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最終回 80.廃城


唵嘛呢叭呢吽オン・マニパドメ・フン

 鬼姫は霊符を玉座に貼り付けた。

「なんだそれ」

「孫悟空を封印しとったお釈迦様の札じゃ」

 鬼姫が見よう見まねで書いたものだから、ご利益があるかどうかはわからない。斉天大聖せいてんたいせいが封印できるのだから、第六天魔王だいろくてんまおうぐらい封印できるかもしれなかった。

みかどは仏教徒だったから、こっちのほうが効くだろうの」

「は? 帝? 天狗って、お前らの王だったの?」

「帝を倒すとはの……。これでうちは日本に帰ることは無理になったの」

「それほどのことか?」

「それほどのことじゃ……」

 これ以上ない大罪人である。百回処刑されても許されないだろう。


「たしか、……」

「その名を言ってはならん」

 鬼姫は魔王の口に指を立てた。

 どうしても思い出せなかったわけである。その名は、長らくなかったことにされていたのだから。


 久しく妖怪の姿が無かった古都、とある仏門の高僧から妖怪退治を頼まれた。山から下りてきた妖怪が、必ずこの古都に災い成すと。

 まだ生き残りがいたのかと、久々の妖怪退治をうかつに引き受けてしまった鬼姫は、高僧から招遊魂符しょうゆうこんふの霊符を渡され、紅葉神社の河原に妖をおびき寄せろと言われた。今にして思えばそれは古都仏門の罠だったのかもしれない。鬼神、怨霊をも、鎮めるために称え祀らんとする神道と、鬼を邪悪、地獄の住人と忌み嫌う仏門には許せぬ隔たりが存在したかもしれなかった。

    挿絵(By みてみん)

        招遊魂符(部分)


 呼び出されたのは天狗であった。その姿に鬼姫は驚愕し、騙されたと悟った。

 高僧は、最初から鬼姫を生贄にするつもりだったのだ。

 古都数百年の怨念を身にまとう帝の怨霊はあまりにも強敵で、鬼姫は傷つき、死力を尽くして戦ったにもかかわらず、結果、その怨霊に取り憑かれて倒れてしまった……。


 その後のことは本当に記憶にない。

 ただ、死を待つだけの体になった鬼姫に、何らかの力……。おそらくは大神の慈悲により、怨霊と共に封印され、死体同然となった鬼姫は養い主である紅葉神社の宮司と、親しかった氏子らに涙と共に送られ、祠に祀られて数百年が経った……。


 それはもう事実かわからない。だが、きっとそうだと今の鬼姫なら思うのだ。

 たとえ怨霊であろうと、大神の末裔たる帝に刃を向けた鬼姫は、もう日の本に蘇ることがかなわなかったのだろうと思う。

 異世界に送る。それはきっと、最後の慈悲であっただろうと。



「帝の怨霊じゃ。昔々、帝位を追われた帝が怨念となった」

「魔王も帝も碌な目に遭ってねえ……」

「平安の末、上皇じょうこうはの、弟とのいくさに敗れ、帝位を追われ、その身は遠島に流され、死ぬまで日本を恨んで怨霊となったのじゃ。それが天狗になったと伝わっておった」

「凄まじいな」

こうを取ってたみとし民を皇となさん……。帝の座を引きずり下ろすという呪詛じゅそじゃの。後世の帝が王になれぬよう呪ったのじゃ」


 事実、その戦の以後、天皇家は次々と呪いに隠れ、世は天災、飢饉に乱れ古都は大火に失われ、源平の戦が起こり、帝は侍たちの鎌倉幕府に実権を奪われた。武士の時代の始まりである。

 その後、幕末に幕府が倒れても、実権を取り戻そうとすればまた戦争になって奪われる。平安の末から現代にいたるまで象徴的な天皇として一度も実権を握れていない、今もなお天皇家に連綿と続いている恐ろしい呪詛であった。

 逆説的にだからこそ、天皇家は今まで滅ぼされず世界最古の王家として現代まで生き残ったともいえる。この呪詛が皮肉にも天皇家を守っているのかもしれなかった。


「この封印、魔王殿みたいに自力で解けるかの?」

「いやあ無理だろ。俺、さっきこいつが何言ってんのかまったくわからなかった。楓のいた国の言葉だろ?」

「そうじゃ」

「そっちの言葉しかわからんのじゃあ不可能だ。異国語の術式なんてこいつには何千年経とうと、解けるわけないって。そういう仕組みだ」

 魔王は笑う。


「なにかとてつもなく邪悪な者が封印されているのは、教会の連中なら嫌でもわかる。きっと俺がこの玉座に封印されたままだって、この先何百年も思うだろうよ」

「おぬしも悪よのう」

「魔王だからな」

「そやったら、お清めはやらんほうがよいのう……」

 いつもなら、この後お清めの祝詞を捧げるところだが、放っておいたほうが良さそうだった。どのみち、鬼姫ごときが鎮められる相手ではない。こうして邪悪な気配を放ち続けてもらうほうが、教会の連中が手を出しにくくなるだろう。

