドの白線を 追い越しあって走っては

 かけがえのない(みどり)(いろ) 踏みしめた


 喜びはいつまでも 永劫ではないけれど

 忘れられない願い事 きっと永遠になる


 桜舞う この学舎(まなびや)で 泣き笑い 追いかけた夢

 明日からは この桜庭(さくらば)に 悲しくても別れ告げ

 思い描こう 新たな望み ひとりじゃない──心のアルバム 抱きしめて】




 ふたたび間奏に入った。台詞を唄うメンバーだけを残して、ほとんどの生徒たちが座ってしまう。

 十人の生徒が残された。柚の役割を受け継いだ梢も、その一人だ。

 やっぱり緊張してしまう。大丈夫、練習通りにやればいいだけ──。胸いっぱいに吸い込んだ酸素を味わいつつ、梢は声の出し方を再確認した。

(あたしの順番は、最後)

 ほっ、と息を軽く吐いて、肺のコンディションを整えにかかる。視線を舞台上に持ち上げると、控え目の音量に落とされた伴奏の合間を目掛けて、生徒たちが順に声を張り上げ始めていた。


『僕たち』

『私たちは』

『今日を限りに“邸中生”ではなくなります』


 台詞を考えたのも、もちろん梢たち生徒会だ。

 立ち上がっている面子の中に、生徒会の顔は梢の他には見当たらない。思い入れが一入(ひとしお)の自覚はあった。

 中でも梢はとりわけ積極的に、台詞の言葉選びに加わった方だ。みんなの叫びは、梢の叫び。だからあえて、自分が台詞読みをする側に回ろうとはしないつもりだった。


『体育祭、文化祭、遠足、色々なことがあるたびに』

『ここで過ごした仲間たちと笑い合い、心を通わせるたびに』

『私たちは少しでも大きくなることができたでしょうか』


 あたしにはその答えは出せなかったけど──。無言で付け加えて、拳を握って、ちょっと笑ってみた。

 梢の台詞は、近い。今なら柚のような、美しい響きの声だって出せる気がして。

(本当は柚ちゃんにこそ言ってほしかったけど、今は、あたしが代わるよ)

 見上げた舞台の紅白幕の向こうに、柚の顔が浮かぶ。梢はそこへ笑いかけた。

(だから、ちゃんと聞いててよね)

 そうしてまた、息を吸い込む。


『この学校で知を深め、絆を紡ぐことは、もう叶わないけれど』

『それでも僕たちは前を向きます』

『きっと前を向いて、明日へ続く道を歩めます』

『大切な仲間たちが、先輩たちが、先生方が、僕たちの背中を押してくれます』


 吸い込んだ息を、梢は前へ送り出した。


『春待桜のある校庭で一緒に走り回った人たちは、みんな、みんな──永遠に私の仲間です!』


 凛として輝いた梢の声を、音量を上げた間奏が飲み込んでゆく。三番、歌の最後が一気に近付いて、梢の周りの仲間たちが立ち上がった。

 間一髪のところで、目立たずに済んだ。

 梢はほんの一秒、放心したように立ち尽くした。緩みかけた目元に指をそっと宛がって、それから外して、もう大丈夫だと自分に頷いて見せる。梢は自分の役割を、きちんと乗り越えられたのだ。

 振り返ったクラスメートの何人かと目が合った。やったね、と言わんばかりの笑みに視線が止まって、梢も思わず微笑んでしまった。

 迫力のあるパーカッションや鍵盤の音が、床を、天井を打ち鳴らす。クライマックスだ。




【桜散る この学舎(まなびや)で 共に立ち 空を見上げて

 淋しさに胸が震えて 足元が見えなくても

 いつか戻れる未来信じて 大丈夫──別れの言葉、抱きしめよう


 ひとりじゃない──この桜庭(さくらば)に ありがとう】






 ──校旗返納、校歌『櫻之雨(さくらのあめ)の邸中』斉唱、閉会の言葉。式次第のすべてを完遂し、閉校記念式典はまもなく終わりを告げた。卒業式と合わせて特に問題もなく、すべてはスムーズに進んだ。

 三月二十一日、午前十一時二十分。

 昭島市立邸中学校は、百年以上の長きにわたったその歴史に幕を閉じ、ここに閉校を宣言した。









「宮沢ともずっと、こういうことしてみたかったんだからな」


▶▶▶次回 『四十四 穏やかに』

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