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桜の雨、ふたたび  作者: 蒼原悠
参 アクセプト・プレイア
35/69

幕間 ──永享の松原── 下





 幕府方の攻め寄せる勢いは凄まじいものであった。錦御旗を掲げ、治罰軍となった彼らは猛烈な攻勢を仕掛けてきた。

 駿河守護の今川(いまがわ)範忠(のりただ)はいち早く軍を出撃させ、箱根で持氏方の戦力と衝突。搦手の軍勢が足柄山を越え、相模国に侵攻を開始した。箱根早川尻でこれを迎撃しようとした持氏方の上杉(うえすぎ)憲直(のりなお)らは、大軍を前にして一族郎党が続々と戦死する甚大な被害を出し、退却を余儀なくされた。

 鎌倉の留守居を任された持氏方の三浦(みうら)時高(ときたか)は日頃の奉公への不満を爆発させ、守備を解いて所領に退いたかと思うと、鎌倉に攻め込んで御所を制圧してしまった。上野国に退避した憲実を追撃せんと向かった持氏の一隊は、信濃から救援にかけつけた小笠原(おがさわら)政康(まさやす)の軍と高崎付近で衝突、呆気なく叩きのめされた。

 越前からは斯波(しば)持種(もちたね)甲斐(かい)常治(つねはる)、上野からは上杉(うえすぎ)持房(ときふさ)……。持氏討滅せんと次々に押し寄せる圧倒的なその武力は、もはや到底、持氏の手に負えるものではなかった。持氏方の敗北を悟った脱走者が、あちらこちらで続出した。

 そして、当の憲実も動いた。退避していた上野国平井城を出発し、府中高安寺に陣を張っていた持氏と分倍河原で対峙したのである。多数の脱走者が出たために戦端を開くことすら叶わず、持氏らは海老名へ退却。三浦時高により鎌倉を制圧され、落ちる先すら失った彼らの先には、この時、すでに悲惨な末路が見え始めていたと言える。




 この府中での対峙の折、撤退を是としなかった持氏の家臣の一部が勝手な突撃を試み、憲実方の軍勢によって返り討ちに遭っている。──松原親子がこの戦いに加わっていたのは、まさに不運であるとしか言いようがなかった。

 父・柘命は先鋒の立河(たてかわ)氏に続き、雄叫びを上げながら突進したが、柄命の眼前で全身に矢を浴びて崩れ落ちた。

 名前を呼び、慌てて駆け寄ったが、既に手遅れであった。

 一瞬のうちに父を喪った柄命にも、容赦のない矢の雨が降り注いだ。柄命は慣れぬ刀を振り回し応戦するが、足に一本の矢を受け、動けなくなる。その時、間一髪で味方の軍勢が間に割り込み、乱戦の中へと柄命は何とか逃れることができた。

 柘命の亡骸を前に、柄命は途方に暮れた。柄命はまだ十八歳の若輩者である。いくら人柄が良くとも、家を引っ張っていくだけの技量を持ち合わせているとは言い難い。まだ学び足りなかった、多くを学びたかった父が、瞬きをするほどの時間にして命を落としていった……。

 土煙の立ち込める中に、味方の悲鳴や断末魔が轟いていた。このままここにいたのでは、自分の命も危うい。それが分かっていながらも、柄命の足は動こうとしなかった。


『──きっと、必ず。またお会いしましょう』


 その時、脳裡を掠めたのは、悲歎(ひたん)を胸の奥にぎゅうと押し込め気丈な振りをした杳が、いつか己に掛けてくれた言葉であった。

 こんな所で倒れ臥すわけにはいかない。柄命は生きて帰らねばならないのだ。杳の隣に寄り添って桜を眺めるのだと、あの日、約束をしたのである。その思いが、再び柄命を突き動かす原動力となった。

 眼前に迫った武者たちが、怒鳴りながら斬りかかってきた。柄命は足の矢を引き抜き、刀を構えた。

 その瞳はいま、野生の色をした不気味な輝きを爛々と放ち、襲いかかる敵をしっかりと射ていたが──。






 ……それからいくばくかの、長くも短くも感じられる時が経って、ようやく府中での戦闘は終わりを告げた。


 血煙に(かす)む荒野を抜けた柄命は、いつしか懐かしい拝島の地へと辿り着いていた。どこをどう通ったのか、よく覚えていない。

 平井城から府中に南下する上杉憲実方にとって、拝島は南下ルートの途上に位置している。屋敷は既に憲実方によって火が放たれ、焼失していた。杳とは別に落ち延びさせた、弟の桐命はどうしているだろう。きっと大丈夫だ、と柄命は掠れた声で笑った。足を引きずりながら、それでもなお柄命は歩き続け、──やがて歩みをぴたりと止めた。

 柄命の前には、桜の木がどっしりと地面に根を下ろしていた。

 杳との約束の地まで戻ってこられた事を、柄命は自覚した。まさに柄命が願ったとおりの役割を、春待桜は果たしてくれたのだ。

「杳よ」

 柄命は桜に向かって、唱えた。

 (はる)かに遠い、愛しき人よ。私はここにいる。ここでいつまでも、待っている。

 そう、呼び掛けた。


 そこで力が尽きた。柄命の身体は地に崩れ、音を立てて流れる血が桜の根を緋色に染めていった。

 戦の乱闘の中、足に加えて肩に刀の一閃を受けていた柄命の身体は、鮮血で毒々しいほどの死臭を放っていた。得意の呪術も己が傷を負った状態で用いることはできない。ここまで来られたのが、こうして語りかけられたのが、すでに多くの奇蹟の上に成り立っていたのだ。