 業を煮やした教会が封印を解こうとしても、かけた者が魔王と鬼子では解除しようもない。「これは私がかけた術ではありません!」なんて聖女が言うことも無いだろう。すでにご高齢であり、こんなところまで来るわけなかった。


第六天魔王波旬だいろくてんまおうはじゅん……。帝はの、魔王になりたかったんじゃ」

「よかったじゃないか、夢がかなって。だったら本望だろ」

「そうかもしれんの……」


 魔王がいつまでたっても、復活しない。

 それならばそれで教会にはいい話なはずである。女神の加護も、勇者伝説も、もう上書きされない。この先も教会が信者を集められるかどうかは、知ったことではないが。


 魔王は鬼姫の首に優しく腕を回して、その首を撫でた。

 鬼姫の首についた痣は、綺麗に消えた。

「魔王殿にも、もう魔王になれない呪いがかかったかもしれぬのう……」

「魔王なんてとっくにやめてる。あんな奴に呪われたって痛くも痒くも無いね」

「言うのう」

 そのまま魔王は鬼姫の唇を奪った。

 鬼姫は何も抵抗せず、抱かれるに任せていた。


「……約束は守ってもらうぞ」

「……」

「嫁になってもらう」

「嬉しいのう!」

 鬼姫は、魔王に抱き着いた。


 その夜は、とろけるような優しい光が二人の朝を包むまで、鬼姫は愛された。こんなに甘く、優しくされて、鬼姫は涙が出るほど幸せだった。




「人間の世界は、今はどうなっている?」

「それは魔王殿が、自分の目で確かめるのが良かろうの」


 いつもの巫女装束の旅姿に身を整えた鬼姫は、つづらを背負う。

 魔王も、背負子しょいこに旅の荷物を担ぎ上げた。

 シャリーン……。

 右手には、天狗が持っていた錫杖しゃくじょうがあった。当面の武器代わりだ。

 玉座に突き刺さった魔王の剣、教会の連中がどう思うかは勝手にすればいい。魔王は誰かが倒したと思ってくれるならそれもよし。定期的に復活してもらわないと信仰が続かないような教えなら、もう廃れてしまえと魔王だって思う。


「魔王殿はやめてくれ。いいかげんルシアルって呼んでくれよ」

「人前で呼んでもええのかの?」

「俺の真名なんて知ってる人間がいるわけない」

「角、どうすんじゃ? 人に会うたびいちいち聞かれるわの?」

「ああ……だったらこうして認識疎外ステレスをかけてしまえば……」

 魔王の黒髪から伸びていた二本の角は、きれいさっぱり見えなくなった。


「は? 見えないようにでけるのかの?」

「それぐらいは」

「ちょっと見せてみるのじゃ」

「なんなんだよ、もう……」

 魔王が頭を下げると、鬼姫はその髪をかき分けた。


「ハゲとる!」

「あ?」

「ハゲじゃ! まあるいハゲが二つ、できておる――――!」

「この野郎!」


 鬼姫は笑いながら駆け出し、逃げる。

 怒ったふりをした魔王がそれを追いかけた。


 西へ、西へ。


 いつか来た道を、逆にたどって。

 二人は今度こそ、廃城になった魔王城から、旅立ってゆく……。



―――――――鬼姫、異世界へ参る! 終―――――――



これにて閉幕。

最後まで読んでくれてありがとうございました!

また一つ作品を無事に完結できましたし、感想もたくさんいただけて嬉しかったです。

また、連載中も追記、修正した箇所が多く毎日のように手直しをし、イラスト追加などもしていますので、またいつか読み直してくれると新しい発見があるかもしれません。

私の作品の場合、ポイントを入れるのは完結するのを見届けてからという読者様が多いので、面白かったらポイント入れてくれると私も書いたかいがあってありがたいです、ぜひよろしくお願いいたします。

※日間総合76位 ハイファンタジー10位 異世界転移/転生6位(令和六年五月十八日)


※おかげさまで、この作品、双葉社様からMノベルズで2025/3/28日発売されることが決まりました!

 しかも上下巻同時発売です! ライトノベルとしては極めて異例と思われます。

 上下巻……。なんだか文豪小説みたいでカッコイイ……。


挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 カッコよく凛々しい表紙絵はあるてら様です。

 ぜひよろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
これから二人で幸せに暮らすのでしょうね。ハッピーエンドでホッとしました。ありがとうございました。
最高に面白かったです! 本も買わせていただきます!
素晴らしい作品をありがとうございます。 語彙力ないので上手く言えないんだけど、綺麗な物語だなって思いました。 大事に大事に読みたい物語だったので週に1度4,5話づつ読ませて貰いました。 とにもかくにも…
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