夏の終わりの地蔵盆
町の角に置かれたお地蔵様の前に提灯が垂れ下がり始めると、そろそろ夏が終わる合図である。
白に薄桃、愛らしい色合いの、それはまるで小さな子供を慈しむような提灯だ。実際、提灯には子供の名が刻まれて揺れている。
幾分か涼しくなった盆明けの風が提灯を揺らす、共に釣られた風鈴が、ちりん、ちりんと鳴く。
提灯に、ぽう。と灯りが灯れば、どこからともなく子供達が集まってくる。
普段は静かなお地蔵様も今日だけは綺麗に磨かれ、前垂れなどを付けて飾られた。いつもは薄暗いお堂も、今日ばかりは灯りがともされ賑やかである。
これを、地蔵盆、と皆がいうのだ。
「お菓子頂戴」
子供はみんなそう言って、大人達に向かって小さな掌を差し出す。すると、大人がなにやら説法のひとつもして、その掌にお菓子を載せてやるのがしきたりだ。
お菓子さえ貰えれば、説法の途中でも子どもたちはすぐに逃げ出す。大人もわかっているので、説法が終わるまで絶対にお菓子を手放さない。
そんな風景を、私は今でも覚えている。
どのような祭りなのか、子供達は誰もしらない。ただ夏休みの終わり頃、最後に行われる楽しい祭りの一つだと思っていた。
日が暮れると、子供達の数はひとり、ふたり、増えて行く。
私も幼い頃からその理由も知らず、ただただ、
(ジゾウボンには美味しいお菓子が食べられる日だ)
と、呑気に思っていたものである。
ただ、母は口が酸っぱくなるほどに「もし、お地蔵さんの近くに知らない子がいても、けっして虐めちゃいかんからね」と繰り返して言っていた。
地蔵盆の日は、そこに見知らぬ子供がいてもけして追い払ってはいけないのが決まりだった。
提灯に名の無い子がいても、いじめてはならないのが決まりだった。
私が何歳の頃だっただろうか。たぶん、まだ小学校低学年だったはずである。
私は提灯の影に、一人の少女を見つけた。
「お菓子」
少女はそういって、一人の老婆に手を差し伸ばす。
おずおずと、しかしどこか少女らしい動きで。
「お菓子、頂戴」
私はその少女の顔を知っていた。昨年もその前も、確かにここで見かけた。しかし、どこの子なのか、名前をなんというのか、私は何も知らない。
加えていえば、彼女は私が幼い頃よりひとつも年を取っていないようである。
「ばあばちゃん、お菓子頂戴」
にこにこと愛らしい微笑みを浮かべて、差し出す手は傷と土で汚れている。
おかっぱに切りそろえられた髪が、夏の風に揺れていた。
「痛ぁないか」
お菓子を差し出していた年寄りが、そんな風にその子に声をかけていたのを思い出す。婆さんはお菓子を他の子よりも少しばかり多く渡して、
「かあいそうになあ、かあいそうになあ」
などと手を撫でるのだ。私はお菓子を沢山貰うその子がなんとなく妬ましく、疎ましかった。
しかしその汚れた手を見るうちに、ひとつひとつ年を取るごとに、心の中にあるいやらしい気持ちは消えた。
私が8歳になっても、10歳になっても12歳になっても、少女はいつまでも少女のままである。
ある年のことだ。彼女は私の目の前で、お菓子のひとつを地面に落した。それはまるで宝石のように輝くゼリーだった。
ぽん、とはねて土の中に転がり落ちる。蓋が取れて、ゼリーはむなしく土にまみれた。
少女はただ唖然と、今にも泣きそうな顔でゼリーの行方を見つめるのである。その顔を見て、私は無償に悲しくなった。
「あげるわ」
私が彼女に近づいたのは、なぜだろう。
一度も声をかけたこともない。目が合ったこともないその少女に、近づいたのはなぜだろう。
並ぶと、彼女は私の妹よりまだ小さかった。初めて見かけた時は、私より上に見えたはずなのに。
「え?」
「うち、このお菓子嫌いやねん」
彼女の手に無理やり押し込んだのは、赤と緑の冷たいゼリー。少女の手は、そのゼリーよりも、もっと冷たかった。
「くれるのん?」
彼女は驚いたように目を丸め、私を見る。間近に見れば彼女は恐ろしく幼かった。数年前、初めて彼女を見た時からちいっとも変わっていない。その揺れる髪も、黒い瞳も、涙の筋に汚れた頬も、赤い唇も、汚れた手のひらも。
「ありがとう。でもな」
彼女の手のひらにおいたはずのゼリーが、はらりと落ちていく。確かに彼女の手の上にあったはずなのに、まるですり抜けるようにして、ぽん。ぽん。ぽん。とゼリーも、そして他のお菓子も落ちていく。
草むらに落ちたゼリーは、提灯の光を受けてきらきらと輝いていた。
「もう、うち、お菓子、食べられんのよ」
悲しい言葉に反して、彼女の顔はひどく眩しく明るいのである。
彼女は小さく手のひらを振って、歩き始めた。気がつけば彼女の隣には、見知らぬお坊さんが一人立っている。音もなく、気配もなく、彼女はお坊さんの後をついて歩きながら、私に向かって一回だけ手をふる。
「……ありがとう」
「なあんも、悪いことや、してへんのに、かあいそうなことやった」
提灯の揺れる影に消えていく少女の背を見送って、ばあさんが呟いた。いつか彼女の手のひらを撫でていたばあさんである。
彼女はシワの寄った目元に涙をためて手のひらを合わせる。
「でもこれで、もう、あの子は、石も積まんでよろしいから」
最後に触れた彼女の手は冷たく、固かった。それは石のような手のひらであった。
そういえば昔、きいたことがある。
親より早く死んだ子は、賽の河原に連れて行かれるのだ。石を積んで嘆くのだ。
その終わりのない悲しみに、手を差し伸べるのが地蔵であった。
だから地蔵盆は、子供のための祭りであった。
「よかった、よかった」
南無阿弥陀仏とばあさんがつぶやく。何も知らない子どもたちは、わけもなくはしゃいで提灯の下を駆けまわる。
少女の姿はもう見えない。
ただ、少女の嬉しそうな声だけがいつまでも私の耳から離れなかった。
そんな私もやがて大人になる。妻になる。母になる。
地蔵盆も、お菓子を貰いに行く日ではなく、子供にお菓子を配る日となる。
私はいつかの母のように、子供に酸っぱくなるほど言い聞かせるのだ。
「もし提灯に名前の無い子がいても、知らん子がいても、いじめたりしたらあかんのよ」
耳にタコが出来るほど聞かされた子どもたちは、私の言葉など聞きもせずに提灯に向かってかけていく。
その背を見送り私は玄関先に小さな提灯を灯した。桃色の愛らしいそれに名前は入れていない。その下の台には赤と緑のゼリーを一つずつ。
手を合わせ、祈る声は風鈴の音に溶ける。
頬に感じる風は、どこか秋めいていた。