 生きて再会する約束の方は、どうやら果たせそうになかった。

 それでも柄命は笑った。薄く、儚く、(わら)った。


 そして、そっと──まぶたを下ろした。




 追い詰められた足利持氏に、逃げ場が与えられることはなかった。

 海老名へ退却した持氏は憲実の家臣・長尾(ながお)忠政(ただまさ)と遭遇し、ついに敗北を認め、幕府への恭順(きょうじゅん)を誓い鎌倉の永安寺に入った。元より戦となることが本意でなかった上杉憲実は、これを受けて幕府への助命嘆願を行う。

 だが、将軍足利義教の理解を得られることはなかった。より強固な将軍専制政治態勢の確立を目論む義教にとって、自身に反抗的な態度を取る持氏の存在はどうあっても救えるものではなかったのだ。

 永享十一年(一四三九年)、二月十日。やむを得ず憲実は永安寺の攻略を行い、持氏は自害した。


 多くの血が流れた永享の乱は、ここにようやく平定されたこととなった。

 だが、戦乱はこれで終わったわけではなかった。持氏の遺児・春王丸(はるおうまる)安王丸(やすおうまる)を中心とし、結城(ゆうき)氏朝(うじとも)によって引き起こされた結城合戦。義教の恐怖政治に恐れをなした赤松(あかまつ)満祐(みつすけ)により、酒宴の最中の義教が暗殺された嘉吉の乱。そして日本中の武将たちを巻き込むこととなる、応仁の乱。

 歴史という巨大な流れの中で幾千の人々は転がり、流され、やがて戦国乱世の混迷の中へと落ちてゆく。




 持氏方の戦力漸減によって、拝島は安全圏となった。府中での衝突から一月後、来栖(くるす)樂久(よしひさ)に伴われて(よう)は拝島を訪れた。

 杳が目にしたのは、蹂躙され灰色と化した市街、田畑、そしてその中央で威風堂々と枝を広げている桜の大樹であった。ようやく戻ってきた民たちはその有様に途方に暮れ、先の見えぬ明日を細々と生きていた。かつての豊かな拝島の景色は、そこには残っていなかった。

 それでも柄命さえいれば、彩りは必ずや戻ってくる──。そう願って桜の下へと赴いた杳が見つけたのは、その場で事切れた男の憐れな遺骸であった。

 この場所で何が起こったのか、戦闘の結果がどうであったのかを、杳は立ち所に知ることとなった。望みは絶たれ、二人にとって一番に(つら)い結末が現実のものになってしまったのだと知った。

 杳はたちまち泣き崩れ、亡骸(なきがら)にすがって訴えた。嘘です、起き上がってください、またかつてのように笑ってくださいと。

 だが、柄命はもう起き上がることも、あまつさえ微笑むこともしない。

 叶わないと見るや、杳は柄命の(さや)から刀を引き抜いた。ぎらり、白光を放つ刃を腹に当てた杳の瞳には、今や深い蒼い色をした焔が煌々と燃えていた。それはたった今、彼女の心の奥深くで生まれ()き上がってきた激情の、強い、ひときわ強い表象であった。

 二度と遂げられることのない呪いならば、いっそ、この手で。

 春待桜は淡々と風に揺れてざわめいている。杳はその姿を見上げ、刀を握りしめたままの両手で印を結び、叫んだ。

「桜よ、どうか私たちのことを忘れないで。いつか私たちの血を、心を受け継ぐ者がここで出逢った時は、その美しい花をいっぱいに、存分に咲かせておくれ────」

 樂久が止める間もなかった。杳は腹に刀を突き刺し、柄命の上に覆い被さるようにして息絶えた。


 黄泉の国で二人が再会を果たしたのかは、誰にも分からない。

 ただ、柄命の服を汚し、杳の口元で跳ねた血の色と模様は、舞い散った桜の花弁の(さま)にあまりにも酷似していたと伝わっている。




 その後、生き延びた弟・桐命(きりのり)によって再興した松原一族は、やがて対岸に滝山城が築かれたことで城下町として発達した拝島の国衆として、再び栄えることになる。五代目に当たる枢命(たるのり)が執筆した『枩原伍代録』は、当時の拝島を知る貴重な資料として後世重宝される。

 永享の乱の平定に尽力したとして評価された来栖樂久は、その後も鎌倉と京を結ぶ使者の役割を負い続け、結城合戦の際の密使をも完遂した。杳の兄であった来栖(くるす)集久(ためひさ)は嘉吉の乱の鎮圧において功があったために多くの恩賞に与り、その旨は後に『時房日録』によって書き残されている。


 連綿と続いてゆく歴史の中を、二つの家は(たくま)しく生き抜いていった。

 だが、両家をかつて繋いだ一筋の赤い糸を知る者は、もはや残ってはいない。記憶しているのは、屋敷の真ん中に残された春待桜だけである。

 そしてこれからも、生ある限り記憶を継承し続けてゆくのだ。


 今、その記憶もついに途切れ、虚空の中へ消え失せようとしている──。










誰もいなくなった家の中で、血を吐き、倒れた柚。

たった一人の少女の命の揺らめきは、家族の、学校の、そして桜の運命を歪めてしまった。

雨霞の先で明らかになる、七十年前の悲劇の真相。すべての筋がつながった時、ようやく胸の奥に温もりを取り戻した少年(ひとり)の足が、動き出す。


「見てろよ。……俺だって」



次回『三十 教室の片隅から』に続きます。

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